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カンボジア・タイ国境問題――カンボジアの影響と対応

Thailand-Cambodia Border Dispute: Cambodia’s Impact and Response

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001508

2025年9月

(6,107字)

高まるナショナリズムと非難の応酬

2025年5月28日、カンボジアのプレアヴィヒア州モムバイ地域のタイ国境で生じた軍事衝突は、翌月には陸路国境の全面的な封鎖に発展した。対話が不調に終わり緊張が高まるなか、7月24日以降に衝突が拡大し、両国で合計40人以上の死傷者が発生した。7月28日にマレーシアで行われた停戦合意の後、直接的な衝突は収まりつつあるが、両国ではナショナリズムの高揚と相手国への非難の応酬が続く。

カンボジアにとって、タイ国境をめぐる衝突は、国境線を挟んだ軍事的な対立であるにとどまらず、政治・経済・社会・対外関係といった多方面にわたって影響を及ぼしている。本稿では、カンボジア・タイ国境問題について、その経緯を振り返るとともに、カンボジア国内でどのような影響が生じ、どのような対応がとられてきたのかをまとめる。

*ターモアントム寺院の立地するエリアには、同じくターモアントーチ寺院も立地している

*ターモアントム寺院の立地するエリアには、同じくターモアントーチ寺院も立地している
(出所)Wikimediaのカンボジア地図をもとに筆者が加筆
国境問題の背景

タイとカンボジアは陸上で約800㎞にわたって国境を接するとともに、海上でも境界を共有している。カンボジアがフランスの支配下にあった20世紀初頭に作成された地図と当時のタイとの合意、さらに後年に作成された地図は、実効支配との間に食い違いが生じ、しばしば衝突を引き起こしてきた。その背後には、それぞれの国家のナショナリズムと国内政治、権益等がからんでいた(初鹿野2011)。

1960年代初頭および2008~2011年には、プレアヴィヒア寺院周辺の領有権をめぐって小競り合いや戦闘に発展した。1962年、国際司法裁判所(International Court of Justice: ICJ)はプレアヴィヒア寺院をカンボジア領とする判決を下し、独立したてのカンボジアにとっては、国際的な承認を得る貴重な経験となった。その後も、カンボジア政府は2008~2011年の対立時にはICJに1962年判決の内容の解釈請求を行い、2013年の判決でプレアヴィヒア寺院とその周辺地域がカンボジア領であることが認定されている。今回の対立においても、6月15日にカンボジア政府は国境地域の4地点(モムバイ地域、ターモアントム寺院、ターモアントーチ寺院、タークロバイ寺院)に関する領有権問題の解決をICJに要請する文書を提出した。一連の対立はいずれも、タイ東北部とカンボジアの北部の国境にあるダンレック山脈沿いで生じている。タイにとっても、カンボジアにとっても、国境線の画定は、ナショナリズムと直結する問題であり、両国ともそれぞれの正当性を主張してきた。タイの国の成り立ちと国境について議論してきた歴史学者のトンチャイ・ウィニッチャクンは「すべての地図は恣意的であり、『正しい』国境を画定することは不可能である」と述べている(Strangio 2025a)。

他方で、2000年代にはカンボジア・タイ国境で経済協力が進展してきた。アジア開発銀行の大メコン経済圏構想では、プノンペンを経由しタイ・バンコクとベトナム・ホーチミン市をつなぐルートが南部経済回廊として位置づけられ、カンボジア国内では国道1号線(プノンペン=バベット[ベトナム国境])および5号線(プノンペン=ポイペト[タイ国境])の整備を通して経済活動の活性化がはかられた。また、2003年には、タイ・ラオス・カンボジアの国境地域を「エメラルド・トライアングル」地域と定め、豊かな自然に着目した観光開発を推進する試みも存在した(Sok 2020)。2008~2011年に国境対立は一時再燃したものの、その後は再びメコン地域内のコネクティヴィティ改善が積極的に進められた。特に国道5号線は、タイとカンボジアの陸上貿易を支える重要なルートであり、日本も2014年以降、円借款により改修を支援してきた。2019 年4月には、手狭となった従来のポイペト国境に代わり、南側のストゥンボット国境に橋が完成し、2024年10月には通関設備も稼働を開始するなど、タイとの物流における5号線の役割は増していた。

今回の衝突の推移

2025年の国境衝突は、タイ湾沖のカンボジアとの合同資源開発をめぐり、前年に顕在化したタイ与野党間の対立に端を発している(青木[岡部]2025)。2025年になると、陸路国境地域での両国の兵士や市民団体による小競り合いが発生するようになったが、4月23~24日にはペートーンターン・タイ首相がカンボジアを公式訪問し多方面にわたる協力関係について合意し、さらに5月1日には軍事的な問題を話し合う一般国境委員会(General Border Committee: GBC)が開催されるなど、政府間では安定的な関係が保たれていた。

しかし、5月28日にモムバイ地域での衝突で死傷者が発生すると事態は急転した。直後に両国の首相や外相らによって事態の早期収拾に向けた話し合いがもたれ、6月14~15日には国境画定を話し合う場である合同国境委員会(Joint Border Commission: JBC)が開催されたものの、18日にフン・セン前首相/上院議長とペートーンターン・タイ首相との電話音声が流出してタイ国内で大きな問題となった事件を契機に両国の関係は急激に悪化した。6月23日にはすべての陸上国境が封鎖され、二国間の陸路物流は遮断された。7月になるとタイ兵が地雷で負傷する事件が相次いだことを受け、両国は大使を召還した。緊張が一層高まるなか、カンボジアの主張によるとターモアントム寺院、タークロバイ寺院、モムバイ地域を含む国境地域へのタイ軍の侵入を契機として、タイの主張によるとカンボジア側からの攻撃を契機として、7月24日以降は、民間人を含む多数の犠牲者が発生する事態にまで至った。

こうしたなか、トランプ大統領の仲介により、7月28日にASEAN議長国であるマレーシアで停戦交渉が行われた。アメリカ、中国の大使の同席のもと、アンワル・マレーシア首相、フン・マナエト・カンボジア首相、プムタム・タイ首相代行が会談し、停戦合意が成立した。その後も両国間では、停戦合意違反が起きているのではないか、カンボジア側が新しく地雷を埋設しているのではないかといった非難の応酬や、タイ側が拘束したカンボジア兵18人を帰還させない等の事態が続いているものの、7月末のような大規模な衝突は回避されており、話し合いによる解決の道が探られている。

今回の衝突の現場のひとつとなったターモアントム寺院。

今回の衝突の現場のひとつとなったターモアントム寺院。タイ語では「タームアントム」
に近い音で表されるが、「ムアン」はカンボジア語の「モアン(鶏)」に由来する
カンボジア国内の「団結」と国防強化の動き

カンボジアでは、国境画定における政府の姿勢がベトナム寄りであるという野党の批判により、ベトナム国境はたびたび国内の政治対立の一因となってきた。一方、タイ国境問題は、国内の特定の政治勢力との結びつきがみられないイシューである。ゆえに、国境での対立が顕著になった当初から、カンボジア国民の多くは政府の対応を概ね支持してきた1。カンボジアでは政府に批判的な意見を表明することが難しいという実情を考慮して捉えなければいけない数字ではあるが、アジアビジョン研究所(Asian Vision Institute: AVI)による世論調査(6月15日実施)では、93.6%が政府の対応に満足しており、99.8%がICJを通じた問題解決を支持している(AVI 2025)。

6~7月上旬は、国民の多くは過剰な「反タイ」の姿勢を見せることはなかったが、7月下旬になると環境が大きく変わった。筆者の知人たちのあいだでも、SNSの自分のプロフィール画像を「最初に攻撃したのはタイである」というフレームをつけたものに変更し、カンボジア政府の主張への支持を表明する投稿が相次いだ。さらに、停戦合意後はSNSでの情報をきっかけとし、カンボジア国内ではタイ製品の不買運動が本格化した。タイ石油公社(PTT)がタイ国内で軍に寄付を行っているという噂を受け、カンボジア国内の同社のガソリンスタンドは売上が激減した。カンボジア側のフランチャイジーはブランド名をPeace Petroleum Cambodiaへ変更することを発表した。また、タイ系のコンビニエンスストア「セブンイレブン」2、大手カフェチェーン「カフェ・アマゾン」なども休業や看板の付け替えを余儀なくされているという。カンボジア政府は、SNSでの誤情報を含むさまざまな情報への過剰な反応に対して注意を呼び掛けたが、いったん燃え上がった人びとの反発は簡単には収まらなかった。カンボジアの市場には、CPグループなどタイ企業による製品が多く流通してきたが、タイ製品ではなくカンボジア製品を購入しようという動きも広がっている(Lon 2025; Teng 2025)。

カンボジア政府は、このような状況下で、国防力を高めていくための制度づくりもあわせて実行にうつした。7月16日、フン・マナエト首相は、2026年1月から徴兵制を実施すると発表した。この法律は2006年に制定済みであったものの、施行されていなかった。徴兵の対象は18歳から30歳までのすべての男性(女性は任意)で、24カ月間の兵役義務を負うことになる3。また、7月11日には、国防上の理由により、外国の勢力と共謀して国を害そうとした者の国籍を剥奪できるよう、国籍剥奪や国外追放を禁じていた憲法33条の改正案が国民議会で可決され、8月25日には国籍法改正案が国民議会で可決された。ただし、このような法律は言論の自由に深刻な影響を与えうるものであるため、市民社会からは憂慮する声があがっている(LICADHO 2025)。

経済・社会への影響

カンボジア・タイ間のすべての陸上国境が封鎖されたことで、カンボジアにとって生活や生産に必要な物資の輸入が滞った。都市部では、生鮮食品・乳製品の入手が難しくなる時期もあったが、ベトナムや他国からの輸入品に代替されたことで、数週間後には事態は正常化した。より深刻なのは、タイの工場と分業を行う、いわゆる「タイプラス1」の戦略をとってきた企業のおかれた状況である。海路や空路あるいは他の国を経由して部品・原材料の調達を試みるものの、時間・費用の負担がかさむことから、事態の長期化はカンボジアでの生産活動を停滞させる。また観光業への影響も大きい。カンボジア最大の国際的観光地であるアンコールワットでは、2025年6月、7月の入場料収入が前年同月比で18~19%減少している4

なお、停戦調停の仲介に入ったトランプ大統領は、停戦合意の成立直後、交渉中であった関税率を36%から19%への引き下げを決定した。トランプ関税問題は、タイとの軍事衝突が起きる前から、2025年のカンボジア経済のもっとも大きな不安材料と考えられていたが、カンボジアの主要輸出品である衣料品・靴・旅行用品の最大の輸出先であるアメリカへの関税が引き下げられたことは、重要な決定であった5

国内避難民の発生とタイからの帰国労働者

国境衝突での直接的な影響を受けているのは、国境地域の住民とタイで働いていた労働者たちである。2025年8月初旬の時点で、プレアヴィヒア州、ウッドーミアンチェイ州、シアムリアプ州を中心に15万人以上が避難民となったとされている。また、学校も281校が閉鎖され、21の保健医療施設も閉鎖されている(UNICEF Cambodia 2025)。雨季で衛生的な環境を確保することも困難ななか、政府、国際機関、赤十字などが人々の生活や医療・保健へのサポートを行っている。大企業や都市部の住民らを中心とした一般市民たちからも、避難民の生活を支援するための寄付が積極的に行われた6。また、フン・マナエト首相が被害を受けた兵士・避難民らに対し債務の繰り延べなどの対応をとるように金融機関に要請を行ったところ、7月30日の国立銀行の指導もあり、各金融機関はこぞってこれに応じた(NBC 2025)。

タイにいる出稼ぎ労働者たちの帰国も相次いだ。6月の時点では数万人の帰国にとどまったが、7月下旬以降、彼らへのタイでの虐待報道が相次ぎ、カンボジア政府の呼びかけや家族からの心配の声を受けて、労働・職業訓練省によると8月末までに92万人が帰国したとされる(Visnu 2025)。労働・職業訓練省は各州での雇用情報を収集し、労働者の就業先を紹介する活動を展開している7。しかし、労働者のスキルや出身地と雇用先の間には大きな隔たりがあり、カンボジア開発資源研究所(Cambodia Development Resource Institute: CDRI)は70万人以上が仕事を得られない恐れがあると推定している(CDRI 2025)。一方、タイ政府はカンボジア人労働者がいなくなったことで生じた労働者不足を補うため、スリランカなど他国の労働者を受けいれ、国内のミャンマー人難民にも就労を認めるなど、対応に追われている(Strangio 2025b; 2025c)。

国境地域でのオンライン詐欺犯罪拠点の摘発

国境での対立が激しくなるなか、タイは、カンボジアが国境地域に多くの拠点を置くオンライン詐欺組織から利益を得ていると主張し、7月7日、カンボジアの国境の街であるポイペトでカジノホテルを経営するコク・アーン氏とその子息らに逮捕状を発行した。これに対して、カンボジアは、むしろタイ側こそが周辺国にこのような拠点を置く犯罪者たちのハブとなっていると非難した。

オンライン詐欺問題自体は数年前から存在しており、カンボジア・タイの両国とも、その対応に苦慮してきた。2025年4月の首脳会談でも、協力して対処することが確認されている。一方、この問題は国際的にも多くの被害者を生んでおり、大物実業家や政府の中枢の関与を示唆する報告書も発表されている(Sims 2025; Amnesty International 2025)。今回の国境地域での衝突を契機として、両国が互いを非難しあうなかで、この事案への注目も高まっていた。同問題への取り組みに対する批判を回避すべく、カンボジアはこれまで以上のペースで摘発を進めており、7月上旬だけで52カ所の摘発と2767人の逮捕が報じられている(Khmer Times 2025)。

「平和」を求める声

国境地域の衝突をめぐっては、両国とも互いの責任を訴え、非難の応酬が続いている。2023年にフン・セン前首相から首相職を受け継いだフン・マナエト政権は、前首相と協力して事態に対処しており、着々と国内での国防の強化と政権の基盤の強化に努めている。そして、ナショナリズムが過熱するなかで野党支持者も含め、多くの人びとが反タイで一致する姿勢を見せている。

一方、カンボジア経済・社会への影響は、国境地域の避難民の生活への影響、帰国労働者の雇用問題、物流の断絶による製造業への影響、観光業への影響など多岐にわたる。事態が長期化すれば、人々の生活にさらに悪影響を及ぼすことは必至であり、政治的な意図の有無にかかわらず、平和を求める声は小さくない。信頼の再構築には時間がかかるが、国境線の完全な画定が困難であっても、人々が安心して暮らせる状況を確保するための対話は不可能ではないはずである。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真と地図の出典
参考文献
著者プロフィール

初鹿野直美(はつかのなおみ) アジア経済研究所新領域研究センターグローバル研究グループ。カンボジア地域研究、国際協力、移民労働者。最近の著作に「復興からの経済成長」(小林知編著『カンボジアは変わったのか──「体制移行」の長期観察1993~2023』めこん、2024年)、「幻の高原都市開発と5万人移民計画──日本のカンボジア援助事始め」(松本悟、佐藤仁編著『国際協力と想像力──イメージと「現場」のせめぎ合い』日本評論社、2021年)など。


  1. 海外を拠点として活動しているサム・ランシー元救国党党首は、国境問題についてもフン・セン氏が権力保持のために動いているだけであると非難する(Matt Hunt氏によるインタビュー動画 “The Regime in Phnom Penh: Sam Rainsy - Thailand Cambodia Border Conflict”[2025年8月28日公開])。
  2. カンボジアのセブンイレブンは、タイのCPグループ傘下企業のCPオール・カンボジア社が展開しているため、カンボジアの人々は「タイのコンビニエンスストア」ととらえている。
  3. 2006年に制定された徴兵法では18カ月と規定していたことから、今後の法改正が必要となる見込みである。
  4. Angkor Enterpriseによるアンコールワット入場券を購入した外国人観光客についての統計を参照。
  5. 2025年7月7日、アメリカは4月に49%としていた関税を36%に引き下げていたが、カンボジアはさらなる引き下げを求めていた。フン・マナエト首相は、停戦合意の成立を受けて、トランプ米大統領をノーベル平和賞に推薦している。
  6. プノンペン都のFacebookアカウントでは、市民から現金12億6400万リエルおよび37万8000米ドル、食料品や医薬品などが届けられたことが紹介されている(2025年8月6日付)。
  7. 2025年8月15日付で14万2759人(農業1万192人、工業12万3221人、サービス業9346人)もの就業先の紹介リストが、首相のTelegramアカウントや労働・職業訓練省のFacebookアカウントで紹介されている。
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