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イスラーム主義武装勢力に直面するブルキナファソ

Burkina Faso Faces the Challenge of Armed Islamist Groups

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053485

2022年9月

(5,623字)

イスラーム主義武装勢力の持つインパクト

2021年8月にアフガニスタンで起こったタリバンの軍事的攻勢、合法政府(アフガニスタン・イスラーム共和国)の崩壊、タリバンによる国家権力の掌握というできごとは、イスラーム主義武装勢力が持ちうる政治的影響力の大きさをまざまざと映し出した。

サハラ以南アフリカでも近年イスラーム主義武装勢力が活動しており、様々な政治変動が引き起こされているが、なかでも今年2022年1月に西アフリカのブルキナファソ共和国で生じた事態は劇的なものであった。イスラーム主義武装勢力の脅威が引き金になって文民政権が崩壊し、軍事政権が樹立されたのである。

「引き金になった」とはどういうことだろうか。本稿では、日本であまり詳しく報じられないこの政変の背景を読み解き、サハラ以南アフリカにおけるイスラーム主義武装勢力の問題について考えてみたい。

ブルキナファソとイスラーム主義武装勢力

ブルキナファソは西アフリカの内陸国である。1960年にフランスから独立したときの国名は「オートボルタ」(ボルタ川上流の意)だったが、1984年に、現地の言語で「高潔な人の土地」を意味する現在の国名に変わった。

ブルキナファソは、サハラ砂漠の南側のサヘルと呼ばれる乾燥地帯に位置している。サヘル地帯では21世紀に入り、アルジェリアを起源とするイスラーム主義武装勢力が潜伏地や経済利権(身代金目的の誘拐や密輸など)を求めて進出し、その過程で住民への攻撃や各国の治安部隊との衝突が盛んに起こるようになった。住民への攻撃には、恐怖を植え付けることを目的としたいわゆる「テロ」、略奪、住民同士のローカルな対立を背景とした用心棒的な活動や報復などの様々な側面がある。治安部隊との衝突は、取り締まりに対する抵抗・反撃・報復のほか、政府に対する挑発行為や実効支配のアピールなども目的と考えられている。

新たな武装勢力も続々と誕生していった。ブルキナファソ北部と隣接国であるマリとニジェールのこの周辺地域は、今日、世界的にもイスラーム主義武装勢力の活動がもっとも活発な地域となっている。ここで活動する組織には、「イスラームとムスリムの支援グループ」(GSIM――アラビア語からの略語はJNIM)、「大サハラのイスラーム国」(ISGS)、マリで設立された「マーシナ解放戦線」、ブルキナファソで組織された「アンサール・イスラーム」などがある。ブルキナファソでは北部を中心に2015年頃からこれらの組織が活動し、さらに活動地域はブルキナファソの東部にも拡大している(佐藤2020)。

カボレ政権のちぐはぐな対応

ブルキナファソでは2014年にそれまで27年続いた長期政権が終わり、暫定政権期を経て、選挙で初当選を果たしたR・M・C・カボレ大統領の政権が2016年1月に発足した。イスラーム主義武装勢力への対策を求める国民の期待は大きく、カボレ政権も最優先の課題に掲げていた。

イスラーム主義武装勢力は、道路に手製爆弾を設置する攻撃に加え、豊富に保有する武器や車両(とりわけ悪路走破が可能な高性能のオートバイ)を駆使し、村落や治安部隊の拠点も攻撃していた。対応には治安部隊(ブルキナファソでは国軍と国家憲兵隊が対応に当たっている)の増強が急務であった。しかし、財政難に加え、発足からまもない政権基盤の弱いカボレ政権がクーデタを警戒したこともあり、治安部隊の増強は進まなかった。

自国の治安部隊での対応が困難な場合、外部からの軍事的支援が重要な選択肢となる。ブルキナファソよりも早くからイスラーム主義武装勢力の脅威に直面した隣国マリでは、2013年から、旧宗主国であるフランスの大規模な部隊を受け入れていた。フランスは旧植民地が大半を占めるフランス語圏西アフリカ諸国を外交的な勢力圏ととらえており、マリへの部隊派遣はこの外交戦略に基づくものでもあった。さらにフランスは、マリだけにとどまらずサヘル地域全域を視野に入れてイスラーム主義武装勢力の封じ込めを図る思惑も持っており、ブルキナファソに対しても軍事的支援を繰り返し申し出ていた。

しかしカボレ政権はこれに消極的だった。その背景としては、国家主権を重んじる腹心の参謀総長らが外国からの軍事的支援に反対したことが指摘されている(Roger 2022)。それでも2018年の後半にフランスとブルキナファソの共同軍事作戦がいったんは実現したものの、その後もカボレ大統領はフランスのサヘル政策へ懐疑的な態度を取り、両国間の軍事協力が深化することはなかった。

カボレ政権はまた、ブルキナファソを含むサヘル地域の5カ国で構成する地域的枠組みにもとづいて軍事要員の派遣を受けることが可能であったにもかかわらず、これにもやはり消極的だった。

2019年以降ブルキナファソでのイスラーム主義武装勢力の活動はさらに激しさを増していく。対応に迫られたカボレ政権は2020年初めに「祖国防衛志願兵」の制度を開始した。志願した民間人が治安部隊のもとで2週間程度の訓練を受けたのち軽火器や双眼鏡などを与えられ、村落の警護にあたるというものである。しかし、正規の治安部隊ですら対応が困難な武装勢力に対して、この策の有効性が低いことは明白であった。むしろ逆に、志願兵が治安部隊の協力者として武装勢力の標的にされる可能性が高いうえ、正規軍の指揮下にない志願兵が規律を逸脱した行動を起こす懸念も高いものだった(Diallo 2020)。

治安部隊の増強や諸外国との軍事協力に消極的な一方、効果の期待できない民間人の動員を図るカボレ政権の態度は、ちぐはぐなものであったといえるだろう。

エスカレートする暴力

ブルキナファソにおけるイスラーム主義武装勢力の活動はかなり深刻なレベルに至っていた。経済平和研究所(IEP)が毎年発表している「グローバルテロリズム指標」にもとづく順位では、ブルキナファソは2018年には世界で15番目の深刻度とされていたものが、2019年には世界で7番目に、2021年には、アフガニスタン、イラク、ソマリアに次ぐ、世界で4番目の深刻度にあると評価された(Institute for Economics & Peace 2022)。

2015年から2021年末までの間に、イスラーム主義武装勢力の活動によるブルキナファソでの死者は民間人と治安部隊をあわせて2000人、国内避難民は140万人に上ったとされる(Le Monde avec AFP 2021)。

カボレ大統領は2020年10月に二期目を目指して出馬し、有力な対立候補が不在ななか再選を果たした。しかし、投票率は相対的に低く、同時に実施された国民議会選挙でも単独過半数割れとなるなど国民の支持が十分でないことが露呈された。

国民が引き続き治安問題に強い関心をもつなか、2021年6月には、北部の町ソルハンでこれまでで最も多い死者(160人が死亡)を出す襲撃事件が発生した。政権は国防相を解任したが、市民や野党からのカボレ政権批判の声はこれ以後急速に高まっていった。

2021年11月には北部の町イナタに駐屯する国家憲兵隊の基地が武装勢力の攻撃をうけ、隊員49人を含む53人が死亡する事件が起こった。襲撃を受けた基地は、襲撃までの2週間のあいだ補給を受けていない状態にあり、食糧不足を乗り切るため隊員が狩りに出なければならないような状態だったという。

補給の途絶は、物資横流しなどの腐敗の結果だとの報道もなされ、カボレ政権の対応が不十分だとする抗議行動が11月末に国内数都市で数千人を動員して展開された。カボレ政権はこれを鎮圧し、有力な市民運動活動家らを逮捕する一方、8日間にわたって国内のインターネットを(同国の歴史で初めて)遮断するなどの封じ込め策を行った。さらに政権は何人かの将校を解任する一方、12月には内閣を総辞職させ、新首相を任命して立て直しを図った。

国軍の反逆

このとき水面下では政権への不満を強める軍と政権のあいだの激しい駆け引きが展開されていた(Roger et Coulibaly 2022)。イナタの事件後に解任された将校には、首都ワガドゥグの機動隊司令官(中佐)、西部管区の対テロ活動司令官(中佐)ら、治安部隊内での信望が高いとされる人物が含まれていたのだが、解任の直後から治安部隊内では、カボレ政権がさら多くの国軍幹部を解任しようとしているとの噂が流れたという。

これをきっかけに国軍の高官レベルでクーデタ計画が進行し始めたとされる。カボレ政権もこの動きを警戒し、2022年の年明けすぐに、解任していた西部管区対テロ活動司令官を筆頭とする8人の軍人を謀議の嫌疑で逮捕し、治安部隊に対して締め付けを緩めない姿勢を鮮明にした。

この逮捕がクーデタの直接のきっかけとなった。2022年1月23日未明に国軍のクーデタ勢力はワガドゥグ市内の複数の国軍基地を掌握し、さらに大統領私邸へと進軍した。カボレ大統領は私邸から脱出してワガドゥグ市内の国家憲兵隊基地に退避し、抵抗を試みた。同基地に迫るクーデタ勢力との衝突が国軍と国家憲兵隊の交戦へと発展することが懸念された。

ワガドゥグ枢機卿の臨席(ブルキナファソはキリスト教徒が多い国である)のもとで大統領の身の安全を保障することをクーデタ勢力が確約したことから、翌1月24日に大統領が辞任の意思をしめす書簡に署名し、交戦の懸念も回避された。

この日の夕方に「救済と再建のための愛国運動(MPSR)」を名乗るクーデタ勢力の幹部らが国営テレビに出演し、カボレ政権を打倒し、実権を掌握したことを宣言した。カボレ政権を打倒した理由は、「治安状況の悪化と、状況に有効に対処できるようブルキナファソ人を連帯させるうえでR・M・C・カボレの政権が無能であること」ならびに「国民の様々な社会階層からのいらだち」だと声明では語られた。イスラーム主義武装勢力がもたらした治安状況の悪化に有効な手立てを打てないことが政権打倒の直接の理由であることが明言されている。

その数日後の2022年1月28日に、クーデタ勢力MPSRの議長であるP・H・S・ダミバ中佐(写真)が国家元首として演説を行い、治安問題が最優先事項だと明言した。その後、軍事政権は国内各層の代表者からなる暫定全国議会を設立し、移行期の憲法にあたる憲章を2022年3月初めに採択させ、選挙実施までの移行期間を36カ月とするスケジュールを定めた。

これに続き暫定全国議会は、すでに憲法院での大統領就任宣誓を済ませていたダミバ中佐を信認した。軍事政権と諸政党の間では、調整を経て、内閣と立法議会のポスト数を当初予定より増やすことで合意がなされた(内閣25ポスト、立法議会75議席)。

ダミバ少佐を首班とする政権はこのように2022年3月に大方のかたちを確立し、2022年9月現在、ブルキナファソはこのダミバ政権の統治下にある。

クーデタで実権を掌握したP・H・S・ダミバ中佐(クーデタ直後の2022年1月27日撮影)

クーデタで実権を掌握したP・H・S・ダミバ中佐(クーデタ直後の2022年1月27日撮影)
軍事政権もまた課題に直面

以上みてきたように、2022年1月に発生したブルキナファソでのクーデタは、武装勢力との戦いに苦しんだ治安部隊(とりわけ国軍)が、自分たちの指揮権者である政権への不信感を強め、ついにはこれを打倒するに至った事例である。カボレ政権には、治安部隊の不満をくみ取り、信頼を再確立するという選択肢がありえた。だが実際にカボレ政権が取った選択肢は、現場で指揮を取る有力幹部らを解任するなどの、治安部隊に対する政治的な締め付け策であった。

これが治安部隊の反発をさらに強めることになり、クーデタという帰結に至った。このクーデタは、イスラーム主義武装勢力へどう対応するかをめぐって治安部隊と政権が展開した駆け引きのなかで生じたものであり、その意味でイスラーム主義武装勢力が間接的に引き起こしたものと表現できるだろう。

さて、治安問題を最優先事項に掲げた軍事政権は、はたして彼らが「無能」と評したカボレ政権よりも的確にイスラーム主義武装勢力に対応できるのだろうか。残念ながらそのような期待をうかがわせる材料はほとんどない。国家元首の座についたダミバ中佐はクーデタ直後の国民向けメッセージのなかで、イスラーム主義武装勢力の影響力を削ぐためには、治安部隊と志願兵の再建が必要だと指摘したが、これはカボレ政権期から主張されてきたこととなんら変わりはない。

また、同じ演説でダミバ中佐は、「いかなる戦車、戦闘機、武器にも勝るのが祖国への愛だ」と述べて国民の協力を求めたが(Gouvernement du Burkina Faso 2022)、この表現には、国家主権を重視して外部からの軍事的支援に反対したカボレ政権の姿勢にも似たものが感じられる。軍事政権の治安対策については、前政権からの変化よりも連続性の方がむしろ目立つ。

軍事政権発足後もイスラーム主義武装勢力の活動は活発なままである。2022年6月には、北部の町セイテンガで86人の民間人が殺害される襲撃事件が発生し、9月初めには北部のサヘル県を走る幹線道路に設置された手製爆弾により、35人が死亡する事件が発生している。

武装勢力によるさらなる攻撃を食い止めるうえでは、何らかのかたちでの対話や交渉が必要だとの指摘はカボレ政権期からなされているが(Douce 2021)、ダミバ政権がその選択肢を検討している形跡はない。最近になってブルキナファソの隣国のニジェールでは、武装勢力に参加したニジェール人戦闘員の投降を呼びかける目的に限ってであるが、政権がイスラーム主義勢力との対話を試みるという新しい展開がみられている(Le Monde 2022)。打開策がなかなかみつからないなか、治安情勢の改善に向けて様々な可能性を探る動きが今後ブルキナファソでも進まざるをえないものと考えられる。治安対策の行方が引き続き注目される。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • Lamine Traoré (VOA). (Public domain)
参考文献
著者プロフィール

佐藤章(さとうあきら) アジア経済研究所主任研究員。博士(社会学)。専門はアフリカ地域研究、アフリカ政治。おもな著作に、『ココア共和国の近代』アジア経済研究所(2015年)、『サハラ以南アフリカの国家と政治のなかのイスラーム』(共編著)アジア経済研究所(2021年)、『地域研究へのアプローチ』(共編著)ミネルヴァ書房(2021年)など。

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