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30年来の権力闘争に最終決着か?――2022年マレーシア総選挙
Will It Bring a Final Settlement to a Thirty-Year Power Struggle? General Elections in Malaysia 2022.
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053523
2022年11月
(5,585字)
多党乱立の下での総選挙
マレーシアの連邦議会が10月10日に解散した。これにともない、独立後15回目となる総選挙が11月19日に行われる。ここ数年、マレーシアでは連立政権の内紛が繰り返し生じていることから、今回の選挙が政権の安定性を回復することにつながるか注目されている。
解散前の連邦議会下院は、著しい多党乱立状態にあった(図1)。連立与党はおもに4つの政党連合からなり、深刻な内部対立を抱えていた。勢力の大きい2つ、すなわち国民戦線(BN)と国民同盟(PN)は、昨年来2度の州議会選挙で敵対しており、総選挙でも相争うことになった。希望連盟(PH)が最大勢力の野党側もまた、四分五裂の状況にある。今回の総選挙は、BNとPN、PHの三つ巴の戦いを軸に、他の勢力がどこと提携するかが焦点となっている。
極端な多党制の下で安定政権を築くのはむずかしい。前回2018年総選挙では初の政権交代が実現したが、その後2度首相が替わっている。多党乱立状態に陥ったのはなぜなのか。それは今回の総選挙によって改善されるのだろうか。本稿ではまず、多党化が進んだ経緯を振り返り、その起源がかつて与党連合の中核勢力だった統一マレー人国民組織(UMNO)の内部権力闘争にあることを示す。次に、選挙後に生まれる政権がどのようなものなら安定政権になるのかを検討する。
権力闘争に明け暮れた4年半
最初に、前回総選挙から今年10月の解散に至る流れを簡単に振り返っておこう。この4年半、マレーシアの政治家たちは権力闘争に明け暮れていた。
2018年5月に行われた第14回総選挙では、人民公正党(PKR)と民主行動党(DAP)、国家信託党(Amanah)、マレーシア統一プリブミ党(PPBM2)の4党からなるPHが下院の過半数を制し、初の政権交代が実現した。このとき新政権を率いたのは、1981年から22年にわたり首相を務めた経験をもつマハティール・モハマドPPBM会長だった。
ところが2020年2月、PPBMのムヒディン・ヤシン総裁とPKR反主流派のアズミン・アリらが共謀して連立の大幅な組み替えを企てる。野党のUMNOと汎マレーシア・イスラーム党(PAS)を連立与党に組み入れ、PHを放逐する「選挙なき政権交代」が実現し、ムヒディンが首相の座を得た。ムヒディンらの造反により退任を余儀なくされたマハティールは、後に党籍をも剥奪され、新たに祖国戦士党(Pejuang)を結成する。
新たな連立与党もまた著しく不安定だった。UMNO側には、同党を離脱した勢力が2016年に結成したPPBMに対する根強い反発があった。また、ムヒディン首相を支持する議員は下院の半数をわずかに上回る規模にすぎず、2~3名の議員が造反すれば政権が瓦解する状況にあった。ムヒディン首相は新型コロナウイルス感染症の蔓延を口実に非常事態宣言を布告し、議会を停止することで政権の延命を図ったものの、コロナ禍が収束し議会が再開されるとまもなくUMNO議員の造反によって辞任に追い込まれた。これを受けて、首相がUMNOのイスマイル・サブリ・ヤアコブに替わる一方、連立与党の枠組みは維持された。
首相が替わってもUMNOとPPBMの対立は続いた。UMNOは2021年3月の党総会において次期総選挙ではPPBMと共闘しないことをすでに決議しており、実際、2021年11月のマラッカ州議会選挙と2022年3月のジョホール州議会選挙では、UMNO率いるBNと、PPBM、PASなどからなるPNが相争うこととなった。いずれにおいてもBNが快勝したため、UMNOでは解散総選挙の早期実施を求める声が高まった。8月に背任などの有罪が確定したナジブ・ラザク元首相が収監されると、UMNOの解散要求は激しさを増した。
イスマイル・サブリ首相は早期解散には消極的だったが、首相は党内ではナンバー3の立場であり、アフマド・ザヒド・ハミディ総裁率いる党執行部からの圧力に抵抗するのはむずかしかった。9月に入るとPN側も選挙を見越してBNを敵視する姿勢を鮮明にし、10月5日にはPN所属閣僚が首相の頭越しに国王に書簡を送って議会解散に同意しないよう求めた。閣僚の造反によって政権の維持はますます困難になり、首相は解散を決めた。
UMNO内闘争の延長戦
前回選挙後に起きた政党の離合集散は、社会のなかの利害対立を反映したものではなく、政策をめぐる立場の違いから生じたものでもない。権力の獲得や維持、あるいは復権をめざす政治家たちの権力闘争がもたらした現象である。おもだった顔ぶれ、すなわちマハティールPejuang会長、アンワル・イブラヒムPKR総裁、ナジブ元首相、ムヒディンPPBM総裁、ザヒドUMNO総裁は、いずれも1990年代にUMNOの幹部ポストに就いていた。ここ数年で進行した多党化と頻繁な提携関係の組み替えには、UMNO内で繰り広げられてきた権力闘争の「延長戦」という側面がある。UMNOには総裁の任期制限など指導部の世代交代を促す仕組みがなく、現職総裁と後継者候補の対立が激化する傾向にあった。UMNO内闘争に敗れた者が新党を立ち上げ、この新党内の権力闘争に敗れた者がさらに別の政党を結成するというかたちで多党化が進んだのである。
図2は、1990年代以降にUMNOとPASから派生したおもな政党を示したものである。党名を四角で囲った政党はいずれも解散時に下院議席を有していた。名前に下線のある指導者は、1990年代にUMNO本部の幹部ポストに就いていた者たちである。彼らの間の権力闘争の発端は、1993年の党役員選挙であった3。
UMNOでは1980年代半ばに熾烈な権力闘争があり、現職のマハティール総裁に挑戦して敗れたラザレイ・ハムザらが離党した。その後まもなく台頭したのが、1991年に財務相となったアンワルら当時40代の新世代指導者である。1993年の党役員選挙でアンワルは副総裁選挙への出馬を表明し、ナジブ、ムヒディンらが彼を支持した。このときマハティールは現職のガファール・ババの続投を望んでいたが、地方支部の支持を集めたアンワルが勝利し、ナジブとムヒディンも副総裁補に選出された。この年アンワルは副首相に任命され、首相後継の最有力候補となった。
1997年にアジア通貨危機が起こると、マハティールとアンワルの対立が激化する5。マハティールの実子が経営する企業が政府による救済の対象となったことなどが縁故主義と見なされ党内の批判を招いており、アンワルはこれを煽るような発言を繰り返していた。当時青年部長だったザヒドは、アンワルの指示を受けて政府批判の急先鋒の役割を担った。アンワルはマハティールの報復を受けて1998年9月に解任・逮捕され、2004年まで収監された。ザヒドも逮捕され一時拘留されたが、後に党への恭順を示して復帰を許された。アンワル逮捕の翌年、支持者らは後にPKRとなる新党を結成する。
アンワルの失脚後にUMNOのナンバー2の座を得たのは、1993年の党役員選挙でガファールと組んで敗れたアブドラ・アフマド・バダウィであった。2003年のマハティール退任にともない、アブドラは首相、ナジブが副首相に就任した。アブドラはマハティールとの違いをアピールして政治的自由化に積極的な姿勢を示したが、中途半端な改革はかえって有権者の不満を招くこととなり、2008年総選挙での野党躍進を許した。このとき野党勢を指揮したのが、PKRの指導者となっていたアンワルだった。選挙後、UMNOではアブドラ下ろしの動きが活発化する。その急先鋒は、対シンガポール政策などをめぐってアブドラと対立したマハティールと、総裁選か副総裁選のどちらかに出馬すると宣言したムヒディンであった。アブドラは総裁選への出馬を断念し、2009年3月の党役員選挙でナジブが総裁、ムヒディンが副総裁に選出された。翌月、ナジブは首相、ムヒディンは副首相に就任する。
マハティールはアブドラからナジブへの後継をアシストしたが、2014年以降はナジブを厳しく批判する側に回った。その原因は、ナジブが設立したワン・マレーシア開発公社(1MDB)の乱脈経営問題である。マハティールがメディアを通じてナジブを批判したのに呼応して、閣内ではムヒディンが1MDB支援のための公的資金投入に疑義を呈するなどナジブを牽制しようと試みた。2015年7月に1MDBの子会社や取引先を通じて巨額の資金がナジブの個人口座に流れていたことが発覚すると、マハティールとムヒディンはこの問題を厳しく追及した。ムヒディンは同月のうちに副首相を解任され、ザヒドがその座を得た。翌年、離党したマハティールと除名処分を受けたムヒディンが組んでPPBMを結成する。「打倒ナジブ」という共通の目的を果たすため、マハティールはアンワルと和解し、PPBMがPHに加盟した。2018年選挙で彼らの目的は達成されたが、先に見たとおり、PH政権はムヒディンらの造反によって2年ももたずに瓦解した。
2010年代半ば以降に政党の離合集散が目立って激しくなった背景には、BNの「不敗神話」の崩壊がある。2013年選挙ではDAPとPKR、PASからなる人民連盟(PR)が得票率でBNを上回り、政権交代が現実味を帯びてきていた。そのことがマハティール、ムヒディンらの新党結成を後押ししたと考えられる。2018年選挙で実際にBNが敗れると、下院で抜きん出た勢力をもつ党派がなくなり、組み合わせ次第でいくつもの党の党首に首相になるチャンスが生じたため、合従連衡の動きは一段と激しさを増した。
政権安定化の条件
このように、それぞれ首相の座をめざしたアンワル、ナジブ、ムヒディンと、首相退任後も影響力を行使しようとするマハティールが、時の現職首相と対抗するために連携関係を組み替えていった結果、UMNOからいくつもの政党が派生した。近年の多党化は、マレー人エリート政治家どうしの権力闘争によって生じたものであり、社会の亀裂に根ざしたものではないことから、選挙で圧倒的な勝者が生まれれば敗れた政党は消滅する可能性が高い。そうなれば、敗れた党の党員は勝者の組織に吸収され、過度の多党制は是正されて政権の安定性が回復する。
では、今回の総選挙で圧倒的な勝者は生まれるだろうか。マラッカとジョホールの州議会選挙でBNが大勝したため、総選挙でもBNが優勢と見られている。かつてマハティールの懐刀として知られ、2018年の政権交代後には賢人会議の議長として新政権を支えたダイム・ザイヌディン元財務相は、今回の総選挙でPPBMとPejuangは消滅することになるとの見方を示した6。2020年にPPBMを主軸とする連立政権ができたのは彼らが政変の首謀者だったからであり、総選挙で連立の軸になれるほどの動員力があるようには見えない。
実際にBNが優勢だとしても、解散時の議席は42に過ぎず、単独で過半数ラインの112議席を超えるのは困難である。前回選挙後、かつてBNに加盟していたサバとサラワクの地方政党が離脱し、それぞれ独自の政党連合を組んでいることから、BNが単独で安定政権を樹立するのはむずかしくなった。
選挙後にBN主軸の連立政権ができるとしたら、どのような組み合わせの連立になるかによって政権の安定性が決まる。もっとも重要なポイントは、選挙で競合するか否かである。今回の選挙で戦った党とは次の選挙でも戦う可能性が高いため、必然的に連立は暫定的で凝集性を欠くものとなる。この点を踏まえて考えると、BNはサラワクには進出していないことから、BNとサラワク政党連合(GPS)のみの連立で過半数に達した場合には安定政権になる可能性が高いといえる。
また、サバではPPBMとUMNOがともに中央からの自立性を確保しており、PPBMが中心のサバ人民連合(GRS)とUMNO主体のBNが選挙協力を行うことになっている。したがって、選挙後にサバPPBMと党中央の関係がどうなるかという問題があるものの、BNとGPSにGRSを加えた連立も比較的凝集性の高いものになると予想される。
選挙後にPASが連立に加わる可能性もあるが、その場合、政権が安定するか否かは上記の3勢力だけで過半数を確保できるか否かに左右される。政権の安定性を確保する、あるいは憲法改正に必要な定数の3分の2を満たすためにPASを加えるなら問題ないが、PASを加えなければ過半数に達しないようだと政権不安定化のリスクを抱え込むことになる。
一方で、解散時の最大勢力は90議席をもっていたPHであり、選挙後にPHを軸とする政権ができる可能性もないとはいえない。2度の州議会選挙でPHは苦戦したが、これらの選挙では投票率が低かった。有権者の関心が高い国政選挙では投票率が高まり、これがPHに有利に働くと予想される。さらに、今回の総選挙では有権者年齢が21歳から18歳に引き下げられ、これまでの任意登録制から自動登録制に変更された結果、有権者数が前回総選挙の4割増しとなる見込みである。若者は野党を支持する傾向にあると言われており、制度改革が有利に働いてPHが善戦する可能性もある。
しかし、PHを軸とする連立政権になった場合、政権の安定性を確保するのはむずかしいだろう。2020年の政変後、何度も野党大連合の提案がなされたが、結局実現しなかった。UMNO出身指導者の間に根深い対立があるためである。選挙後、政権獲得のために一時的に連携することができたとしても、その後はまた対立するに違いない。アンワルやマハティールが野党の顔である限り、この問題は解決しない。
「本記事の続編は2023年1月に「論考」のコーナーに掲載されました。それにともない、本記事の副題の末尾にあった「(1)」を削除しました(2023年1月)。」
写真の出典
- マハティールPejuang会長 BPMI Setpres/Rusman, Government of Indonesia.(Public Domain)
- アンワルPKR総裁 United State Embassy of Kuala Lumpur.(Public Domain)
- ナジブ元首相 Prime Minister’s Office(GODL-India), cropped. (licensed under the Government Open Data License - India (GODL))
- ムヒディンPPBM総裁 Universiti Malaysia Sarawak Malaysia from Kuching, Malaysia, cropped.(CC BY 2.0)
著者プロフィール
中村正志(なかむらまさし) アジア経済研究所地域研究センター主任調査研究員。博士(法学)。専門は比較政治学、マレーシア現代政治。おもな著作に、『パワーシェアリング――多民族国家マレーシアの経験』東京大学出版会(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア――政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)など。
注
- 図1に記載の組織の正式名称と日本語訳は以下のとおり。BN(Barisan Nasional):国民戦線、UMNO(United Malays National Organisation):統一マレー人国民組織、MCA(Malaysian Chinese Association):マレーシア華人協会、MIC(Malaysian Indian Congress):マレーシア・インド人会議、PBRS(Parti Bersatu Rakyat Sabah):サバ人民統一党、PN(Perikatan Nasional):国民同盟、PPBM(Parti Pribumi Bersatu Malaysia):マレーシア統一プリブミ党、PAS(Parti Islam Se-Malaysia):汎マレーシア・イスラーム党、GRS(Gabungan Rakyat Sabah):サバ人民連合、PBS(Parti Bersatu Sabah):サバ統一党、STAR(Parti Solidariti Tanah Airku):祖国団結党、GPS(Gabungan Parti Sarawak):サラワク政党連合、PBB(Parti Pesaka Bumiputera Bersatu):統一ブミプトラ伝統党、PRS(Parti Rakyat Sarawak):サラワク人民党、PDP(Progressive Democratic Party):進歩民主党、SUPP(Sarawak United People’s Party):サラワク統一人民党、PBM(Parti Bangsa Malaysia):マレーシア民族党、PH(Pakatan Harapan):希望連盟、DAP(Democratic Action Party):民主行動党、PKR(Parti Keadilan Rakyat):人民公正党、Amanah(Parti Amanah Negara):国家信託党、UPKO(United Progressive Kinabalu Organisation):統一進歩キナバル組織、GTA(Gerakan Tanah Air):祖国運動、Pejuang(Parti Pejuang Tanah Air):祖国戦士党、Putra(Parti Bumiputera Perkasa Malaysia):マレーシア勇敢なブミプトラ党、Warisan(Parti Warisan Sabah):サバ伝統党、PSB(Parti Sarawak Bersatu):統一サラワク党、Muda(Malaysian United Democratic Alliance):マレーシア統一民主連盟。
- 現在マレーシアのメディアでは、マレーシア統一プリブミ党をBersatuという略称で呼ぶのが一般的になっている。しかし2018年5月の政権交代以前には、PribumiやPPBMを略称として用いるメディアが多かった。当時の結社登録局が、Bersatuという語を含む党が他にも存在することを理由に、マレーシア統一プリブミ党がこれを略称として用いることを禁じたためである。こうした経緯により、日本のメディアではPPBMが同党の略称として定着しているため、本稿でもBersatuではなくPPBMと記述する。
- 1993年のUMNO役員選挙については次の文献を参照されたい。木村陸男「若手指導者世代『新マレー人』の台頭:1993年のマレーシア」アジア経済研究所編『アジア動向年報1994年版』1994年、321-350ページ。
- 図2に記載の組織の正式名称と日本語訳については上記の注1参照。
- 通貨危機時のマハティールとアンワルの対立については以下の拙稿を参照されたい。中村正志「副首相解任により政府批判が高揚:1998年のマレーシア」アジア経済研究所編『アジア動向年報1999年版』1999年、315-342ページ。
- “Daim's crystal ball shows stronger PAS in GE15, Bersatu, Pejuang 'finished',” Malaysiakini, July 11, 2022.
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