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マルコス政権の『フィリピン開発計画2023-2028』

A Quick Review of Philippine Development Plan 2023-2028

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053701

2023年5月

(5,494字)

マルコス政権の青写真

2022年6月末に発足したフェルディナンド・“ボンボン”・マルコスJr.政権の『フィリピン開発計画2023-2028』が2023年初めに公表された。フィリピンでは新政権発足後、政権の姿勢を示す開発計画を国家経済開発庁(NEDA)主導で策定する。現行のような形になったのはNEDAが1973年に設置されて以降だが、それ以前も各政権はそれぞれ開発計画を作成してきた1。作成された計画案は大統領が議長を務めるNEDA理事会で承認されたのち、世間一般に公表される。通常、どの政権も発足後から約半年後の公表を目指すが、政権によっては調整や修正に手間取り、1年近くかかる場合もある。今回はアルセニオ・バリサカンNEDA長官が過去にも同職で計画策定に関わった経験から作業が迅速に進んだとみられ、2022年12月16日のNEDA理事会での承認を経て2023年初めに公表された。2023年1月27日にはマルコス大統領が同計画を正式に承認し、かつ各政府機関にその順守と執行を指示する行政命令第14号を発出した。

開発計画と称するため、なにか実効性のある政策およびプロジェクトとその工程表が具体的に提示されていることを想像する方が多いかもしれない。だが実際はそうではなく、新政権の青写真にすぎない。施政方針を詳しく記述したものと言ってもよいであろう。その『フィリピン開発計画2023-2028』は全体で437ページもあり、以下のように5部16章から構成される2

  • 第1部「まえがき」(序章)
  • 第2部「個人と家族の能力開発とその保護」(第2章~第4章)
  • 第3部「良質な雇用と競争力ある商品創出のための生産部門改革」(第5章~第10章)
  • 第4部「有効な環境整備」(第11章~第15章)
  • 第5部「計画の実施、モニタリング、評価」(第16章)

取り上げている分野は過去の政権の開発計画と同じで、マクロ経済、産業、教育・保健・雇用対策、インフラ整備、治安、司法、行政やガバナンスのあり方など広範囲である。そして、経済社会指標をはじめ、数値化される項目については、2028年の政権終了までに達成したい数値目標を各章末に具体的に示している。例えば、マクロ経済では経済成長率見込みを2023年は6.0%~7.0%、2024年以降は6.5%~8.0%とし、1人当たり国民総所得を2028年までに6000ドル以上にすること、そして貧困率を2028年までに9%台3にまで引き下げることなどである。やや強気の目標値を掲げることもあるが、国民やビジネス界に向けた政権の意思表示と受け取れる。また、各章末に整備すべき法案をリストアップするなど、議会に向けたメッセージにもなっている。

開発計画第2弾

マルコス政権の開発計画の特徴のひとつはその位置づけにあるといってよい。国民に共有された長期ビジョンに沿う形で作成されており、かつ昨今の国際情勢や環境変化に対応しようとする計画になっている。

フィリピンの政権は原則1期6年であることが憲法で定められているため、政策の継続性や長期計画の欠如が指摘されてきた。そうしたなか、長期ビジョンの作成がベニグノ・アキノⅢ政権下の2015年に進められ、『AmBisyon Natin 2040』4として2016年、ロドリゴ・ドゥテルテ政権によって承認された。この長期ビジョンは2040年までに上位中所得国入りを目指し、国民全員が「安定した、快適で、安心な」生活を享受し、かつ貧困者のいない社会にするという展望を描いたものである。この長期ビジョンの実現に近づくための取り組み第1弾がドゥテルテ前政権の開発計画で、今回のマルコス政権の開発計画はその第2弾と位置付けた。ちなみに、長期ビジョンの作成にバリサカンNEDA長官が当時も長官として関わっており、今回、同氏の再登用が長期ビジョンの共有に至ったことは想像に難くない。

マルコス政権の開発のシナリオはドゥテルテ前政権と同じである。マクロ経済の安定やインフラ整備、市場競争重視の徹底やガバナンスの向上などによって投資環境を改善し、投資と雇用の拡大を図りつつ、貧困削減と所得水準の向上を目指すとしている。ただし、フィリピンを取り巻く環境がこの6年間に大きく変わった。新型コロナウィルスによるパンデミックの経験、気候変動、そして昨今の国際情勢の変化に直面し、フィリピンの包摂的で強靭な繁栄のためには「経済と社会の変革」(第1章)が何よりも必要だという認識をマルコス政権は強く持つ。焦点は次の6つ——①デジタル化の促進、②サービス化の振興、③ダイナミックなイノベーション・エコシステムの形成、④連結性の強化、⑤中央と地方の協調、⑥民間との連携である。一見、それほど新鮮味がないように見えるかもしれないが、①と②を強調している点に、ドゥテルテ前政権とは違うマルコス政権のこだわりが垣間見える。①は、社会全体のデジタル化が進むなかで、とりわけ政府機関のデジタル化を促進し、迅速かつ適確な社会サービスの提供や労働市場における求人求職マッチング機能の効率化、行政手続きの簡素化を進めたい意向である。②は、フィリピンのサービス業に競争力があるという認識のもと、加速する製造業のサービス化の動きを自国の産業発展に取り込もうとする考えである。このように、マルコス政権の開発計画は国民が共有する長期ビジョンの実現に向けた第2弾としつつ、国際情勢や環境変化に対応する姿勢も示した。

ヒトに焦点

もうひとつの特徴は、ヒトに焦点を当てていること、すなわち人的資本開発を強調していることである。それは開発計画の章立てを見ても明らかで、序章に続く第2部で早々に取り上げている。保健や教育サービスの向上と職業教育・技能訓練などを通じた個人の能力開発(第2章)、脆弱な世帯や個人に対する支援と社会的保護の強化(第3章)、そして所得獲得能力の向上と就業機会の拡大(第4章)に取り組むとした。過去のいずれの政権も同じく人的資本開発の重要性を認識してきたが、開発計画の後半に記述されていた。それが今回、序章の次に取り上げたことでマルコス政権の関心の高さがうかがえる。

なかでも際立つのが第4章で所得獲得能力の向上と就業機会の拡大を強調した点にある。第2章で取り上げている個人の能力開発と重複する部分が多いため、これまではその延長線上で論じられていた項目をマルコス政権はあえて別立ての章にした。フィリピンでは教育レベルと職業のスキル・ミスマッチ、例えば大卒の高学歴者がその専門性に見合わない低技能職種に就くような例が顕在化しているうえ、コロナ禍の行動制限で教育や職業訓練の機会を失った若者の将来が懸念されている。さらに、デジタル化や自動化の進展による雇用情勢の変化への対応も考慮しなければならない。こうした現実をマルコス政権は認識し、対策を講じる決意を示したともいえよう。とはいえ、実際の取り組み内容は第2章と重複し、教育や職業訓練の強化による就業機会の拡大が論点であることに変わりない。ただし、職業訓練に携わる技術教育・技能開発庁(TESDA)や労働雇用政策を主管とする労働雇用省(DOLE)などの政府機関が雇用対策に積極的に関与していくこと、地方自治体にも求人求職情報の集約等に協力してもらうこと、さらには産業界や学界、労働団体、市民組織などが協働して雇用対策にあたることが強調され、社会全体で雇用対策に取り組む意向が明確に示された。マルコス大統領が就任後初めて行った施政方針演説(2022年7月25日)と、その直後に政権が打ち出した「社会経済アジェンダ8項目」においても人的資本開発と雇用創出が繰り返し強調されており、その姿勢が開発計画にそのまま反映された。

インフラ整備を重視

マルコス政権はドゥテルテ前政権と同じくインフラ整備を重視する。フィリピンのインフラ整備状況は東南アジアの近隣国に比べても劣り、それが海外直接投資の少なさの一因とされてきた。投資環境改善と「経済と社会の変革」のためにはインフラ整備が何よりも優先されるべきという認識をマルコス政権は強く持つ。ドゥテルテ前政権は「ビルド、ビルド、ビルド」(Build, Build, Build: BBB)というスローガンを掲げて取り組んできたが、マルコス政権は大統領自身の通称であるボンボン・マルコスの略語BBMをもじって「ビルド・ベター・モア」(Build Better More)と掲げた。そして、インフラ整備について論じた開発計画の第12章では前政権にならって4つの分野――①陸海空運輸の連結性5、②水資源、③エネルギー、④社会インフラ6をあげ、それぞれの方針を示した。ただし、インフラ整備案件の具体的なリストを明示しているわけではない。例えば、上記①の連結性に関しては、その強化のために交通運輸のマスタープランを作成する必要性を最初に指摘している。実は、ドゥテルテ前政権の開発計画では国家運輸政策の必要性が認識され、政権中に策定された。だが、それは政府の方針を示したものにすぎず、次なる段階としてマルコス政権は実効性のある具体的なマスタープランが必要だという判断に至ったと推察される。国家運輸政策の策定からマスタープランの作成へと政権をまたいだ取り組みになっており、こうした間にもインフラ整備はやや場当たり的に進められている。

インフラ整備において最大の懸案はその財源である。ドゥテルテ前政権は良好な財政状況もあって財政支出や政府開発援助(ODA)を頼りに自前でのインフラ整備にこだわってきたが、マルコス政権はやや方針転換し、官民連携(PPP)方式を積極的に活用していくことを明らかにした。コロナ禍で財政収支が悪化し、政府の債務残高が膨らんでいることが背景にある。とはいえ、マルコス政権の開発計画でもインフラ整備にかける財政支出のGDPに占める割合を引き続き5%~6%に維持することが明記されており、従来の財政支出とODAに頼りつつ、さらにPPPを加えることによってインフラ整備を加速させたい意向が示された。ただ、2023年3月に公表されたインフラ旗艦プロジェクト194件7のうち、ハイブリッド型8も含めてPPPでの実施を予定しているのは47件で、全体の約24%であった。政権発足当初からPPPの活用を主張していたわりには少ないイメージだが、上で述べたように具体的なマスタープランがないなかでの案件リストであるため、今後の展開次第ではさらに増える可能性もある。

産業は生産と市場の拡大を模索

産業ごとの取り組みについては、農林水産業(第5章)、鉱工業(第6章)、サービス業(第7章)の順に示されている。大枠は全産業を通じて同じであり、国内生産と市場の拡大を目指すというものである。また、それを官民のみならず社会全体で進めていくという。では、どのように生産と市場を拡大していくかという点については、デジタル化や新しい技術の活用による生産性の向上、バリューチェーン(価値連鎖)の強化や高度化、それに産業連携の拡大などが共通して示された。一方で、産業の事情を考慮したアプローチとして、農林漁業やアグリビジネスは近代化と市場へのアクセスの促進、鉱工業はバリューチェーンの拡大と高度化、そしてサービス業は創造性やイノベーションの強化による顧客価値の向上などが示された。とくに拡大が続き、範囲が広いサービス業では、科学技術やデジタル技術の活用によって生産性を高め、観光業やクリエイティブ産業における新たな市場と顧客開拓に関心が示された。

産業発展が最終的に雇用拡大と所得水準の向上をもたらし、さらには貧困削減にもつながることを目指しているが、そのためには投資環境の整備や必要とされる人材の育成が重要となる。他にも規制や制度の見直しと市場競争の促進、安定したマクロ経済環境、金融市場の拡大、行政の効率化や司法の強化など、多方面での取り組みが必要であることもマルコス政権は認識している(第8章~第15章)。

青写真で終わらせないために

フィリピンの開発計画は青写真であると冒頭で述べた。ただし、フィリピンを取り巻く政治経済情勢が変化し、見通しが変われば、開発計画は修正される。実際、ドゥテルテ前政権はコロナ禍で開発計画を修正した。目標値も変えることができ、政権に都合のよい柔軟な対応が可能である。さらに、フィリピンの大統領は憲法の規定上、原則1期6年で再選はない。開発計画の目標を達成できなくてもペナルティーがないうえ、政党政治が未熟なため、例えば大統領が所属する政党が次の選挙で大敗するという心配もない。計画どおりに経済社会開発が進まなかった場合、不利益を被るのは最終的に国民なのである。

政策遂行にあたり、フィリピンの課題は常に執行面にあると指摘されてきた。行政機関の執行能力の問題とそれに伴う意思決定の遅さや一貫性のなさ、政治介入や汚職問題など、要因を挙げればきりがない。予算や時間が限られているなか、青写真を青写真で終わらせないためには、マルコス政権がいかに様々な利害当事者すなわち足元の各行政機関をはじめ、地方自治体、議会、産業界、教育界、市民組織などの協力と連携を引き出せるかがカギとなろう。また、各当事者も政治的ないし個人的思惑に走りすぎることなく、常に国民ファーストで事に当たることが求められる。マルコス政権が描く「経済と社会の変革」の本番はこれからである。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

鈴木有理佳(すずきゆりか) アジア経済研究所開発研究センター企業・産業研究グループ長。専門はフィリピン経済。主な業績に『フィリピン 過渡期の人材育成──職業訓練は『仕事』と結びつくのか──』(共著)アジア経済研究所(2023年)、「第1章 経済概観」「第3章 食料品産業」「第4章 卸売・小売業と運輸・倉庫業」(柏原千英編『21世紀のフィリピン経済・政治・産業──最後の龍になれるか?──』アジ研選書No.52 アジア経済研究所(2019年)など。


  1. NEDAの前身である国家経済委員会(NEC)が各政権の計画作成に寄与していた。
  2. Philippine Development Plan 2023-2028参照。
  3. 2021年の調査時は貧困率が18.1%であった。
  4. AmBisyon Natin 2040参照。
  5. デジタルインフラも含む。
  6. 教育や医療施設、廃棄物管理などである。
  7. 実施に向けて最終承認されていない案件も含む。National Economic and Development Authority (NEDA), Infrastructure Flagship Project (IFPs) under the Build-Better-More Program, March 31, 2023参照。
  8. ODAもしくは一般歳出(GAA)とPPPを組み合わせた形となる。
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