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スリランカの政治・経済危機――ラージャパクサ一族支配の崩壊か?

 

Collapse of the Rajapaksa family politics in Sri Lanka

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053454

2022年7月

(5,586字)

スリランカでは、2022年初めより外貨不足に起因する燃料不足やガス不足によって長時間の停電、激しいインフレが発生して国民生活を圧迫した。4月には、政府が事実上の債務不履行(デフォルト)を宣言した。その後、反政府デモが多数の参加者を集め長期にわたって行われ、大統領と首相を辞任に追いこみ、7月20日、新たにラニル・ウィクレマシンハが大統領に就任した。この運動(シンハラ語で「闘争」を意味する「アラガラヤ」と称される)は非常に興味深いが、ここでは分析の対象にしない。本稿では、経済危機と政治危機のただなかで政治家がどのような判断を下したか、に注目する。今後のスリランカ政治を見るうえで、重要な意味をもってくると考えられるからだ。

大統領府周辺に集まる反政府デモ参加者ら

大統領府周辺に集まる反政府デモ参加者ら
国民的英雄マヒンダ・ラージャパクサ首相の辞任

3月初めにささやかな形で始まった反政府活動は、4月には最大都市コロンボ中心部のゴールフェイスグリーンにテントを張って連日行われるようになった。デモ参加者が最も強く求めていたのは、ラージャパクサ一族支配の頂点にいるゴタバヤ・ラージャパクサ(Gotabaya Rajapaksa)大統領の辞任であり、反政府活動の主たるスローガン「GoGotaGo」がそれを明らかに示している。

これに対して、大統領は自らの地位を守ることに固執した。大統領は、彼以外の一族を辞任させることで反政府デモ参加者の圧力をかわせると認識していた。まず弟のバジル、兄マヒンダの息子、兄チャマル、およびその息子を大臣ポストから排除した。5月には兄で元大統領のマヒンダ首相さえも辞任させた。約30年続いたタミル・イーラム解放の虎との内戦終結の功労者であり国民的英雄のマヒンダを自らの延命のためにスケープゴートとしたのだ。しかしこの判断は、ゴタバヤに有利になるどころか、与党スリランカ大衆戦線(SLPP)内のマヒンダのシンパからの反発を生んだ。

ラニル・ウィクレマシンハが首相に就任

マヒンダが首相を辞任した後、誰を後任にするのかという問題が生じた。その場合、国会与党SLPPの代表者を指名するのが一般的だろう。しかし、与党はすでに分裂していたうえに1、マヒンダ支持者などからの反発があり、適任者を見いだせなかった。そこでゴタバヤ大統領は、野党第一党・統一人民の力(SJB)のサジット・プレマダーサにアプローチしたが、サジットは大統領が辞めるべきとして譲らなかった(後にサジットは、首相ポストの打診を71回断ったとメディアに明らかにした[Newsfirst 2022])。

これをうけて大統領は、統一国民党(UNP)のラニル・ウィクレマシンハを首相に任命した。ラニルは、スリランカの二大政党のひとつであったUNPの党首で、過去に5回(実質的には3回2)首相に就任した経験豊かな政治家であるが、現国会ではUNPは1議席しか持たない。2020年に行われた国会選挙でUNPから分裂したSJBは225議席中54議席確保したものの、ラニルが率いるUNPは選挙区では議席を得られず比例で1議席を得たのみであった。つまり、選挙区ではラニル自身も落選し、比例で復活したのだ。

したがって、ラニルは国会の支持を当てにできないかなり異例な首相であった。ただ、ラニルが示した方針は、暫定的な全党政府を形成すること、経済危機を緩和すること、憲法改正によって大統領の権限を弱め議会を強化すること、新たな選挙を行うことなど、意見の異なる多くの政党の最大公約数ともいえるものだった。こうしたこともあって、ゴタバヤはマヒンダ辞任によって所属政党でもあり国会与党でもあるSLPPからの支持を減らしたものの、ラニルの首相就任によって大統領職にとどまることに成功した。

ラニルは首相のほか財務大臣も兼任し、経済再建に着手した。一方ゴタバヤは、国際通貨基金(IMF)との交渉や経済政策などをラニルに任せて、先述の目的達成のめどがついた時点で大統領を辞すと目されていた。ところが、6月上旬に「負け犬として去る」ことはない、と残りの任期3を全うする意思を表明した(Daily Mirror Online 2022)。ラニルの首相就任で延命を果たしたゴタバヤであったが、それはあくまで一時的なことであるという点を理解しない、政治的嗅覚やバランス感覚を欠く発言であった。

IMFとの交渉は進んでいたし、降雨量が増えて水力発電が安定し、停電時間は以前より短くなった4ものの、燃料やガスの不足、インフレは相変わらずであった。そのため、ゴタバヤの発言は、大統領の辞任を要求していた反政府運動参加者らの勢いを再燃させた。

さらに7月5日、ラニル首相が国会で、債務不履行(デフォルト)ではなく破産(バンクラプシー)という言葉をもちいて危機感をあおった。翌6日にゴタバヤ大統領がロシアのプーチン大統領に電話をして燃料の支援を求めたことも、問題が未だに深刻であるという事実を国民に突きつけた。

ゴタバヤ大統領が辞任、国外へ逃亡

7月7日、大学教員連盟(FUTA)のメンバーが自転車に乗り、数字の9をかたどった巨大なオブジェを掲げて7月9日にコロンボに集まれという呼びかけを行った(是非ともこのDaily Mirror Onlineに掲載された画像を見てほしい)。9日というのは、最近のスリランカにおいて意味をもつ数字となっていた。4月9日にはマヒンダとゴタバヤの弟で前財務大臣のバジルが国会議員を辞任し、5月9日にはマヒンダが首相を辞任したからである。これに対して、警察は外出禁止令を発令し、反対運動の大規模化を阻止しようとした。しかし、裁判所は「国民の表現の自由を妨げるべきでない」として外出禁止令の短縮・解除を命令した。長距離バス運営協会なども、燃料不足で営業できないと表明していたにもかかわらず、地方からコロンボまでデモ参加者を運んだ。このように、直接参加していない人々や団体の支援も得て7月9日の大規模デモが実現した。

デモ参加者は、大統領公邸、大統領府を占拠した。アメリカでトランプ前大統領支持者が議会を占拠した例が記憶に新しいが、スリランカの場合は暴力的でなかったことが指摘できる。もちろん、最前線ではデモ参加者と警察がもみ合い、催涙ガスも使用され、双方に負傷者が出たが、数に勝るデモ参加者の前進を警察も妨げることはできなかった。

これをうけて大統領、首相はその日のうちに辞意を表明した。デモ参加者は目的を達成したかに見えた。ところが、大統領と首相は正式な辞任手続きをすませていなかった。ゴタバヤに至っては13日までに辞任するはずだったにもかかわらず、その13日に隣国モルディブを経由してシンガポールに逃亡した。大統領の不逮捕特権を享受するためである。そしてラニル首相を大統領代行に任命した5。辞意を表明した時点から、ラニルに引き継ぐシナリオができていたようだ。怒った抗議者らは、13日、首相府を占拠した。首相兼大統領代行は、首相府や国会議事堂にせまる抗議者らに対して必要であれば武力を使用することを治安維持部隊に許可した。さらに外出禁止令と非常事態宣言が発令されるなど、かつての内戦中を思わせるような厳重な警備が布かれ、市民の間に緊張が高まった。

国会議員による選挙でラニルが大統領に就任

シンガポールに逃亡したゴタバヤから国会議長に辞表メールが届き、7月15日に正式な辞任が認められて、20日に国会議員による大統領選出投票が行われることになった。UNPのリーダーで、首相兼大統領代行のラニル、与党SLPPのダラス・アラハッペルマ政府報道官6、SJBリーダーのサジット、国民の力(NPP)リーダーのアヌラ・クマール・ディサナヤケが立候補するとされた。しかし直前にサジットは立候補を取りやめ、ダラス支持を表明した。

現国会(定数225)での議席数は、SLPPが145議席、SJBが54議席、NPPが3議席であった。各政党はどの候補者を支持するかを投票前に表明していた。それを勘案すると、ダラスが勝利することが予想された。ラニルの属するUNPは国会に1議席しか持たない。これに対してダラスはSLPPに属しているうえ、SLPPから分裂したグループに属する議員やタミル政党もダラス支持を表明していたからである。

しかし、20日の投票では、ラニル134票、ダラス82票、アヌラ・クマール・ディサナヤケ3票、無効4票、棄権2票という結果だった。自らの政党が支持する候補以外へ投票した議員がいたことは明らかである。マヒンダ率いるSLPPの票は、ダラスではなくラニルに投じられたと見るべきだろう。つまり、ラニルの大統領就任はマヒンダの支持を得て実現したのである。この点を考慮に入れると、ラージャパクサ一族による支配が完全に崩壊したとは言えないかもしれない。ライバル政党のリーダーであるサジットが政権奪取に積極的な姿勢を見せないことも、ラージャパクサ一族復活の可能性を考慮に入れざるを得ない理由である。

大統領に就任したラニルは、就任後すぐに、非民主的な手段に訴える者に対して厳しい行動をとると述べ、21日夜には、ゴールフェイスグリーンで反政府活動を続ける人々の寝泊まりする拠点が強制的に排除され、9人の活動家らが逮捕された。

政治的安定を保てるか?

3月以降の反政府運動は、ラージャパクサ一族を政治の中心から排除することができた。新たに大統領に就任したラニルは、党派や個人的な利益を脇に置き、経済的な危機を乗り越えようと投票直後に各党に対して呼びかけた。ただ3月以降、全政党政府の形成が議論されてきたが、政党ごとに描いているものが微妙に違うのではないかという危惧がある。まずは目的を共有することから始めなければならない。

ラニルは、経験豊富な政治家であり、欧米諸国との関係も良好である。しかし、それはスリランカにとって良いことばかりではない。内戦終結前後の戦争犯罪や人権侵害についても対応を求められるかもしれないからである。そうした要求に対応するとなれば、スリランカ軍関係者らの責任を明らかにし、法的処罰を与えることになる。それは、これまでの政権が頑なに拒んできたことであり、シンハラ多数派の反発を招くことは必至である。

経済危機からの脱却――IMF頼み

ゴタバヤ大統領は、2022年1月、スリランカを訪問した中国の王毅外相に債務返済繰り延べを要請した。しかし王毅外相は、中国には債務返済繰り延べ制度がなく、スリランカも例外ではないと述べた。駐スリランカ中国大使は、中国とスリランカが債務返済繰り延べスケジュールについて話し合っていることを4月に明らかにしたが、一方で、スリランカは「自立」のために努力すべきであると付け加えた。中国は、スリランカに自由貿易協定(FTA)の交渉再開も求めているが、それに応じる余力はスリランカにない。

スリランカはインドにも助けを求めた。これに対してインドは、これまでにすでに35億ドル以上の資金を提供している。インドはこれを近隣第一政策だと言っているが、スリランカにおいて中国に奪われた影響力を取り戻すことにつながると期待しているのだろう。しかし、こうした援助は徐々にインドにとっても負担になっているように見える。

インドも中国も助けてくれないとなると、頼れるのはIMFしかない。スリランカは、2022年3月からIMFと交渉を開始した。ラニルは5月から財務大臣も兼任して経済問題にもかかわっており、IMFとの交渉も継続して担当することになった。この点でラニルの大統領就任は歓迎される。それでも、最終的な決着までに数カ月(もしかしたら年末まで)はかかるだろう。

IMFは、融資の条件として財政再建や経済構造改革などを債務国に求める。それらは国民に痛みや負担を強いるものである。スリランカの国民はすでに半年以上の耐乏生活を強いられている。2022年の後半も燃料不足が続く可能性はあるが、国内で食料生産ができるので、深刻な飢餓に陥ることはないだろう。しかし、貧困層への影響はすでに指摘されている。経済危機がさらに長期化する場合、十分な教育を受けられない世代が生じてしまう懸念がある。スリランカは、経済構造の変革だけでなく、弱者救済の双方に取り組む必要がある。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
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著者プロフィール

荒井悦代(あらいえつよ) アジア経済研究所地域研究センター南アジア研究グループ長。著作に『内戦終結後のスリランカ政治――ラージャパクサからシリセーナへ』アジア経済研究所(2016年)、『内戦後のスリランカ経済――持続的発展のための諸条件』(編著)アジア経済研究所(2016年)『モルディブを知るための35章』(編著)明石書店(2021年)など。

  1. 2022年4月8日にマイトリパーラ・シリセーナ前大統領に近い議員、古参議員の一派、与党連合を形成していた小政党出身者ら40人が政府から独立して行動すると表明し、全政党政府を形成し、経済危機を解決、早期選挙を求めた。
  2. 1回目は1993年5月~94年8月(当時の大統領はディンギリ・バンダ・ウィジェトゥンガ)、2回目は2001年12月~2004年4月(同チャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガ)、3回目は2015年1月~8月、4回目は2015年8月~2018年10月、5回目は2018年12月~2019年11月(3~5回目、同マイトリパーラ・シリセーナ)。国会議員選挙(2015年)や大統領による政変(2018年)があったため、いったんやめて再就任という形をとった。
  3. 大統領の任期は5年である。
  4. 1日10時間以上あった停電は、7月上旬には3時間ほどに減った。
  5. 憲法37条は、大統領が海外にいる、病気などで一時的に機能が果たせないとき、首相に大統領代行を任命することができると定めている。憲法40条では、大統領が辞任した場合、首相が大統領代行として、残りの任期を務める、とされている。
  6. ダラスは長らくマヒンダと距離が近かったが、2022年4月末に、内閣全体の辞任、全政党政府を形成して経済危機克服すべきと主張し、マヒンダ首相辞任を求めていた。
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