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(2020年ミャンマー総選挙)クーデター後、国軍は何をしようとしているのか?

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051971

2021年2月

(8,544字)

2021年2月1日、選挙にもとづく国民民主連盟(NLD)政権を国軍が転覆するクーデターが発生した。発生から2週間が経過しようとしている本稿執筆時点(2月14日)でも、国内の諸都市で大規模な抗議デモが展開されており、事態はきわめて流動的である。そもそもこのクーデターがなぜ起きたのかは大きな謎であり、さまざまな分析が出されているが、ここでは直接その問題には触れない(本特集の工藤年博氏による論考も参照のこと)。本稿では、クーデターが発生した後の経緯をおもに国軍側の動向を中心に振り返り、国軍が何をしようとしているのかについて暫定的な解釈を示したい。なお、本稿では国軍発表からの引用などはビルマ語版にもとづき筆者が翻訳したものだが、文中のリンクは英語版のページにつなげてある。

写真:軍事クーデターへの抗議デモ(2021年2月14日)

軍事クーデターへの抗議デモ(2021年2月14日)
クーデター正当化と憲法遵守の強調

第3次連邦議会の招集日だった2月1日の未明、国軍は、アウンサンスーチー(以下、スーチー)国家顧問、ウィンミン大統領、連邦政府閣僚、地方政府首長のほか、在野の活動家もふくむ100人以上を一斉に拘束した。直後にミンスェ暫定大統領が国防治安評議会1招集し、憲法第417条および第418条にもとづいて1年間を期限とする非常事態宣言を発出するとともに、行政・立法・司法の3権をミンアウンフライン国軍最高司令官に委譲した。

ミンアウンフライン率いる国軍は、一連の過程を憲法に則った合法的なものだ(したがってクーデターではない)と主張しており、政権奪取後も憲法や法律の遵守をことあるごとに強調している。1962年と1988年の国軍によるクーデターでは、いずれも既存の憲法を廃止ないし停止したことを踏まえると、今回の国軍の姿勢は注目に値する。国軍の主張には無理があるが、あえてそのロジックをたどってみると次のようになる。①国軍が2020年11月総選挙の有権者名簿を調査したところ、1000万票分以上もの不備・不正の可能性があった、②国軍はこの問題の解決を求めて関係機関にさまざまな働きかけをし、新議会の招集を遅らせることなどを求めてきた、③それにもかかわらず、スーチーらが新たな議会を招集して新政府を発足させようとしたことは、非常事態の要件となる「国家主権を不当な手段によって奪取しようとすること」(憲法第417条)に当たる、④したがって、やむをえず憲法にもとづいて非常事態を宣言し、国家運営の責務を担うにいたった。

この主張について指摘すべき問題点は多い。例えば、①について、選挙のプロセスに一定の瑕疵があったのは事実だろうが、不備・不正が1000万票分にまで及ぶかは疑わしい。選挙結果の正当性は内外の選挙監視団が認め、国民の大多数が受け入れていた。③については、たとえ選挙不正があったとしても、それだけで非常事態の要件を満たすのかも疑問だ。憲法第417条の「不当な手段」は、第一義的には反乱や暴動などの力ずくの手段が想定されているようにみえる。さらに、今回の国軍の行動のなかでもっとも法的に正当化が難しいのは④の部分だろう。憲法第417条と第418条に規定された手続きでは、大統領が国防治安評議会との調整を経たのちに非常事態宣言を発出し、国軍最高司令官に3権を委譲するとなっており、主語はあくまでも大統領である。しかし、今回の事態では、この規定の手続きに先立って、国軍が独自の判断で大統領やその他の要人を拘束している。

最後の点について、これまでのところ国軍は明確な説明をしていないが、クーデター直後に憲法第6条の国家基本原則に言及している。この条項には、国家がつねに掲げる目標として、国家や国民の一体性を維持することや、真正の規律ある複数政党民主制を繁栄させることなどと並んで、国民の政治を指導する役割を国軍も担える状態を保つこと、が挙げられている。この条項を拡大解釈すれば、政府や議会が「不当な手段」を許容するような機能不全に陥っているときには、たとえ単独でも国軍こそが「国民の政治を指導する役割」を果たす責任がある、という理解に行きつくのかもしれない。しかし、もしなにが「不当」かを国軍が恣意的に判断することで全権を握れるというのであれば、こうした憲法解釈は憲法そのものの正当性や有効性を掘り崩しかねない。

おそらく国軍としては、一方では憲法遵守を主張し、もう一方で政治を指導すべき自らの道徳的責任を主張することに矛盾を感じてはいないだろう2。しかし、国軍が憲法遵守を強調すればするほど、憲法自体の正当性を損なってしまうというジレンマに陥っているようにみえる。そもそも現行の2008年憲法は、前の軍政(1988~2011年)が自ら用意した「民主化ロードマップ」にもとづいて書き上げたものであり、体制移行後も軍が国政に関与しつづけられるような仕掛けがいくつも組み込まれている。スーチー率いるNLDは当初、同憲法を認めていなかったが、テインセイン政権期(2011~2016年)にこれをひとまず受け入れ、2008年憲法の枠内で政治に参加するという選択をおこなった。NLDが政権を握った後の過去5年間のミャンマー政治は、憲法を紐帯としたミンアウンフライン(および国軍関係者)とスーチー(およびNLD)とのきわめて危うい信頼関係のうえに展開していたが、 その信頼関係が完全に決裂したことの帰結として今回のクーデターは起きたといえる。国軍が「合法的」クーデターというワイルドカードを切ってしまったあとでは、 2008年憲法はもはや両者の対話再開のための出発点にはなりづらいだろう。

総選挙のやり直し

前年の総選挙に不正があったという主張を根拠にクーデターを実行した国軍が、政権奪取後に総選挙のやり直しを第一の目標としたことは当然のなりゆきだった。国軍は、「非常事態に関する規定にしたがったもろもろの取り組みが終了したのちに、自由で公正な総選挙を実施し、選挙で勝利した政党に国家運営の責務を移譲する」と述べている。憲法規定によれば、非常事態の期間は最長で1年間延長可能であり、総選挙は非常事態宣言の解除後、半年以内に実施しなければならない。とはいえ、クーデターを起こした時点で国軍が具体的にどのようなタイム・スケジュールで出口戦略を思い描いていたのかは不明である。最初の1年間のうちに非常事態宣言を解いて総選挙を実施するつもりだったのか、最大限引き延ばして2年半以内に実施するつもりだったのか、あるいはまったく別のシナリオを想定していたのか。いずれにせよ、クーデター後の抗議運動の広まりのなかで今後の展開の不透明性はますます増している。

これまでの国軍の行動から明白なのは、スーチーとNLDを排除しようという意図である。クーデターの後、各地のNLD事務所には治安当局による強制捜査が入った。2月3日、当局は拘束中のスーチーとウィンミンを訴追して15日までの拘束延長を正当化した。スーチーは携帯型通信機器を違法に輸入・使用したという輸出入法違反の疑い、ウィンミンは新型コロナウイルス感染症対策に違反した疑いでの訴追だが、いずれも微罪と呼べるものであり、進行中の事態全体との釣り合いがとれない。拘束を受けていた他の人たちは、徐々に解放されていったが、7日以降に街頭での抗議運動が広がりをみせるとふたたびNLD政権や党の要人などが拘束されはじめた。

総選挙やり直しに向けた最初の一歩として、国軍は2月2日に早くも新しい選挙管理委員会を組織した。委員長に選ばれたテインソーは、2010年総選挙の際も選挙管理委員長を務めた人物である。前軍政下で実施された2010年総選挙は、2008年憲法にもとづく最初の総選挙であり、軍政によってさまざまなテコ入れがなされ自由でも公正でもなかったうえに、NLDなどの有力政党が選挙をボイコットしたため、結果的に国軍系の連邦団結発展党(USDP)が勝利して翌年のテインセイン政権発足につながった。いま、ミンアウンフラインが近い将来の総選挙の実施を公言するとき、この2010年総選挙をモデルにしたものを想定している可能性が高い。

統治体制の整備

総選挙を将来的な目標に据えながら、国軍は目下の非常事態における諸問題への取り組みも強調する。主な課題は、新型コロナウイルス感染症対策、感染症流行によって傷んだ経済の再興、そして長年の懸案事項である内戦の解決である。こうした取り組みを進めていくにあたって、ミンアウンフラインはクーデター後に矢継ぎ早に国家機関の要職人事を発表していった。

まず、2月1日に拘束したNLD政権の閣僚の穴を埋めるように、連邦政府の大臣を任命した(表1)。これによってNLD政権の閣僚の解任が既成事実化されたともいえる(副大臣の解任はクーデター後に公式に発表されたが、大臣については非常事態宣言によって自動的に解任されたという理解なのか発表による通知はなされなかった)。国軍の任命した大臣の顔ぶれをみると、USDP政権期の閣僚経験者を呼び戻したり、NLD政権下の事務次官を昇格させたりするケースが多い。実務経験を重視した人事で、業務を滞りなく遂行させることを目的としたものと考えられる。

表1 軍事政権による連邦政府の大臣任命

表1 軍事政権による連邦政府の大臣任命

(注)番号は発表順。国民民主連盟政権期に存在した大臣ポストのなかで教育大臣の任命だけ確認されていない(2月13日現在)。
(出所)国軍最高司令官府ウェブサイト、各種報道より作成。

大臣人事で目を引くのは、新たに現役軍人が就任したポストである。内務大臣、国防大臣、国境大臣は現役軍人が就任することが憲法で定められているが、今回、連邦内閣府大臣と運輸・通信大臣にも軍人が就いた。連邦内閣府大臣は、NLD政権時から唯一留任した内務大臣のソートゥッ中将が兼任する。これはNLD政権が進めた地方行政改革を巻き戻すことを意味する。地方行政を管轄する重要部局である総務局は、かつては軍人が統括する内務省傘下にあったが、NLD政権が連邦内閣府省を新設し、文民が大臣に就く同省へと総務局を移管していたからだ。また、運輸・通信大臣には、海軍司令官だったティンアウンサン大将が退役することなく就任した。通信行政への国軍の介入を強める狙いがあるだろう。実際にクーデター後、運輸・通信省から通信事業者に対して、利用者のSNSへのアクセスやデータ通信を制限するようにとの要請が数度にわたって出されている。さらに、利用者の個人情報の提供などを通信事業者に求めることを可能にするサイバー・セキュリティー法案の作成が進んでいるとの報道もある。

各省庁の業務を指揮する閣僚を任命する一方で、ミンアウンフライン国軍最高司令官は自らを長とする最高統治機関として「国家行政評議会(State Administration Council:SAC)」を組織した(表2)。メンバーは、2月2日と3日の2回に分けて16人が任命され、軍人と文民が8人ずつという構成となっている。国家行政評議会は、行政・立法・司法のすべてを統括するため、内閣の上位にあるだけでなく、法律を制定することもできる。地方行政では、管区域/州、県、郡と各レベルにも行政評議会が組織され、新軍政による統治の骨格をなす。クーデター後に「○○評議会」を組織して軍政を開始するのは、ミャンマー国軍の常套手段(1962年には国家革命評議会、1988年には国家法秩序回復評議会)ともいえるが、これまで最高機関は高級将校のみで構成されていたところを今回は半数を文民が占めているのが特徴である。文民メンバーには、元NLD党員だが2010年総選挙への参加を機にNLDと袂を分かった政治家2人と、少数民族出身者6人が含まれる。ミンアウンフラインは2月8日の国民に向けたメッセージで、今回の軍政は「1962年や1988年に国軍が〔国家運営の〕責務を担ったときの体制とは異なる」と述べている。文民を含み、多様性に配慮しているかのような国家行政評議会の人事も、過去の軍政との違いをアピールすることの一環であろう。しかし、評議会の文民メンバーが政策決定過程にどれほど関与できるかは疑わしいところである。

表2 国家行政評議会のメンバー

表2 国家行政評議会のメンバー

(注)*は軍人
(出所)表1に同じ。
停戦・和平への取り組み

感染症対策や経済回復では短期的に劇的な成果を挙げるのが難しい状況下で、国軍は停戦・和平の進展が軍政の正当化に寄与すると期待している節がある。そもそも昨年11月の総選挙後に、国軍は軍内に高級将校4人からなる和平協議委員会を組織して、停戦・和平の問題に積極的に取り組んでいく姿勢をみせていたが、クーデターの直後に「停戦と恒久平和のための声明」を出して同委員会を7人へと拡充した。国家行政評議会への6人の少数民族出身者の登用も、少数民族の人々に対するアピールと理解することができる。しかし、半世紀以上にわたるミャンマーの内戦は非常に複雑な構造を有しており、当然のことながら、一足飛びにすべての問題を解決することは不可能である。また、ほかならぬ内戦こそが国軍の政治関与を正当化する根本要因であったことを考えると、国軍がどこまで本気で「恒久平和」の実現を望んでいるかもわからない。おそらくは近年最大の問題であったヤカイン州での紛争に焦点を合わせ、そこでなんらかの進展を生むことに注力しているものと思われる。

話を進める前に過去10年ほどの経緯をごく簡単にまとめておこう。まず前提として、国内には主要なものでも約20の少数民族武装勢力が存在し、それぞれが独自の財源と行政組織と軍隊をもっており、強力なものは自律性の高い疑似国家的な領域をかたちづくっている。前軍政期に国軍は各武装勢力と一対一で個別交渉をし、いくつかの武装組織と停戦協定を結んだが、テインセイン政権期に全組織との一斉停戦を模索する方針に切り替えた。政権末期の2015年10月に「全国停戦協定」の署名に漕ぎつけたものの、実際に署名した組織はおもに東部のタイ国境域に拠点を置く8組織に限られており、北部・北東部の中国国境域を拠点とする特に強力な諸組織はこの協定に署名しなかった。

スーチー政権も前政権の方針をひきつぎ、署名組織との政治対話を進める一方で、非署名組織の新規署名にむけて取り組んだが、国軍との足並みがそろわないこともあり、いずれも芳しい成果を得られなかった。署名組織との関係では、カレン民族同盟(KNU)とシャン州復興評議会(RCSS)という強力な2組織が和平プロセスへの参加を一時停止した。非署名組織との関係では、複数の組織との戦闘が継続し、なかでもアラカン軍(AA)が西部ヤカイン州で活発な動きをみせはじめたことで、2018年末からヤカイン州での国軍とAAとの紛争が激化していた。2020年3月にはNLD政府がAAをテロリスト・グループと指定し、国軍は全国規模での一方的停戦を宣言するなかでつねにAAの活動地域を例外としてきた。

ところが、2020年末ごろからの直近の動向をみると、国軍はKNUなど署名組織との緊張を高める一方で、AAとの停戦を模索し始めたようである。KNUが拠点を置く東部のカイン州では、国軍指揮下にありながら一定の自律性を有する国境警備隊(この部隊も以前は反政府少数民族武装組織だったが、前軍政末期に国軍と停戦して国軍組織に組み込まれた)が、拠点地でカジノ誘致などの非合法的な経済開発を進めていることが国内外で問題視されていた。これにともない、国境警備隊に圧力をかける国軍正規部隊の存在感が州内で増し、KNUが反発を強めるという状況が生まれたのである。クーデター後、非署名組織が事態の静観をつづけるのと対照的に、署名組織のKNUとRCSSはいち早く国軍批判の声明を出した。新軍政は国家行政評議会にKNUの中央執行委員であったパドー・マン・ニェインマウンを任命したが、KNU側は、ニェインマウンは2020年総選挙に合法政党のカレン人民党から出馬するために同年7月にKNUを脱退済みであり、彼の評議会入りとKNUとは無関係であると説明し、新軍政批判の姿勢を崩していない。

他方で、ヤカイン州でのAAとの紛争は年末から停戦に向けた機運が高まっていた。発端は、内戦を原因として州北部の複数の選挙区で11月の総選挙が実施されなかったことである。これらの選挙区は、地元のヤカイン民族党(ANP)の大票田であり、NLDが議席を獲得する見込みは低かったため、選挙中止の決定は州民の不満を募らせた。2020年末に日本の仲介もあって、国軍とAAはこれらの選挙区での補欠選挙の早期実現に向けて歩み寄り、戦闘の起きない状態が生まれていたものの、スーチー政権が補欠選挙の実施を渋り、事態が膠着していた。

こうしたなかで国軍がクーデターを起こし、国家行政評議会のメンバーにANPスポークスパーソンのエーヌセインが任命された。ANPは党として、エーヌセインの評議会入りを承認し、NLD政権への不満から新軍政に協力する旨の発表をした。新軍政はほかにもさまざまな方法でヤカイン州民に秋波を送っている。まず、全土的に情報通信への統制が強まるのとは対照的に、ヤカイン州では2月2日、紛争下で遮断されていた携帯電話のインターネット接続が約1年半ぶりに復旧した。2月12日の連邦記念日に国軍が恩赦を与えて解放した2万人以上の囚人のなかには、反逆罪で長期刑に服していたヤカイン州の著名政治家エーマウン(元ANP党首、現ヤカイン前衛党党首)も含まれていた。この先には、AAとの二者間停戦協定締結、そして、次回総選挙ではヤカイン州全体で選挙を実施する旨の表明、といった展開が見据えられているのではないだろうか。しかし、こうした施策にもかかわらず、ヤカインでもクーデターへの抗議は強く、軍政への協力を表明したANPにも批判が集まっている。

抗議への抑圧

国軍がクーデターの正当化と新軍政の既成事実化を推し進める一方で、多くの国民がそれに公然と異を唱えている。当初は自宅などで鍋を打ち鳴らしての抑制された意思表示だったものが、最初の週末を迎えるころから街頭で大規模抗議デモが展開されるようになった。また、医療従事者からはじまった「市民的不服従運動」による公務ボイコットは大きな広がりをみせている。国軍は各地に刑事訴訟法第144条を適用し、公共の場での5人以上の集会禁止や、夜間(午後8時から午前4時)の外出禁止を課しつつ、デモ隊に対してはゴム弾発射(一部で実弾の使用もあった模様)や放水などでの強制排除、市民的不服従運動に対しては職務不履行を理由にした夜間の自宅での逮捕をおこなうなど、抑圧を強めている。

世界が注視するなかで、15日にはスーチーの輸出入法違反の疑いによる拘束が期限を迎える。先行きの不透明さは増すばかりであり、国軍と抗議する国民とのあいだに妥協点を見出すことは非常に困難だが、大義は国民の側にこそある。

写真の出典
  • MgHla (aka) Htin Linn Aye, Protest in Myanmar against Military Coup 14-Feb-2021(CC BY-SA 4.0).
著者プロフィール

長田紀之(おさだのりゆき) アジア経済研究所地域研究センター研究員。博士(文学)。主な著作に『胎動する国境 英領ビルマの移民問題と都市統治』(山川出版社、2016年)、『東南アジアの歴史』(共著、放送大学教育振興会、2018年)、『ミャンマー2015年総選挙――アウンサンスーチー新政権はいかに誕生したのか』(共著、アジア経済研究所、20 16年)がある。

  1. 憲法の規定では、国防治安評議会は、正副大統領(3人)、外務大臣、内務大臣、国防大臣、国境大臣、連邦議会上下院の議長(2人)、国軍正副司令官(2人)の計11人から構成される。内務、国防、国境の大臣ポストには必ず現役軍人が就き、正副大統領のうち1人は連邦議会両院の軍人議員グループが選ぶので、国防治安評議会の過半数を国軍関係者が占めることになる。2月1日に開かれた国防治安評議会は、ミンスェ暫定大統領(元軍人、NLD政権下で軍人議員の選んだ副大統領だった)が招集したものだが、その場にいたミンスェ以外の6人は全員現役軍人だった(正副司令官、内務、国防、国境大臣のほか、もう1人中将がいるが詳細不明)。
  2. オーストラリア国立大学のミャンマー研究者ニック・チーズマン氏の分析を参照のこと。同氏は、一般の人々に法を守らせるために、一部の人間(人々に法を守らせる道徳的責任を有する人たち)が法を逸脱することを許容する態度を「ポスト・リーガリズム」と名づけて、それが今回の国軍によるクーデター正当化の論理のみならず、ここ数年のミャンマー政治一般の特徴だとしている。