アジアインフラ投資銀行(AIIB)の比較研究

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.73

浜中慎太郎
2016年7月26日発行
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  • 地域有力国は、覇権国の影響力を極小化し、自国が主導権を握る地域金融メカニズムを確立したいという欲求を持つ。中国台頭以前の日本もそうであった。中国やAIIBを例外視するのは適当でない。
  • かつて米国は、東京となる公算が高かったアジア開発銀行ADBの本部がマニラになるよう裏で働きかける、日本が提案したアジア通貨基金AMFの準備会合にオブザーバー参加し日本提案を封じ込める等、執拗かつ策略的な国であった。AIIBへの淡白な対応は米国のソフトパワー低下を示唆する。
  • ADBと異なり、AIIBは世界中の国に参加が開かれている上、職員や受注企業が加盟国出身でなくてはならないという条件もない。AIIBはADBとの対比ではなく、世界銀行との対比で見るべきかもしれない。



はじめに
今年1月に開業したAIIBは、中国主導である上、日本主導で半世紀前に設立されたADBが既に存在することもあり、我が国では感情的に拒否反応がある。本稿はAIIBについての冷静な議論に資する共通認識を醸成することを目的とし、アジアにおける国際金融機関の設立交渉過程を比較する(詳細についてはHamanaka 2016を参照)。

過去4機構の設立経緯の比較
以下では、アジア有力国が有する米国の影響力を排除し自国主導の地域協力を進めたいという欲求と、米国によるアジアのみの協力を留まらせるための執拗な政策の二つに焦点を当て、過去の地域金融機構の設立過程を比較する。

ADB:日本は1960年代初頭より、アジアにおける地域開発銀行の設立を検討していたが、米国の支持を得られなかった。運よく別の地域開発銀行設立案が国連アジア極東経済委員会ECAFEから出てきたため、日本はそれを支持し日本の原案に近づける戦略をとった。ECAFEを舞台に新銀行の設立交渉が行われたが、日本を含むアジア諸国は1952年に採択された「域外国は域内国による地域協力案への反対を控えるべし」というラホール・コンベンションを利用し、米国を交渉過程から巧みに排除した。米国は域外国とされ 1 、必ずしもADBにおける待遇に満足していたわけでないが、ベトナム戦争によるアジアにおける反米感情を悪化させないために参加を決めた。同時に米国は日本(アジア)の影響力が過大にならないよう手を尽くした。アジア諸国間でADB設立を話し合う会合が開催される際には、前世銀総裁(米国人)を派遣し、会場外での接触を通じて様々な働きかけをアジア諸国に対し行った。日本は当初東京本部を日本人総裁より優先していたが、米国は本部所在地決定の投票に投票権を有さないもののマニラ本部を支持していたことは公然の秘密であった。ADBの設立準備期間中には業務ノウハウの不足が露呈し世銀に協力を要請したが、米国人総裁は協力を拒否した。

AMF:通貨危機に襲われたタイの救済案の協議は1997年8月に日本が主催した会合で行われた。多くのアジア諸国が資金貢献を決定したにもかかわらず、米国は会議に参加したものの貢献を拒否した。日本はタイ救済に貢献した国々でAMFを創設する計画を進めた。日米間の調整は緊密ではなく、米国が気づく前に既成事実化することを図った。日本は、香港でのIMF年次総会(同年11月)の場を利用してAMF設立の合意を取り付けることを狙ったが、米国はAMF準備会合の存在をあるアジアの国に知らされ、IMFと共にオブザーバー出席することを主張し、日本に認めさせた。準備会合では、米国とIMFがAMF創設に反対した。同時に米国はAMFに反対するだけではアジアの金融協力を回避するのは困難と考え、自国が含まれる定期会議の設立を逆提案し、実現させた。なお、中国もAMF提案を支持しなかった。

ASEAN+3マクロ経済調査事務局AMRO:AMFの失敗の後、アジア特に日本は、IMFへの過度な依存を避けるために、域内金融協力を進めた。チェンマイ・イニシアチブCMIと呼ばれる域内金融当局による二国間スワップ協定のネットワーク構築が2000年に合意された。米国はCMIの資金の10%以上が発動される際にはIMFの承認が必要との条件をアジアに飲ませた。日本はその後、IMF非リンク比率の引上げ及びCMI資金総額の拡大によって、IMFの承認を得ずに発動できる金額を拡大させる策に出た。2009年にはCMIに集団的意思決定のための投票制度を導入し(それまで資金発動は二国間で決定)、日本と中国(香港を含む)は同一の投票権を有することで折り合った。CMIの意思決定を支えるための国際機関としてAMROが2011年に設立された。AMRO事務局は、日本でも中国でもない第三国のシンガポールに設置された。事務局長の任期は3年であるが、初代事務局長ポストについては、任期を最初の1年と後の2年に分割し、日中で分かち合うこととした。

AIIB:中国は2013年10月のAPECサミットの場で初めてAIIBについて公に言及した。なお、米国オバマ大統領は当サミットを欠席している。翌年5月のカザフスタンでのADB年次総会初日にはディナーが予定されていたが、中国はアジア各国を別のディナーに招き、そこでAIIBについての非公式協議が行われた。なお、中国主催ディナーに日米印は招待されていない。その後中国は交渉を急ぎ、同年10月には北京本部を明記したMOUが署名された。同年中頃からAIIB交渉に加わったインドはMOUに署名したが、日米は交渉に加わらなかった。MOU署名後の2014年後半に、中国は日本にAIIBへの参加を働きかけたが、米国の関与については警戒した。米国によるAIIBの透明性欠如批判にも冷淡な態度をとったが、これは米国の発言を逆手にとり参加させなくするための戦術と解することもできる。中国はAIIBの総裁職も獲得した。

AIIB参加の是非を検討する際の基本認識
以上の比較分析を踏まえると、少なくとも二つのことが言えそうである。第一に、かつての日本と現在の中国の行動には共通点が多いこと。日中とも、「米国排除」を通じて自国の主導権確立を狙っている。特に米国を交渉過程から外し、自国に有利な機構を設計することが重要であった。日本の主導権には中国が反対し、中国の主導権には日本が反対していることも一致している。機構の所在地・組織の長のポストが極めて重要であることも日中で共通している。これは、地域協力機構の設立が、誰がパワーを有しているのかを示す威信政策であることを意味している。おそらく、第三者であるアジア諸国や欧州諸国の目から見れば、かつての日本及び現在の中国の政策は、地域有力国としての欲求の自然な発露と映っている可能性が高い。参加国にとっては、AIIBが制度的に中国のパワーを投影したものになったことも(大きな投票権等)日米不参加の自然な帰結と受け止めていよう。

第二に、かつての日本の提案と中国のAIIB提案に大差はないが、米国の対応が全く異なったこと。米国のパワーの低下がAIIBの創設を許したといえる。ADBの本部は当初は東京となる公算が高かったが、米国はマニラとなるように裏で働きかけ、実現させた。AMF設立協議の際は、兎に角理由をつけて準備会合に出席して議論を引っ掻き回し、逆提案を行って元の案を潰すといった老練な戦略が採られた。CMIでは、アジアの金をアジアが使う際にもIMFの承認が必要であることを認めさせた。かつての米国はより執拗であったが、現在は極めて淡白である。この違いは、米国が同盟国の日本に対しては強く出ることが出来たということだけではなく、米国のパワー、特にハードパワーだけでなくソフトパワー、「戦術力」の低下が激しいことを示唆している。米国が早い段階でAIIB支持・北京本部支持とセットで、非中国人総裁を逆提案していたら、AIIB交渉は全く異なったものとなっていたであろう。

最後に、AIIBがアジア地域に留まらないグローバルな機関になりつつある点を指摘したい。ADBのメンバーはアジア地域の国々に限られるが(非アジアの先進国も資金提供国として参加可能)、AIIBのメンバーは世銀の加盟国全てに開かれており、エジプト、ブラジル等が既に参加している。現時点で30カ国程度が加盟を希望しているが、多くの非アジア諸国が含まれていよう。ADB職員やADBプロジェクトの受注企業になるには加盟国の出身であることが条件となるが、AIIBにはそのようなルールもない。日本はAIIBをADBとの対比ではなく、新たな中国主導で設立された世銀にも対比しうるグローバルな機関 2 として見るべきなのかもしれない。

《参考文献》
S. Hamanaka (2016), Insights to Great Powers’ Desire to Establish Institutions: Comparison of ADB, AMF, AMRO and AIIB, Global Policy (7)2.

(はまなか しんたろう/新領域研究センター)


脚 注
  1. ラ米開発のための米州開発銀行は、米国を域内国として扱いし、本部もワシントン。
  2. 世銀、ADBが「開発銀行」である一方、AIIBはより「投資銀行」的であり、分業可能と見ることもできる。伊藤隆敏氏のコメント参照( https://www.spf.org/topics/topics_17618.html )。



本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。