IDEスクエア
ドキュメント「マレーシア2020年2月政変」
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051599
2020年3月
(11,150字)
1.政局の節目となった出来事
2月23日の日曜日に始まったマレーシアの政変は、3月1日のムヒディン・ヤシン首相就任でひとまず決着した。2月25日に公開した前回記事(「マハティール首相辞任で流動化するマレーシアの政治情勢」)で示した3つのありうる帰結、すなわち造反勢力の勝利、希望連盟の政権奪回、解散総選挙のうち、最初のシナリオに落ち着くかたちとなった。しかし、1週間に及んだ政変劇のなかで形勢は二転三転しており、異なる帰結になってもおかしくなかった。勝負の決め手となったのは、マハティール首相と希望連盟の間に存在した、政権のあり方に関する志向の違いと根深い相互不信である。
このレポートでは、現地報道に依拠して今回の政変の展開を叙述する1。多くの読者にとって情報過多で冗長な読み物になるかもしれないが、資料として残すという意味合いも込めて、出来事をあまり端折らずに記述したい。
今回の政変は、2月23日に希望連盟の造反勢力が野党とともに連立の組み替えを国王に申し立てた後、マハティール首相の辞任(24日)、希望連盟勢力の連邦議会下院における過半数割れ(同)、国王による全議員からの意見聴取(25日・26日)、過半数の支持を得た議員の不在による議会特別開催の提案(27日)、下院議長判断による特別開催見送りと国王による各党党首からの意見聴取の意向表明(28日)、国王と各党党首の面会、国王によるムヒディン首相任命(29日)の順で展開した。節目となったこれらの出来事を振り返り、それぞれの時点で誰が誰を支持していたのかを確認していく。
以下ではまず、2月23日から26日にかけて、主要各党がいったんマハティール支持を表明したあと、いっせいにそれを取り下げて政局が混迷の極みに達するまでの展開を跡づける。次いで、27日以降、ムヒディンを首相候補とすることで新連立政権結成をめざす勢力が再び結集し、議会内の多数派勢力であることを国王に認めさせるまでの過程を整理する。最後に全体を振り返り、希望連盟政権が空中分解した原因は、マハティール首相とアンワル・イブラヒム人民公正党(PKR)総裁の二者関係を超えた、より構造的な問題にあったと考えられることを指摘する。
なお、政党間の関係性と2月23日までの流れについては前回記事で整理して示した。そちらもあわせてご覧いただきたい。
2.造反が始まり混沌とする政治情勢(2月23日~26日)
2月23日夕方 5党1派の代表が国王に連立組み替えを提案
政争の起点となったのは、与党のマレーシア統一プリブミ党(PPBM)とPKR反主流派、サバ伝統党(ワリサン)が、野党の統一マレー人国民組織(UMNO)、汎マレーシア・イスラーム党(PAS)、サラワク政党連合2(GPS)と組んで行った、国王に対する連立政権組み替えの申し立てである。これら5党1派に所属する下院議員はあわせて130人ほどにのぼり、定数222の過半数を大きく上回る。この時点でかれらが首相に推薦していたのは、現職のマハティールだった。
一部の報道によれば、この日王宮を訪れたのは、野党側は各党の党首、すなわちUMNOのザヒド・ハミディ総裁、PASのハディ・アワン総裁、GPSのアバン・ジョハリ・オペン会長、与党側はワリサンのシャフィ・アプダル総裁とPPBMナンバー2のムヒディン総裁、PKR反主流派を率いるアズミン・アリ党副総裁であった3。つまりPPBMのムヒディンのほかは、みな各党派のトップである。
前回記事で紹介したとおり、政界再編に向けた動きがあることは2月初めに暴露されており、与党連合の希望連盟の一部と野党連合の国民戦線などからなる「国民連盟」政権ができるのではないかと噂になっていた。ゆえにこの日の朝から午後にかけて上記の各党が一斉に緊急幹部会を開くと、アンワル・イブラヒム率いるPKR主流派とリム・グアンエン財務相らが所属する民主行動党(DAP)を排除した新たな連立政権ができるとの観測がマスコミ報道やSNSを通じて急速に広まった。
5党1派代表の王宮訪問に並行して、所属議員ら130人あまりが首都近郊のホテルに集結していた。この動きを見たPKRのアンワル総裁は、「われわれはショックを受けている。(自身への権力禅譲の)約束に対する裏切りだ」と述べたうえで、「(政権の)交代はまもなく、おそらく明日には行われるだろう」との見通しを示し、早くも自らの敗北を認めた。
ところがこの日、マハティールが勝利宣言を行うことはなかった。5党1派の代表が訪れた王宮にも、所属議員が集まったホテルにも、マハティールは姿を見せなかった。UMNOのアヌアル・ムサ幹事長は、新連立政権ができるかどうかはマハティールと国王次第だと述べ4、アズミンPKR副総裁もまた、マハティールと国王には時間が必要だと述べた5。
2月24日13時 マハティール首相、国王に辞表を提出
翌24日朝、マハティールは5党1派の代表と会うのではなく、希望連盟の代表と会談した。マハティールの私邸に姿を見せたのは、アンワルPKR総裁、ワン・アジザ副首相(PKR顧問)、リム・グアンエン財務相(DAP書記長)、モハマド・サブ国防相(国家信託党[アマナ]総裁)である。
この日の午後にアンワルは、マハティールは政権転覆計画には加担しておらず、その名が利用されただけだということが午前中の会談でわかったと語った。のちにPPBM青年部長のサイド・サディクやマハティール自身が明らかにしたところによれば、23日朝に開かれたPPBM最高評議会の緊急会合において、マハティールはUMNOとの共闘に反対した。ところが、幹部の過半数はムヒディンの方針を支持した。党が自分に従わなくなったため、マハティールは首相を辞任せざるを得なかったのだという6。その座にとどまれば、自身の意に反して、造反組の頭として担ぎ出されてしまうからである。
24日午後1時、マハティール首相は国王に辞表を提出した。
2月24日14時過ぎ 希望連盟からPPBMとPKR反主流派が離脱し過半数割れ
マハティールの辞表提出からまもなく、ムヒディンがPPBMの希望連盟からの離脱を発表した。その後すぐにアズミンが、自身のほか計11人の議員のPKR離党を発表する。希望連盟に残った3党(PKR,DAP,アマナ)の議員は92人、ワリサンほか友党の議員を加えても102人しかおらず、議会に過半数勢力が存在しない状況に陥った。
ムヒディンによるPPBMの希望連盟離脱の発表から1時間も経たないうちに、マハティールは同党の会長を辞任すると発表し、造反組と距離をとった。
2月24日夕方 国王がマハティールを新首相が決まるまでの暫定首相に任命
この日の夕方、マハティールは国王に謁見し、辞任を認められて内閣総辞職となった。それと同時にマハティールは、国王が新たな首相を任命するまでのあいだ行政を司る暫定首相に任命された。憲法には暫定首相に関する規定はないことから、翌日以降、その正統性を疑問視する声が相次いだ。これが後に国王が判断を急ぐ一因となった可能性がある。
マハティールの辞意表明の後、希望連盟3党からはマハティールを支持する声があがった。前述のようにアンワルがマハティールは造反に加担していないと認め、辞意撤回を求めたと語ったほか、アマナのモハマド・サブ総裁もマハティールを後押しすると述べ、DAP所属議員42人は全員がマハティールを支持する宣誓供述書に署名した7。造反を起こしたPPBMは、夜になってマハティール抜きで緊急幹部会議を開き、マハティールの会長辞任を認めないことを決議した。造反に加担したと見られるワリサンのシャフィ・アプダル総裁もまた、この日のうちにマハティール支持を表明している。一方、野党側のUMNOとPAS、GPSは、マハティール辞任による情勢の変化にどう対応するかについて、この日は方針を明かさなかった。
2月25日 国王がUMNO、PASなどの議員と面会して誰を首相に推すかを聴取
首相が辞任したため、国王には新首相を任命する責務が生じたが、過半数勢力が消失したことによってその作業は難航した。
マレーシアの憲法は、「国王は自己の判断において、下院議員の過半数の信任を得そうな議員を、内閣を主宰する首相に任命する」[43条(2)(a)]と定めている。国王は判断材料を得るため、2日間のうちに全下院議員と面会して事情を聴取すると25日の午後1時に発表し、同日午後2時半から夕方にかけて、まずUMNOやPAS、GPSなどの議員と会った。
一方マハティール暫定首相は、自らの下に個々の議員を糾合して超党派の「統一政府」を形成しようともくろみ、この日の朝から各党の代表と会談した。ところがこの提案は、その日のうちにPASとUMNOの指導者から拒絶されてしまった。国王と議員の面会が終わったあと、UMNOとPASの幹事長は合同で記者会見を開き、マハティールに対する支持を取り下げて解散総選挙を要求すると発表した。
この記者会見でUMNOのアヌアル幹事長は、UMNOとPASはノン・マレー、ノン・ムスリムが主体のDAPを外した連立政権形成を条件にマハティールを支持したのであって、統一政府案はこの条件に反すると主張した。一方PASのタキユディン・ハッサン幹事長は、「国民連盟」にかわり新たに「国民同盟(Perikatan Nasional)」と名付けられた5党1派の連立政権がもう少しで実現するところだったが、マハティールが首相を辞任したために計画が頓挫してしまったと語った 8。
他方、サラワクのGPSは、同党が23日に示したマハティールに対する支持は現在も維持されているとの声明をこの日の夕方に発表した。
2月26日 国王が希望連盟などの議員と面会して誰を首相に推すかを聴取
翌26日、国王は朝から希望連盟3党やPPBM、無所属となったアズミン一派などの議員と面会し、次期首相に誰を推薦するかを聴取した。希望連盟は前夜に総裁会議を開き、誰を首相に推すかについて合意したが、その場では合意内容を公表しなかった。
26日に国王に謁見したPPBMとアズミン一派は、どちらもマハティールを首相に推薦するという立場を表明した。一方、希望連盟については、全員一致でアンワルを首相に推薦したとの報道が午後に入って出回り始めた。
この日の夕方にマハティールは、23日に政争が始まって以来はじめてテレビ演説を行い、政治的混乱を招いたことを国民に謝罪したうえで、UMNOが参加する政府は受け入れられないので辞任するしかなかったと述べた。また、許されるならば超党派の政府を形成したいという意向を明らかにした。
マハティール暫定首相のテレビ演説後まもなく、今度は希望連盟が記者会見を開く。そこでアンワルPKR総裁は、希望連盟議員が国王に対して自分を首相に推薦したことを公表した。その理由は、希望連盟政権復活に向けた前夜の総裁会議に出席するようマハティールに要請したが、マハティールがこれを拒んだため、というものであった。新政権を形成するに足る数を持っているのかと問われたアンワルは、「そうでなければ我々はここにいない」と答えたものの、詳しい説明は避けた9。この夜遅く、DAP長老のリム・キッシャンは、超党派の統一政府ではマハティールは誰にも説明責任を負わないし、希望連盟政権崩壊をもたらした張本人たちが重要閣僚になりかねないので受け入れられないと語った。
こうしてマハティールに対する各党の態度は、誰もが彼を支持していた24日の状況からわずか2日で激変した。26日夜の時点では、マハティールを首相に推す議員は、PPBMとアズミン一派、ワリサン、GPSの計64人に過ぎなかった。アンワルと一部の希望連盟議員が多数派工作の成功を匂わす発言をしていたものの、表向きには誰も過半数の支持を取れない混沌とした状況に陥っていた。
3.ムヒディンを軸に造反組と野党が再結集(2月27日~29日)
2月27日 過半数議員の支持を得た者なし、3月2日に議会で評決と暫定首相が発表
全議員からの意見聴取の結果は、すぐには公表されなかった。誰もがそれを待っていた27日の朝、PPBMのムヒディン総裁を首相に推す動きがにわかに表面化した。PASのトゥアン・イブラヒム副総裁が、同党とUMNOの全議員がムヒディンを首相に推薦する宣誓供述書に署名したと述べたというニュースが流れたのである。
この報道によれば、マハティールの辞任後にPASとUMNOはムヒディンを支持する宣誓供述書に署名したが、もし誰も過半数を取れていなければ解散を提案すると、トゥアン・イブラヒムが語ったという10。そのとおりであれば、国王による意見聴取の際、両党の議員はムヒディンを推薦したということになる。この直後、PASとUMNOの幹事長がそれぞれSNSを通じてこの報道の内容を否定し、トゥアン・イブラヒムも再度コメントして両党はすでに解散総選挙を求めることに決めていると発言を改めたが、この決定の前にムヒディンを推薦したことは否定しなかった11。
さらにこの日の午後、ジョホール州で一足先に「選挙なき政権交代」が実現した。PPBMの希望連盟離脱を受けて、ジョホールのスルタンが州議会議員56人のうち54人から意見を聴取し、PPBMとPAS、UMNOなどからなる新連合が過半数に達したと判断したのである。ジョホール州首相のサハルディン・ジャマル(PPBM所属)は、同州出身のムヒディン総裁と協議してUMNOとの連立を決めたと述べている。ムヒディンを軸にしたPPBMとUMNO、PASの共闘態勢が、他に先駆けて彼の地元の州政府で構築されたのだった。翌28日にはUMNOのハスニ・モハマドが州首相に就任している。
ジョホール州での政権交代のニュースが報道された頃、マハティールはムヒディンと会談し、PPBMの首相候補を誰にするか協議していた。その結果は、この日の夕方に暫定首相として行った景気刺激策発表後の記者会見で明らかにされた。
この記者会見でマハティールは、まず国王による全議員からの意見聴取では過半数の支持を得た者はいなかったことを明らかにし、3月2日に連邦議会を特別開催して誰が多数派の支持を得るかを決めるという方針を示した。また、議会の場でも過半数の支持を得るものが現れない場合、解散総選挙を行うとした。自身とPPBMの立場については、党がムヒディンを首相候補に選ぶならそれでも構わないと述べる一方、自分が個々の議員を集めた超党派の統一政府の形成をめざしているのに対し、ムヒディンはUMNOを丸ごと受け入れるつもりだと語り、彼我の差を強調した。マハティールは、ムヒディンがPPBMの首相候補となる可能性を認めつつ、同時に自身が続投する意欲を示したのである。
しかし、党の実質的な指揮権はマハティールの手には戻らなかった。この日の午後、マハティールは3日前の党最高評議会の要請に応えてPPBM会長に復帰する意向を示したが、夕方には最高評議会委員のリズアン・ユソフが、党はムヒディンを100パーセント支持していると語った。
かたや希望連盟は、この日の夜に緊急総裁会議を開催し、マハティール暫定首相による議会特別開催の要請は国王の首相任命権の侵害にあたると非難する声明を発表した。かれらはまだ、アンワルが過半数議員の支持を得たと考えているかのようだった。
2月28日13時 下院議長が3月2日の特別開催は行わないと発表
28日の朝、PPBMの首相候補を決めるための会議が始まった。その後、無所属となったアズミン一派がこの会議に合流する。この会議は昼過ぎに終わったが、結果はすぐには公表されなかった。
午後1時に連邦議会において、モハマド・アリフ下院議長が3月2日の特別開催は行わないと発表した。その理由として議長は、マハティール暫定首相から届いた特別開催を求める書簡が議院運営規則に定められた要件を満たしていないことをあげた。また議長は、特別開催は新首相の選び方に関する国王の布告が出た後でないと実施できないとの考えを示した。この発表に先立ち、議長は国王に謁見していた。
モハマド・アリフ下院議長は控訴院の判事を務めた経験を持つ法律家で、議員ではない。下院議長就任にあたり所属していたアマナを離党している。
2月28日16時 国王の代理人、各党党首から誰を首相に推薦するか聴取すると発表
モハマド・アリフ下院議長は前述の声明を出した後、再び国王に謁見した。その後、国王が代理人を通じ、過半数の支持を得るのは誰か依然として判断がつかないため、下院議員が所属する政党の党首から誰を首相に推薦するかを聴取すると発表した。全議員からの聴取では過半数を得る者が現れず、議会特別開催の提案も潰えたため、次善の策として各党党首からの聴取をもとに首相を決定することにしたのであろう。これならば関係者が少ないので多数派を確定しやすい。
国王の提案が発表されたすぐ後に、PPBMのマルズキ幹事長が、同党は国王に対してムヒディン総裁を推薦すると発表した。その際、PPBMの議員は36人とされた。無所属だったアズミン一派の10人がPPBMに入党したのである。
その約1時間後、UMNOとPASの幹事長が、両党に所属する57議員はムヒディンを支持するとの共同声明を発表した。この動きに、国民戦線に加盟するマレーシア華人協会(MCA)とマレーシア・インド人会議(MIC)が続き、サバ人民統一党(PBRS)もムヒディン支持を表明した。これにより、ムヒディンを支持する議員の数は97人となり、18議席を持つサラワクのGPSが加わりさえすれば過半数に達する状況になった。この時点でムヒディンが優位に立ったことは、誰の目にも明らかであった。
キングメーカーとなったGPSは、3月1日に会議を開いて誰を首相に推薦するかを決めると発表しており、この日のうちには態度を明らかにしなかった。
2月29日 国王が各党党首と面会のうえ、ムヒディンを首相に任命
28日に発表された各党党首と国王との面会は、翌29日の午前10時半から行われることになっていた。その前に、マハティールと希望連盟指導者が動いた。夜のうちにマハティールとアンワルが会談し、国民同盟政権の発足を阻むために協力することで合意したのである12。希望連盟側からの接触を受け、怒れるマハティールを取りなして会談につなげたのは娘のマリナ・マハティールであった13。29日の朝、国王と各党党首の会談が始まる前に、マハティールが過半数議員の支持を得たと宣言したというニュースが流れた。
午前10時過ぎ、ムヒディンPPBM総裁らの車列が王宮に入った。このなかに、前日にPPBMに入党したアズミンのほか、ザヒドUMNO総裁、ハディPAS総裁、さらにはファディラ・ユソフGPS院内総務の姿があった。GPSもムヒディンを首相に推薦したのだとしたら、この時点でムヒディンが過半数の支持を確保したことになる。王宮を出る際、PASのタキユディン幹事長は「我々は明日また(王宮に)戻ってくる」と記者団に言い残した。ムヒディンの首相就任式のために再び王宮に来るという意味である。
後にGPS幹部が明らかにしたところによれば、GPS所属議員は前夜にオンライン会議を実施し、ムヒディンを支持することで合意した。前述のとおり、GPSは3月1日に会議を開いて誰を支持するか決める予定だったが、国王が29日に意見聴取を行うことを望んだため、急遽夜半にオンラインで協議することになったのである。その結論を、29日朝にファディラ院内総務を通じて国王に伝えた。したがって、この時点で実質的にムヒディンの勝利が確定していた14。
ムヒディンらが去った後、今度は希望連盟3党の代表が王宮に向かった。その後アンワルが国王に対してマハティールを首相に推薦したことを明らかしに、サバのワリサンもマハティール支持を表明した。また、PPBMのマルズキ幹事長がマハティールの会長復帰を認める一幕もあった15。この時点でGPSの立場は公になっておらず、希望連盟の復権が近づいているようにも見えた。
ところが午後5時、ムヒディンが首相に任命されたと国王の代理人が発表した。「各党を代表する指導者と無所属議員の意見を得て、下院の過半数の信頼を得るのはムヒディンだと国王が判断した」とのことであった。国王は、前日に公表した方法にしたがって意思決定したのである。
この知らせがあった後もマハティールと希望連盟指導者は多数派工作を続け、その晩のうちに過半数の支持を取りつけたと主張して支持者のリストを公開した16。マハティールはこのリストをもって自らが過半数議員の支持を得ていると国王に訴えるつもりであったが、国王はマハティールとの面会を拒んだ17。一度下された結論がくつがえることはなく、3月1日の朝にムヒディンが第8代首相に就任した。
4. 希望連盟政権はなぜ瓦解したのか
ここまで、1週間にわたった政変劇をひと通り振り返ってきた。では、いったいなぜ、希望連盟政権は瓦解してしまったのか。
流れを決めたポイントは2つある。ひとつは、ムヒディンら造反の首謀者の行動である。かれらはマハティールの同意を得ぬまま連立組み替え工作を実行し、マハティールの首相辞任によって計画が頓挫しかかると、彼を切り捨てて新政権の実現を追求した。DAPやPKRよりUMNO、PASとの連携を選ぶという造反組の意志は固かった。
もうひとつは、国王にアンワルを首相候補として推薦した希望連盟議員の行動である。かれらはムヒディンらの造反を奇貨としてアンワルの首相就任を実現しようと試み、マハティールの統一政府案を突っぱねた。26日の時点で過半数の支持が得られなくとも、最有力候補になっておけば多数派工作が成功すると踏んだのだろう。この選択が裏目に出てムヒディンに支持が集まると、希望連盟は再びマハティールと手を組んだが後の祭りであった。
こうしてみると、2008年から協力を続けてきたPKR、DAP、アマナの3党と、UMNOの内部分裂を経て2017年に新たに希望連盟に加わったPPBMの間には、与党になった後も深い亀裂があったことがわかる。希望連盟内の対立というと、筆者自身を含めて首相後継をめぐるマハティールとアンワルの個人的な軋轢に注目しがちであったが、PPBMと他の3党の間の亀裂はマハティールとアンワルの二者関係を超えた構造的なものだった。今回の政変の原因を首相後継問題の解決の遅れに求める説もあるが、仮にマハティールが当初の約束どおり今年5月に退任すると宣言していたとしても、それだけでムヒディンらの造反が防げたとは思えない。
前回記事でも述べたが、元の希望連盟3党とPPBMは、打倒ナジブ、汚職一掃を共通の目的として提携し、このアジェンダが有権者に支持されて政権交代を果たした。しかし自分たちが与党になると、政治改革というアジェンダは思うように機能しなくなってしまった。ライバルであるUMNOの腐敗を非難することはすでに倒された過去の政権を批判することであり、時間が経つにつれ、いつまでナジブ政権批判を続けるのかという有権者の不満の声があがるようになった。他方、与党化した希望連盟に対して、それまで共闘してきた市民社会組織などが、制度改革の不備や遅れに対する批判を浴びせるようにもなった。
その結果、時間の経過とともに希望連盟が政治改革というアジェンダに言及する機会は減り、この争点の重みは低下した。これによって与野党間の政策志向の差異が曖昧になる一方、希望連盟の内部において、民族的利害が絡む教育政策などをめぐってPPBMと他の3党の志向の違い顕わになる場面が出てきた。
共通の目標を見失ったPPBMと他の3党との間では、民族政策の差異に加えて、政権のあり方に関する志向の違いが際立っていた。
危うさをはらむ希望連盟政権を安定させるため、マハティールは政権交代直後から、UMNOを切り崩して議員を自党に加入させようと試みてきた。PPBMとUMNOは権力闘争によって分裂しただけで、政策志向は近い。UMNOからPPBMへの大規模な鞍替えが起きれば、UMNOの弱体化と連立与党の巨大化の相乗効果によって政権は安定する。これに対して他の3党は、政治改革と民族にこだわらない社会経済政策を掲げて支持を得てきたことから、この方針を曖昧にしかねない元UMNO議員の合流を嫌った。政権の安定を求めるPPBMが過大連合を志向したのに対し、妥協なき政策実施を追求する3党は最小勝利連合を志向したのである。
同時にこの志向の違いは、各党の党利党略にもとづくものでもあった。元UMNO議員のPPBMへの合流は連立与党内での同党の影響力を強くする一方、他党の力を削ぐ。ゆえにPPBMの動きを他の3党は強く警戒した。この利害対立と相互不信は、今回の政変においても、統一政府を追求するマハティールとそれを拒否する3党というかたちで顕在化した。このとき3党が統一政府案に乗っていれば、権力を失わずに済んだはずだった。
3党の思惑がどうあれ、UMNOを切り崩そうというマハティールらの試みは、今回の政変のずっと前に行き詰まっていた。2019年に入り補欠選挙で野党が連戦連勝し、一時は死に体に見えたUMNOが息を吹き返したからである。政権交代から時間が経つにつれ、希望連盟に対する支持率は低下の一途をたどり、なかでもマレー人の離反が顕著であることが各種世論調査から明らかになっていた。希望連盟のなかでマレー人が多い選挙区を受けもつPPBMにとって、この傾向は深刻な脅威となっていたはずだ。これではUMNOを切り崩すどころか、次の総選挙で自分たちが惨敗しかねない。こうした懸念が、ムヒディンらが3党と別れてUMNO、PASと結託する動機になったに違いない。その意味では、補欠選挙と世論調査に表れた民意が希望連盟政権の瓦解を後押ししたともいえる。切り崩されたのはUMNOではなく希望連盟の方であった。
こうして希望連盟政権は潰えたが、新たに生まれた国民同盟政権も不安定な状況にある。ムヒディン首相にとって目下の脅威は、希望連盟の反撃ではない。新政権は巻き返しに成功しており、「議会で不信任決議をしてもうまくいかない」とマハティール自身が認めている18。マハティールとの争いにおいて、ムヒディンのウィークポイントは議会ではなく党にある。マハティールはいまもPPBMに所属しており、自分が会長だと主張しているからだ。ムヒディンはこれを認めず、2月24日にマハティールが会長を辞任したために自身が会長代行になったと述べているが、いずれにせよ来月にはPPBMの中央執行部選挙が予定されている。党内選挙でムヒディンとマハティールの対決が実現するかもしれない。
さらにムヒディンは、手を組んだはずのUMNOからも揺さぶられている。ムヒディンは3月9日に組閣したが、その陣容に対してUMNOからの不満が噴出しているのである。いまになって再び解散総選挙を求める声が出ているほどだ。
2月政変はひとまずムヒディンらの勝利に終わったものの、新政権の行く手にはいくつもの困難が待ち受けている。マレーシアの政治情勢はまだ落ち着いたとは言いがたい状況にある。
写真の出典
- US Embassy KL, Bahasa Melayu: TSMY, Menteri Dalam Negeri(Public Domain).
著者プロフィール
中村正志(なかむらまさし) アジア経済研究所地域研究センター東南アジアI研究グループ長。博士(法学)。専門は比較政治学、マレーシア現代政治。おもな著作に、『パワーシェアリング――多民族国家マレーシアの経験』東京大学出版会(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア――政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)など。
注
- 本稿における出来事の記述は、以下の各紙による報道にもとづく。Malaysiakini, Malaysian Insight, The Star, Malay Mail, New Straits Times, Bernama, Sinar Harian, Harakahdaily. 広く各紙に掲載された情報については、ひとつひとつ出典を示すことはしない。あまり出回らなかった情報については注でソースを記載する。
- GPSは、統一ブミプトラ伝統党(PBB)とサラワク人民党(PRS)、進歩民主党(PDP)、サラワク統一人民党(SUPP)の4党からなる政党連合だが、ここでは1党としてカウントする。ムヒディン首相就任後の2月29日の夜、SUPP所属議員のリチャード・リオットがPKRに鞍替えしたと希望連盟側が発表したが、翌日には本人がそれを否定する動画が出回った("Richard Riot denies joining PKR, video goes viral," New Straits Times, March 1, 2020)。
- "Consensus dinner ends, MPs begin leaving Sheraton PJ," The Star, February 23, 2020. 注4に記載の記事にも同様の記述がある。
- "New coalition: Anwar in emergency meeting, Azmin vows to continue reform agenda," Malaysiakini, February 23, 2020.
- "Azmin reveals Agong needs time, worries delay will scuttle new coalition," Malaysiakini, February 24, 2020.
- "Syed Saddiq: Don't blame Dr M, traitors misused his name," Malaysiakini, March 5, 2020.
- "Bersatu rejects Dr M's resignation," Malaysiakini, February 24, 2020.
- "From stillborn Perikatan Nasional to GE15 call - How BN, PAS U-turned in three days," Malaysiakini, February 25, 2020.
- "Leave it to the discretion of the King, says Anwar," New Straits Times, February 26, 2020.
- "Tuan Ibrahim: All PAS, Umno MPs signed SD for Muhyiddin to be PM," The Star, February 27, 2020.
- "Tuan Ibrahim: Call for Parliamentary dissolution overwrote SD support for Muhyiddin," The Star, February 27, 2020.
- "How Dr M and Anwar struck deal to thwart return of the 'corrupt'," Malaysiakini, February 29, 2020.
- "Midnight breakthrough for new Pakatan govt," The Malaysian Insight, February 29, 2020.
- "GPS backing Muhyiddin, MP confirms," The Malaysian Insight, February 29, 2020.
- マルズキ幹事長は、最初はムヒディンに付き、一時はマハティールに付いたが、ムヒディンが首相に任命されるとすぐにムヒディン側に戻った。
- 下記の記事にリストへのリンクが貼られている。"Dr M publishes list of 115 MPs, hopes Agong will accept," Malaysiakini, March 1, 2020.
- "King won't see me, 'GE14 losers' will form gov't - Mahathir," Malaysiakini, March 1, 2020.
- "Kerajaan Muhyiddin mampu bertahan sehingga PRU15: Tun M," Sinar Harian, March 11, 2020.
この著者の記事
- 2023.01.11 (水曜) [IDEスクエア] 論考:「改革派」と「泥棒政治家」の奇妙な連立――2022年マレーシア総選挙
- 2022.11.07 (月曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)30年来の権力闘争に最終決着か?――2022年マレーシア総選挙
- 2021.09.09 (木曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)首相交代でマレーシアの連立政権は安定するか?
- 2020.03.13 (金曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)ドキュメント「マレーシア2020年2月政変」
- 2020.02.25 (火曜) [IDEスクエア] (世界を見る眼)マハティール首相辞任で流動化するマレーシアの政治情勢