ライブラリアン・コラム

インドネシア老舗書店の閉店記事を読んで

土佐 美菜実

2023年8月

閉店のお知らせ

今年5月下旬のある日、インドネシアの日刊紙『コンパス』を読んでいると、ひとつの記事が目に飛び込んだ。70年以上続いたインドネシアの老舗書店、グヌン・アグン書店(Toko Buku Gunung Agung、以下グヌン・アグン)が2023年いっぱいで全店舗を閉店するというお知らせであった1

グヌン・アグンはインドネシア国内で最も歴史ある書店のひとつで、全国に複数店舗を持つ有名店である。筆者もジャカルタの店舗を何度か訪れたことがある。

繰り返しになるがグヌン・アグンの歴史は古い。1953年に華人系インドネシア人のチオ・ウィ・タイ(Tjio Wie Tay)がジャカルタで書籍を販売したのが始まりである。インドネシアは独立後、宗主国であったオランダの出版・書籍販売業者が撤退したものの、国内では読書の需要が高まっていた。もともとタバコの販売業を複数の仲間とともに営んでいたチオだったが、こうした状況を察知して書籍販売業へ舵を切ることにしたのだった。

創業間もなくしてチオはおよそ1万冊の本の展示イベントを開催した。当時としては信じられないほどの大量の本を用いたことで大きな反響を呼んだのである。翌年の1954年にはジャカルタで行われたブックフェアに出展する。この時、当時の大統領スカルノの目に留まり、以後、チオはスカルノから直接本の発注を受けたり、自身で大統領宮殿へ本を届けに行ったりするような間柄となった。また、グヌン・アグンは書籍販売だけでなく、出版事業も展開し、インドネシアの偉人・著名人に関する伝記を数多く出版してきた。その出版事業のなかで、数多くのスカルノに関する本や、彼自身の著書も出版された(Suryadinata 2012)。

さて、閉業の知らせを告げるこの悲しい記事に戻ると、長きにわたり親しまれてきた有名書店が閉業を決断した理由として、やはり経営難が大きいようである。先のパンデミックがそこに拍車をかけ、一部従業員の解雇を余儀なくされたという。

経営難の背景として、『コンパス』の記事では特に海賊版の横行が指摘されている。インドネシアでは海賊版の売買が一大産業となってしまっており、それにより多くの書店・出版業が廃業に追い込まれていると言われている。記事によると、2021年にインドネシア出版協会(IKAPI)が実施した調査において、130の出版社のうちおよそ75%が海賊版の被害にあったと回答している。こうしたインドネシアにおける海賊版の流通は深刻な問題としてたびたび聞くことがあり、根の深さを改めて感じた。

1954年の展示イベントでの出展の様子

1954年の展示イベントでの出展の様子
惜しむ声たち

閉店のお知らせが発表されてから数日後、グヌン・アグンのファンと思われる人から閉店を惜しむ投書が『コンパス』へ寄せられた。あらゆる学問の知的集積地として、人びとを無条件で啓発し、必要な知識を与えてくれる存在であったことが述べられている2

また、こうした投書だけでなくSNSを含む各種メディアでも閉店の発表がとりあげられ、たくさんの反響を呼んだ。しかし、なかにはインドネシア社会における急速なデジタル化のなかで従来型の書店の行く末を案ずるコメントも少なくない。想像に難くないと思うが、インドネシアもインターネットを通じた情報発信・収集が急速に展開しており、今や主流となっている。これにより書店は生き残りをかけて大きな課題に直面している。今回のグヌン・アグンについては、その別れを惜しむ声だけでなく、時代の潮流に合わせた戦略が見いだせなかったことを指摘するコメントも見受けられた3

また、インドネシアでお馴染みの報道誌『テンポ』のオンライン情報ポータルサイトでは「まだ耐えているインドネシアの書店一覧」なる記事まで掲載された4。閉店のニュースを通して、改めてこれらの問題を認識する機会となった。

お礼――スタッフに感謝をこめて

だいぶ前のことになるが、筆者もインドネシア出張の折にはグヌン・アグンのお世話になったことを最後に述べておきたい。出張中の限られた滞在時間のなかで効率良く目当ての本が購入できたらと思い、事前に日本からグヌン・アグンへ連絡を入れ、欲しい本のリストをメールで送り、出張までに本の取り置きをお願いしたことが何度かあった。その際にやりとりに応じてくれた親切なスタッフの方へ改めて感謝申し上げたい。

写真の出典
  • Pekan Buku Indonesia 1954. 1954. Djakarta: Gunung Agung.(Public Domain)
参考文献
著者プロフィール

土佐美菜実(とさみなみ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア島嶼部。著作に「インドネシア――1本のサテがくり出す衝撃の味」(『世界珍食紀行』文藝春秋、2022年)など。

  1. “Derai Air Mata Perbukuan Tanah Air,” Kompas, 24 May 2023.
  2. “Toko buku,” Kompas, 31 May 2023.
  3. “Toko buku Gunung Agung tutup, bagaimana retail yang 'berkontribusi' bagi literatur Indonesia sejak era pasca-kemerdekaan ini kehilangan masa jayanya?” BBC News Indonesia, 23 May 2023.(https://www.bbc.com/indonesia/articles/c51ped0e388o)
  4. “Gunung Agung Bangkrut, Ini 10 Daftar Toko Buku yang Masih Bertahan,” Bisnis, Tempo.co, 23 May 2023.(https://bisnis.tempo.co/read/1728827/gunung-agung-bangkrut-ini-10-daftar-toko-buku-yang-masih-bertahan)