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2019年インドネシア大統領選挙で何がおきたか――分断と凝集の政治ベクトル

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050928

本名 純

2019年5月

(6,336字)

2019年4月17日、インドネシアで大統領選挙が実施された。世界最大で最も「ややこしい」直接民主選挙と称され、国際的な注目も浴びた。1億9000万を超える有権者が直接選挙で大統領を決めるのは、間違いなく世界最大規模の民主選挙だ。それがなぜややこしいのか。理由は各種の議会選挙の投票が同時に実施されたからである。有権者は大統領選挙に加えて、国会議員、地方代表議会議員、州議会議員、県議会・市議会議員を選出するため、同じ投票所で5種類(ジャカルタ首都特別州は県・市がないので4種類)の投票を同時に行う。

有権者も大変だが、全土で80万カ所以上設置された投票所で働く選管スタッフも大変だ。各投票所では昼夜ぶっ通しでの開票作業を強いられ、疲労とストレスで500人以上が亡くなった。こんな展開は初めてであり、文字通り「殺人的」に忙しい選挙となった。

その前代未聞の選挙は何をもたらしたか。コメンテーターの多くは、「分断」というキーワードで今回の選挙を説明する1。その分断がインドネシアの民主主義を脅かす危険性さえも指摘される。

筆者は、今回の大統領選挙に関わる多くの政治エリートの行動を間近で観察してきた。そこから見えてくる展望は、必ずしも「分断論」が示すようなペシミズムではなく、もっと多元的な権力闘争の本格化であり、それが逆説的に民主的な政治空間を強靭にしている実態である。

分断の政治

そもそも分断とはなにか。英語ではpolarizationである。今回の大統領選挙の文脈において、現職のジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)と対抗馬のプラボウォ・スビアントの支持層に、くっきりとアイデンティティの亀裂が露呈した。それを分断という言葉で表現している。もちろん米国のトランプ大統領の選挙や、英国のEU離脱投票で、社会の分断という概念が広まったことと無関係ではない。また欧州で極右政党が選挙で躍進する際にも社会分断が強調されてきた。いずれの場合も、人々の投票行動が、政策や業績評価というよりも、民族・宗教・人種といったアイデンティティで分断されるケースである。その亀裂が他者不信を強め、社会的多様性に対する寛容度を低下させ、民主的な政治空間が圧迫されていくことを世界が懸念している。

インドネシアも、同じような文脈で分断が語られる。信頼できる世論調査機関による選挙結果の即日クイックカウント(下図参照)が示すように、得票率約55%のジョコウィ票は、彼の出身地でジャワ島の心臓部にあたる中部ジャワ州、そして穏健なイスラム信仰が生活に浸透している東ジャワ州に集中しており、ジャワ島の外では非イスラムが多い地域でプラボウォの得票を上回っている。平たくいえば、ジョコウィは「穏健イスラムと非イスラム」の支持を強固にした。

逆に得票率約45%のプラボウォは、西ジャワ州やバンテン州といったジャワ島内のイスラム保守主義地域で支持を増し、またジャワ島の外ではイスラム色が強い州でジョコウィに勝っている。この宗教軸に沿って、ざっくりと「保守」と「穏健」という分断が選挙結果に現れた。これが今回の大統領選挙の特徴である。

写真:Saiful Mujani Research&Consulting (SMRC)社による即日クイックカウントの画面

Saiful Mujani Research & Consulting (SMRC)社による即日クイックカウントの画面。左側の写真がジョコウィ=マアルフ組、右側の写真がプラボウォ=サンディアガ組。地図で赤色に塗られている州がジョコウィ=マアルフ組が勝利すると予想される州、青色に塗られている州がプラボウォ=サンディアガ組が勝利すると予想される州。

この分断は、もちろん政治的な意味を持つ。保守的なイスラム主義を掲げる勢力は、国の政治や法律、さらには社会規制に厳格なイスラム的価値を反映させるべきだと考えるし、国民の多数を占めるムスリムは経済的に優遇されるべきだというマジョリタリアンの意識も強い。一方、ムスリムだけど穏健的な人たちは、国家独立のときから培ってきた民族・宗教的多様性を大事にし、異なる宗教の共存こそがインドネシアの固有文化だと主張する。それが国是である「多様性の中の統一(Bhinneka Tunngal Ika)」であり、政治もそれを脅かすべきではないと考える。

今回のジョコウィとプラボウォの戦いは、このインドネシアの根底にある2つの「主義」をめぐる亀裂を最も深くえぐることとなった。インドネシアの民主選挙の歴史で、分断が最も深刻に表面化したケースといえよう。

誹謗中傷情報の兵器化

なぜそうなったのか。ひとつには、保守イスラム勢力がプラボウォ支持で結束したからである。急進的なイスラム政党やイスラム強硬派団体、サラフィー主義の運動2などが反ジョコウィの選挙運動を主導した。その先頭に立ったのがサイバー部隊であり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて「ジョコウィ政権の危険性」を訴える「サイバー戦」を大規模に展開した。

もちろん5年前の大統領選挙でもSNSは使われたが、今回の比ではない。フェイクニュースや偽情報をSNSで組織的に、体系的に、怒涛のごとく拡散するIT専門家集団が暗躍した。彼らは米国のトランプ大統領の選挙コンサルであった「ケンブリッジ・アナリティカ」のSNS選挙戦略を研究しており、誹謗中傷の偽情報を世論形成の兵器として動員した。「ジョコウィが再選したら同性婚が合法になる、共産主義も復活し、アザーンも禁止になる」などの「ガセネタ」をSNSで洪水のように流し、イスラム保守層の有権者がジョコウィに嫌悪感や怒りを覚え、現政権の継続は脅威だと確信するための情報拡散に励んだ3

ジョコウィ陣営も対抗した。警察はサイバー対策の特別班を組織し、偽情報の摘発に精を出す一方、陣営のサイバー部隊もカウンター工作でプラボウォの誹謗中傷をSNSでばら撒いてきた。プラボウォが大統領になったら「民主政治は凍結され、社会から自由は奪われ、シャリアが導入されイスラム国家ができる」といったガセネタである。穏健イスラムや非イスラムの人たちに、プラボウォ脅威論を植え付けるための情報工作だ。このサイバー空間における両者の誹謗中傷合戦こそが、今回の選挙の主戦場となった。

サイバー戦だけを見れば、軍配はプラボウォに上がっていたと思われる。しかしジョコウィ陣営は、インドネシア最大のイスラム社会団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の支持を取り付け、その選挙支援に大いに助けられた。穏健主義を信条とするNUの影響力は、東ジャワから中部ジャワにかけて最も強い。そのNU系のモスクや寄宿学校などで、「ジョコウィが負けたら解放党(HTI)やイスラム擁護戦線(FPI)が力を持ち危険だ」といったメッセージが浸透していった。

HTIはカリフ制を唱える越境的急進イスラム団体で、現政権に解散を命じられて2017年に非合法となった。FPIもシャリア国家を目指す武闘派団体で、各地でNUと衝突してきた。NUにとって、HTIもFPIも目障りな存在であり、プラボウォを積極的に支持する両団体が、今後、東ジャワや中部ジャワで勢いづくのは悪夢だ。そのお家事情もあり、今回ジョコウィの再選運動を支援し、「プラボウォ脅威論」の草の根世論形成に貢献した。

結果、東ジャワ州と中部ジャワ州の2州でジョコウィ票が大幅に増えた。この増分がなければ、ジョコウィは負けていたかもしれない。その意味で、ジョコウィにとって、この両州におけるNUの貢献は大きい。しかし、そのコストがジャワ島での分断の深化だともいえる。

政治エリートの思惑

では、今回の分断選挙を経験したインドネシアの政治に、どのような展望があるのか。分断をアピールするコメンテーターの多くは悲観論を示す。例えば、プラボウォ勢力は敗北を認めず、「メディアも世論調査も選挙機関もイカサマだ」という怒涛の抗議を続けていることから、今後も保守イスラム勢力は反政府で結束し、分断は長期化すると悲観する。さらに、この分断でアイデンティティ政治の動員が恒常化し、インクルーシブで寛容な政治空間が圧迫され、マイノリティーの尊厳などの民主主義的価値が脆くも崩れていく危険性さえ指摘される。そういう議論は、右翼ポピュリズムの台頭を許した欧米の民主主義国でよく聞かれる話であり、インドネシアがあとを追っても不思議ではないというロジックにも支えられている。

しかし、インドネシア政治の「ユニーク」な実態を見過ごしてはいけない。それは政治エリートの凝集性の高さである。与野党の幹部のみならず、国軍や警察を含めた官僚機構のトップは、政治エリートのネットワークを形成しており、実はお互いをよく知る関係にある。同郷や親族関係をたどれば、この政治エリート集団は、皆どこかでリンクしており、そのつながりを駆使して政界を渡り歩いてきた人たちである。

国を動かすこの政治エリート集団が分裂しているのか。それは絶対にない。彼らの最重要関心は、政治経済的な権益の維持であり、それはきわめて多様で多元的なため、単純にアイデンティティで2つに分断されるようなものではない。彼らの政治はプラグマティズムが基本であり、「政治に永遠の敵はいない」という信念で動いている。

この政治エリートの内部力学に目を向けると、今回の選挙は「分断」ではなく「コンセンサス」がキーワードである。それは、「ジョコウィ対プラボウォ」という2014年選挙以来の構図が消滅する2024年選挙を見据えたコンセンサスであり、具体的には「フロントランナーの不在化」だ。

与野党問わず、政党幹部や地方首長などの政治エリートは、最大公約数として、そのコンセンサスが相互利益だと理解し、それに向けた政治行動を取ってきた。どういうことか。例えばジョコウィ陣営において、選挙前、彼は副大統領候補にマフッド元憲法裁判所長官を迎えようとした。しかし与党連合リーダーたちは拒んだ。特にゴルカル党、民族覚醒党、開発統一党の党首たちは、野心家のマフッドが副大統領になろうものなら、2024年選挙で大統領候補のフロントランナーになっている可能性が大だと読んだ。だから拒絶した。逆に高齢で次の目はないNU総裁のマアルフ・アミンを押し込んだ。そうすれば、2024年選挙は皆が一斉にオープン市場でゼロからの競争になり、各党の党首たちも優位に立てる余地が出てくる。

プラボウォとその副大統領候補であるサンディアガ・ウノを擁立する野党連合にも同じ思惑がある。多くの野党幹部は、サンディアガの台頭に警戒している。仮にプラボウォが当選したら、サンディアガは2024年には最有力な大統領候補となる。そのため、キャンペーンは手伝わない。面従腹背である。

例えば福祉正義党は党内対立が激しいが、アフマッド・ヘルヤワン元西ジャワ州知事や、アニス・マッタ前党首は、各々5年後に向けた野心を隠さない。民主主義者党も同じで、ユドヨノ前大統領の息子のアグス・ハリムルティ・ユドヨノを2024年に大統領選に絡ませるシナリオで動く。こういう野党エリートにとって、サンディアガは5年後の最強ライバルになる。できるだけ彼の台頭をおさえることが共通の利益になる。プラボウォ率いるグリンドラ党の内部にも同じ思惑が存在する。

地方リーダーも同様だ。ジャカルタ州知事のアニス・バスウェダン、西ジャワ州知事のリドワン・カミル、中部ジャワ州知事のガンジャル・プラノウォ、西ヌサトゥンガラ州の前州知事ザイヌル・マジディなど、2024年を見据えて動いている。彼らにとってもサンディアガがフロントランナーとなる状況は好ましくない。ベストなシナリオは、ジョコウィ再選による5年後のフロントランナーの不在化である。

他にも、元国軍司令官のムルドコや前国軍司令官のガトット・ヌルマントヨなども、それぞれジョコウィ陣営とプラボウォ陣営に分かれているが、共に2024年に野心を持っている。彼らにとっても、オープン市場を確保することが今回の共通利益になっている。

与野党を超えて、またジョコウィ対プラボウォという対立軸や社会の分断を超えて、政治エリートのコンセンサスと共通の思惑がここにある。

それは選挙後の展開に見事に反映されている。特に野党連合が解体していくのは時間の問題だ。すでに民主主義者党や国民信託党はプラボウォ陣営から露骨に離れつつある。プラボウォは、5年前と同じく「選挙集計はイカサマだ」として公式結果を認めず、憲法裁判所に訴えるであろうし、そのアピールを正当なものとして演出するためにもイスラム保守勢力のデモ動員に依存するであろう。しかし、そのコアなサポーター以外は、徐々に陣営から離れていき、2024年選挙に向けての政治ゲームに突入していく。それがインドネシアの政治エリートの行動規範であり、権力追求の鉄則である。

以上のことから結論として言えることは、確かに今回の選挙では、過去にない規模で有権者の分断が起きた。宗教アイデンティティがその亀裂となった。しかし、それが長期化して民主主義を溶解させるという悲観的な見方は単純すぎる。なぜなら、政治エリートの凝集性は高く、既得権益も多様であるため、民主政治の温存こそが彼らの共通利益になっている。これこそが、「分断の脅威」に対して、インドネシアの民主主義の防波堤になっているという逆説であり、現実的楽観主義の立場から見えてくる2019年大統領選挙の結果である。

写真の出典
  • Saiful Mujani Research & Consulting and Lembaga Survei Indonesia, "Metodologi, Proses, dan Hasil Quick Count Pilpres & Pileg 17 April 2019" [2019年4月17日大統領選・議会選クイックカウントの方法論、プロセス、および結果] 24 April 2019.
著者プロフィール

本名純(ほんなじゅん)。立命館大学国際関係学部教授。博士(政治学・国際関係学)。専門はインドネシア現代政治、東南アジアの安全保障。主な著作に、『民主化のパラドックス――インドネシアにみるアジア政治の深層』岩波書店(2013年)、Military Politics and Democratization in Indonesia. Routledge (2003)など。

著者近影(本名純)

  1. 例えば、John McBeth, "Indonesia election exposes ethnic, religious divides," AsiaTimes, 22 April 2019、Alexander R. Arifianto, "Is Islam an increasingly polarizing political cleavage in Indonesia? What the recent election shows," 25 April 2019, The Brookings Institution、Nithin Coca, "Indonesia’s Surprisingly Quiet Election," The Diplomat, 23 April 2019。
  2. 詳しくは、見市建「インドネシアにおけるサラフィー主義の影響」『東亜』603号、2017年9月、8〜9ページ参照。
  3. 詳しくは、本名純「扁桃体ハイジャックの選挙政治」『じゃかるた新聞』2019年3月11日を参照。