ライブラリアン・コラム
誰の人生を誰が書いているのか?――フィリピンをめぐる「回顧録」について
2026年6月
筆者には、著名人の自伝や評伝・伝記を読むのを趣味にしている友人がいる。その友人に「フィリピンに関するものは読んだことがないので、何か推薦して」と頼まれたのを機に、2025年までに刊行されたものについてOPACとCiNiiで検索すると、1903年刊の1冊をはじめとして620タイトル(!)が国内いずれかの図書館に所蔵されていることが分かった1。これらは1903~2025年における全世界でのフィリピンに関連する回顧録のすべてではないが、大まかな傾向を探るには十分な数字だろう。国籍や職業、年代別の出版点数等々…で仕分け、視覚的に整理してみた結果を以下に紹介する。
なお、本稿では、自伝と評伝・伝記をまとめて「回顧録」、自伝の著者または評伝・伝記の主人公の出身国に合わせて「~人回顧録」と表記する。
620タイトルを俯瞰
次に、これらがどのような組織から刊行されたかを、①大学出版・研究機関、②商業出版社、③その他(財団や各種団体、政府機関、私家版)で集計し、国内外別にまとめたのが図2である。特徴として明らかなのが「③その他(比国内)」のシェアの大きさで、出版を主業務としない組織が果たしてきた役割が見えてくる。実業家・政治家等の親族や大企業が社会責任の観点から設立・運営する財団(foundation)、特定の社会問題に取り組む有志団体、教育・社会政策を管轄する省庁下の委員会などが多数あり、それぞれの目的に適う著作の刊行を助成してきたようだ。また、1930~1940年代には、出版社としても機能する中小規模の印刷会社や、印刷や流通も手掛ける(ようになった)書店が創業されたらしい。これら組織も自費出版や私家版刊行点数の増加に貢献してきたと言えよう。
フィリピン人の「回顧録」
では、620タイトルの8割強を占めるフィリピン人回顧録の主人公はどのような人達だろうか。職業別2に分類した図3からは、大統領と行政・立法・司法部門、軍人を合わせると約1/3を公職経験者が占めていること、次に多いのが2割弱を占める「独立/政治活動家」であることが分かる。ここでも、スペイン・米国・日本の占領と統治、20世紀後半には独裁政権と民主化運動を経験した国であることが影響していると考えられる。なかでも、スペインからの独立運動の支柱であったホセ・リサール(Jose Rizal)は「永遠の国民的英雄」だ。関連する回顧録は40タイトル以上が確認でき、現在でも改訂版や新著が刊行されている。
これらを自伝、伝記・評伝で分類した図4をみると、軍人の「自伝率」が突出して高い。その内容は、第二次大戦中の日本軍捕虜としての経験やマッカーサー元帥を含む米軍、場合によっては抗日ゲリラとの協働などを回顧したものだ。他方、著者が公職にある場合は、仕えた大統領(評伝の著者であるときは、ラモス第12代大統領と戦前のラウレル大統領が人気のようだ)との関わりと自らのキャリア、当時の政策に関する記述が多い。大統領や実業家の自伝が少ない点は米国と大きく異なっており、出版文化における米国の影響は限定的だったと言えるのではないだろうか。
国別でみる“フィリピンに関わった外国人達”と「回顧録」
スペイン人回顧録は時代をさらに遡り、全てはスペイン統治時代が舞台となっている。検索結果に表示された全24冊のうち16冊を占める「その他」の評伝は、16世紀後半に始まったカソリック系修道会によるフィリピンでの布教活動を担った会士達を対象としており、執筆活動をしていた者も、スペイン領東インドの拠点だったマニラで事業会社に所属しつつ著作を発表していたらしい。また、2010年代後半にも、アテネオ・デ・マニラ大学で客員教授を務めていたスペイン人研究者が、フィリピン国家歴史委員会のプロジェクトの下で「スペイン統治期にフィリピンで活動したバスク人の伝記」4巻本をまとめ、同委員会から英語版を、のちにスペイン語版をバスク医学史博物館から刊行している3 。記録の掘り起こしと編纂は、現在も断続的に行われているようだ。
「回顧録リスト」を作りながら考えたこと
興味本位でリストを作り始めた時には、本稿の書きぶりが「支配」や「戦争」に覆われるとは予想していなかったが、書き進めていくなかで、回顧録であれ、公文書や学術書であれ、何らかの「記録」とはそういうものだ、と改めて考えさせられた。また、書誌情報を深掘りする際には、AIが非常に役立った。「それ、間違ってると思いますよ」とたまに突っ込みながらも、回答されたまとめや出典を参照しながら、カソリック修道会の記録・報告魔ぶりやフィリピンならびに米国の出版事情について教えられた。フィリピン出版界については、1940~1950年代に知識人が創業し、経営継承して存続している独立系出版社もあるとのこと。産業盛衰史としても面白いテーマかもしれない。
なお、金融業界で働く件の友人には、De La Salle University Pressから刊行された現代の実業家の評伝シリーズを薦めておいた。「一時帰国のときにアジ研図書館に来れば、7冊全部読めますよ。各冊とも薄いので、所要2時間弱かな」と宣伝しつつ。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール
柏原千英(かしわばらちえ) 開発研究センター・上席主任調査研究員。専門はフィリピン経済(金融、IT-BPM産業)、国際法・国際機構論。著作に「フィリピン経済 「非常事態宣言」下の対応と構造改革」(『外交』Vol. 97、May/Jun, 2026)、『フィリピン 過渡期の人材育成 職業訓練は「仕事」と結びつくのか』(編著、アジア経済研究所、2023年)など。
注
- データは2026年4月末時点。OPACおよびCiNiiで”biography, Philippines”と”memoir, Philippines”を検索し、①著者・刊行年・出版者情報が揃う書誌をリスト化、②再版は大幅改稿・加筆がない(と推測される)場合は同一、翻訳版は別タイトルとして集計した。うち最古の書誌は1903年刊、17世紀初頭にマニラで修道院を創立したスペイン出身の聖クララ会修道女へロニマ・デ・ラ・アスンシオン(Geronima de la Asuncion)の再編伝記である。
- 「実業家兼政治家」や「作家兼活動家」など複数の肩書を持つ場合もあるため、データラベルは該当する書籍数だが所蔵点数とは必ずしも一致しない。次項の外国人についても同様。「その他」には、宗教関係者や一般市民、出版物が人物伝を含む地方誌や民族誌、あるいは集団をおもな記述対象とする自伝や評伝を集計した。
- Anduaga, Aitor. 2019. The Lives, Ideas, and Works of Basques in the Philippines. National Historical Commission of the Philippines.とAnduaga, Aitor. 2023. Los Vascos y Filipinas: Vidas, Obras e Ideas: Una Bio-bibliografia Selecta. Museo Vasco de Historia de la Medicina.