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ライブラリアン・コラム

アジ研図書館のお宝コレクション――イラク、フセイン政権時代の反体制派機関紙

高橋 理枝

2023年6月

研究リソースとしての新聞

アジ研図書館の誇るべきコレクションの一つに、発展途上国で刊行された新聞がある。インターネットもなく現地の情報がたやすく手に入らなかった時代、現地で刊行された新聞は地域研究を支える重要な情報源の一つであった。図書館の奥には、かつて『アジアの動向』(1963-1969)、『アジア動向年報』(1970-)(アジア各国の政治・経済の動向や主要な出来事を掲載した研究所出版物)の執筆のために、研究者が切り抜いた新聞の膨大なクリッピングが今も眠っている。ライブラリアン・コラム「『アジアの動向』オンライン公開──インターネットがない時代の徹底した情報収集」でも紹介されているので、ぜひ合わせてお読みいただきたい。

今回紹介するのは、そんな新聞コレクションのなかでも異色の“反体制派機関紙”である。筆者が担当する中東・北アフリカ諸国では、権威主義体制下で厳しい言論統制が敷かれ、国内で刊行される新聞は、どれも似たり寄ったりの内容が多い。大統領の写真とその動向が毎号第1面を飾る“官製メディア”から、研究に必要な情報を得ることは難しい。

例えば、フセイン政権時代のイラク研究では、反体制派の新聞が重要な研究資源として用いられてきた。フセイン後の政治の担い手として脚光を浴び、現在イラクで主要な役割を果たす政党も、フセイン政権時代はイラク国外での活動を余儀なくされた。イランやシリア、ヨーロッパに点在するこうした反体制派の機関紙を集めるのは、たやすいことではない。当館のイラク新聞コレクションは、これら反体制派を追いかけて亡命先の拠点に足繁く通った研究者の労力と人脈によって築き上げられたものだ。入手の経緯を綴った酒井啓子氏(現・千葉大学グローバル関係融合研究センター長)の記事(『足と人脈で集めたイラクの新聞』)には、ダマスカスに亡命していた「イラク・イスラーム革命最高評議会」(SCIRI)のシリア支部幹部とのエピソードが紹介されている。

資料情報の整備

さて、この貴重なイラク新聞コレクション、実はこれまで部分的にしか情報を提供できていなかった。今回改めてこの新聞コレクションを取り上げたのは、この度、ようやくアジ研図書館OPAC、およびCiNii Books(全国の大学図書館等が所蔵する資料を横断的に検索できるサービス)で検索が可能となったからだ。いくらお宝コレクションがあっても、資料情報が検索できなければ利用者に存在は分からない。酒井氏から新聞を預かってから書誌を完成させるまで、途方もなく長い年月が経ってしまったのは、ひとえに担当者である筆者の不徳の致すところである。この場を借りて、酒井氏と潜在的利用者に深くお詫び申し上げたい。

言い訳に聞こえてしまうだろうが、新聞の書誌作成は、実に手間のかかる作業である。出版地やタイトルの微妙な変更、サブタイトルの有無などを含め、紙面を丁寧に確認し、図書館システム上にデータとして書き込んでいく必要があるからだ。今回も一件の書誌を完成させるまでに、何度紙面をめくったことか。めくるたびに薄い新聞紙の端を破りかけ、この貴重な資料を破損するのではないかとヒヤヒヤしながらの作業であった。

主要新聞の紹介

では、主要なタイトルをいくつか具体的に紹介しよう。いずれもアラビア語紙である。

1. Nidāʾ al-Rāfidayn(『メソポタミア声明』)

前述の酒井氏の記事で入手時のエピソードが紹介されているこの新聞は、イラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI、1982年設立)の機関紙である。2007年にイラク・イスラーム最高評議会(ISCI)へと名称変更したこの団体は、次に述べるイスラーム・ダアワ党とともに、現在イラク政治の中枢で活動するシーア派イスラーム政党である。

当館では創刊準備号(0号、1991年2月9日)からイラク戦争(2003年3月20日開戦)直前の277号(2003年3月6日)までを所蔵している。そのうち1990年代の号は、アメリカ議会図書館にもない貴重なものだ。さすが酒井氏が編集長から“バックナンバーを大人買い”して集めた、素晴らしいコレクションである。

ちなみに、創刊準備号の編集長はアーディル・ラウーフ氏で、彼の名前は78号(1994年5月)まで紙面に刻まれている。酒井氏にこの新聞を売り込んだバヤーン・ジャブル氏の名前は、79号(1994年6月)で「取締役会長および専務」の肩書で登場し、その後「編集長および専務」などと肩書を変えつつ、当館所蔵の最終号まで登場し続けている。

創刊準備号に記載された連絡先は、テヘラン、ダマスカス、ベイルートだが、その後、ロンドン、ウィーン、ジュネーブなども記載されるようになり、この団体の海外支部の多さと活発な活動がうかがえる。1998年5月からはURLも表示され、2001年12月以降には事実上自治を獲得していたイラク・クルディスタン地域の事務所の住所が表れるあたりに、時代性とイラクの歴史を垣間見ることができる。

2. Sawt al-ʿIrāq=Sout al-Iraq(『イラクの声』)

イスラーム・ダアワ党ロンドン支部の機関紙。ダアワ党(1957年設立1)は、イラクのイスラーム運動の創始者的役割を果たした団体で、その後多くのシーア派政党がこの団体から分岐していった。フセイン政権崩壊後まもない時期には、帰国したダアワ党党首イブラーヒーム・ジャアファリー(2005年)や、ヌーリー・マーリキー(2006~2014年)が首相を務めた。

ダアワ党は、1968年に成立したバアス党政権下で激しい弾圧を受け、1980年代に拠点をイランへ、やがてダマスカスとロンドンに移した。当館では、ロンドン支部によるこの機関紙を、初号(1980年10月)から190号(1996年7月)まで所蔵している。初号の冒頭を飾る論考「なぜ『イラクの声』か?」では、西欧植民地主義者とその追随者サッダーム・フセインとの闘いが前面に打ち出され、すべての良きイスラーム勢力の見解や思想を伝えること、情報の包囲網を打破し正しい情報を伝えること、などが刊行の理由として述べられている。

3. Baghdād = Baghdad(『バグダード』)

イラク国民合意(INA、1990年設立2)の機関紙。同団体は、フセイン派閥と対立したイヤード・アッラーウィーをはじめとする元バアス党将校を中心に設立された。ダマスカスからロンドン、クウェイト、アンマンへと拠点を拡大し、アメリカがフセイン後の受け皿として設定した「グループ4」にもSCIRIとともに含まれた。フセイン政権崩壊後の2004年に樹立されたイラク暫定移行政権では、イラクに戻ったイヤード・アッラーウィーが初代首相(2004年)に就任した。

当館では、初号(1990年12月21日)から321号(1997年3月21日)を所蔵している。初号はパリで刊行されたが、翌1991年にはイギリスのウェイブリッジに移り、1994年4月には「イラク、ロンドン、ダマスカスのすべてで出版」と謳われており、規模を拡大させてきたことがうかがえる。また、当館で所蔵している巻号はタブロイド判だが、2002年にはカラー刷りで通常サイズの16ページの紙面へと拡大されたという(Baṭṭi 2006)。フセイン政権崩壊後、INAのイラクへの帰還にともない、本紙もイラクで発行され続けた(Baṭṭi 2006)。

4. al-Wifāq = Al-Wifaq(『合意』)

イラク国民民主合意(Iraqi National Democratic Accord Assembly)の機関紙。前述のINAと名称が酷似しているこの団体は、INAのイヤード・アッラーウィーらと対立したサーリフ・ウマル・アルアリーによって、1992年にINAから分派して設立された。

当館では、初号(1992年2月28日)から6巻259号(1997年4月3日)までを所蔵している。初号第1面の社説では、イヤード・アッラーウィー、タハシーン・ムアッラらがロンドン大法廷に訴状を提出したことにより、前述の『Baghdad』紙が1992年2月20日にイギリス警察に踏み込まれて停刊になったため、新たなタイトル『Al-Wifaq』でINAの機関紙を再出発させる旨が述べられている。しかし、上述のように『Baghdad』紙は2002年以降も刊行され1992年で停刊していないことから、この社説はアルアリーの正統性を主張したものと考えられる。初号では「イラク国民合意」機関紙とされていた本紙だが、当館所蔵分では1993年の号から「イラク国民民主合意」の名を冠し、約12年にわたりサーリフ・ウマル・アルアリーが設立したこの団体の機関紙として刊行された(Baṭṭi 2006)。

ちなみに、このINAの内部対立は、『Baghdad』の紙面にも見ることができる。まさに分裂へと至る1992年2月の号には、イヤード・アッラーウィーの除名決定や、除名決定を支持する声明、除名決定の無効を表明する声明などが、次々と掲載された。編集長名は、除名決定が掲載された2月14日号には記載がなく、除名を支持する声明が載った2月17日号はサーリフ・ウマル・アルアリー、除名の無効声明が掲載された2月22日号以降はタハシーン・ムアッラとなっている。両者の対立の激しさと事態の急変ぶりが如実にうかがえて、実に興味深い。

フセイン政権時代のイラク反体制派の機関紙(筆者撮影)

フセイン政権時代のイラク反体制派の機関紙(筆者撮影)

他にも『Ṭarīq al-shaʿb』(『人民の道』。イラク共産党機関紙。1995年2月~2002年7月所蔵)、『al-ʿIrāq al-ḥurr』(『自由なイラク』。イラク自由評議会機関紙。1991年6月(初号)~2001年4月所蔵)と、紹介したいものはまだまだあるが、紙幅が尽きるので後は実際に検索していただきたい。当館所蔵のイラク新聞は、政府系の新聞も含め、全タイトルを当館OPAC(「雑誌」を選択し、「件名」欄に“iraq newspapers”と入力)やCiNii Books(コレクションのうち、ごく少部数のものを除く)で検索可能である。

今回、これらの新聞について、国立国会図書館、アメリカ議会図書館、大英図書館等での所蔵の有無を調べたが、国内はもちろん、海外を含めても当館にしかないものも複数あることが判明した。調べれば調べるほどコレクションの貴重性が明らかになり、これまでの扱いを反省するばかりだが、それでも資料情報の整備を終え、ようやく少し肩の荷が下りた気分である。今後は、この貴重な資料の保存と利用の促進に注力していきたい。
なお、劣化防止のため、このコレクションの多くは、マイクロフィルムあるいは電子ファイルへの媒体変換を行った。現在は原紙ではなく、マイクロフィルムか電子ファイルで閲覧できるため、筆者のように紙面をめくってページを破りかけるような心配は無用である。ぜひ安心して利用いただきたい。

(付記)イラク新聞に関する調査および本コレクションの保存対策の実施は、JSPS科研費 JP 18K01019の助成を受けたものである。

参考文献
  • 酒井啓子編 1998. 『イラク・フセイン体制の現状──経済制裁部分解除開始から一年』(アジ研トピックリポート ; ト9-04) アジア経済研究所.
  • 酒井啓子 1999.「遠隔地イスラミストと国際政治──イラク反体制派の事例を中心に──」『国際政治』(121): 72-94.
  • 酒井啓子 2004.『イラク 戦争と占領』(岩波新書 871)岩波書店.
  • 山尾大 2011a.『現代イラクのイスラーム主義運動──革命運動から政権党への軌跡』 有斐閣.
  • 山尾大 2011b. 「反体制勢力に対する外部アクターの影響──イラク・イスラーム主義政党の戦後政策対立を事例に」『国際政治』(166):142-155.
  • 山尾大 2013.『紛争と国家建設──戦後イラクの再建をめぐるポリティクス』明石書店.
  • Baṭṭi, Fāʾiq 2006. al-Ṣiḥāfah al-ʿIrāqīyah fī al-manfá [亡命中のイラク・ジャーナリズム]. Dimashq:Dār al-Madá.
著者プロフィール

高橋理枝(たかはしりえ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は中東・北アフリカ。

  1. 設立年には1957年、1958年、1959年の説がある(山尾 2011a:85)。
  2. 1991年とする資料もあり。