IDEスクエア
首相交代でマレーシアの連立政権は安定するか?
Does the change of Prime Minister bring stability to the coalition government in Malaysia?
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052817
2021年9月
(8,182字)
首相は交代、連立与党の構成は変わらず
2021年8月16日、マレーシアでムヒディン・ヤシン第8代首相が率いる内閣が総辞職した。原因は与党陣営の内部対立である。連立与党の一端を担う統一マレー人国民組織(UMNO)の議員11人が8月3日に首相不信任を表明したことにより、ムヒディン首相を支持する議員の数が過半数を割ったことが明白になっていた。ムヒディンは政権維持の道を模索したが、野党からの協力取りつけに失敗して退陣を余儀なくされた。
内閣総辞職を受けて、アブドラ・アフマド・シャー国王が下院議員に対して誰を首相に推挙するかを通知するよう命じた。その結果、ムヒディン政権で副首相を務めていたUMNOのイスマイル・サブリ・ヤアコブが定数222(欠員2)のうち114議員の支持を集め、20日に第9代首相に任命された(翌日就任)。イスマイル・サブリを支持したのはムヒディン政権のときと同じ政党であり、連立与党の構成に変わりはない。27日に発表された新内閣の陣容も前内閣との連続性が高く、32人の大臣のうち新顔は5人に過ぎない。野党から「リサイクル内閣」と揶揄されるほどである。
つまり首相は交代したものの、内閣の顔ぶれは変化に乏しく、連立与党の規模は依然として数人が離反すれば過半数を割り込む水準に留まっている。ムヒディン政権は何度も過半数割れの危機に瀕した脆弱な政権だったが、新首相のもとで連立政権は安定性を確保できるのだろうか。以下では首相交代に至った経緯を振り返り、前内閣を不安定化させた2つの要因、すなわちUMNOとマレーシア統一プリブミ党(PPBM1)の選挙協力をめぐる争いと、アフマド・ザヒド・ハミディUMNO総裁らの裁判への対応という難題が手つかずのまま新政権に引き継がれていることを指摘する。
極端な多党連立政権
退陣前のムヒディン政権、ならびに新たに誕生したイスマイル・サブリ政権は、14党からなる連立政権である2。このうち、ムヒディンが総裁を務めるPPBMと汎マレーシア・イスラーム党(PAS)など5党が国民同盟(PN)という名の政党連合を組み、UMNOほか4党は国民戦線(BN)、統一ブミプトラ伝統党(PBB)ほか4党はサラワク政党連合(GPS)として共闘している。マレーシアは多民族国家であり、またマレー半島部とボルネオ島のサバ、サラワクでは歴史的背景が異なることなどから、長らく多数の政党が併存する状況が続いてきた。かつてはUMNOを中心とするBNに多くの政党が集まり巨大な与党連合を構成していたため、実質的にはBNの一党優位制であったが、2018年の政権交代後は状況が一変した。BNを離脱する政党が相次ぐなど政党間関係が流動化して多党乱立の様相を呈しており、これが政権不安定化の構造的要因になっている3。
PPBMは、ナジブ・ラザク首相(当時)を批判してUMNOから除名されたムヒディンらが、同じくナジブ批判の急先鋒だったマハティール・モハマド元首相とともに2016年に結成した政党である。翌年、PPBMは野党連合の希望連盟(PH)に加わり、2018年総選挙に勝利してマハティールが15年ぶりに首相の座に就いた。ところが2020年2月、ムヒディンは人民公正党(PKR)反主流派のアズミン・アリらとともに謀反を企て、UMNOとPAS、GPSなどと結託してPHから政権与党の座を奪った4。ムヒディン政権はこの政変から生まれた。
ムヒディンは、自身が率いる連立政権を国民同盟(PN)政権と名づけた。彼はまた、連立与党をひとつの政党連合に束ねようと試み、一時は各党の合意を取りつけることに成功した5。しかし、まもなくPPBMとUMNOとの対立が表面化してUMNOが政党連合としてのPNに加盟することを拒否し、結局PNはこの時点での連立与党12党のうちの3党と下院議席をもたない1党による政党連合として2020年8月に発足した6。
選挙協力をめぐるUMNOの反発
今回の首相交代の原因となったUMNOとPPBMとの対立は、ムヒディン政権の発足直後に始まった。まず組閣の時点で、連立与党内の最大党派であるにもかかわらず閣僚ポストの割り当てが少ないとUMNOから不満の声があがった。
次いで問題となったのは、次期総選挙に向けての選挙区配分である。マレーシアの選挙は中央・地方を問わず小選挙区制の下で行われるため、連立を総選挙後も続けるつもりなら、相打ちを避けるために与党間で候補者を一本化する必要がある。BNやPHなどの政党連合は、候補者一本化に合意した政党からなる組織であり、各党の候補は連合の候補として選挙に出馬する。逆にいえば、同じ政党連合に属していない党は次の選挙で競争相手となる可能性が高い。選挙で敵対する政党どうしが一時的な利害の一致を背景に連立を組んでも、政権の長期的な安定は望めない。ゆえにムヒディンは、すべての与党をPNというひとつの政党連合の下に束ねて連立政権を安定させようと試みた。
しかし、この試みはUMNOの反対に遭い、失敗に終わった。トップの思惑から連立に至ったものの、UMNOから見ればPPBMは裏切り者の集団であり、党内には共闘への根強い反発がある。とくに地方組織では、PPBMによるUMNO党員の引き抜き工作が問題視されていた。
次期総選挙に向けた選挙区配分についてUMNOは、ムヒディン政権発足の翌月にモハマド・ハサン副総裁が「UMNOはすべての伝統的選挙区に候補を立てねばならない」と述べるなど、早くから強気の姿勢を示した7。8月には党最高評議会が、PPBMの下院議員31人の選挙区のうち25区においてBNが候補を立てるという、PPBMには到底受け入れることのできない計画を決議している8。その後もUMNOは、2018年選挙の後にUMNOからPPBMに移籍した13議員の選挙区は譲らないと繰り返し主張するなど強硬姿勢を貫いた。実質的な配分交渉に応じぬまま、2021年2月に党最高評議会が次期総選挙ではPPBMとは共闘しないとムヒディン首相に通告するに至った9。
UMNO幹部訴追の影響
UMNOのザヒド総裁らが一度は手を組んだムヒディン首相と対立し、不信任を突きつけて退任に追い込むに至った背景には、選挙区配分のほかに、ザヒド自身やナジブ元首相らUMNO幹部が権力濫用や背任、マネーロンダリングの罪で起訴され被告となっているという問題がある。ムヒディンは辞任表明の会見において、首相で居続けるために楽な道を選ぶこともできたがそうはしなかったと述べた後、「泥棒政治家と共謀したり、司法機関に干渉したり、ただ権力を維持するために憲法に背いたりすることは一切ない」と語り、司直の手を逃れたいUMNO幹部から圧力があったことをほのめかした。ザヒドらにとっては、これこそがムヒディンに手を貸してPHからPNへの「選挙なき政権交代」を実現する最大の動機であったに違いない。
たしかにムヒディンは、ナジブやザヒドを無罪放免にすることはなかった。PPBMはナジブらの汚職を批判した元UMNO政治家の政党であるため、この問題で妥協すれば存在理由を失う。当然、有権者の信任を失うことにもなろう。しかし、ナジブ、ザヒドらの期待に背いたことにより、ムヒディンは報復を受けることになった。昨年7月、ナジブに有罪判決が下った日にザヒドは、この判決を受けて党は重要な政治的決定を下すことになると宣言し10、その2日後に政党連合としてのPNには加盟しないことを決めたのである。この決定がナジブ有罪判決と関係があるかと問われたザヒドは、「メディアの解釈しだいだ」と応じ、判決を受けての対応であることを匂わせた11。
コロナ禍ゆえに寿命が延びたムヒディン政権
さらにザヒドらは、野党指導者のアンワル・イブラヒムPKR総裁による多数派工作に協力する動きを見せた。ムヒディン政権誕生の2カ月後に開かれた議会で、PPBM内のマハティール派議員が野党席に座ったために与党議員は過半数ぎりぎりの114人となり、この時点ですでにいつ政権が瓦解してもおかしくない状況になっていた12。アンワルは9月23日に突如記者会見を開き、過半数議員の支持を得たので近く国王に謁見するつもりだと発表する。ザヒドはこれに呼応し、「多くのUMNO議員がアンワル支持を表明したと聞いている。これら議員の立場を尊重する」との声明を発した13。10月13日にはアンワルが国王に謁見し、同じ日にUMNO本体と青年部等の幹部で構成する政治局が、連立離脱も視野に入れてムヒディン政権に対する協力条件の見直しを要求すると決定した。
この動きを見たムヒディンは、UMNO議員の離反によって議会で予算案を否決され退任を余儀なくされることをおそれ、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を理由に非常事態宣言を発令するよう国王に進言した。非常事態宣言が出れば、議会を休止し勅令を通じて行政を執行することが可能になるからである。だが国王がこれを拒否したため、かえって政権の先行き不透明感が増した。BNが対応を協議するため所属議員の緊急会合を開くと、その場でナジブ元首相が公然とアンワル支持を呼びかけた。ナジブの提案に賛同する議員が少なかったことなどから、結局ザヒドは現状維持を選ぶ。11月末から翌月にかけて行われた予算案の採決ではUMNO議員もこれを支持し、同案は可決された。
ところが年が明けると、今度はUMNOの地方組織がPPBMとの共闘への反対を表明した。クランタン州の党組織代表を務める議員らが首相不支持を表明したことにより、ムヒディン支持が現員数の過半数に満たない蓋然性が高くなった。平時であれば、首相が続投を望むなら議会を解散して選挙で信を問うしかない。だがこのときは、10月時点よりもコロナ禍が数段深刻さを増しており、選挙を実施すれば感染拡大を引き起こすのは必至の状況であった。2021年1月12日にムヒディンが全土を対象とする非常事態宣言を再び国王に進言すると、国王はこれを受け入れた。非常事態宣言の期間は8月1日までと定められた。
ムヒディンは非常事態宣言にあたり、宣言期間中は選挙を一切行わず、議会も国王が必要と認めるまで休止すると述べた。UMNO側は首相とPPBMへの対決姿勢を強め、3月に開いた党年次総会において、次期総選挙ではPPBMとは選挙協力を行わないこと、ならびに連立離脱のタイミングの決定権を党最高評議会に委ねることを決議した。とはいえ非常事態宣言の下では、UMNOから選ばれた閣僚が一斉に辞任でもしない限り、倒閣を実現するのはむずかしい。司直の手から逃れたいという願望が透けて見える党幹部には、政権を担う閣僚を辞任させるほどの影響力はなかった。ザヒド総裁ら党幹部がムヒディン政権への批判を強めるにつれ、むしろUMNOの内部において、党執行部と閣僚・議員との軋轢が深まっていった。
非常事態宣言解除で首相退陣へ
非常事態宣言は、ムヒディン政権の延命には寄与したものの、コロナ対策としては目立った効果がなかった。ロックダウンなど市民や企業の自由を制限する措置は非常事態宣言がなくても実施できており、非常事態宣言下でしかなしえない大胆な対策が新たに講じられるということはなかった。1日の新規感染者数は、非常事態宣言が発出された1月12日には3309人だったが、その後も増え続け、宣言が解除された8月1日には1万7150人になっていた。一方で、不透明な財政支出が危惧されるなど、非常事態宣言によって議会が行政を監視する機能を果たせなくなったことへの懸念が広がった14。
政権延命のための措置でしかなかった非常事態宣言を終わらせたのは、アブドラ国王と各州のスルタンであった。6月9日に国王は与野党各党の党首と面談して非常事態宣言に関する意見を聴取するとともに、同月16日に各州スルタンらで構成される統治者会議の特別会合を開催すると発表した。これに先立ち、ハムザ・ザイヌディン内相が議会は集団免疫ができるまで再開できないと発言するなど、政府は非常事態宣言を延長したい意向をにじませていた。6月15日には首相が、コロナ対策の見通しをまとめた国家回復計画を発表した際、議会の再開は9月か10月になる見込みだと述べた。その翌日、統治者会議に集った各州スルタンが非常事態宣言の延長は不要と主張する共同声明を発表し、国王はできる限り速やかに議会を再開することを望むとの声明を出した。機先を制して延長に反対する意思を表明した国王と各州スルタンに政府は逆らうことができず、非常事態宣言は当初の予定どおり8月1日に解除されることに決まった。
立憲政治が適切に行われることを望む国王は、その後も要所要所でイニシアティブを発揮した。それが結果的に、ムヒディン政権を追い詰めることになる。
まず国王は、非常事態宣言下で施行された勅令について、宣言解除の前に議会の審議に付すことを望んだ。首相の意を汲んだ両院議長が議会再開を8月末以降に遅らせようとすると、国王は彼らと面会して翻意させた。議会は7月26日に再開されたが、今度は政府の裏切りにより、国王が望んだ非常事態勅令の審議は実施されなかった。議会再開初日に法務担当のタキユディン・ハッサン首相府相が、勅令は21日付で廃棄済みであり審議の必要はないと述べたのである。国王は24日にタキユディンらとオンライン会談をもち、勅令廃棄案を議会に上程して審議に付すことで合意しており、勅令がすでに廃棄済みならば、このときタキユディンらは国王を騙していたことになる。国王はこうした経緯を公表したうえで、タキユディンらの行為に対する「深い失望」を表明した。
ムヒディン政権が国王を欺いたことがわかると、与野党双方から批判が噴出した。冒頭で見たとおり、8月3日にはUMNOの議員11人が首相不支持を表明し、ムヒディン支持の過半数割れが明白になった。それでもムヒディンは、翌4日の国王との閣議前面談において、自身が過半数議員の支持を維持していると強弁しつつ、9月に議会で信任投票を実施することを約した。時間稼ぎを図ったムヒディンに対し、UMNO側は改めて所属議員13人が署名した首相不信任の宣誓書を公開し、この時点で首相支持が過半数を割っていることを強調した。すると国王は、下院議長に対して首相を支持する議員の数を確認するよう要請し、ムヒディンに対しては信任投票を前倒しするよう求めた。ここに及んでムヒディンは過半数割れを認めざるを得なくなり、政治制度改革の実施を条件に野党に協力を求めた。だが野党に協力を拒まれ、ついに退陣を余儀なくされた。
代わり映えのない新内閣の顔ぶれ
ムヒディンは、退任会見の直後には再登板への意欲を示したものの、野党議員がアンワル支持で一致するなか、UMNO議員の支持を固めたイスマイル・サブリのサポートに回った。
新首相のイスマイル・サブリは、7月7日にムヒディンから副首相に任命されたばかりであった。UMNOでは総裁、副総裁に次ぐ役職である副総裁補を務めている。ムヒディン政権発足の際に国防相に登用され、4人の上級相のうちの1人に選ばれた。コロナ禍の下で移動制限実施の指揮を執るなど、閣内では重責を担い、ザヒド率いる党の執行部がムヒディン不信任を表明した後も政権を支え続けた。ムヒディンにとっては、UMNO内ではもっとも信頼できる人物であるに違いない。
新内閣では、ムヒディン政権発足時と同様に副首相を任命せず、4人の上級相を置いた。4人の顔ぶれは首相交代前とまったく同じである。経済政策を担う財務相、経済担当首相府相、国際貿易産業相、国内取引消費者問題相も留任、警察を統括し政党やメディアに影響力をもつ内相もPPBMのハムザが留任となった。首相は交代したものの、新内閣は前内閣との連続性が非常に高い。
一方で、組閣前に噂されたムヒディンの内閣顧問15としての任用や、アズミン・アリの副首相任命はなかった。また組閣前には、GPSが第2副首相のポストを新設して同党議員を登用することやサバ、サラワクの議員を村落開発相に任命することを求め、UMNO青年部はモハマド・ハサン副総裁を財務相に登用するよう求めたが、イスマイル・サブリはいずれの要求にも応じなかった。誰かの求めに応えれば別の誰かから不満が出るのは避けられない。連立政権を安定させるには現状維持こそ最善策という考えであろう。
党と政府の権力者の不一致が招く問題
首相がPPBMのムヒディンからUMNOのイスマイル・サブリに代わったことで、いつ政権が瓦解してもおかしくないという政情不安は収まった。首相がUMNOの幹部である以上、ザヒド総裁ら党の指導者が首相に不満を抱いても倒閣運動はおこしづらい。また、首相交代を機に野党連合のPHが協調路線へと方針を転換したことも、政権の安定にプラスに働いている。PHは、政治制度改革実施の見返りに支持を求めたムヒディンの提案を蹴り、アンワルを首相に擁立しようと試みたが失敗した。そこで首相交代後は権力奪還より制度改革の実現を優先し、イスマイル・サブリ政権に協力する姿勢を見せている。ナジブとザヒドがアンワルに接近してムヒディンに揺さぶりをかけた頃とはだいぶ状況が異なる。
とはいえ、前内閣を不安定化させた2つの問題は解決しておらず、新首相が困難に直面するのは時間の問題であろう。UMNOは3月に次期総選挙ではPPBMと共闘しないと決定したが、イスマイル・サブリが首相になったため、この決定を再考すべきとの声があがるに違いない。イスマイル・サブリが首相の座を維持するにはPPBMの協力が欠かせないからだ。ゆえに新首相は、PPBMとの選挙協力実現に向けて動くだろう。ところが彼は、党内ではナンバー3の立場である。PPBMへの妥協をUMNOに飲ませるのは容易ではない。その一方で、次期総選挙でUMNOがPPBMと共闘しないことが確定すれば、今度はPPBMの方が連立離脱の揺さぶりをかける可能性がある。
ザヒド、ナジブらの裁判への対応も、新首相にとって難しい課題になるに違いない。ザヒドは早速、党最高評議会を動かし、「司法に対する政治的干渉」に関する独立調査委員会を設置するよう政府に要請した。ザヒドによれば、党副総裁補であるイスマイル・サブリはこれに同意したという16。「司法に対する政治的干渉」が具体的に何を意味するのかザヒドは明らかにしなかったが、PH政権下で起訴された自分たちの訴訟に有利に働くことを狙った動きであろうことは想像に難くない。
もしもイスマイル・サブリがザヒドからUMNO総裁の座を奪うことができるなら、ザヒドは脅威ではなくなり、選挙協力をめぐるPPBMとの交渉もしやすくなるだろう。しかし、そのチャンスが来るのはしばらく先になる。UMNO役員の任期は3年だが、最高評議会の判断により最大18カ月延長できる。いまの役員の正規の任期は今年6月までであったが、最高評議会は役員選挙を18カ月延期すると決めた。つまりイスマイル・サブリが総裁選でザヒドに挑むには、2023年1月まで待たねばならない。それまでは首相が党内では序列3位という権力のねじれが解消されず、政府は党からの圧力にさらされ続けることになる。
2020年2月にムヒディンらが政変を起こした背景には、PH政権に対するマレー人の支持率の急激な低下という現象があった。マレー人の支持に頼るPPBMの議員は強い危機感を抱き、同じマレー人政党であるUMNO、PASとの連立形成に動いた。しかし、その後に続いた連立与党内の激しい争いは、党利党略ですらない、個利個略にもとづく権力闘争である。それがこれほど長引いてしまったのは、コロナ禍のために解散総選挙が実施できないという特殊な条件が存在したからだ。ワクチン接種が進めば総選挙を実施できるようになるはずだが、9月第1週の新規感染者数は2万人前後で推移しており、感染減少の兆しはまだ見えない。もうしばらくは、国民不在の権力ゲームが続くだろう。
写真の出典
- ムヒディン前首相 Government of Indonesia, Malaysian Prime Minister Muhyiddin Yassin provide press statement during a state visit to Indonesia. This is the first time after he was sworn in as Prime Minister on March 1, 2020(Public Domain).
- イスマイル・サブリ首相 Wikikancil02, Unofficial portrait of Yang Amat Berhormat Dato' Sri Ismail Sabri bin Yaakob as Prime Minister of Malaysia. He was appointed by Yang di-Pertuan Agong on 21 August 2021(CC BY-SA 4.0).
著者プロフィール
中村正志(なかむらまさし) アジア経済研究所地域研究センター次長。博士(法学)。専門は比較政治学、マレーシア現代政治。おもな著作に、『パワーシェアリング――多民族国家マレーシアの経験』東京大学出版会(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア――政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)など。
注
- 現在マレーシアのメディアでは、Bersatuという略称を用いるのが一般的になっている。しかし、2018年5月の政権交代以前には、PribumiやPPBMを略称として用いるメディアが多かった。当時の結社登録局が、Bersatuという語を含む党が他にも存在することを理由に、マレーシア統一プリブミ党がこれを略称として用いることを禁じたためである。こうした経緯により、日本のメディアではPPBMが同党の略称として定着しているため、本稿でもBersatuではなくPPBMと記述する。
- ただし、国民同盟(PN)に加盟するサバ進歩党(SAPP)とマレーシア人民運動党(Gerakan)には下院議員がおらず、両党からは閣僚も登用されていない。
- 政党間関係流動化の要因としては、下野したBNの縮小のほかに、PH内部での主導権争いや、PHの与党化による対立軸の変化があげられる。詳しくは下記の拙稿をご参照いただきたい。中村正志「マハティール首相辞任で流動化するマレーシアの政治情勢」『IDEスクエア』2020年2月。
- 2020年2月政変について詳しくは下記の拙稿をご参照いただきたい。中村正志「ドキュメント『マレーシア2020年2月政変』」『IDEスクエア』2020年3月。
- "BN, GPS, Bersatu, PAS, and two Sabah parties aye on forming PN," Malaysiakini, May 17, 2020.
- 8月7日付で結社登録されたことが9月14日に発表された("RoS confirms Perikatan as registered entity, says approved on Aug 7," Malay Mail, September 14, 2020)。Gerakanは2021年2月にPNに加盟した。
- "Umno deputy: BN's cooperation is with PAS, PN only to resolve crisis," Malaysiakini, April 25, 2020.
- "Seat talks: Little room for Bersatu as Umno lays ground rules," Malaysiakini, September 1, 2020.
- "Umno writes to PM on decision to terminate Umno-Bersatu cooperation," Malaysiakini, March 3, 2021.
- "Zahid: Umno to make 'political decision' in response to Najib's conviction," Malaysiakini, July 28, 2020.
- "Zahid: Umno will not join PN coalition but be still part of govt," Malaysiakini, July 30, 2020.
- マハティールらは6月にPPBMから除籍処分を受け、8月に祖国戦士党(Pejuang)を結党した。
- "Zahid: Many Umno and BN MPs backing Anwar," Malaysiakini, September 23, 2020. その後、アンワルを支持するUMNO議員のリストなるものがソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を通じて何度も流出したが、そのたびに当事者が否定するという展開が続いた。
- とくに、議会による審査のない追加財政支出を可能にする非常事態勅令が問題視された("New emergency law allows govt to tap kitty without scrutiny," Malaysiakini, March 31, 2021)。
- 内閣顧問(Minister Mentor)は、シンガポールの故リー・クアンユー初代首相が首相退任後に上級相(Senior Minister)を経て就いたポストの呼称と同じ。イスマイル・サブリはこのポストを設けることはしなかったが、9月4日にムヒディンをコロナ禍からの復興計画について協議する国家回復評議会の委員長に任命するとともに、閣僚として待遇することを決めた。
- "PM agrees to RCI on ‘political interference claims' in judiciary - Zahid," Malaysiakini, August 28, 2021.
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