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(2020年ミャンマー総選挙)アウンサンスーチー圧勝の理由と、それが暗示する不安の正体

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051904

2020年11月

(8,810字)

歴史的勝利から5年

2015年11月8日の夕刻、筆者はヤンゴンの国民民主連盟(National League for Democracy、以下NLD)の本部前にいた。その日、ミャンマーで総選挙が実施されていた。午後を過ぎたあたりだっただろうか、投票締め切り後に党本部でアウンサンスーチー(以下スーチー)が勝利宣言をする、という噂が広がった。筆者もその噂を耳にしてすぐさま党本部のあるシュエゴンダイン通りに向かった。本部前には群衆や内外の報道陣が集まっていた。夕方には雨が降りはじめたが、人の数はどんどん増えていった。ついには、本部前を車が通行できなくなってしまった。

設置された大型のモニターではテレビの選挙速報が流れている。開票の様子が放映され、投票用紙のNLD候補者の欄についたチェックが大写しになるたびに、群衆から「おー」と歓声が上がる。筆者の隣には旧知のNLD党員がいた。1988年からNLDで活動し、途中、軍事政権からの弾圧を逃れてタイで暮らしたあと、2012年に帰国して再びNLD本部で働いていた。その友人はずっと興奮した様子で、雨でずぶ濡れになりながら、党のキャンペーンソングを大声で歌い、踊っていた。1988年から続くNLDの民主化闘争がついに実を結んだ歴史的な夜だった。観察者の立場ではあるものの、あの熱狂のなかにいたことは貴重な経験だったと思う。

あれから5年。2020年11月8日にミャンマーで総選挙が実施された。選挙結果はNLDの勝利であった(本特集の「選挙結果速報」を参照)。だが、前回のような盛り上がりも世界的な注目もなかった。無理もない。前回の選挙が55年ぶりの文民政権の樹立につながる一大イベントだったのに対し、今回は、選挙戦前からNLDが勝つという予想が大半を占めていた。さらに、同じ週にアメリカ大統領選挙があって、世界はその話題でもちきりだった。新型コロナウイルスの感染が拡大するなかでの選挙で、祝勝イベントも自粛されていた。

選挙結果をおさらいすると、二院制の連邦議会と、14ある地方議会とを合わせた1117議席が争われ、上院選挙では138議席(争われた161選挙区の86%)、下院選挙では258議席(争われた315選挙区の82%)をNLDが獲得した。前回の総選挙では上下院合わせて390議席(上院135、下院255)を獲得していたので、今回は前回を6議席上回る結果であった(396議席)。2度目の大勝である。地方議会でも、ヤカイン(ラカイン)州とシャン州を除いた地域ではNLDが過半数を占めた。

ここで注意が必要なのは、ミャンマーの議会が「4分の3の民主主義」でしかないことだ。今回の選挙で争われた議席は、連邦議会、地方議会の全議席のうち4分の3である。残りの4分の1は、国軍最高司令官の「推薦」によって就任する現役軍人たちが占めている。彼らは選挙で勝つ必要はなく、任期も固定されていないので、人事異動もする。国軍最高司令官の手足といってよい。この「4分の3の民主主義」という条件の下では、議会で与党になるためのハードルが高い。一政党が過半数を確保するには、全選挙区の3分の2で勝つことが必要になるからだ。今回もスーチーはこの高いハードルを越えたわけである。

写真1 アウンサンスーチー(2016年9月12日)

写真1 アウンサンスーチー(2016年9月12日)
スーチー政権の評価

なぜスーチーが勝てたのか。大勝の理由を過去4年半の政権運営に求めることは難しい。政権の実績は期待を下回るものだったからである。

2016年に政権が発足した際、国内武装勢力との和平、より民主的な体制とするための憲法改正、国民の生活水準の向上、が主たる公約として掲げられた。このうち、和平と憲法改正はあまり進展しなかった。テインセイン政権から引き続いて目指された全国停戦合意は、小規模な2つの武装勢力が署名しただけで、主要勢力との合意には至らなかった。憲法改正についても、2020年3月にNLDの改正案が議会でことごとく否決され、実現しなかった。

外交的には防戦一方だったといえるだろう。政権発足時、スーチーは外務大臣に就任し、彼女の世界的な知名度で国際社会との関係がさらに深まるものと予想されていた。しかし、2016年、2017年のヤカイン州での紛争とロヒンギャのバングラデシュへの流出で、ミャンマーは追い込まれる立場になった。その後の対応もまずく、スーチーは欧米諸国とムスリム諸国からの批判の矢面に立ちながら、国軍による虐殺を一貫して否定したことで、人権や民主主義のシンボル的な地位をほぼ失った。

ただし、経済については、同国の潜在能力の高さもあって新型コロナ禍までは順調な成長だったようにみえる。すでに本特集で工藤年博が指摘しているように、2016年から2018年までの経済成長率は年間平均5.6%と、さして減速しているわけではない。年平均の海外直接投資、政府開発援助、海外送金受取額は、いずれもテインセイン政権期(2011~2016年)より増えている。インフラ整備が都市部だけでなく、農村部でも進んだのは、スーチー政権下のことだ。例えば農村部の電化率(農村人口のうち電気にアクセスできる人口の割合)をみると、2015年の47.6%から2017年には59.9%に上昇している。

他にも、大臣数の削減、汚職対策、地方自治機関の移管、村落自治制度の改革、海外投資関連法の整備、投資促進計画の策定など、現政権による新たな取り組みはあったものの、政権発足時に高まった期待とのギャップもあって、失望の声も多かった。それにもかかわらず、スーチーは選挙に勝った。なぜだろうか。ここではNLDの勝因を4つ指摘しよう。

NLD勝利の要因
(1)絶大なスーチー人気

NLDの勝利にとって、スーチー人気という要因が最も大きい。アジア広域で世論調査を行っている「アジア・バロメーター」(Asia Barometer Survey)によると、ミャンマーにおける政治制度(裁判所、警察、政党、議会、軍隊、連邦政府、公務員、地方政府、大統領、地方行政)への信頼度が、2015年から2019年にかけて軒並み大幅に上昇していることがわかる。スーチーとNLDが政権に就いたことで、軍事政権時代から続く政府への不信感が緩和されたのである。政権の実績よりも、カリスマへの信奉がNLD支持の根底にはある。

皮肉なことだが、ロヒンギャ問題で彼女が内外から受けてきた批判が、反動となって支持を高めた面もあるだろう。昨年末、スーチーが国際司法裁判所(ICJ)に出廷して、ジェノサイド条約違反の告発に対して抗弁した際には、「スーチーとともに」(We Stand with Aung San Suu Kyi)というプラカードを掲げたデモが各地で起きた。他にも、政府の新型コロナウイルス対策に国軍が批判を繰り返したことで、支持者の危機感が高まってNLDへの票が増えたという考察もある。正式な投票率は未発表だが、実際、投票率は5年前の69%を上回ったとみられており、NLD支持者が多いミャンマー中央平野部での投票率が特に上昇したとされている。

(2)NLDの組織力

2つ目の勝因はNLDの組織力である。前回の選挙では、当時の政権党が軍事政権の後継政党である連邦団結発展党(Union Solidarity and Development Party、以下USDP)だったため、選挙過程への警戒感がまだ残っていた。本当に秘密投票なのか、NLDを支持すると政府から何らかの処分を受けるのではないか、選挙でNLDが勝っても本当に政権移譲されるのか、いずれの点も不確実だった。筆者は前回選挙時に与党、野党それぞれの選挙キャンペーンに同行する機会があったが(長田紀之・中西嘉宏・工藤年博『ミャンマー2015年総選挙』 第1章内のコラムを参照)、当時の与党関係者に睨まれることを警戒して、NLDとの接触を恐れる人が村落部にはまだいた。

この雰囲気が、スーチー政権の発足でずいぶんと変わり、NLDの党勢は増したといえる。議員間の個人差はあるものの、概して各議員と選挙区の有権者との距離は縮まった。選挙区の有権者と交流が乏しかったUSDPの議員たちと違って、NLDの議員たちは議会の休会中には地元に戻っていた。筆者が2018年に観察したヤンゴン郊外の選挙区では、ほぼ毎週末、議員事務所に議員が座り、住民からの陳情を受けていた。隣家との境界線争いの相談から、養豚場を開くための政府への口利きの依頼、さらに役人の汚職の告発、NLD青年組織のリーダーの選出など、実にさまざまなやりとりがなされていた。議員に割り当てられた開発予算で地元への利益還元も可能になった。NLDは与党の立場で、有利に選挙戦を進めることができたのである。

また、2015年総選挙で敗れた地域でのNLD党支部の組織化も進んだ。例としてチン州がある。チン州には少数民族でキリスト教徒の多いチン人が主に暮らしている。ミャンマー内では最も貧しい地域のひとつにあたる。山岳地帯にあるこの州では、党組織の浸透が遅れ、前回の選挙時に思ったようにNLDは票を獲得できなかった。この4年半で党組織の拡大に努め、その結果、上下院合わせて39議席中36議席をNLDが獲得している。前回選挙から8議席の増加である。

(3)野党の弱さ

有力な野党が現れなかったことも、NLDに有利に働いたといえる。NLD以外で全国に候補者を送り込むことができた政党は2つだけである。ひとつは前述のUSDPである。もうひとつは、USDPの元議長で軍事政権時代の有力者でもあったシュエマンが設立した連邦改善党(Union Betterment Party、以下UBP)である。両者はともに、旧軍事政権の人脈を軸にした保守層を支持基盤としており、NLD支持票を奪うというよりも、同じ支持層の票をとりあった。その結果、USDPは上下院合わせて41から33に議席を減らし、UBPは1議席も獲得できなかった。

新しい政党である人民さきがけ党(People’s Pioneer Party、以下PPP)も、都市部を中心に候補者を擁立したが、議席を獲得できなかった。党首は元NLDの議員であるテッテッカインで、パターナリスティック(暗にUSDPを指す)でもパーソナリスティック(暗にNLDを指す)でもない政党を目指すという新路線を提示した。だが、NLD支持層を切り崩すことはできなかった。

加えて、選挙制度の影響もあっただろう。ミャンマーの選挙はすべて小選挙区制をとるため、第一党が得票率以上の議席占有率を得られる。NLDの候補者に野党候補者がどれだけ肉薄しても、次点となれば得られた票はすべて死票となる。これも野党に不利に働いた。各政党の得票率はまだ発表されていないが、おそらくNLDが獲得したのは6割程度であろう。6割の票で8割を越える議席を獲得したものとみられる。

(4)新型コロナ禍の下での選挙

今回の総選挙は、新型コロナウイルスの感染が増えるなかでの投票だった。野党からは投票日の延期を求める声も上がったが、選挙管理委員会は選挙を敢行した。この特殊な条件での選挙も、NLDに有利に働いたといえそうだ。

ミャンマーでの感染ペースは当初緩慢だったものの、選挙運動期間(60日間)の開始を翌月に控えた8月から拡大する。新たな感染者数が1日あたり600人を越えた9月20日に、ヤンゴン管区域全体を自宅待機措置の対象とする通達が発出された。管区域・州との間の移動も制限されたため、各党ともに選挙活動が自由にできなかった。選挙では現職者が有利と一般的にいわれるが、コロナ禍での行動制限はそうした傾向をさらに強めた。

通常の選挙キャンペーンの代替手段として、オンラインでの選挙活動が中心になると、イメージの波及力で勝るスーチーとNLDが圧倒的に有利だった。党の選挙対策委員会の委員長に自ら就任したスーチーは、退庁後の午後4時から6時までネーピードーの党事務所で選挙キャンペーンの陣頭指揮をとったという。「NLD議長」(Chair NLD)という名でフェイスブックにアカウントを開設し、「NLDの長い旅」と題する党幹部へのインタビュー動画の司会を務めるなど、オンラインでの活動に力を入れた。野党の一部はスーチーに対して誤情報も含めたネガティブキャンペーンを行ったが、結果的に効果は薄かったたといえる。

NLDの大勝がもたらす不安

今回の選挙でNLDによる一党優位はより盤石となり、スーチーの政権基盤は安定した。その一方で、今後の不安を垣間みせる選挙でもあった。3点挙げておこう。

今回、スーチーの存在がいかに選挙で重要であるのかが、あらためてはっきりした。政権の実績がどうであっても、スーチーが健在である限りNLDは安泰だと思われる。だが、スーチーもすでに75歳で、次の総選挙時は80歳である。党首としての役割をこなすのにも限界があるだろう。

カリスマに依存した現在のNLDで、スーチーが不在になったときにその求心力と安定を保てるかどうかはわからない。もちろん、こうしたことはNLD関係者も自覚している。だが、ポスト・スーチーの候補者はいまだにみえてこない。

次世代の有力候補と目されていたピョーミンテイン・ヤンゴン管区域首相も、今回の選挙には立候補せず、後継者争いから外れたとみられている。党の序列でいえば、大統領であるウィンミンが後継者になるはずだが、彼も69歳と若くはない。スーチーに忠実な人物ではあるが、新しいリーダーとして党をまとめきる指導力があるかは未知数である。

こうしたカリスマからの権力移譲問題は、しばしば、親族での継承、つまり、子どもに党首の地位を譲ることで解決がはかられる。だが、スーチーの2人の子どもは外国籍でミャンマーに戻ってくる見込みはない。今回の選挙でスーチー政権の安定がより盤石となる一方で、ポスト・スーチーの不安もより強まった。ポスト・スーチー問題にスーチー自身がどう取り組むのかが注目される。

次に、少数民族問題である。ミャンマーは多民族国家で、今回の総選挙でも多くの少数民族政党が候補者を擁立した。これらの政党は民族的なアイデンティティを強調し、それぞれの民族の権利主張を公約の柱とする。

 NLDとUSDPに続いて議席を獲得したのは、シャン民族民主連盟(Shan Nationalities League for Democracy、以下SNLD)と、ヤカイン民族党(Arakan National Party、以下ANP)、パラウン民族党(Ta'ang [Palaung] National Party、以下TNP)、モン統一党(Mon Unity Party、以下MUP)といった政党である。ANPの牙城である北部ヤカイン州で選挙が行われなかったため、少数民族政党全体の議席獲得数は前回と大きく変わらなかったが、もし北部ヤカイン州で選挙があれば、少数民族政党の獲得議席はもっと増えていたであろう。

とはいえ、選挙前の予想ほど議席は伸びなかった。その理由ははっきりとはわからないが、おそらく、少数民族政党の組織力がまだ弱いことが理由のひとつだと考えられる。2011年の民政移管を機に各地で少数民族の権利拡大を求める動きが活発化しているが、そうした声を集約できる組織と人材がまだ不足している。モン州で、NLDに対する反発が高まり、MUPがNLDから議席を奪うなど、変化の兆しはみられるが、その勢いはいまだ弱いといえる。

懸念されるのは、政党を通じた代表機能がうまく機能せずに、より暴力的な勢力が支持を集めることである。すでにヤカイン州ではそうした傾向がある。武装勢力で、ミャンマー政府からテロリスト組織に指定されているアラカン軍(Arakan Army、以下AA)は、ヤカイン人の強い支持を受けて、国軍との衝突を繰り返してきた。今回の選挙でも、NLDの候補者がAAによって誘拐される事件が起きるなど、ヤカイン州北部での治安が安定せず、それが理由となって一部で投票が実施されなかった。この投票の中止が、ヤカインの少数民族政党の当選を阻むためだという憶測も広がっている。選挙によって民族間の相互不信がより高まってしまった。

最後に、国軍である。2度の選挙でのNLDの勝利は、国軍を動かすだろうか。ミャンマーの「4分の3」の民主主義が終わるかどうかは国軍次第である。憲法改正には議員総数の4分の3を越える賛成が必要で、4分の1の議席を占める国軍代表議員が反対する限り、憲法の改正はありえない。憲法改正を公約に掲げるNLDが8割を越える選挙区で勝利したのだから、この民意を受けて国軍の妥協を期待する向きもある。

だが、国軍が憲法改正を容認する可能性は極めて低い。理由は2つある。まず、国軍が政治への関与を正当化する最大の理由は内戦である。選挙結果がどうあっても、内戦の終結がない限り、国軍の政治関与が終わる可能性は低い。前述したAAとの間では戦闘が頻発しており、最大の少数民族武装勢力であるワ州連合軍(United Wa State Army、UWSA)は、中国との国境にあるワ州を実効統治している。戦闘を停止するための交渉すら難航している現在、停戦合意から武装解除、そして、国内の政治プロセスへの包摂、といった平和構築の将来的シナリオは、夢物語のようなものである。こうした状況で国軍が政治関与を終えることはないだろう。

また、国軍の政治関与の背景には民主主義への不信感がある。国軍が伝統的に持つ民主主義観は、国民全体の利益を顧みない党派争いである。したがって、NLDの勝利は、民意の反映というよりも、特定の党派が勝利した状態と国軍にはみえるはずである。スーチー政権に対して警戒を強めることはあっても、権限を自ら手放すことはなさそうだ。ミンアウンフライン国軍最高司令官は就任から10年目を迎えてますます自信を深め、文民政権を批判する言動も目立つ。スーチー政権にとって最大の難敵が国軍であることは変わらないだろう。

第2次スーチー政権へ

順調にいけば、来年3月に新しい議会が招集されて大統領が選出され、同月末には新政権が発足する。大統領、副大統領は議員の投票で選出される。副大統領が交代する可能性はあるが、大統領はウィンミン現大統領が留任するという観測が支配的である。スーチーも再び国家顧問と外務大臣に就任するものとみられている。議会の解散は制度としてないので、NLDの分裂のようなことがない限り、2025年までスーチー政権が続く。

ミャンマーのような移行期にある国で安定政権が10年間続くことは珍しい。この安定をうまく利用して、第1次政権で積み残した課題をどこまでクリアできるかが注目される。といっても、国軍との調整が必要な憲法改正と和平は簡単には進まないだろう。そうなると、政権の安定を握る鍵は経済になる。経済政策では国軍との調整は必要なく、また、援助や投資は、外交関係としては良好な中国や日本という東アジアからのものが中心であるため、政権としての成果が比較的出しやすい。新型コロナウイルス感染拡大の余波で落ち込んだ経済に、再び5%を越える成長率をもたらすことができるか。第1次政権の途中から経済重視にシフトしつつあったスーチー政権には、より積極的に経済政策を打ち出し、迅速に実施に移すことが求められている。

外交は、ロヒンギャ問題のために難しい舵取りを迫られる。今回の総選挙で国民から支持がはっきりと示されたからといって、ロヒンギャ難民の帰還という国際的な約束を軽視してはならないだろう。この問題をめぐる国際社会のミャンマー包囲網は次第に狭まっており、ミャンマーへの投資や援助、なかでも国軍所有企業とのビジネスは、国連人権理事会や国際人権団体の批判にさらされている。難民帰還が進まなければ、欧米諸国からの制裁など、さまざまなかたちで実害が広がる可能性がある。

第1次政権のスーチーは、概して「受け身のリーダーシップ」であった。自由で公正な選挙で選ばれた約55年ぶりの文民政権とあれば、経験も不足しており、慎重にことを進めることも理解できなくはない。だが2期目となると話は違う。1期目の経験と教訓を活かした、よりスムースな政権運営を期待したいところである。

写真2 投票所の様子(2020年11月8日)

写真2 投票所の様子(2020年11月8日)
写真の出典
  • Foreign and Commonwealth Office, Aung San Suu Kyi in London, 12 September 2016 (CC BY 2.0).
  • သူထွန်း(Thu Htun), ၂၀၂၀ ပြည်ထောင်စုသမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော် ရွေးကောက်ပွဲ အခမ်းအနား မှတ်တမ်(2020年ミャンマー総選挙の投票)(CC BY-SA 4.0).
著者プロフィール

中西嘉宏(なかにしよしひろ) 京都大学東南アジア地域研究研究所 准教授。博士。専門は東南アジア研究、比較政治学、国際関係論。おもな著作に、Strong Soldiers, Failed Revolution(National University of Singapore Press & Kyoto University Press, 2013)、『ミャンマー2015年総選挙――アウンサンスーチー新政権はいかに誕生したのか』(長田紀之、工藤年博と共著)(アジア経済研究所、2016)、『ロヒンギャ危機――「民族浄化」の真相』(中公新書、近刊)など。