ライブラリアン・コラム
「白い象」は自ら負の象徴となってしまうのか――南米コロンビアの記憶博物館をめぐって
則竹 理人
2024年11月
傷ましい記憶を残す取組みとその現状
南米コロンビアの首都ボゴタの中心街から北北西に約3km離れたあたりに、民主広場という場所がある。特別大きな広場ではなく、観光名所になっているわけでもないが、とある理由からこの場所が長らく注目の的となっている。それは、この広場に新たな博物館が設けられようとしているからである。
その施設の名は、「コロンビア記憶博物館」である。2011年、国立歴史記憶センターという機関を設立するための政令が公布されたが(政令第4803号)、その政令で同センターの機能の一部として定められたのが、記憶博物館の企画、設立、運営だった。政令は、同じく2011年に公布された、内戦の被害者への対応、援助、賠償措置を規定する法律(法律第1448号)に基づいて出されたものである。したがって、博物館やセンターの名称に用いられている「記憶」とは、内戦およびその被害者のものを表している。半世紀にわたった同国の内戦では、20万人以上が犠牲となっており1、その記憶は凄惨な「負」の遺産であるが、同時に後世に語り継がなければならない重要な歴史的事実が刻まれているといえる。
2020年2月、国家プロジェクトとしてボゴタに記憶博物館が設立されること、そして2022年に開館できるよう工事が始められることが、センターの公式ウェブサイト上2で発表された。しかし、現状では開館はおろか、建物の完成にも至っていない。今年8月28日付の報道(現地時刻基準の日付、以下同じ)によれば、少なくとも9つの工事が止まっていて、さらには5月に当該事業の責任者が解任されてから、不在の状態が3カ月続いていた。
センターは、前述の事業を所管する記憶博物館部のほか、いくつかの部で構成されており、全体を統括するセンター長に加え、各部にも長が置かれるのが通常の体制である。しかし、記憶博物館部長はこれまで短期間で何度も交代しており、過去にも不在の期間が存在した3。現センター長のガイターン氏の在任中も、同氏との確執があったとされるアリアス元部長は、2023年5月にそのポストに就いてから約5カ月後の10月に解任されている4。その後、部長職不在の時期を経て今年1月に同職に就任したゴンサレス・ロドリゲス氏も、5月に解任されたことで、わずか数カ月の短命な在任期間となった5。ゴンサレス氏の解任は、あくまでも個人的な理由とされているが6、当時は「また」という言葉を冠した報道が散見された。11月7日には、新部長が決定したという報道があり、それまではガイターン氏が部長職を代行していたことが述べられているが、これほど責任者が頻繁に入れ替わっては、部署の統括が十分に行われているのか懸念される。実際、同報道では工事はまだ止まっていることも示されている。
加えて、ゴンサレス氏解任の少し前、博物館設立事業関連で世間を賑わせた報道があった。それは今年1月のことで、同国の会計検査院によって、同事業に関する約130億ペソ(5億円前後)の不正が摘発されたのである。契約や支出の管理に不十分さがあったことだけでなく、建築過程の計画性のなさや質の悪さ、技術的要件の不遵守など、数多くの問題が指摘された。摘発内容と、度重なる責任者解任の因果関係は明らかではないが、事業の体制に問題を抱えていて、博物館設立が滞っている様子がうかがえる。
この状況下で、記憶博物館は「白い象(Elefante Blanco)」と呼ばれている。英語などと同様、スペイン語で白い象は無用の長物を意味する。加えて、象は記憶(力)を象徴する動物としても捉えられており、白い象は奇しくも記憶博物館に至適な言葉である。筆者は現地に足を運び、未完成の博物館を目の当たりにしたが、新たな建物ができあがりそうな期待感、高揚感は全く湧かず、むしろだいぶ前に閉館した施設のような、廃墟の雰囲気が漂っていた。
「記憶は聖なるもの」という手前の看板が虚しさを助長している
対照的な発展をみせる「人権アーカイブズ」
センターには、記憶博物館部と並立して、人権アーカイブズ部という部署が置かれている。センターの公式ウェブサイトによれば、人権アーカイブズ部は「人権、歴史記憶、内戦アーカイブズ政策」を2017年より全国向けに展開しはじめた。これは、前述の政令で述べられた、内戦のなかで生じた暴力に関する情報のアーカイブズ(記録群およびそれを保存する施設)を管理する政策を実現すべく、立案されたものである。同政策は、当該アーカイブズの保護、強化、利活用をねらいとしており、それぞれについての具体的な方針が提示されている。例えば強化に関しては、当該の記録群の出所が団体、コミュニティ、家族、個人など多岐にわたることから、デジタル複写物を基盤としたバーチャルアーカイブズの構築が掲げられている。
バーチャルアーカイブズは、「人権・歴史記憶・武力紛争バーチャルアーカイブズ」という名でそのページが公開されている。その名称のとおり、人権保護団体、障がい者支援団体等の文書、刊行物や、少数民族の視聴覚資料、内戦中に強制避難移住させられた被害者のインタビューなど様々な記録を、出所の一覧または任意の文字列から検索して閲覧することができる。センターの年報を遡ると、政策の全国展開に先立って2016年より提供されていることがわかる。
記憶博物館と人権アーカイブズの相違点、共通点
一方で、記憶博物館専用のウェブサイトも存在し、内戦中の強制移住や強制失踪についてのウェブ展示ページなど、館設立以外の活動内容を閲覧することができる。しかし、バーチャルアーカイブズと異なり、なぜかセンターウェブサイトのトップページからは直接辿り着けない。トップページからすぐ参照できるのは、前述の政令に示された記憶博物館部に関する内容が転記されただけの簡素なページのみであり、同部は館の設立以外に特に何もしていないかのような誤解を与えうる構成になっている。また、博物館ウェブサイトのトップページからはバーチャルアーカイブズがリンクしているが、逆方向の直接のリンクはない7。興味深い情報が掲載されているにもかかわらず、博物館のウェブサイトは半ば孤立している。
両者の大きな違いは、部署の事業内容からも見て取れる。前述の政令を参照すると、人権アーカイブズ部がすべきとはされない一方で、記憶博物館部が担うべき活動として複数述べられている事項がある。それは、展示である。センターの直近3年分の年報を参照すると、施設が完成に至らないなかでも、記憶博物館部は他機関との協賛で様々な展示活動を行っていることがわかる。特定の場所で一定期間開催されたものもあれば、前述のとおりウェブ上に展示ページが設けられ、現在でも観覧が可能なものもある。
展示活動からうかがえるのは、相違点だけではない。冒頭で述べた法律で、センターが対象とすべき被害者には、内戦を機に国外に離散した人々も含まれることが規定されている。つまり、博物館または展示会場を特定の場所に物理的に設置する方法は、資料の移動が伴うことや、関心がありそうな人々がみな容易に訪問できるとは限らないことから、必ずしも良策とはいえず、ウェブ展示の長所が際立つことになる。ウェブ提供が利点となる側面は、バーチャルアーカイブズの構築が方針として出された人権アーカイブズ部との共通点といえる。
また、人権アーカイブズ部という名称からは、人権に関する資料専門のアーカイブズを提供する部署であるとも捉えられうる。しかし、前項で示したとおり、バーチャルアーカイブズの名称には「歴史記憶」が含まれている。実際に扱われるコンテンツも、革命軍の関与が疑われている政治家の暗殺の捜査報告や、特定の地方での紛争の新聞記事コレクションなど、歴史記憶に関するものが幅広くみられる。他方、前述の政令を参照すると、記憶博物館が人権関連の資料も所管することが記されており、既出の2つのウェブ展示や、内戦中に起きた性的暴力についての展示はその好例である。つまり、両者の対象物に着目すると、各々を区別する線引きはないか、あいまいである。
人権アーカイブズとの連携から見出される、記憶博物館の未来
以上の相違点、共通点を生かすことで、記憶博物館部は人権アーカイブズ部とより固く連携しうるのではないだろうか。記憶博物館部が提供する展示は、人権アーカイブズ部にはない強みであり、さらには両部署ともウェブ提供を推進する要素を持ち合わせ、取り扱うテーマも重なる部分が大きい。もし、バーチャルアーカイブズのトップページに記憶博物館部が提供する展示(への入口)が設けられていれば、当該テーマに興味があってページに辿り着いたものの、能動的な検索ができるほどには知識がない人々が、展示を通じてキーワードを探れるかもしれない。展示を観ることで人々の関心がより高まれば、人権アーカイブズ部が目指すコンテンツの利活用の促進にもつながる。両部署のコンテンツが相互に、かつ直接的にリンクすることで、一方しか知らない人々に他方の活動を知ってもらうことができれば、相乗効果が実現する。
博物館が、ボゴタ市内の中心部からそれほど遠くない場所に設立されようとしているのは、一般市民の展示への参加の利便性を考慮した結果であるといえる。館の建設が滞るなか、年間最多4万件以上のアクセス数を記録したバーチャルアーカイブズ8は 、ウェブ上におけるボゴタの民主広場に匹敵する場所として活用できるのではないだろうか。
世間の目が厳しくなってしまったなかで、また所管部署が安定性を欠くなかで、白い象と揶揄される施設を普通の象にするのは、当面は難しいかもしれない。しかし、象そのものの価値、つまり記憶の内容やその保護、保存、伝承の大切さを示すことなら比較的容易に実現可能で、ウェブサイトの見直しや他部署との連携の強化は、その方策のひとつとなりうる。被害者に寄り添う心優しい巨体を生かせるかどうか、今後の動向が興味深い。
写真の出典
- すべて筆者撮影
著者プロフィール
則竹理人(のりたけりひと) アジア経済研究所海外研究員(在コロンビア)。2023年7月までは、ライブラリアンとしてラテンアメリカ地域を担当。最近の著作に「コスタリカ国家行政記録管理における中間アーカイブズの機能に関する基礎的研究」(『京都大学大学文書館研究紀要』22号、2024年)など。
注
- 千代勇一「コロンビア革命軍との和平合意の背景とインパクト」『ラテンアメリカ・レポート』34(1)、2017年(2024/11/22閲覧)。同国の内戦については、伊高浩昭『コロンビア内戦 : ゲリラと麻薬と殺戮と』論創社、2003年(アジ研図書館請求記号LSCK 323.2 K1)なども詳しい。
- ここで述べたウェブサイトを含め、一部、日本からアクセス不能なサイトがあるため、ウェブアーカイブに保存し、そのページにリンクさせた。
- Cindy A. Morales Castillo, “Renuncia director de Museo de la Memoria y dice que en la entidad obstaculizaron su trabajo,” El Espectador, 4 de octubre, 2023.(2024/11/22閲覧)
- Rafael Alberto Aristizábal, “Nueva renuncia en el Centro de Memoria: se va la directora del Museo de Memoria,” W Radio, 17 de mayo, 2024.(2024/11/22閲覧)
- 注4に同じ。
- “Otra renuncia en Centro de Memoria Histórica: se va Ivonne González, directora del Museo,” 17 de mayo, 2024.El Espectador, 18 de mayo, 2024.(2024/11/22閲覧)
- バーチャルアーカイブズのトップページ(ジャンプ先)とは別にインデックスページが存在し、そのなかのVRコンテンツには記憶博物館のウェブサイトへのリンクがある(2024/11/22閲覧)。ただ、サイトの構造上、初見ではインデックスページの存在に気づきにくい。
- センターの年報参照(2024/11/22閲覧)。
この著者の記事
- 2024.05[ライブラリアン・コラム] 「ライブラリアンの日」からみる、コロンビアの図書館事情
- 2023.12[IDEスクエア] 法整備は「不足」か「不要」か――南米コロンビアの博物館事情
- 2023.07[ラテンアメリカ・レポート] 中間文書館によるアルゼンチン国家およびコルドバ州各行政記録の管理
- 2023.07[ラテンアメリカ・レポート] 山田睦男・鈴木茂 著 『ブラジル史』
- 2023.01[ライブラリアン・コラム] 『記憶』だけに頼らないために──研究所の活動記録の収集と保存
- 2021.09 [ライブラリアン・コラム] 研究所60周年記念誌発行の表すこと──研究所史料群の構築に向けて
- 2020.09 [ライブラリアン・コラム] 蚊媒介の感染症に苦しむブラジル