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(2019年インドネシアの選挙)社会運動が牽引したインドネシア大統領選の「分断」

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051417

2019年6月

(4,713字)

インドネシア政治における社会運動

2019年インドネシア選挙は、1998年の政変を経て民主化時代に突入してから5回目の総選挙、4回目の大統領直接選挙であった。制度としての民主主義は定着したが、その民主主義の中身については多くの問題点が指摘されている。典型的なのは、民主化後も政財界には少数のエリートが居座り、寡頭制支配(オリガーキー)が行われているとの見方である。地方分権によって、地方でも相似形の支配体制が形成されているともいわれる。政治家と有権者の関係においては経済的な互酬関係(クライエンタリズム)が支配的だとされてきた。汚職の蔓延も公然の事実である。さらに法律の恣意的な運用によって、少数派の権利が抑圧される事例も後を絶たない。

他方で、イスラーム団体や人権NGO、労働組合といった社会運動の影響力は小さいというのが通説であり、つまりは社会からの声が政治に反映されていないと見なされてきた。特定の社会問題に取り組むNGOを装っているが、実際には有力政治家の手足である実働部隊、といったケースも珍しくない。

しかし社会運動はつねに脇役に追いやられているわけではない。1998年の政変の引き金となった当時の学生運動の活動家は、おおよそ各党に見いだすことができる1。複数のイスラーム団体が政党を結成し、それまで在野にあった人権活動家などが政治家になった例も少なくない。2014年選挙では、多様なNGOやボランティアがジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)の大統領当選を後押しする運動を形成した2。ジョコウィの当選は「民主主義の勝利」とも評された。

もっとも、社会運動が影響力を行使すれば民主化が進む、というほど単純な話ではない。社会運動には非民主的で、少数派の攻撃を行うような集団も含まれる。2016年末には、ジョコウィに代わってジャカルタ州知事になったバスキ・プルナマ(通称アホック)の発言が「宗教冒涜」とみなされ、大規模な抗議集会に発展した。アホックはキリスト教徒で華人という二重の少数派であった。アホックへの抗議運動は「#大統領交代」運動に発展してプラボウォ陣営と一体化し、ジョコウィの再選を脅かした3

社会運動発祥の2政党

2019年の大統領選は、ジョコウィとプラボウォ両陣営の差異が強調され、主としてソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で、双方の支持者が誹謗中傷や流言飛語を先鋭化した現象を指して「社会の分断」や「二極化」が生じたといわれた。こうした分断や二極化を牽引したのは、両陣営に分かれた社会運動の活動家や社会運動発祥の政党である。

アホックへの抗議から「#大統領交代」運動、さらにSNS上の攻撃まで、反ジョコウィ、プラボウォ支持陣営として一貫して関与したのが福祉正義党(PKS)である。PKSは、エジプトのムスリム同胞団をモデルとするスハルト体制期のイスラーム系の学生運動を前身とする。個人の宗教的自覚を通じた社会や国家のイスラーム的変革を目指している。党の中枢には、中東に留学した宗教知識人と欧米や日本に留学した理系エリートが同居しており、現在の党首は学部から博士まで日本に留学していた人物である。

PKSは2019年議会選では、「ウラマー(宗教指導者)とウンマ(宗教共同体)に近いイスラーム政党」を謳い、反アホックデモのイメージを押し出した(画像1)4。繰り返された動員効果もあってか、同党は過去最高の8.2%を得票した。

(画像1)PKSを選ぶべき8つの理由 #2「ウラマー(宗教指導者)とウンマ(宗教共同体)に近いイスラーム政党」

(画像1)PKSを選ぶべき8つの理由 #2「ウラマー(宗教指導者)とウンマ(宗教共同体)に近いイスラーム政党」

PKSと対照的な存在が、ジョコウィを支持したインドネシア連帯党(PSI)である。PSIは、アホックを支援する勝手連「アホックの友だち」のメンバーらが2014年に結成した新党である。キリスト教徒、華人で女性のグレース・ナタリーが党首となり、中央執行部は9人中6人が女性、地方支部の指導者や候補者も4割以上が女性で、その多くが20、30歳台だった。人権NGOなどのリベラルな活動家が執行部に入ったり、公募した立候補者の選抜に関わったりした5。連立与党から距離を置きつつも、大統領選におけるジョコウィへの支持を明確にした(画像2)。

PSIは、地方自治体におけるイスラーム法に基づく条例制定や重婚(一夫多妻)制度の反対を掲げた。これまで既存政党が避けてきたイスラームに関わる問題を正面から取り上げ、都市部の女性票をターゲットにした。PSIの得票は2%弱、最低得票率の壁に阻まれ、国会での議席獲得はならなかった。ただ、大都市部では健闘し、ジャカルタ州議会では第4番目の勢力となった。

(画像2)「PSIはジョコ・ウィドドを支持する」

(画像2)「PSIはジョコ・ウィドドを支持する」

社会運動を前身とし、政党のなかではイデオロギーの両端にあるPKSとPSIがそれぞれの大統領候補を推したことで、両陣営のイメージの「分断」が強まった。すなわち、プラボウォ陣営はかねてよりジョコウィの世俗的イメージを突いて「反イスラーム」や「共産党」といった否定的なレッテルを貼ろうとしてきた。アホックへの抗議に始まった動員に加え、PSIのようなイスラームの保守的な規範に踏み込む政党がジョコウィを支持したことで、「反イスラーム」のイメージをより強めることができた。こうした目的から、「PSIはLGBTの権利を尊重する」という偽のポスターも作成された。インドネシアでは一般的にLGBTへの抵抗感が強いことを背景にした、PSIへの攻撃であった。

これに対してジョコウィ陣営は、プラボウォが「過激なイスラーム運動」に支持されているとのキャンペーンを行った。これはキリスト教徒などの少数派の票固めとともに、PKSをはじめとする新興イスラーム政治・社会運動の伸長を警戒する、既存のイスラーム団体の取り込みを企図していた。

両陣営の作戦はどちらも大きな効果があり、イスラームの保守的な価値観が強いといわれるスマトラ島の大半でプラボウォが圧勝した一方、非ムスリム地域や同じムスリムでも「過激派」への反発が強いジャワではジョコウィへの支持が大きく上回った。片方の候補の得票が85%を超える州も複数あった。まさに分断が起こった。

主戦場としてのジェンダー

具体的な政策レベルで、PKSとPSIを大きく分かつのが、女性への性暴力を取り締まる反性暴力法案である。法案の起草過程には、女性の権利団体や国家女性人権委員会などリベラルな女性組織が関与してきた。同法案が国会の審議まで上がってきたこと自体が社会運動の成果である。PSIも同法案の成立を公約に掲げた。他方のPKSは同法案に反対している。これは野党側の一致した見解ではなく、プラボウォが党首のグリンドラ党は賛成である。つまり、大統領候補の支持とイデオロギーを背景とした反性暴力法案への立場には「ねじれ」がある。

では、女性を性暴力から守るための法律にPKSなどの反対派はどのような論理で反対しうるのだろうか6。第1に、家庭内の性暴力に言及している同法の成立が、家庭の秩序を破壊し、婚外性交渉を助長するとの主張である。第2に、LGBTの権利擁護につながるという懸念である。実際にはこのような規定はないのだが、偽の法案がネット上で出回っている。第3に、法案の起草者がジェンダー平等主義者であり、こうした「西洋的」な考え方がイスラームはもちろん、インドネシアの国家原則(パンチャシラ)や「東洋の思想」にも反するというものである。男女には別々の役割が与えられているとの考え方をとる彼らにとっては、過剰な平等は宗教的規範に反するばかりでなく、国家や社会の秩序を破壊することになる。おおよそ女性を性暴力から守るという法律本来の目的から離れたところで、議論が展開されているのが分かるだろう。

しばしばフェイクニュースも動員して、反性暴力法案に反対する勢力に対して、女性の権利団体やPSIはその矛盾を指摘している。国会に議席は得られなかったが、メディアの注目を集め、ジェンダー問題を争点化したPSIの社会運動としての役割は小さくない。選挙が終わり、新政権発足が近づいてくると、プラボウォ支持だった政党も閣僚ポストを求めて大統領に接近する。政治エリートの「分断」はいずれ解消されるだろう。しかし反性暴力法案をめぐる社会運動間のイデオロギー対立はこれからが正念場である。

写真の出典
  • (画像1)PKSを選ぶべき8つの理由 #2「ウラマー(宗教指導者)とウンマ(宗教共同体)に近いイスラーム政党」:PKS art designer community, 8 Alasan Memilih PKS〔PKSを選ぶべき8つの理由〕
  • (画像2)「PSIはジョコ・ウィドドを支持する」:PSIウェブサイト PSI dukun Ir. Joko Widodo Presiden RI 2019-2024〔PSIは2019〜2024年大統領にジョコ・ウィドドを支持する〕
著者プロフィール

見市建(みいちけん)。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。博士(政治学)。専門はインドネシア現代政治、イスラーム政治運動。おもな著作に『新興大国インドネシアの宗教市場と政治』NTT出版(2014年)、『21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来』(共編著)明石書店(2018年)など。

著者近影(見市健)

  1. ファドリ・ゾン(グリンドラ党)、ファフリ・ハムザ(前福祉正義党)、ブディマン・スジャトミコ(闘争民主党)、アンディ・アリフ(民主主義者党)などである。彼らはしばしばテレビの討論番組で意見を闘わせ、ソーシャルメディアでも最も活発な政治家たちである。
  2. 2014年のジョコウィ陣営の選挙運動については見市建『新興大国インドネシアの宗教市場と政治』(NTT出版、2014年)を参照。なかでもとくにLGBTの権利運動に注目したものとして岡本正明「民主化したインドネシアにおけるトランスジェンダーの組織化と政治化、そのポジティブなパラドックス」『イスラーム世界研究』第9巻、2016年3月、231〜251ページを参照。
  3. 一連の流れについては、見市建「インドネシアにおける「イスラームの位置付け」をめぐる闘争」『国際問題』No.675、2018年10月、29〜37ページ参照。
  4. このスローガンは政党番号8番に因んだ「PKSを選ぶべき8つの理由」の2番目に挙げられている。1番は災害救援であり、イスラーム政党であることを強調した2番のすぐ後に、「インドネシアの一体性と国是・多様性のなかの統一を守る」というナショナリズムのアピールが来る。2番以外には「イスラーム的」と呼べるものはない。宗教性の強調だけでは他政党との差別化にはならず、また後述するようにウンマの過度な強調は「過激派」のレッテルを貼られることになる。上記のポスターでもインドネシア国旗と独立記念塔というナショナルなシンボルのみに色を付けて強調している。
  5. 主要イスラーム団体のナフダトゥル・ウラマー(NU)とムハマディヤのリベラルな活動家も執行部に名を連ねており、「イスラーム対世俗派」という単純な対立構造にはなっていない。
  6. 同法案の有力な反対派として注目すべき社会運動は家族愛連合(AILA)である。アホックへの抗議運動の当初の代表だったバクティアル・ナシールのほか、大学教員らがメンバーとなり、ロビー活動や法廷闘争を展開している。バクティアル以外のメンバーはほぼ全員女性である。