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(2019年インドネシアの選挙)ポスト・トゥルース時代の政治の始まり――ビッグデータ、そしてAI

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051445

2019年7月

(4,949字)

2019年4月17日に投票が行われたインドネシアの選挙は、1998年の民主化後のこれまでの選挙と大きく様相を異にしている。ひとつの特徴は、オンライン空間で真偽ないまぜになった候補者情報が大量かつ迅速に拡散したことである。2つ目の特徴は、2組の正副大統領候補のどちらも積極的にサイバースペースで選挙キャンペーンを繰り広げたことである。選挙戦ではインフルエンサー、ブザーが大活躍し始めた。3つ目の特徴は、サイバー空間での選挙戦の本格化にともない、とりわけ、現職のジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領陣営は、積極的にAIによる機械学習でオンライン・メディア、ソーシャル・メディアの大量の情報(ビッグデータ)の分析を行い、有権者の真の声の理解に努め始めたことである。そのうえで、4つ目の特徴として、民間企業並みのマイクロ・ターゲティングの手法で個々の地域の実情に合わせた選挙キャンペーンを展開し始めた。本稿では、こうした特徴のなかでも1つ目と3つ目の特徴について解説する。
ポスト・トゥルース時代の到来

2019年の大統領選挙では大量のフェイクニュースが氾濫し、ニュースを鵜呑みにはできない状態になった。2014年の大統領選挙でも「ジョコ・ウィドドは華人、キリスト教徒、ユダヤ人のエージェントである」といったフェイクニュースを盛り込んだタブロイド紙が作られて、各地のイスラーム寄宿塾にばらまかれるという事件が起き、オンライン上でも似たようなフェイクニュースが広がった。

2017年のジャカルタ州知事選、そして、2019年大統領選になってくるとフェイクニュースの種類が急増した。そのような流れをうけて、通信・情報省は2017年12月からオンライン上のデータを自動収集して、機械学習を通じてフェイクニュースを抽出する装置であるAISを導入した。図1は、2018年8月から2019年4月までのAISのデータである。ここから選挙が近づくにつれてフェイクニュースの種類が増えていったことが分かる(大統領選挙投票日の4月17日以降はフェイクニュースの種類は減ったために、4月全体では減少している)。

図1 通信・情報省によるフェイクニュース発見数(2018年8月1日〜2019年4月25日)

図1 通信・情報省によるフェイクニュース発見数

(注)このうち政治関連のフェイクニュースの合計は574件である。 (出所)通信・情報省。

フェイクニュースの種類と並んで、今回の選挙で顕著になったのは、情報の拡散と浸透の速さである。2019年1月現在でインドネシアの人口の約56%、1.5億人がソーシャル・メディアを使用しており、そのうちの1.3億人が積極的利用者である。アプリ別の利用率は、ユーチューブが88%、ワッツアップが83%、フェイスブックが81%、インスタグラムが80%、ラインが59%である。もっとも情報拡散力のあるツイッターについては、2018年1月現在では27%であったのに、2019年1月には一気に52%にまで増えた。都市部だけでなく農村部でも人々はソーシャル・メディアを通じて真偽ないまぜになった情報を日常的に受け取るようになった。

両陣営とも客観的事実よりも、「ジョコウィは(公約を守っていない)嘘つき」「ジョコウィは共産主義者」「プラボウォは敬虔なムスリムではない」といった感情的なメッセージを積極的に拡散させた。オックスフォード英語辞典は、「ポスト・トゥルース」を「世論形成にあたって客観的事実よりも感情や個人の信念に訴えかけるほうが影響力がある状況に関係する形容詞、あるいは、そうした状況を意味する形容詞」と定義づけているが、まさに、両陣営のサイバー部隊は、2016年頃から世界的に顕著になり始めた「ポスト・トゥルース」の時代の選挙キャンペーンを始めたのである。

党派性の固定化

こうした感情に訴えかける選挙戦略がどこまで有効であったのかの判断は難しい。世論調査機関のサーベイを見てみると、ジョコウィ大統領候補とプラボウォ大統領候補への支持率の差は2018年8月からほとんど変化しないまま、選挙結果となって現れている。そのことからすると、有権者は選挙のかなり前からすでに投票する候補者を決めていたことになり、選挙キャンペーンそのものは有権者の投票行動に影響を与えなかったと言えるのかもしれない。

ただ、間違いなく言えることは、選挙キャンペーンを通じて自らの支持候補を更に強く支持する傾向が高まったことであり、その意味で、真偽ないまぜになった情報がインドネシア社会の分裂を深めたことは間違いない。インドネシアで少数派に当たるキリスト教徒、華人たちは圧倒的にジョコウィ支持者になった。最大のイスラーム社会組織であり、ジャワなどの地元文化に根付いたイスラームを強調するナフダトゥール・ウラマ(NU)の総裁マアルフ・アミンがジョコウィの副大統領候補となったことで、NUの支持基盤である東ジャワ、中ジャワでのジョコウィ支持は極めて高くなった。

一方、イスラーム主義政党である福祉正義党やイスラーム国家樹立を標榜し続けたためにジョコウィ政権下で解散措置を受けたイスラーム解放党のメンバーたちは、熱烈なプラボウォ支持者となった。また、イスラームの聖典クルアーンや預言者ムハンマドの言行録ハディースの厳格な解釈をするという意味で保守的なムスリムの多い地方である西ジャワ州や西スマトラ州ではプラボウォ支持が高かった。フェイスブック、ツイッター、インスタグラムといったソーシャル・メディアを通じて受け取る真偽ないまぜの情報がこうした党派性を強めていったと考えられる。

フェイクニュースの真実化?

世論調査機関であるインディカトールが2018年12月に全国1220人を対象にした調査によれば、「共産主義思想が影響力を持ち始めている」と考えている人が28%で、そのうちの86%(全体の24%)がその話を信じていた。「ジョコウィは華人である」という話を聞いたことがある人は23%で、そのうちの24%(全体の5.5%)がその話を信じていた。

一方、プラボウォについては、「1997〜98年の政変のときに彼が学生活動家を誘拐した」という話を聞いたことがある人が30%おり、そのうちの40%(全体の12%)がその話を信じていた。ジョコウィに関するものはニセ情報を使ったブラック・キャンペーンであり、プラボウォに関するものはフェイクとも言えないが相手に不利な情報を強調したネガティブ・キャンペーンである。インドネシア全体で見れば、ジョコウィについてのフェイクニュースを信じている人の割合は4〜5.5%程度であるが、インドネシアの総人口が2.6億人を超えることからすれば見過ごせない数である。

このように真偽ないまぜになった情報、ニュースが飛び交うなか、選挙キャンペーンのアクターたちにとって重要になってきたのは、何が事実であり、有権者の「真」の声が何であるかを明らかにすることであった。

ビッグデータ、AIによる機械学習

有権者の声を知る手法としては、2004年の大統領選挙から世論調査という手法がインドネシアでも始まり、今ではあらゆる選挙で世論調査が極めて重要な選挙の道具となった。政党の推薦を得て地方首長選挙に立候補しようとすれば、候補者は信頼できる世論調査機関の調査結果を政党に提出して当選可能性の高さを示す必要さえある時代である。

今回の選挙の特徴は、世論調査に加え、真偽があいまいな情報が氾濫するなかで有権者の声を判別する道具として、ビッグデータ、AIによる機械学習が使われ始めた点である。そして、こうした道具を使いこなせる人材としてIT専門家の政治的需要が高まった。どちらの陣営でも国内屈指の理工系国立大学であるバンドン工科大学のOBがサイバー戦争で重要な役割を果たした。

以下では、ジョコウィ陣営でボランティア・グループとしてビッグデータの情報収集・分析を行った「人民奉仕の共同ハウス」の活動を見ていくことにしたい。

人民奉仕の共同ハウス(Rumah Bersama Pelayan Rakyat)

この組織は、バンドン工科大学、インドネシア大学、ボゴール農科大学、3月11日工科大学など有名大学の卒業生たちが2014年の大統領選挙のときにジョコウィをサポートするために立ち上げたボランティア・グループ「大学同窓コミュニティ(Komunitasi Alumni Perguruan Tinngi: KAPT)」の後継組織である。2019年の大統領選挙前に「人民奉仕の共同ハウス」という名称に改称された。

バンドン工科大学OBである「共同ハウス」のトップとその友人たちは、2014年にジョコウィを支持するために誕生した多くのボランティア・グループがジョコウィの大統領選出後、よくある社会組織になってしまったことに不満をいだいていた。そこで彼らは、2019年の大統領選挙では、まったく違った形でジョコウィをサポートすることを決めた。インドネシア語でボランティアのことをrelawanというが、「共同ハウス」のトップたちは自らをrelawan 2.0と称した。

「共同ハウス」は、バンドン工科大学OBが作ったIntelligence Media Managementというシステムを使って、1000を超えるオンライン・メディア、さらにはオフライン・メディア、テレビの情報を恒常的に収集、分析し、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、インスタグラムの収集、分析も行った。

また彼らは、別のバンドン工科大学OBが作ったSasbuzzというシステムを使って、200万のソーシャル・メディアのアカウント(大半がツイッター・アカウント)の発言について、2018年8月からAIを使った機械学習で分析を始めた。特定のキーワードやアカウントからの発信に自動的に反応するボットを排除することで、有権者の「真」の声を抜き出そうとした。それをもとに、日々の両候補の得票率予想をはじき出し続けた。

「共同ハウス」は、こうした分析とそれに基づく提言を毎日、毎週、ジョコウィの選挙チームに提供し続けた(画像1)。機械学習に基づいて選挙直前に共同ハウスが提示した得票率予測はほぼ選挙結果と同じであった。

画像1 「人民奉仕の共同ハウス」の日例報告の表紙

画像1 「人民奉仕の共同ハウス」の日例報告の表紙
おわりに

2019年大統領選挙はサイバー空間が極めて重要になり始めた選挙であった。それは、2014年大統領選挙の頃から顕著になり始めたオンライン上でのフェイクニュースの氾濫が深刻化して、社会の分裂が深刻化したからだけではない。もうひとつ重要な点は、ビッグデータ、AIによる機械学習、マイクロ・ターゲティングといったアメリカ大統領選挙で始まった新たな選挙のツールや方法がインドネシアでも利用され始めたことである。

もちろん、こうした選挙ツールはまだ使われ始めたばかりであり、今回のインドネシアの大統領選挙において決定的に重要だったと言い切ることはできないかもしれない。ただ、オンライン・メディア、ソーシャル・ネットワークの情報を恒常的に収集し、ビッグデータとして分析し、有権者の政治意識、支持傾向を個々人のレベルまで把握する動きが始まったことは間違いない。本稿では触れていないが、オンライン空間での有権者の発言などから潜在的な有権者の政治思考を捉え、それに沿ったマイクロな選挙戦も始まっている。2019年選挙はその意味で新たな政治の始まりを告げた。

写真の出典
  • Rumah Bersama Pelayan Rakyat提供。
著者プロフィール

岡本正明(おかもとまさあき)。京都大学東南アジア地域研究研究所教授。博士(地域研究)。専門は東南アジアの政治。主な業績は、『暴力と適応の政治学――インドネシア民主化と地方政治の安定』(京都大学学術出版会、2015年)、『東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析――タイ、フィリピン、インドネシアの地方エリートサーベイから』(共編著)(晃洋書房、2019年)。

書籍:暴力と適応の政治学

書籍:東南アジアにおける地方ガバナンスの計量分析