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新時代への布陣?――ベトナム共産党第14回党大会と党書記長・国家主席の「一体化」
Prepared for the New Era?: The 14th National Congress of the Communist Party of Vietnam and the “Unification” of Party General Secretary and State President
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001911
2026年5月
(5,553字)
党書記長と国家主席の職位兼任へ
3月の選挙を経て誕生した第16期ベトナム国会は、第1会期2日目の4月7日、満場一致によりトー・ラム共産党書記長を国家主席に選出した。1月の共産党第14回全国代表者大会(第14回党大会)で再任されたラム党書記長は、これにより、党と国家の最高位を兼任することとなった。国家主席(英語ではpresidentであり大統領とも訳される)は、政府首相と比べて内政上の実権は限定的であるが、国家元首であり、これまでの党内序列では党書記長に次ぐ第2位と、国家幹部のなかでは最高位に位置していた。
党と国家の最高位の兼任が既に常態となっている他の現存社会主義国1と異なり、ベトナムでは、党書記長、国家主席、政府首相、国会議長の4つの職位がそれぞれ異なる政治局員によって分担され、「四柱」と呼ばれる最高指導部を構成するという形が1990年代以来続いてきた2。さらに遡ると、党・国家主要幹部の役職名や任務分担のあり方には時期により変遷がみられるが、党と国家のトップの職位の兼任がむしろ例外的であったことは建国以来一貫している。過去に兼任が生じたケースは、党または国家のいずれかのトップが在任中に死去した場合などに限られ、その残りの任期において、他方の指導者が両職を兼任する形がほとんどである3。唯一の例外は、「建国の父」ホー・チ・ミンであり、1946年から1969年に死去するまでベトナム民主共和国初代国家主席を務めた一方、1951年の第2回党大会以降はベトナム労働党(ベトナム共産党の前身)主席という職位も兼任した4。すなわち、党と国家の最高位を任期当初から兼任するのは、ホー・チ・ミン以外ではラム党書記長が初めてとなる。
本稿は、ベトナムで党書記長と国家主席の職位の「一体化」と呼ばれる兼任が実現した背景、経緯およびその含意について検討する。
集団指導体制と「一体化」を巡る動向
「四柱」体制にもみられるように、ベトナム共産党は伝統的に集団指導の性格が強いといわれてきた。集団指導とは文字どおり、ひとりの指導者に権力を集中させるのではなく、合議体が意思決定を行う組織原理である。集団指導はベトナムに限らず、共産党と社会主義国家の基本的な組織原理とされているが、ベトナムはそれを比較的忠実に制度化してきた。その起源は、ホー・チ・ミンの指導者としてのスタイルにある。共産党がベトナムで政権を握ってからのホー・チ・ミンは、党のあり方として集団指導を重視し、自分ひとりが強いリーダーシップを発揮するのではなく、政治局内の合意によって政策決定を行う体制作りに注力した。
ただ、現実には共産党や社会主義国家は個人に権力が集中する体制になりがちである。ベトナムでも、ベトナム戦争初期からドイモイ開始前まで四半世紀にわたって党書記長を務めたレ・ズアンは、相当程度独裁的な指導者であった。レ・ズアン指導下のベトナムは、アメリカに対する「勝利」を収めたものの、党指導部内における亀裂の深まり5や、戦後の経済復興の失敗など、深刻な問題に直面した。1986年に始まるドイモイ期のベトナム共産党で集団指導が改めて強調されるようになったのは、市場経済化を進めるにあたって、党と明確に区別される国家の役割が重要になったことに加え、レ・ズアン期への反省もあったと思われる。
2001年、当時のレ・カ・フュー党書記長が党中央委員会によって再選を阻まれたとき、そのひとつの理由は、フューが国家主席職の兼任を目論んだことであったといわれる[Abuza 2002, 134]。このようなエピソードからも、共産党内ではトップリーダー個人への権力集中に対する警戒心や反発が強かったことが窺われる。
しかしながら、2018年、任期中に急逝したチャン・ダイ・クアン国家主席の後任にグエン・フー・チョン党書記長が国会により選出された際には、両職の兼任に対する批判や懸念の声は(少なくとも表立っては)聞かれなかった6。2021年の第13回党大会では、2年半と比較的長期にわたって両職を兼任したチョンが、改めて正式に両職の「一体化」に踏み切るかどうかが注目された。しかし、チョンは同党大会時点で満76歳と高齢であった上、2019年に脳梗塞を患って以来体力の衰えも目立っていたことから、恐らく「一体化」への意欲はなかったのだろう。同党大会では「四柱」体制が復活し、チョンは党書記長に3選されたものの国家主席は兼任しなかった。
とはいえ、第13回党大会の頃までには、党と国家の最高位の「一体化」が党内で受容される素地は徐々に整っていたように思われる[石塚・荒神 2022]。チョン党書記長の2期目であった第12期指導部の下では、党主導の反汚職闘争などを通じて党の国家に対する統制が強まり、党指導部における書記長の権威も高まった。対外的にもチョン党書記長は、その在任中、英国、米国、フランスなどを公式訪問し、欧米諸国との関係においても共産党書記長がベトナム国家を代表するという前例を作った。党と国家の間の境界は、ドイモイ期ではかつてなかったほど曖昧になっていた。
「一体化」実現に至った経緯
党内における「一体化」へのハードルは以前よりも低くなっていたとしても、トー・ラムによる党書記長と国家主席の兼任は一筋縄ではいかなかった。
2024年5月に国家主席に就任したトー・ラムは、7月のチョンの死去を受けて、8月に党書記長に選出された。このときの兼任は、10月に軍出身のルオン・クオン党書記局常任が国会で440人の出席議員全員の賛成により国家主席に選出されたことで解消した。クオン国家主席の選出は、党指導部内において両職の兼任に対する慎重な意見が依然として多数を占めていたことの表れと解される。その背景には、前公安相のラム党書記長が反汚職闘争の激化に乗じてライバルを失脚させ、権力を握るに至ったことへの強い警戒感があったと推測される[石塚 2024]。
とはいえラム党書記長は、党指導部内における支持基盤を徐々に強化した。2024年8月の中央委員会臨時会議では、公安相時代に次官を務めた2人の腹心が党中枢入りした。ひとりは党政治局員に、もうひとりは書記局員に選出され、さらに2025年1月の同臨時会議では後者も政治局員に昇格した。1月の臨時会議の時点でこの2人は公安相と党中央検査委員会委員長という反汚職闘争の要となる2つの職位を占め、他の幹部に対してにらみを利かせる形となった。このとき、外部の観察者の間では、ラム党書記長が党指導部内に安定した権力基盤を築き、第14回党大会における書記長再選の道筋をつけることに成功したという見方もあった。
しかし人事案に関する党内の調整は簡単ではなかった。順調にいけば、次期党指導部人事案は2025年11月の中央委員会第14回総会で決着するとみられていたが、そうはいかず、第15回総会が開催されることになった。当初は12月上旬に開催予定であった第15回総会も、12月下旬までずれ込んだ。これは、最高指導部人事案の調整に時間がかかったためであろう。中央委員会に人事案を提案するのは政治局である。第13期政治局員は任期末時点で総勢16人、中央委員(正規委員)は同145人であり、いずれのレベルでも多数派工作は必ずしも容易ではなかったと考えられる。
具体的に何が争点であったかは不明だが、軍を中心としてラム党書記長への対立候補擁立の動きがあったという噂がある。10月上旬に広まったSNS上の情報によれば、政治局内で次期書記長候補を選ぶ参考投票を行ったところ、ファン・ヴァン・ザン国防相がラム党書記長を上回る票を獲得したという7。当時、政治局員16人のなかには軍出身者が3人含まれ、ラム党書記長らの「公安閥」8に対する一種のバランサーの役割を果たしているとみられていた。なかでもザン国防相は、2023年に国会で行われた国家主要幹部に対する信任投票で対象となった44人のうち最多の高信任票を得るなど、党内でも国民の間でも信望がある。他の政治局員の間でもラム党書記長の公安権力を背景にした党・国家運営に対する不満があり、それがこのような形で表れた可能性はある。
しかし、最終的には主要グループの間で妥協が成立したものとみえる9。12月23日、第15回総会の閉幕演説でラム党書記長は、「第14回党大会に次期党中央委員会および各指導者の職位の候補として推薦されることになった同志を代表して」感謝の言葉を述べた。このことは、ラム党書記長の続投が内定したことを示唆していた。次いで2026年1月12日付のロイター通信の記事は、第15回総会が、第14期党指導部におけるラム党書記長の続投に加え、国家主席兼任の方針にも同意したという匿名の関係者の話を伝えた。
第14回党大会の期間(1月19~23日)中に開催された第14期中央委員会第1回総会で、ラム党書記長は全会一致により再選された。当初25日までと予定されていた党大会の期間が途中で1日半短縮されたことは、大会において前期中央委員会の提案した党大会文献草案や指導部人事案がほぼ争いなく承認されたことを示唆している。国家主席は正式には国会で選出されるため、兼任の有無が確定するのは3月の国会議員選挙後の最初の国会会期を待たなければならなかった。
そして4月7日にラム党書記長が公式に国家主席を兼任した際、国内メディアは初めて「一体化」という言葉を使った。党条例の改正などによって両職位の兼任が制度化されたわけではないが、党の決定として兼任が肯定されたのである。
「一体化」への期待と懸念
それではなぜ第14回党大会において党と国家の最高位の「一体化」が実現したのか。その背景には、ラム党書記長による人事工作等を通じた勢力の伸長、党指導部内の有力グループ間の駆け引きと妥協、「一体化」受容に向けた環境変化に加え、党内の広範な支持獲得を可能にした正当化の根拠があったと考えられる。
「一体化」のメリットのひとつとして従来から指摘されているのは、特に対外的な場面において、党書記長が正式に国家を代表できることである。チョン前書記長やラム書記長は諸外国を公式訪問し、外国の首脳と会談するなど重要な外交活動を行う前例を作ってきたが、それはあくまでも事実上の話であり、一般的な外交プロトコルには反している。党書記長が国家主席を兼任すれば、このような問題は解消される。
また国内報道は、統治における簡素化や効率化という点を強調する。例えば、「党書記長と国家主席の一体化は実際的な要請に適合している」と題された『ベトナムの声』の記事は、「一体化」はリーダーシップの有効性や効率性を高め、党の指導と国家の管理の統一性や一貫性を確保し、政策や方針をより迅速に、一体的に、現実に即した形で実施することを可能にするという有権者の見方を紹介している。これは、ラム党書記長が2024年8月に就任して以来、強力に推進してきた「政治システムの組織機構改革」の方向性とも合致する。同改革においては、中央省庁など国家機関の再編と並行して党機関の簡素化・合理化も実施された。例えば、党の対外政策を担当していた党中央対外委員会が廃止され、その機能は国家機関である外務省に統合された。このように、党・国家・大衆組織を含む政治システム全体で指揮命令系統の整理や資源の集約化が図られてきたのである。
指導者個人への権力集中を含む効率化の推進を正当化するのが、高度経済成長の実現という上位目標である。ラム党書記長は、就任後間もなく「新しい紀元」と銘打ったベトナムの高度経済成長期を現出するというビジョンを打ち出した。それは、建国100周年となる2045年までに高所得国入りするという目標の達成に向けて、ベトナムが経済成長を加速させる段階を指し、第14回党大会がその起点とされる。政治システムの効率化は、この経済成長加速のための主要な前提条件のひとつと位置づけられる。さらに昨今の不透明な国際情勢も、指導者の迅速な意思決定や果断な行動の必要性を強調する根拠となる。ラム党書記長は、今後5年間、各分野における改革を引き続き強力に推進し、二桁成長などの目標の実現に向けて党と国家を牽引すべく、より大きな権限を託されたのである。
しかしながら、党と国家のトップレベルにおける「一体化」には懸念もある。第1に、強化された権力が経済成長実現や国民生活向上のために用いられるのではなく、自己目的化してしまうリスクがある。これは最高権力者本人の意向の問題だけではなく、その権力を利用しようとする者によるクローニズムや汚職の問題を含む。第2に、政策決定における熟議の機会が減少することにより決定の質が低下する恐れがある。権力集中によりトップリーダーに対する意見の表明や批判が困難になると、このようなリスクは現実味を帯びる。第3に、党と国家の境界がいっそう曖昧になることで、ドイモイ期ベトナムが目指してきた法治国家の原則が後退する可能性がある。政策決定・実施の迅速性が強調されるなかで、手続的正義や説明責任をどのように担保するかが課題となる。
第14回党大会は、「新しい紀元」というビジョンを承認し、党と国家の最高位の「一体化」という歴史的な決断を行った。しかし、「一体化」が「新しい紀元」の実現につながるのかは、今後、ラム党書記長兼国家主席がどのようにその権限と威信を利用し、成果を上げることができるかにかかっている。混迷を深める国際情勢のなかで、最高指導者による国家運営の舵取りに国民も国際社会も注目している。
写真の出典
- Truyền hình Hưng Yên – HYTV(CC BY 3.0)
参考文献
- 石塚二葉 2024.「ベトナム政治に何が起こっているのか――相次ぐ共産党最高幹部の辞任をめぐって」IDEスクエア、6月.
- 石塚二葉・荒神衣美 2022. 「抗争と停滞の第11期から統制と成長の第12期へ」アジア経済研究所編『アジア動向年報2010-2019 ベトナム編』アジア経済研究所.
- フイ・ドゥック 2021.『ベトナム:ドイモイと権力』中野亜里訳 めこん.
- Abuza, Zachary 2002. “The Lessons of Le Kha Phieu: Changing Rules in Vietnamese Politics,” Contemporary Southeast Asia, 24(1) (April): 121-145.
著者プロフィール
石塚二葉(いしづかふたば) アジア経済研究所新領域研究センター・ガバナンス研究グループ。専門はベトナム地域研究(政治・行政)。おもな著作に、『ベトナムの「第2のドイモイ」――第12回共産党大会の結果と展望――』(編著)アジア経済研究所(2017年)など。
注
- 中国、ラオス、北朝鮮、キューバの4カ国である。
- 2022年5月5日付政治局35号結論は、初めて正式にこれら4つの職位を「党・国家の中核的指導者」と称することを定めた。なお、2025年9月8日付中央委員会368号規定は、「党・国家の中核的指導者」に党内序列第5位の党書記局常任を含むこととしたため、現在の最高指導部は5つの職位(第14期では4人の政治局員により分担)から構成されている。
- 1986年には、レ・ズアン党書記長の死去に伴い、当時、国家評議会議長という職位にあったチュオン・チンが、5カ月後に開催された第6回党大会までの間、両職を兼任した。2018年には、チャン・ダイ・クアン国家主席の急逝を受けて、グエン・フー・チョン党書記長が、前者の残りの任期、約2年半にわたり両職を兼任した。また、2024年には、チョン党書記長の死去後、トー・ラム国家主席が後継党書記長に選出され、次の国会会期で新たな国家主席が選出されるまで約2カ月半、兼任状態が継続した。
- 当時は、党主席が党の最高位であり、その下に党書記長が置かれていた(ホー・チ・ミンの死後、党主席職は廃止)。なお、ホー・チ・ミンは、1956~1960年には、土地改革の行き過ぎの責任を取って辞任したチュオン・チンに代わって党書記長職をも兼任した。
- レ・ズアンは、組織委員会委員長であったレ・ドゥク・トと組んで、多くの軍高級幹部などを「反党分子」として逮捕、投獄した[フイ・ドゥック 2021, 217]。
- 党中央委員会がチョン党書記長を国家主席候補として国会に推薦することに関して票決を行った際には委員175人全員がこれに同意し、国会においては出席議員477人中476人の賛成によりチョンは国家主席に選出された。ただしこの時、チョンは、この兼任は現職国家主席の急逝という事態に対処するための方策であって、「一体化」ではないと説明している。
- 例えば、在米越僑のニュースサイトであるNgười Việt Newsの記事はこの「噂」に言及している。この情報自体の信憑性は確認されていないが、第14期党指導部において軍がどのような位置を占めるかがひとつの争点となったであろうことは広く推測されている。
- 当時の政治局では、広い意味での公安部門出身者は、ラム書記長を含め7人であった。ただしそのすべてが「ラム派」というわけではなく、ラム書記長と近い関係にあったのは同郷でもある前述の元公安次官2人であったとみられる。
- 後述のロイター通信の記事は、ラムが両職を兼任する場合には、軍は国家主席のポストを手放す代わりに上級士官の昇進に関する広範な裁量権を維持することになるという関係者の話を伝えている。
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