ライブラリアン・コラム
民主主義の熱──インドネシア統一地方首長選挙を観察して
河合 早由里
2025年2月
統一地方首長選挙
2024年11月27日にインドネシアで統一地方首長選挙が行われた。今回の選挙では、初めて全国すべての地方自治体で同日に投票が行われた。37の州知事と508の県知事・市長が2億人を超える有権者によって選ばれたのである。特に注目を集めた選挙のひとつが、首都ジャカルタでの州知事選挙であった(本名 2024, 12)。
筆者は現地調査研修というアジア経済研究所の制度を利用して、インドネシア政治を専門とする川村晃一研究員とともに、ジャカルタ州知事選の投開票を観察する貴重な機会を得た。本稿ではその様子を紹介するとともに、アジア経済研究所図書館(以下、アジ研図書館)の所蔵する関連資料についてご案内したい。
投票の様子
インドネシアでは午前7時に投票が開始され、午後1時に締め切られる。日本のような期日前投票はないが、投票日に有権者が割り当てられた投票所に行けない場合は別の投票所で投票ができる。しかし、投票用紙は投票所ごとに数が限られているため、余剰の投票用紙がない場合は他の投票所を探す必要があるという。
当日は見学可能な投票所を探すところから始まった。今回の地方首長選では、各投票所に割り当てられる有権者の人数は600人以下となっている。投票所は地域の集会所やイスラーム教寺院(モスク)の庭、有力者の邸宅の庭などに設けられる。道路を通行止めにして設けられた投票所もあった。
通行人に投票所がどこにあるか尋ねながらカンポン(集落)の入り組んだ道を歩くと、しばらくしてテント内に設置された投票所が見つかった。投票所の外にはその投票所に割り当てられた有権者のリストが貼りだされている。ジャカルタの場合、今回の選挙で投票が行われるのは州知事選のみなので投票箱は1つのみであるが、大統領選と議会選が同時に行われる際には、投票箱は5つにもなる(川村 2024)。
有権者は受付を済ませると、待合スペースで投票の順番を待ったのち、投票所の係員からマイクで呼び出される。渡された投票用紙を手に投票スペースへ進み、投票用紙の自分が投票したい候補者の箇所に釘で穴をあける。そして投票用紙を投票箱に入れる。最後に投票を済ませた証拠として濃紫色のインクを左手小指の先に付ける点が特徴的である。左手小指の先にこのインクが付いている人にはカフェでコーヒー1杯無料のサービスがあったり、商店で小物のプレゼントがあったりする。このインクは手を洗っても2~3日は取れないが、汗で落ちて衣服などに付くことがあり要注意である。
開票の様子
インドネシアの選挙では投票が締め切られたのち、開票と集計がその場で実施される。午後1時に投票が締め切られると、残った投票用紙の数と投票した人数を名簿で突き合わせる作業が行われる。そののち、筆者が見学した投票所では午後2時頃から開票が始まった。年間を通じて気候が暑熱なインドネシアでは、ほぼ毎日日中は気温が30℃を超える。その日も30℃を超える気温のなか、かろうじてテントのような布が張られているだけの屋外の投票所で、周辺住民に見守られて開票作業が進められた。
結束バンドで閉じられていた投票箱が開けられ、机上に投票用紙が出される。係員は投票箱の中が空になったことを確認して、大きな声で「Kosong!(空っぽ!)」と宣言した。机上の投票用紙が数えられ、有権者名簿の投票者数との突合せが行われる。数の一致が確認されたのち、マイクが用意されて、いよいよ開票である。
折り畳まれた投票用紙が広げられると、係員はそのマイクを使って「Nomor Satu!(1番!)」と読み上げ、1番の候補者のところに穴が開いていることを、周囲で見守る周辺住民にも見えるようにしつつ、投票所監視員に示す。記録係が1番の候補者に1票が入ったことを、全員に見えるよう貼りだされた模造紙に記録していく。この作業をすべての投票用紙に対して行うのである。
驚いたのは見守る周辺住民が、番号が読み上げられるたびに歓声を上げていたことである。自分の応援している候補者に票が入ったときなのか、特定の候補者の時だけ歓声を上げる人もいたが、すべての候補者に対し歓声を上げる人や叫びながら走り回る人もいて、さながらお祭り騒ぎであった。また、読み上げ係も歓声が小さくなってくると、煽るような言葉を口にして場を盛り上げる。周囲では子ども達も一緒になって開票を見守り、時にともに歓声を上げていた。
約2時間かけて開票作業が完了した。その後は集計作業が行われる。折しも降り始めた雨によって、徐々に見守る周辺住民は減っていったが、それでも数人は残って作業を見守っている。模造紙に各候補者の合計得票数が記入されたのち、その投票所の係員や責任者が署名して、その模造紙をスマートフォンのカメラで撮影する。撮られた写真はスマートフォンで選管に送られ、そこで各地区の票数の集計が行われるそうだ。激しい雨に降りこめられた我々は、とっぷりと日も暮れた午後7時頃に投票所を後にした。
近年インドネシアでは選挙に政治介入があったという噂がささやかれ、「民主主義の後退」が指摘されることもある。しかし、雨期の高温多湿で過酷な天候の下、丁寧に作業にあたる投票所係員やそれを集計まで見守る周辺住民の様子に、民主主義の根源的な姿、民衆の政治参加のあるべき姿について改めて考えさせられた。インドネシアでは選挙のたびに投票率が約70~80%にも達する。翻って日本の選挙を見てみると投票率が約40~50%であることが多く、時には過半数の人が自身の投票権を放棄していることになる。しかし、投票は最も容易で身近な政治参加であり、社会参加である。日本でももっと気軽に、もっと熱意をもって、投票し、結果に関心を持つことが必要なのではないか。灼熱のインドネシアで投票所の活気と熱気に当てられながら、そう考えた。
関連資料の紹介
ここまで筆者が観察した地方首長選挙の様子について述べてきた。ここからはアジ研図書館の所蔵するインドネシアの選挙や政治に関連した資料のなかから、2点の書籍を紹介する。
アジア経済研究所のインドネシア研究者たちは、1999年の民主化直後の総選挙から5年ごとの選挙が行われるたびに、選挙とその時代のインドネシアが直面する問題について分析を行い、その成果を発表している(川村 2020,ⅰ)。
川村晃一編『2019年インドネシアの選挙 : 深まる社会の分断とジョコウィの再選』はその研究成果の一つである。2019年に行われたインドネシアの大統領選挙を多角的に分析し、前回の選挙との間にインドネシア社会に起こった変化を解説している。特に、「投票行動、イスラーム、選挙戦略、社会運動、政治家の社会的背景といった観点から」分析されている点に特徴がある(川村 2020, ⅱ)。
同じく川村晃一編『新興民主主義大国インドネシア : ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の誕生』も研究成果の一つで、こちらは2014年の大統領選挙を軸として、2004年~2014年のユドヨノ政権下のインドネシア社会を振り返る。
いずれも、インドネシアの選挙を通じて、インドネシア社会について知ることができる資料となっている。本稿を読んでインドネシアの選挙や社会に関心を持たれた方がいれば、より知識を深めるために上掲書をおすすめしたい。
筆者は今回の現地調査研修でインドネシアの投開票を見学したことで、担当地域について見識を深めることができた。それに加えて、研究者のフィールドワークに同行することによって、上記で紹介したような書籍がどのような調査に基づいて執筆されるのかについても知ることができた。貴重な機会を得られたことに謝意を述べて本稿を結びたい。
参考文献
- 本名純(2024)「ジャカルタ特別州知事選にみるエリート政治」『月刊インドネシア』第918号。
- 川村晃一(2024)「【カバル・アンギン(風のたより)】投票所は民主主義の土台です──2024年選挙の投開票の現場から」(https://kapal-indonesia-jepang.net/kontribusi/kabarangin/pemilu2024/)。 (最終閲覧2025年1月15日)
- 川村晃一(2020)「はじめに」川村晃一編著『2019年インドネシアの選挙』千葉:アジア経済研究所。
- 川村晃一編著(2015)『新興民主主義大国インドネシア』千葉:アジア経済研究所。
写真の出典
- すべて筆者撮影
著者プロフィール
河合早由里(かわいさゆり) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア島嶼部。