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(2020年ミャンマー総選挙)アウンサンスーチー政権下の経済成果と総選挙への影響

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051888

工藤 年博

2020年11月

(8,982字)

前回2015年11月の総選挙の争点が「軍政からの脱却」「民主化」であったのに対し、今回2020年の総選挙ではそうした明確な争点は見当たらない。そのため、過去4年半のアウンサンスーチー(以下、スーチー)政権の実績をどう評価するかが主要な焦点になるだろう。前回総選挙で国民民主連盟(NLD)が掲げた公約には少数民族武装勢力との停戦合意と民族和解、国軍の影響力が残る2008年憲法の改正、人権と民主主義の定着などと並んで、国民に裨益する経済成長の実現が重要政策として掲げられていた。本稿ではスーチー政権下における経済パフォーマンスを振り返り、経済政策や運営を評価する。そのうえで、経済政策が今回の総選挙の争点になっていないことを指摘する。
スーチー政権下で景況感は悪化
スーチー政権下でミャンマー経済は減速したといわれる。実際、私の友人のミャンマー人実業家のなかには景気の後退を嘆き、スーチー政権の経済政策や運営に不満を述べる人が何人もいる。世界的コンサルティング会社であるローランド・ベルガーが実施した景気動向調査をみてみよう。

表1 これから12カ月のミャンマー経済・ビジネス状況に関する展望

表1 これから12カ月のミャンマー経済・ビジネス状況に関する展望

(出所)Roland Berger(2017).

この調査は2017年6~8月に500人の企業経営者・幹部を対象に実施されたもので、1年前の2016年に行われた同様な調査と比較している。本調査には「これから12カ月のミャンマーの経済・ビジネス状況をどのように展望するか」という質問項目があり、回答は表1のような5段階評価となっている。この1年間で「ゆっくりと悪化する」と回答した人が10ポイント増加、「改善する」と答えた人が19ポイント減少、「急速に改善する」と答えた人が5ポイント減ったことがわかる。この表にはミャンマー企業(全体の61%)と外資系企業(同39%)の回答を合計した数値を示したが、調査の元表によれば両者の間に大きな認識ギャップはない。このことは外資企業のみならずミャンマーの国内企業も、2017年6~8月において経済・景気の先行きへの期待を下方修正したことを示している。スーチー政権下において、ミャンマー実業界のビジネスマインドに転換があったことは確かであろう。

経済成長の減速は小幅

スーチー政権下で経済はどの程度減速したのだろうか。表2は1960年代以降のミャンマー、タイ、ベトナムの1人当たり実質GDPの年平均成長率を示したものである1 。1962年から88年はビルマ式社会主義の時代で、計画経済と閉鎖的な政策がとられており、成長率は長期低迷した。1988年から2010年は軍事政権の時代である。軍事政権は権力を掌握するとすぐに、社会主義経済体制を放棄し、対外開放と市場経済化に乗り出した。1990年代、ミャンマーは欧米諸国を中心とする国際社会の制裁下にあったものの、一定の外国投資の流入や経済自由化による民間企業の勃興などにより、成長率は高まった。

表2 1人当たり実質GDPの年平均成長率

表2 1人当たり実質GDPの年平均成長率

(*) ベトナムの数字は1985-90年の年平均成長率。
(出所)World Bank, World Development Indicators.

しかし、その後2000年代の年平均成長率が11.1%となっていることについては、数値の信頼性に疑問がある。この時期ミャンマーは1990年代以上に厳しい制裁を国際社会から科されており、2007年には経済苦境を背景にしたサフラン革命とよばれる大規模な民衆蜂起が起きている。2008年には14万人の死者・行方不明者を出したサイクロン・ナルギスによる被害も受けており、とても二桁成長を実現できるような環境ではなかった。この時期は軍事政権が経済停滞を糊塗するために、数値を水増しした可能性が高い。

2011年から15年は民政移管後のテインセイン大統領の時代である。テインセイン大統領は基本経済政策のひとつとして正確な経済統計の作成と公表を掲げており、軍事政権時代のような意図的な数字の水増しはなくなったと考えてよい。したがって、この時期の6.4%という成長率は、1960年代以降のどの時期よりも高い。テインセイン大統領は大胆な改革開放をすすめ、国際経済環境の改善を実現し、ミャンマーに過去に経験したことのない成長機会をもたらした。

2016年から2018年はスーチー政権期である。この時期の年平均成長率はテインセイン政権期にくらべると、0.8ポイント低下している。たしかに成長率は低下したが、約6%水準の成長を続ける経済において、この程度の減速がどれほどの意味をもつかはわからない。ミャンマーの統計データの精度を考えればなおさらである。しかも、この成長率は好調な経済状況にあるといわれるベトナムと同じで、タイを大きく上回る。もちろん、タイやベトナムとの所得格差を縮めていかなければならないミャンマーは、より高い成長率が必要ではある。しかし、年平均5.6%という成長率はミャンマーの歴史においても比較的高いもので、同国経済は引き続き成長局面にあると判断してよい。スーチー政権下での実物経済の減速幅は限定的であった。

輸入の伸びは大幅に減速
次に、輸出入の動向をみてみよう。図1はミャンマーの輸出入額の年平均成長率を、5つの時期に分けて示したものである。青い棒グラフが輸出の伸び率、オレンジ色の棒グラフが輸入の伸び率である。ビルマ式社会主義時代の後期にあたる1977年から1988年の時期は、輸出入ともに停滞していたが、1988年9月に登場した軍事政権は社会主義を放棄し、貿易自由化をすすめた。そのため1990年代には一転して輸出入ともに大きく伸びた。

図1 ミャンマー輸出入額の年平均成長率

図1 ミャンマー輸出入額の年平均成長率

(出所)World Bank, World Development Indicators.

ところが、2000年代には輸出入ともに伸び率が低下している。とくに輸入の伸び率は6.6%にまで低下した。これは1997年のアジア通貨危機以降、外貨不足に直面した軍事政権が輸入規制を強化したためである。この時期、輸出先行政策(エクスポートファースト)がとられ、輸出をした業者がその輸出稼得外貨の範囲内でのみ輸入が認められるという、きわめて統制的な貿易政策がとられた。

その次の時期、すなわちテインセイン政権下では、逆に輸入のみが大きく伸びた。この時期の輸入額の年平均成長率は28.3%で、テインセイン政権の5年間で3.5倍になった。テインセイン政権の最重要経済政策は輸入の自由化であり、そこには実質的に半世紀ぶりの民政移管を円滑に実現するための戦略があった。

2000年代を通じた厳しい輸入規制のもとで、国民は窮乏生活を余儀なくされてきた。たとえ海外に出稼ぎに行った家族からの仕送りなどで、ミャンマー国内の消費者が外貨をもっていたとしても、輸入品を買うことはできなかった。もちろん、国内に消費者の必要を満たす製品を供給してくれる企業もなかった。

例えば、日本の中古自動車はミャンマー国内に大きな需要があったが、その輸入は厳しく制限されていた。そのため、10年落ちのトヨタのマークIIが時に1000万円相当もするという状況であった。それがテインセイン政権下で一気に自由化されたため、2012年以降日本から毎年10万台を超える中古自動車がミャンマーに輸出された(図2)。ミャンマー国内の中古自動車の値段は4分の1、あるいは5分の1にまで低下した。日本からの中古車の輸入解禁は、テインセイン政権が重視したクイックウィンズ(Quick Wins)、すなわち「すぐに目に見える成果」の代表例であった。

図2 日本の対ミャンマー自動車輸出 (万台)

図2 日本の対ミャンマー自動車輸出 (万台)

(出所)財務省貿易統計

ところが、日本からの中古車輸入台数は2014年の16万台超をピークに、わずか3年で減少に転じている。図2に観察される2018年以降の一層の減少は、中古車で溢れかえったヤンゴンの渋滞緩和や自動車の国産化を推進するために、スーチー政権が事実上の輸入規制を強化したことによる。

しかし、ここで注目すべきはテインセイン政権の最終年の2015年には、すでに中古車の需要は飽和しつつあり、輸入台数は減少に転じていたという事実である。ミャンマー経済の規模は小さい。軍事政権時代に抑え込まれていたペントアップ需要がいったん充足されれば、調整期を迎えるのは当然である。そして、こうした自然な調整はテインセイン政権の末期にはすでに起きつつあり、それが輸入の伸びの鈍化に表れた。

テインセイン政権期において、輸出の伸びは輸入に比べて小さかった。この時期、国際社会の制裁は解除され、ミャンマー産業界は世界市場へのアクセスを回復した。しかし、同国ではインフラの未整備をはじめとした生産のボトルネックがあり、市場アクセスの回復がすぐには輸出の増加に結び付かなかった。結果として貿易赤字が拡大した。ミャンマーではしばしば貿易赤字の拡大が、引き締め政策への転換のきっかけとなってきた。

しかし今回、スーチー政権は輸入規制の強化をしなかった。なぜなら、貿易赤字は外国直接投資(FDI)2 、政府開発援助(ODA)、および海外出稼ぎ労働者からの送金によってファイナンスされていたからである(図3)。そのため、この時期の貿易(とくに輸入)の伸び率の低下は、スーチー政権の貿易政策によって引き起こされたものではない。それは2011年の改革開放以降、「アジア最後のフロンティア」として世界から注目され、過熱気味であったミャンマー経済が転換期を迎えたことを示唆する経済的現象であった。

図3 外国直接投資、政府開発援助、海外送金受取額(年平均、100万ドル)

図3 外国直接投資、政府開発援助、海外送金受取額(年平均、100万ドル)

(出所)World Bank, World Development Indicators.
ロヒンギャ問題にもかかわらず、国際観光客数は堅調に増加

国際観光客数はどのように推移しているだろうか。図4は空路でミャンマーに到着した国際観光客数とその伸び率(前年度比)3 を示している。2011年度から2014年度まで高い増加率を示した後、2015年度から2017年度は一桁の伸びに留まった。2018年度には再び高い増加率を示したが、2019年度は前年度をわずかに割り込んだ。これは2020年2月、3月の観光客数が、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて減少したためである。

以上の数字は2つの重要な事実を示している。ひとつは2017年のロヒンギャ問題の深刻化と国際社会の厳しい批判にもかかわらず、2018年以降も外国から多くの観光客が引き続きミャンマーを訪問していたことである。ただし、この増加に最も貢献したのは中国人観光客であり、2018年度にはアメリカ人観光客数は前年度比3.0%、イギリス人は同24.0%減少した。現代史上最大規模の人道危機とされるロヒンギャ問題であったが、そうした事態をあまり気にしない中国人観光客が欧米人観光客の減少を穴埋めした。

もうひとつは、国際観光客数の伸び悩みはテインセイン政権の最終年度にはすでに始まっていたことである。つまり、スーチー政権の誕生が、観光客数の伸び悩みの要因となったわけではない。2010年度から2014年度にかけて、国際観光客数は3.4倍になった。ミャンマーの国際空港のキャパシティや観光需要の一巡などから考えて、調整が起こったとしても不思議ではない。そして、2018年度からはヤンゴン国際空港の整備や観光ビザの簡素化などの政策もあり、国際観光客数は再び増加に転じた点にも注目すべきである。

図4 国際観光客到着数(空路のみ)

図4 国際観光客到着数(空路のみ)

投資環境は改善へ
FDIはミャンマー経済の成長エンジンのひとつであり、テインセイン政権もスーチー政権も外資導入を積極的に進めた。テインセイン政権における一連の改革開放政策が奏功し、2013年度以降、FDI認可額は順調に増加した(図5)。2015年度には認可額は90憶ドルを超え、過去最高を記録した。しかし、スーチー政権の誕生と時を同じくして、認可額は減少に転じた。この減少には、政権交代にあたって投資委員会の設置が遅れたり、外国投資に関する方針が定まらなかったり、政府の不手際にも原因があった。

図5 FDI認可額(100万ドル)

図5 FDI認可額(100万ドル)

(出所)Central Statistical Office, Selected Monthly Economic Indicators, April 2020.

ただし、2014年度、2015年度には投資規模の大きい天然ガスの新規鉱区が外資に開放されてその案件が数字に乗ったこと、予期された政権交代の前に投資認可を取っておこうとする駆け込み申請があったことなどから、スーチー政権下での認可額の減少は必ずしも下降トレンドを意味するものではないとする専門家もいる(本間 2020, 43)。

実際、スーチー政権は2016年に外国投資法と内国民投資法を一本化し、内外資を問わずすべての投資に適用される投資法を成立させ、2017年4月より運用を開始した。これにより投資規制の枠組みが明確になり、運用においても透明性が高まった。また、2017年には1914年制定の会社法を約1世紀ぶりに全面改正し、2018年8月より施行した。旧会社法では1株でも外資が入っていれば外国企業とされ、不動産所有などが制限されたが、新会社法では外資の保有率が35%以下であれば国内企業と見なされるようになった。両法の改正作業はテインセイン政権時代に始まったものであるが、スーチー政権はこれを完成させた。また、保険分野の外資への開放など、一層の自由化・対外開放も進められた。このように、スーチー政権は投資環境整備・投資促進策に関しては、前政権下の取り組みを踏襲した。結果として2018年度以降、FDI認可額は増加に転じた。

経済は調整過程を経て、再び成長へ

こうしてみると、スーチー政権になって経済は若干スローダウンしたものの、それは深刻なものではなかった。経済減速はテインセイン政権の最終年から始まっており、それまでの急成長の調整過程であった可能性が高い。テインセイン大統領は経済自由化と国際経済環境の改善により、23年間に及ぶ軍事政権下で抑え込まれてきた潜在需要やそれを満たすための経済活動を解放し、その結果重石のはずれたバネが一気に跳ね上がるような成長を実現させた。これは戦争後の「復興期」にも似ており、ある程度自動的な過程である。日本の中古自動車の輸入が典型例であるが、その効果はワンショット的であり、一度当面の需要が満たされてしまえば、そうした自動的なプロセスは終わらざるを得ない。とくに国内産業の基盤が弱いミャンマーにおいては、こうした需要の多くは輸入で賄われ、必ずしも産業の自律的な成長につながらなかった。

この時期ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と喧伝され、世界からヒト、モノ、カネが一気に流れ込んだ。不動産価格の高騰など、バブル的な状況も発生していたと考えられる。しかし、半世紀も世界に門戸を閉ざしていた国が、すぐに高成長を始めることはできない。携帯電話事業の成功に典型的であるクイックウィンズ的な投資が一巡すると、海外投資家はインフラ不足、人材不足、法制度の不備などに直面することとなった。こうしたなかで経済の調整が起こったのは、自然な成り行きであった。この時期が偶然にもスーチー政権の誕生と重なったのである。

スーチー政権は急激な輸入増加や無秩序な開発にともなう、歪みの是正にも取り組まなければならなかった。例えば、先に指摘したとおり、道路インフラを整備しないままでの大量の中古自動車の輸入は、ヤンゴンでの深刻な渋滞を招いた。そのためNLD政権は自動車の輸入規制に乗り出さざるを得なかった。さらには、スーチー政権で任命された経済担当大臣や管区域・州首相が、経験・知識不足のために迅速、的確に政策判断を行えず、混乱を招いた面もあった4 。しかし、基本的にはスーチー政権はテインセイン政権の改革を継続し、2018年頃からは成果を出し始めていた5

今こそ政策論議が必要だが選挙の争点にはならず

それではなぜ、ミャンマー実業界や国民にスーチー政権の経済成果や政策に対する不満が大きいのであろうか。その原因は経済の調整期がたまたまスーチー政権の誕生と重なったことによる誤解もあるが、本質的にはスーチー政権がテインセイン政権の経済政策を継承はしたものの、新しい課題に積極的に取り組んで来なかった点にある。

ミャンマー経済が調整過程を経て、次の発展段階に進むためには、これまでのように自由化や規制緩和だけでは不十分である。今後はインフラや法制度の不備、また人材不足などに起因する生産・物流・取引のボトルネックを解消していかなければならない。そして、こうした課題は第一義的には政府が解決すべきものである。スーチー政権は前政権のクイックウィンズから、いわば「作り上げる」政策に転換する必要があったが、その取り組みは遅いといわざるを得ない。

また、スーチー政権は経済成果の平等な分配に対する配慮にも欠けていた。NLDは選挙公約のなかで、軍事政権時代に国軍の部隊や政商に土地を奪われた農民への農地の返還を約束していたが、みるべき成果はない。農業・農村振興も約束したが、現実には若者の農村から都市や海外への流出は続き、農村は人手不足で疲弊している。都市と農村、大都市と地方都市、ビルマ人の多く居住する管区域と少数民族の多い州、外資企業で働くエリート社員と町工場の労働者など、格差は拡大している。しかし、スーチー政権に目だった取り組みはみられない。

とはいえ、野党が成長戦略のオルタナティブや新たな政策アジェンダを提示しているわけではない。スーチー政権下での経済パフォーマンスや経済運営に不満をもつ実業家は多いし、経済成果を享受できない人々や地域もある。しかし、野党がこうした人々や地域の声を拾い上げ、NLDに対する政策的対立軸として提示することはしていない。5年前の政権交代の総選挙以来、与党も野党も国民の声を聴き、課題を発見し、政策を作るという、政党としての基本的な能力を高めてきたとはいえない。

スーチー政権に大きな経済的成果はなく、また国民の一部に多少の不満はあっても、結局のところ、今回の総選挙では政策論議は置き去りにされ、ビルマ族中心の管区域においてはスーチーの人気投票、少数民族中心の州においては民族のアイデンティティ投票ということになるのではないだろうか。

写真:2015年選挙時の投票所の様子

2015年選挙時の投票所の様子
写真の出典
  • mohigan, Election day, taken on 8 November, 2015 (CC BY-SA 3.0).
参考文献
著者プロフィール

工藤年博(くどうとしひろ) 政策研究大学院大学教授。主な編著に『ポスト軍政のミャンマー――改革の実像――』(アジア経済研究所、2015年)、『ミャンマー政治の実像――軍政23年の功罪と新政権のゆくえ――』(同、2012年)、『ミャンマー経済の実像――なぜ軍政は生き残れたのか――』(同、2008年)など。


  1. ミャンマーでは2020年までの最新の統計はまだ公表されていなため、概ね2018年までのデータを使用する。
  2. ここでのFDIは国際収支における実行額であり、ミャンマー投資委員会(MIC)による認可額ではない。国際収支における実行額とMICの認可額を比べると、両者に大きな差がある。MIC認可額ベースでの議論は後の項を参照。
  3. 従来ミャンマーの会計年度は4月~3月であったが、2018年度から10月~9月に変更になった。ここでは比較のため、4月~3月の年度ベースの数字を示している。
  4. 詳しくは工藤(2020)を参照。
  5. 2020年9月以降、新型コロナウイルス感染症の急拡大を受け、経済・社会活動が厳しく制限されている。医療資源の乏しいミャンマーではこうした制限が長引く可能性もあり、今後の経済見通しは不透明である。