IDEスクエア
インフレとエルドアン政権――トルコにおける政治と経済の相互作用
Inflation and the Erdogan Government: The Interplay of Politics and the Economy in Turkey
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001591
2025年12月
(2,276字)
図1 政策金利とインフレ率(2023年1月―2025年10月)(%)
(出所)トルコ中央銀行ウェブサイトのデータから筆者作成
インフレ収束期待の後退――三つの要因
トルコ中央銀行のファティヒ・カラハン総裁は2025年11月27日夜、同行初のYouTubeライブで政策説明を行い4、価格設定には予想インフレが大きな影響を与えると強調した。インフレ率低下には、国民が「本当に下がる」と信じられるかどうかが鍵を握る。しかし現在、トルコにおいて、インフレ率低下への信認が弱まりつつある。
図2 インフレ収束期待の後退(2023年1月―2025年11月)(%)
(出所)トルコ中央銀行ウェブサイトのデータから筆者作成
表1 インフレ予測値の上方修正
歳出削減の欠如――財政規律の弱さ
第二の要因は、インフレ抑制政策の柱の一つである歳出削減がほとんど進んでいないことである。表2のとおり、2025年1〜8月の歳出は前年同期比で42.8%増と、同期間のインフレ率(36.6%)を上回る伸びを示した。つまり、歳出は実質値でも増えている。
歳出増の最大要因は利払いだが、物品・サービス購入も49.3%増と、歳出全体の伸びをも上回った。本来抑制しやすい項目であるだけに、財政規律の弱さが際立つ。総需要の引き締め不足に加え、本気度への疑念を生んでいる。
象徴的なのは、公用車の取り扱いである。政府は歳出削減の一環として2025年前半に公用車の一部売却で50億リラを得たが、新規購入に1610億リラを支出したと8報じられた。売却額の30倍以上の支出であり、緊縮とは言いがたい。
表2 中央政府歳出実績(10億TL)
(出所)T.C. Cumhurbaşkanlığı Strateji ve Bütçe Başkanlığı, “2025 Yıllık Ekonomik Rapor”.
為替相場の下落――政治リスクの反映
第三の要因は、為替相場の下落である。通貨安は輸入物価を押し上げ、インフレ期待を高める。中央銀行はインフレ報告書で、予想インフレに影響する主因として為替変動を明記しており、為替安定へ強い関心を示している9。
IMFは2024年10月の国別報告書で、トルコの為替制度は名目上は変動相場制だが、実際には恒常的介入を伴うクローリングペッグであるとの見解を示した10。しかし、介入だけで長期安定を実現することは難しい。
図3は、最大野党・共和人民党(CHP)のイスタンブル広域市長イマモール氏が拘束(その後逮捕・勾留)された前後の為替相場である11。拘束(2025年3月19日)後にリラは急落し、中央銀行は総額約500億ドルの介入でなんとか下落を食い止めたが、相場は元の水準には戻らなかった。政治リスクが強く意識されたためである。
図3 イマモール拘束前後の為替相場(2024年9月1日―2025年11月12日)
(出所)トルコ中央銀行ウェブサイトのデータから筆者作成
リスクプレミアム――長期金利に表れる政治不確実性
為替には政治・経済リスクが直結する。こうしたリスクを反映するのが長期金利、特に新興国では10年国債利回りである12。10年国債利回りは財政状況、政治不確実性、外部リスクなどに敏感で、これらのリスクが高まると金利(利回り)も上昇する。すなわち、「リスクプレミアム」が発生する13。これは、企業の資金調達コストや住宅ローン金利を通じて実体経済に影響する14。
図4が示すように、CHP所属市長の拘束や同党市政への介入が起きるたびにリスクプレミアムが拡大し、10年国債利回りが上昇している15。現在のリラ相場は、経済のファンダメンタルズ以上に政治リスクによって下押しされていると言える。
中央銀行がドル買いを継続して介入原資を積み上げているのは16、こうした政治経済リスクへの備えでもある。しかし図5のとおり、10年利回りは過去15年で最も高い水準に達している。野党無力化を狙う政治的措置が、結果的に次期選挙前までにインフレを収束させるうえでの障害となっている。
インフレ抑制政策の“終点”―― 2026年以降の展望
この方針のままでは、インフレ抑制政策が続けられるのは2026年までと見られる。その後は、大統領選挙(2028年5月までに実施予定)の接近により、与党が景気刺激的なバラマキ政策を再開する可能性が高い。トルコでは任期満了前の繰り上げ選挙が一般的であり、次期大統領選が2027年秋に前倒しされる展開も十分あり得る。
また、2年以上続く金融引き締めで産業界の金利負担は限界に近づいている。与党系の企業団体も2025年7月に政策金利の3.5〜4ポイントの引き下げを「期待する」など17、利下げ圧力は強まっている。
コチ大学のデミラルプ教授らの推計では、現在のように財政規律が緩いままなら、インフレ率は2026年末時点で22%程度にしか下がらない18。野党抑圧が強まれば、予想インフレにはさらなる上昇圧力がかかるだろう。2026年以降にインフレ再燃を避ける道は、きわめて狭い。
写真の出典
- Lula Oficial(CC BY-SA 4.0)
著者プロフィール
間寧(はざまやすし) アジア経済研究所地域研究センター中東・南アジア研究グループ主任研究員。博士(政治学)。最近の著作に、The Dynamics of Dominance in Erdoğan’s Turkey: The Politics of Attraction, Edward Elgar, forthcoming; “Trading Economic for Security Performance: Shifting Voters’ Agenda During 2023 Turkish Elections.” Party Politics, co-authored with Ali Çarkoğlu, forthcoming; “Vote Choice and Performance Evaluations in Competitive Authoritarianism: Evidence from Turkey.” South European Society and Politics, co-authored with Ali Çarkoğlu et al., forthcoming;『エルドアンが変えたトルコ──長期政権の力学』作品社(2023年)、『トルコ』(シリーズ・中東政治研究の最前線1)(編著)ミネルヴァ書房(2019年)など。
注
- 政策金利を50%にまで引き上げたことでインフレがようやく下降に向かった。
- “TCMB’nin enflasyon tahminine ekonomistler ne dedi?” Ekonomim, 07 Kasım 2025. および注3参照。特に2025年末インフレ率を上方修正繰り返したのにもかかわらず、2026年末インフレ率を修正していないという矛盾点が批判の大きな対象となっている。2025年末に決定される2026年の最低賃金が2026年末予想インフレ率をもとに決められるため、(インフレ要因となる)賃上げを抑えたい政府が2026年末インフレ率を上方修正させなかったとの見方も強い。たとえばErdal Sağlam, “Yüzde 32’lik enflasyon 2026’da yarıya inemez,” Sözcü, 8 Kasım 2025.
- Şeyda Karaca, “TCMB yıl sonu enflasyon tahminini neden yükseltti? Perde arkasını Prof. Dr. Selva Demiralp anlattı,” Dünya Gazetesi, 27 Kasım 2025.
- その意図は、親政権メディアに接していない消費者にインフレ抑制政策を説明し、インフレ心理を弱めることが目的と考えられる。
- 産業部門は原材料価格を元に製品価格を決定するため、価格動向を正確に把握するとともにそれに大きな影響を与えるとされる。
- 統計局が公表するインフレ統計に対する信頼の欠如については以下を参照。間寧 「トルコの対インフレ政策──信頼性の不足」『IDEスクエア』2024年12月。
- コチ大学のデミラルプ教授らのグループは、2025年末のインフレ率を2024年11月時点で、32%と予想していた。これは2025年10月現在の年率インフレ率に一致する。Selva Demiralp, “2025’den beklentiler,” Dünya Gazetesi, 25 Aralık 2024.および注3の記事にリンクされているビデオ参照。
- Havva Gümüşkaya, “Kamuda tasarruf masalı: Satılanın 31 katı taşıt alımı yapıldı,” Birgün, 22 Temmuz 2025.
- Türkiye Cumhuriyet Merkez Bankası, “Enflasyon Raporu 2024-IV,” 8 Kasım 2024, s.62.
- International Monetary Fund, “Republic of Türkiye: 2024 Article IV Consultation—Press Release; Staff Report; and Statement by the Executive Director for the Republic of Türkiye,” October 11, 2024, p. 8.
- イスタンブル広域市長イマモール氏逮捕勾留については以下を参照。間寧「エルドアンとデモ──イスタンブル市長逮捕の衝撃」『IDEスクエア』2025年4月。
- International Monetary Fund, Global Financial Stability Report, April 2014: Moving from Liquidity- to Growth-Driven Markets, 2014.
- リスクプレミアム形成のメカニズムは以下のとおりである。たとえば有力野党市長の拘束などが起きると、市場参加者は政策の予測可能性の低下(政策決定が法令や慣行に従わず、恣意的になる可能性)、法の支配・独立機関の独立性が損なわれる兆候(司法や中央銀行への政治的圧力)、社会的不安や抗議など今後の事態の悪化リスク、与野党対立の激化で経済政策(財政・金融)が疎かになる恐れ、などを懸念する。事象は予期されていないショックであり、市場参加者は短期間にリスクを再評価する必要がある。特に外部投資家は現地の政治判断を読み切れないため「最悪ケース」を織り込んで行動する。そのため政治ショックが次の政策ショック(規制強化、制裁、資本規制)へ波及する懸念があると、先回り売りが起きやすい。その結果金利上昇が起きる。
- Ben S. Bernanke and Mark Gertler, “Inside the Black Box: The Credit Channel of Monetary Policy Transmission,” The Journal of Economic Perspectives 9(4), 1995.
- これらCHP所属市長をめぐる容疑はいずれも証人の供述のみに基づいており、容疑者を直接関連付ける物的証拠は提示されていないことが批判の対象となっている。
- Haluk Bürümcekçi, “IMF Türkiye’nin kur rejiminin adını koydu,” Oksijen, 28 Şubat 2025.
- Fatma Eda Topcu, Uğur Aslanhan, “MÜSİAD Genel Başkanı Özdemir: (Faiz indirimi) Temmuz ayında çok ciddi anlam ifade eden bir düşüş bekliyoruz,” Anadolu Ajansı, 4 Temmuz 2025
- 注7参照。
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