アジア経済研究所について
アジ研いま何してる?(活動紹介)
「アジいま」は、アジア経済研究所の広報担当者が、研究者を中心とする研究所職員を10分間インタビューし、「いま」取り組んでいることをわかりやすくお伝えする連載記事です。アジ研のいまと、新興国・途上国研究のいまを、のぞいてみませんか?
児玉 由佳/新領域研究センター ジェンダー・社会開発研究グループ
これまではエチオピアの農村研究を主に行っていました。1998年からコロナ禍前までの農村変化についてまとめた『エチオピア農村社会の変容 : ジェンダーをめぐる慣習の変化と人々の選択』(昭和堂)を今年出版しました。現在は、残念ながら政情不安によって、これまで調査を行ってきた村に行くことができなくなりました。
そのため、農村研究に加えて、「アフターコロナ期の国際労働力移動:送出国・受入国の移民政策分析と実態解明」そして「高インフレ下のエチオピア都市部住民の食料確保のための生存戦略」という二つのテーマを中心に研究を行っています。
まず、移民に関する研究ですが、きっかけは、エチオピアの農村を研究する中で、若い女性が労働移民として気軽にサウジアラビアに行ってしまうのを目の当たりにしたことです。今年2月にエチオピアからの労働移民が多いUAEとサウジアラビアで調査を行い、現地で働いている女性たちから話を伺うことができました。農村部には農業以外の就業機会がない一方で、エチオピア都市部では女性の失業率は20~30%と高く、中等教育レベルの教育では通用しないという難しさがあります。湾岸諸国では斡旋業者を通すことで就職は確約されているので、若い女性は、国内ではなく湾岸諸国への出稼ぎを選択することも多いです。しかし、湾岸諸国で働く外国人移民の中にも格差があり、エチオピア人の賃金は安く抑えられがちです。また、雇い先での人権侵害などのリスクもあります。
次に、エチオピア都市部住民の生存戦略の研究ですが、エチオピアではインフレがアフリカでも比較的高い水準で進んでおり、人々はさまざまな方法で食料を確保しようとしています。たとえば、主食のインジェラに使うテフ(イネ科の穀物)の価格が高騰したために、安い砕米をテフに混ぜるという新しい方法が採用され始めています。
現地でのインタビューはアムハラ語で行っています。UAEやサウジアラビアでの調査でも、エチオピア人にアムハラ語で質問するとびっくりされるとともに、エチオピアに対する私のコミットメントが伝わるのか、調査にとても協力的になってくれました。
今後もさまざまなアプローチで、エチオピアの社会変化を追っていきたいと思います。
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30年近く前からエチオピアの農村で研究を続けてこられた児玉さん。現地語に習熟し、長期にわたって現地を見続けた児玉さんだからこそできる現地調査のお話に、地域研究の厚みを感じました。
(取材・構成:美濃羽亜希子、2025年9月3日)
(写真:青山由紀子)
村上 薫/地域研究センター 中東・南アジア研究グループ
入所以来、「トルコで女性として生きるとはどういうことか」というテーマに取り組んできました。これまではインタビュー調査に文献研究を組み合わせた手法を用いて、イスタンブールのなかで地方出身者が多い地区をおもなフィールドとしてきました。
特に注目してきたのは、「「名誉」という言葉を、女性がどう意味づけてきたか」という点です。日本の文脈でたとえると、「世間体」という言葉に似ています。男性優位のトルコ社会で、あるべき姿を規定されてきた女性が、「名誉」という言葉をいかに自身で解釈し、意味を変容させてきたのかということを、語りのなかに見出そうとしてきました。
たとえば、現代のトルコ女性は配偶者からの暴力に耐えることを当たり前だと思わなくなってきている。かつては「名誉に関わるから我慢するべき」とされてきたものが、「私を大切にしないなら、名誉を語る資格はない」といったふうに、意味が変わってきています。また、トルコはほとんどの人がムスリムですが、世俗主義の国でもあります。ですから、少し前まで学校など公の場ではヴェールの着用が制限されたのですが、ムスリム女性である「自分自身の「名誉」のために」と言ってヴェールを取らなかった女性に出会ったことがあります。女性を縛るはずだったこの言葉が、彼女たちの主体性を支える新しい側面を持ち始めている。この現象は大変興味深いものと捉えています。
「言葉の解釈と変容」というテーマを深堀りし、現在はトルコのフェミニズムを対象とした言説研究、特に「名誉殺人」と「フェミサイド」という言葉の使われ方に注目した論文を執筆しています。いずれもトルコ語で用いられていますが、フェミサイドだけでなく、現地語と思われた名誉殺人も、実は英語から翻訳されたうえ、逆輸入された概念ではないかと推測しています。この2つの言葉の選択をつうじて、暴力の犠牲者となる女性を、フェミニズム運動の活動家がどのように表象しているのかということについて、理解を深めようとしています。ここには欧米のフェミニズムに影響を受けつつも、トルコ特有の文脈を背景とした翻訳の問題が横たわっている。こうしたグローバル性とローカル性を行ったり来たりしながら、「トルコ・女性・言葉」について考え続けています。
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「こちらから決めつけて問題設定をせず、語り手の言葉を何よりも大事にしている」とお話していた村上さん。定量的に表せない問題に取り組んでいるからこそ、丁寧に、時間をかける粘り強さを感じました。
(写真:トルコのキュタヒヤ陶器。オスマン帝国の伝統的な唐草模様や花柄(チューリップ、カーネーションなど)が特徴。村上薫提供)
(取材・構成:平原友輔、2025年7月18日)
粒良 麻知子/新領域研究センター 法・ガバナンス研究グループ
いまメインで進めているのは、「サハラ以南アフリカにおける優位政党の大統領候補選考」という個人研究です。私はタンザニア政治を継続して研究しているのですが、タンザニアは独立してからずっと与党が変わらない「一党優位体制」の国なんですね。私が関心を寄せてきたのは、なぜ与党がそんなに選挙で勝ち続けられているのかということ。その鍵のひとつは与党内の大統領候補選びにあると考えていて、たとえば2015年総選挙では与党が派閥争いを統制して大統領候補を一本化したことで、政権を維持しました。そこからさらに視野を広げ、同じように一党優位体制が長いボツワナ、モザンビーク、ナミビア、南アフリカを加えた5カ国を比較研究しようというのがいまの個人研究です。
その後一党優位体制が崩れた国もありますが、基本的にこれらの国では大統領候補選びのルールが厳格に決められていて、異論を挟む余地がほとんどありません。タンザニアだと最初に5人を選び、3人、1人と3段階で絞り込んでいくという具合です。それが最善かどうかは別として、与党政権の持続性という意味では有効な仕組みだと考えています。
ところが欧米では、政権が変わらない国は民主主義が未熟だという考え方が根強いんですね。私はそうは思っていなくて、ずっと与党が交代していなくてもその国なりの民主主義というものがあると考えています。日本も与党政権が長く続いてきたので、アフリカの一党優位体制に共通点を感じるところもあります。欧米の研究者たちに新たな視点を提示したい――それがこの研究のモチベーションかもしれません。
そのほか、「出発選挙の包括的比較研究」というプロジェクトが本格化しています。東京大学の湯川拓先生が進めている科研費課題で、権威主義体制から民主主義に移行したあとの最初の選挙についての特徴を比較分析するものです。私はサハラ以南アフリカ全般を担当するので大変ですが、しっかり貢献していきたいと思います。
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アフリカの社会には2つの「予想外」があると明るく話す粒良さん。ひとつは日本とはまったく違うところ、もうひとつは日本とよく似ているところだそうです。予想外を前向きにとらえ、自らの研究に繋げていく逞しさを感じました。
(取材・構成:池上健慈、2025年7月25日)
(写真:青山由紀子)
青木(岡部)まき/地域研究センター 動向分析研究グループ
今月から『アジア動向年報』の責任者を務めることになりました。無事に引継ぎを終えたところです。『アジア動向年報』は各年版と10年ごとのバンドル版があるのですが、いまは1970年代のバンドル版に向けた解説の執筆期間で、私も「タイ」編の執筆を進めています。
私自身はそれと並行して、冷戦期にタイ国王が行った海外訪問を再検討する研究を始めています。これまでのタイ外交は、タイ国内の資料を除くとアメリカの外交文書を中心に位置づけられることがほとんどでした。そこで描かれるタイといえば、時局に応じてしなやかに立ち回る「竹の外交」とか、バランスを重視した「外交上手の国」といったイメージです。ところが2020年ごろから、そうしたタイ外交像に一石を投じる研究者たちが出てきました。私もその一人で、新たな仮説として『「竹の外交」から「多元的外交」へ』と題したレビューを発表しています。
国王の海外訪問については、米国以外の訪問先、たとえば日本や台湾、英国、オーストラリアなどのアーカイブ資料から紐解くことがポイントになります。近年、各国で公式文書の公開が進んできました。米国一辺倒だったこれまでの資料からいったん離れることで、これまでとは違った視座が得られると考えています。私は外交文書を読み込むのが好きで、それは書いた人の声が聞こえてくるからなんですね。一見すると無機質な文書にも、ところどころに憂いや怒りを含んだ本音が見え隠れする、私はそういう声をつぶさに拾い出して、これまでみえていなかったタイの外交像を描き直したいのです。これまでのところ、国王の海外訪問は国王自身や外務省、国軍などの思惑が錯綜しながら形作られ、アメリカ以外の訪問先に対するアメリカや国軍の影響は定説でいわれるほど強くなさそうだということがわかってきました。
タイという国は不思議なところがあって、国民レベルでも政治レベルでも、みんなそれぞれ違う方向で勝手にやっているのに、最後にはうまく帳尻が合って窮地を脱する、というような局面があります。それぞれのアクターは真剣そのものなのに、結果に至るまではとにかくまとまりがない。私はこれを「ばらばらモデル」と仮に呼んでいるのですが、この「真面目なまとまりのなさ」みたいなものが、タイをみていく上でひとつのヒントになりそうな気がしています。
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ASEAN研究を皮切りにタイに関心を寄せ、タイ外交のエキスパートとなった青木さん。最近では需要に応えて内政にも造詣を深めるあたり、タイにも通じる柔軟性を感じる一方、定説を覆したいという研究者の強い意志も垣間見えました。
(取材・構成:池上健慈、2025年7月17日)
(写真:青山由紀子)