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(2020年ミャンマー総選挙)クーデターの背景――誤算の連鎖

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051968

工藤 年博

2021年2月

(6,397字)

思いがけないクーデター

2021年2月1日、ミャンマーで国軍によるクーデターが発生し、アウンサンスーチー(以下、スーチー)国家顧問やウィンミン大統領が拘束された。国防治安評議会1 との協議に基づき国軍出身のミンスウェー副大統領(大統領代行)が非常事態を宣言し、ミンアウンフライン国軍最高司令官が全権を掌握した。このクーデターの原因は、2020年11月に行われた総選挙でスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、国軍系の連邦団結発展党(USDP)が大敗したことにあるといわれている。たしかに総選挙でのUSDPの大敗がクーデターのトリガー(引き金)となったことは間違いないだろう。

しかし、じつは今回の総選挙の結果は、NLDの議会における議席数を少し増やすものの、国軍の国政関与に大きな打撃を与えるものではなかった。というのも、現在の政治体制は国軍にさまざまな特権を認める2008年憲法により規定されており、2012年に補欠選挙によって議員になったスーチーも、不承不承ながらこの政治体制を容認していたからである。この憲法のもとで国軍最高司令官は全議席の4分の1に相当する軍人議員を任命し、国防・内務・国境の3大臣を指名できる権限をもっていた。

また、2008年憲法では非常事態宣言が出された場合は、大統領ではなく、国軍最高司令官が全権を掌握することが規定されている。国軍は今回の行動をこの規定に基づく合法的なものであると主張している。つまり、2008年憲法がある限り、すぐに国軍の地位が脅かされるという状況ではなかった。

そして当然のことながら、クーデターの発生は「アジア最後のフロンティア」として順調な経済成長を遂げてきたミャンマー経済に大きな打撃となることが予想される。国軍出身でありながら、大胆な改革を進めたテインセイン元大統領が目指したミャンマーの経済発展を、頓挫させかねない動きであった。国際社会からの国軍関係者への制裁強化や、国軍関連企業への影響も見込まれた。実際、日本のキリンホールディングスはクーデター発生後、ミャンマー・エコノミックホールディングス(MEHPCL)との合弁事業の解消を表明した2 。こうしてみると、今回のクーデターは合理的なものとは思えない。

写真:ミンアウンフライン国軍最高司令官

ミンアウンフライン国軍最高司令官
アウンサンスーチーの復活

にもかかわらず、国軍はなぜこの時期にクーデターという暴挙にでたのだろうか。今から振り返れば、10年前の民政移管の時から政治リーダーたちの誤算が積み重なっていった結果のように思われる。

国家法秩序回復評議会/国家平和発展評議会3 のタンシュエ議長が率いた23年間の前軍政において、スーチーとNLDは徹底的に弾圧されてきた。スーチーはおよそ15年にわたって自宅軟禁に置かれ、NLD幹部や学生活動家の多くは投獄された。こうした状況を180度転換し、スーチーを国政に招き入れたのは、2011年の民政移管で大統領に就任したテインセインであった。テインセインは2007年のいわゆる「サフラン革命」を国軍が武力で弾圧したとき、軍政下の首相代行(その後、首相)として国際社会の非難の矢面にたった人物である。2008年5月には14万人の死者・行方不明者を出した、サイクロン・ナルギスの災害対応にも奔走した。これらの経験から国際社会の厳しい姿勢とミャンマー社会の貧しさを知り、国の発展のためにはスーチーとの協力が必要なことを悟ったといわれている。

もう1人、スーチーに協力した人物がいる。国軍序列3位のシュエマン統合参謀総長である。彼は民政移管にあたりタンシュエ議長から自分が大統領に指名されるものと思っていたが、実際には下院議長にされてしまった。その結果、自分より格下の序列4位でありながら、大統領になったテインセインをライバル視するようになった。シュエマンはテインセインの次に大統領にすると、タンシェ議長から約束されていたとされる。テインセインも2期目はやらないと公言していた時期もあるので、そうした密約があった可能性はある。

ところが、テインセイン大統領の改革開放が予想以上の成果をあげ、国内ではもとより国際社会においても評価が高まるにつれ、シュエマン下院議長はテインセインが続投するのではないかと疑い始めた。結局、彼は圧倒的な国民人気をもつスーチーに協力することで、次期大統領を目指すという戦略をとるにいたった。

すなわち、国軍の序列1位のタンシュエ議長、序列2位のマウンエー副議長が引退したのち、それぞれの思惑は異なったものの、序列3位と4位の人物が突如としてスーチーの協力者となったのである。こうして改革はドラスティックに進み、欧米の制裁も緩和され、外国投資が流入し、ミャンマーは国際社会の「パリアー」(嫌われ者)から「アジア最後のフロンティア」へと変貌したのである。

テインセインの誤算

ところが、テインセイン大統領とシュエマン下院議長のライバル関係は、政権と党運営に大きなダメージを与えた。シュエマンは大統領の政党活動を禁じた憲法規定を利用して、テインセインに代わりUSDPの実質的な党首(党首代行)に就任した。議会とUSDPの双方に大きな影響力をもったシェエマンは、ことあるごとにテインセインに挑戦した。その一例が比例代表制の導入に関する出来事である。

2012年の補欠選挙でのNLD圧勝をみて、USDP内では2015年総選挙への懸念が高まった。ミャンマーの選挙制度は小選挙区・単純多数制である。この選挙制度では死票が多くなるため、獲得議席数と得票率のあいだに乖離が生じやすい。例えば、2015年の総選挙においてNLDは約6割の得票率で約8割の議席を獲得したのに対し、USDPは約3割の得票率で1割以下の議席しか獲得できなかった。もし比例代表制がとられていればUSDPは約3割の議席を獲ったことになり、全議席の4分の1を占める軍人議員と合わせれば、政権を維持できた可能性があった。

USDPはNLDから分派した国民民主勢力(NDF)などと組んで、議会に比例代表制の導入を提案した。紆余曲折を経て2014年11月、下院の委員会が比例代表制を含む8つの選挙制度の提案を採決しようとしたとき、シュエマン下院議長は議員の発言を遮り、憲法裁判所が小選挙区制のみが合憲であると判断したと宣言したのである。当時の憲法裁判所長官はシュエマン派の人物であった。こうして比例代表制の導入は頓挫した。

USDPの実質的な党首であったシュエマン下院議長は、なぜこのような自党に不利な動きをしたのだろうか。確証はないが、比例代表制に反対していたスーチーとなんらかの政治的取引があったのではないかともいわれている。これ以外にもシュエマンはテインセイン大統領との確執を繰り返し、ついに2015年8月にはUSDP党首代行を解任された。しかし、USDPは内紛のなかで有効な選挙戦略を実施できず、11月の総選挙で大敗を喫したのである。タンシュエ議長に代表される国軍の保守派・主流派は、スーチー政権の誕生を許したテインセインとシュエマンに不満を抱いたはずである。

アウンサンスーチーの誤算

2015年総選挙での大勝により、2016年3月、半世紀ぶりに民主的に選ばれたスーチー政権が誕生した。しかし、ここで注意すべきことは、そもそも選挙に立候補しなかったテインセイン大統領も、選挙で落選したシェエマン下院議長も、政治の表舞台から姿を消した、あるいは影響力を失ってしまったということである。スーチー政権は国軍とのパワーシェアリングの上に成立した政権である。2人の喪失は、スーチーを国政に招き入れ、協力し、そして国軍の保守派・主流派の攻撃から守ってきた国軍出身の大物協力者がいなくなったことを意味した。また、とくにテインセイン大統領とその部下たちが政治の表舞台からいなくなったことは、国軍の意思決定にも影響を与えたと考えられる。スーチー、NLDとの対話はもとより、国際社会の現実を理解し国内問題との調整をするバランサーが国軍から消えたのである。

かつてはNLD幹部にも国軍出身者がいた。しかし、軍政が長く続くなかで次々と引退してしまい、国軍との人的パイプはなくなっていた。こうしたなか、スーチー政権と国軍との関係は徐々に悪化していった。その原因のひとつがNLDによる憲法改正への動きである。国軍にさまざまな特権を付与する2008年憲法は、国軍の命綱である。NLDは総選挙が近づいた2020年3月、憲法改正案を議会に提出した。USDPや軍人議員の反対で改正案は否決されたものの、両者の間には禍根が残った。

スーチーとミンアウンフライン国軍最高司令官との関係も冷却化していった。ミンアウンフラインは先に述べた2008年憲法下で設置されている「国防治安評議会」の開催を繰り返し求めたが、スーチーは聞く耳をもたなかった。最近は2人ともほとんど会話を交わすことがなかったといわれる。

NLDが選挙に勝利し再び憲法改正に動くことを懸念した国軍は、2020年11月の総選挙の実施を牽制し始めた。投票日を目前に選挙準備が公正に行われていないとして、選挙管理委員会を批判する声明を出したのである。ところが、この動きは逆効果であった。国軍の総選挙を妨害するかのような動きに国民が激しく反発したことが、NLD大勝の一因となったといわれる。NLDの勝利が明らかになった後は、国軍は選挙不正があったとして選挙管理委員会に繰り返し調査を求めた。また、USDPと軍人議員は選挙不正を議論するための臨時議会の開催を要求した。

しかし、選挙管理委員会も政府も国軍の要求を門前払いした。2021年1月26日、国軍は記者会見を開き、約860万人分の有権者名簿の不備があったと主張した。その記者会見においてある記者から「国軍はクーデターを起こす可能性はあるのか」と聞かれ、国軍広報官はその可能性を否定しなかった。2月1日の新議会招集を目前にNLDと国軍との間で話し合いがもたれたが、スーチーとミンアウンフライン国軍最高司令官が直接会うことはなかった。

スーチーは国軍によるクーデターの可能性の示唆は、ミンアウンフラインのブラフ(はったり)と考えていたのかもしれない。スーチー政権発足後、国軍との関係を調整できなかったこと、そしてクーデターを現実的脅威と認識できなかったことは、スーチーの大きな誤算であった。

ミンアウンフラインの誤算

2011年の民政移管とともに引退したタンシュエ議長の後を継いだのは、当時55歳のミンアウンフラインであった。国軍の定年は60歳であるが、2016年のスーチー政権の誕生を受け、定年が5年延長された。ミンアウンフライは国軍最高司令官の在位10年を経て、2021年央には定年が迫っているという状況にあった。

退官を控えたミンアウンフライン国軍最高司令官は、次期大統領になる野心を抱いていたといわれる。USDPが総選挙で争われる議席の3分の1をとれれば、軍人議員と合わせて連邦議会の半数を押さえることができる。あるいはUSDPが3分の1をとれなかった場合でも、スーチーと仲たがいして人民先駆け党(PPP)を立ち上げたテッテカインや、NLDに不満を抱くいくつかの少数民族政党と組めば、過半数を制することができると考えていたのかもしれない。

しかし、USDPの大敗でこの構想は潰えた。2回のNLDの大勝により、憲法改正への動きや民主化への圧力が強まると懸念したミンアウンフライン国軍最高司令官は、クーデターを決行した。こうした経緯をみれば、スーチーやNLDとの妥協は考えにくい。ミンアウンフラインは国政からのスーチーの排除を、心に決めている可能性が高い。国軍は非常事態宣言の解除後、スーチーとNLDを排除したうえで総選挙を行い、国軍主導の政権樹立を目指すだろう。スーチーを輸出入法違反という微罪で訴追したのは、立候補資格を剥奪するための予定通りの行動だと考えられる。

しかし、ここでミンアウンフライン国軍最高司令官は、最大の誤算に直面する。ミャンマー国民が大規模な反軍政デモを展開したのである。その参加者の多さ、多様さと地理的広がりは、ミンアウンフラインの想定を超えるものであったに違いない。多くの公務員や医療関係者も市民的不服従運動(CDM)に参加して公務をボイコットしており、行政と経済活動は麻痺しつつある。

デモ隊の映像をみると年齢層も職業や階層も幅広いが、とくに若い世代の参加者が多いとの印象をもつ。彼/彼女らは特定の政治リーダーの指示に従って動いているわけではなく、FacebookなどのSNSを駆使し、仲間と連絡を取り合って集まっている。自ら紐を張り、交通整理を行いながら、整然と行進している。行進後はゴミを掃除し、街は綺麗な状態を保っている。

今回のデモは1988年の民主化デモと比べられることが多い。当時は国軍が市民に扮した攪乱分子を市中に投入したとの噂もあり、略奪、暴行、人民裁判によるリンチや殺人などが発生し、治安が悪化した。このことが国軍に武力弾圧の口実を与えることになった。今回は治安の悪化や、コメ・油などの必需品の買い占め、物価の大幅な上昇などはほとんどみられない。10年間の自由と経済成長を経験したミャンマー国民は、民主主義を守るために声をあげ、抵抗する勇気と知恵とテクノロジーを身につけたようにみえる。

ミンアウンフライン国軍最高司令官の最大の誤算は、国民の力を見誤ったことである。このような状況で、国軍は1988年と同じように国民に銃を向けるのだろうか。もちろん、その危険性はある。しかし、国軍のシナリオは崩れつつある。非常事態期間後の総選挙によって国軍主導の政権が樹立されても、国民の抵抗は続くだろう。

写真:国軍のクーデターに対して抗議デモを行う教師たち(カイン州、2021年2月9日)

国軍のクーデターに対して抗議デモを行う教師たち(カイン州、2021年2月9日)
写真の出典
  • MARCELINO PASCUA/Presidential Photo, Public domain, via Wikimedia Commons. 
  • Ninjastrikers, Teachers protest against military coup (9 Feb 2021, Hpa-An, Kayin State, Myanmar)(CC BY 4.0).
著者プロフィール

工藤年博(くどうとしひろ) 政策研究大学院大学教授。主な編著に『ポスト軍政のミャンマー――改革の実像――』(アジア経済研究所、2015年)、『ミャンマー政治の実像――軍政23年の功罪と新政権のゆくえ――』(同、2012年)、『ミャンマー経済の実像――なぜ軍政は生き残れたのか――』(同、2008年)など。

  1. 国防治安評議会は2008年憲法で設置されている機関。大統領と副大統領2人、連邦議会の上院・下院議長、国軍最高司令官と副司令官、国防相、外務相、内務相、国境相の11人で構成されている。このうち過半数の6人が軍人または国軍に選ばれた者である。大統領は国防治安評議会と協議を行い、非常事態宣言を出すことができる。
  2. キリンホールディングスの2021年2月5日付ニュースリリース「ミャンマーの現状に関する当社の対応について」を参照。2021年2月10日アクセス。
  3. 国軍は1988年にクーデターで権力を掌握し、国家法秩序回復評議会(SLORC)を設置した。SLORCは1997年に国家平和発展評議会(SPDC)に改組され、2011年の民政移管によって解散した。タンシュエは1992年から2011年まで両評議会の議長をつとめた。