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台湾 ・緑島――白色テロの歴史の記憶
Remembering the History of the White Terror in Green Island, Taiwan
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002002004
松本 はる香
Haruka Matsumoto
2026年7月
(3,673字)
美しい自然に恵まれた緑島
台湾東部の台東からフェリーに乗り、太平洋の荒い波間を東へ進むこと約1時間。水平線の彼方に、緑色の小さな島影がゆっくりと姿を現す。それが緑島(リュイダオ)である。港に降り立つと、まず目に入るのは、透明度の高い海と、南国らしい強い日差しである。現在の緑島は、ダイビングやシュノーケリングを楽しむ観光客が訪れる、美しい自然に恵まれた島として知られている。そこは、台湾本島とは異なるゆったりとした時間が流れており、都会の喧騒から離れた「秘境」のような雰囲気を漂わせている(写真1)。
島内にはサンゴ礁に囲まれた海岸や亜熱帯の植生が広がり、海岸沿いには世界的にも珍しい海水温泉も存在する。車で島をめぐれば、切り立った海岸線や荒々しい岩肌、太平洋へ続く雄大な景色が次々と現れる。緑島は、強烈な日差しや火山島特有の荒々しい地形から、かつて「火焼島」とも呼ばれていた。美しい自然に恵まれた島であるが、灼熱の過酷な気候を感じさせる雰囲気も、緑島のもうひとつの側面である(写真2・3)。
白色テロ緑島紀念園区
そうした風光明媚な緑島の港の玄関口から少し離れた場所に、台湾の「国家人権博物館」が管轄する「白色テロ緑島紀念園区」(中国語名:白色恐怖緑島紀念園区)がある1。「白色テロ緑島紀念園区」とは、1950年代から1980年代後半にかけて政治犯の収容施設として使われた跡地を保存・公開した場所であり、そこに近づくにつれて島の空気は少しずつ変わっていく2。
緑島の海岸風景のなかを進んでいくと、やがて「新生之家」と記された門が目に入る。その先には、政治犯収容施設である「新生訓導処」の跡地が広がっている。「新生」という名称には、収容者を「新しい人間」として再教育・矯正しようとする意図が込められており、当時の思想統制の発想が色濃く反映されている。観光地の明るい風景のなかに、政治犯収容施設の跡地が不意に現れ、その瞬間、緑島が単なるリゾート地ではなく、台湾近現代史の重苦しい記憶を刻んだ場所でもあることに気づかされる。
高い塀、監視塔、有刺鉄線、無機質なコンクリート建築(写真4)。南国の強い日差しの下にあるにもかかわらず、その一角だけが静かで重い空気に包まれているように感じられる。保存されているのは建物だけではない。島の風景とともに、そこに収容されていた人々が暮らし、苦しみ、時に政治的弾圧のなかで命を落とした痕跡が、今なお残されている。いわば施設全体が、白色テロの記憶を静かに刻む「記憶の場」となっているのである。
施設の入口付近には、台湾の権威主義体制と白色テロの歴史をたどる展示が設けられている。そこには、二・二八事件3、戒厳令、そしてかつて政治的言論を広く取り締まる根拠ともなった刑法一〇〇条の文言などが並び、台湾社会が長期間にわたり政治的抑圧を経験してきたことが示されている。中国大陸で国共内戦に敗れた国民党政権は、台湾へ移転した後、共産主義者や反体制派への警戒を強めた。その過程で、多くの知識人、学生、文化人、市民らが「思想犯」として逮捕され、投獄された。緑島は、台湾における白色テロの象徴的存在のひとつなのである。
緑島では、1951年に政治犯を収容する「新生訓導処」が設立され、その後は「緑洲山荘」などの施設が設けられた。収容者のなかには、中国共産党のスパイと疑われた者だけではなく、当時の政府に批判的と見なされた人々や、あるいは事実無根の疑いをかけられた人々も少なくなかったという。彼らはこの孤島へ送られ、厳しい監視下での生活を余儀なくされた。
「新生訓導処」の中心部には、政治犯収容施設の中核をなしていた「八卦楼」が残されている。この建物は、政治犯を収容・管理するための中枢施設であり、現在では白色テロを象徴する建築物のひとつとなっている。八角形の独特な構造を持ち、中央から周囲を見渡せるようになっているその空間は、「監視」そのものを象徴しているように見える。静まり返った建物の中を歩いていると、収容者たちが日々こうした視線の下に置かれていたことが想像され、その長い年月が重い現実として迫ってくる。
「八卦楼」の内部には、当時の収容房や監視施設が保存・復元されている(写真5)。狭い部屋、閉ざされた窓、簡素な寝台。冷暖房もなく、夏の暑さや冬の寒さをしのぐことも容易でなかったことがうかがえる。政治犯たちは、こうした閉ざされた過酷な環境のなかで長期間の生活を送り、思想改造教育や労働を強いられた。
緑島の墓標群が語りかけるもの
収容施設の建物の外へ出て海岸沿いを少し歩くと、石造りの小さな隔離小屋に遭遇する。潮が満ちてくると海水が入り込み、強い湿気と暑さに包まれるその空間は、懲罰のための隔離に用いられ、収容者に大きな精神的苦痛を与えたと言われている。その閉塞感を言葉で十分に言い表すのは難しいが、実際にその場に立つと、隔離された空間の狭さと息苦しさが強く印象に残る。青い海を目前にしながら、そこに閉じ込められた人々の心境を想像すると、緑島の風景は全く異なるものに見えてくる。
さらに、海岸線の傍らにある野原を進んでいくと、大小さまざまな墓標が並ぶ一角にたどり着く(写真6)。その光景に、筆者は雷に打たれたような衝撃を受けた。この一帯には、緑島で亡くなった政治犯たちを悼む墓地が残されていたのである。青い海と強い日差しに囲まれた風景の中に静かに佇む数多くの墓標を見ていると、この島が単なる収容の場所ではなく、多くの人々の人生が断ち切られた場所でもあったことを改めて認識させられる。風の音しか聞こえない静かな場所に立っていると、その墓標の一つひとつが、この島で失われた多くの命を静かに物語っているようにも感じられた。
なぜ緑島が、政治犯収容の地として選ばれたのだろうか。島を歩いていると、そのことを考えずにはいられない。孤島であることは脱出を困難にし、台湾本島から距離を置くことで、政治犯たちを社会から隔離する意味もあったのだろう。政府にとっては、政治的に危険と見なした人々を「見えない場所」に置くという側面もあったのかもしれない。
しかし、その「見えない場所」は、現在では台湾社会における記憶の重要な現場となっている。かつて人々を沈黙させた場所が、いまや「記憶を語る場所」として公開されているのである。かつて閉ざされていた場所が一般に公開され、観光客や学生、研究者などが訪れる場所となった。民主化とは、単に政治制度が変わることだけではなく、語ることのできなかった歴史を社会が共有できるようになる過程でもあるのだ。
緑島のすべての園区を見学した後、参観者向けに配布されていた国家人権博物館のカードには、アメリカの公民権運動の指導者として知られるキング牧師の言葉として、「どこかで行われる不正は、あらゆる場所の正義を脅かす」(Injustice anywhere is a threat to justice everywhere.)という一節が中国語で記されていた。台湾の白色テロを、単なる台湾内部の特殊な歴史としてではなく、より普遍的な人権の問題として位置づけようとする姿勢が、そこに表れているようにも思える。
白色テロと記憶の継承
台湾を訪れる機会があれば、緑島はぜひ一度足を運ぶ価値のある場所である。単に美しい自然を楽しむだけではなく、台湾社会がどのような歴史を経験し、それをどのように記憶しようとしているのかを知り、体感できるからだ。
近年、こうした台湾の白色テロの歴史を扱った映画や映像作品も増えている。特に映画「流麻溝十五号」は、緑島に収容された女性政治犯たちを描いた作品として注目を集めた。映画では1950年代の緑島を舞台に、閉ざされた環境のなかで日常を生きる人々の姿に焦点が当てられており、収容された女性たちの友情や葛藤、不安が静かに描かれている。
なお、台北市郊外にある景美にも、白色テロ時代の歴史を伝える、もうひとつの「国家人権博物館」である、「白色テロ景美紀念園区」(中国語名:白色恐怖景美紀念園区)がある4(写真7)。こちらは、かつて軍事法廷や看守所が置かれ、多くの政治犯が収容・尋問された場所である。緑島とあわせて訪れることで、台湾近現代史への理解はさらに深まるだろう。国家人権博物館は、白色テロの歴史を単に展示するだけでなく、それを社会全体で共有すべき「記憶」として継承しようとしている。こうした取組みは、過去の人権侵害と向き合い、その歴史を検証・継承しようとする台湾の「移行期正義」5の一環でもある。時間の限られた旅行者であれば、まずは景美にある施設を訪れるだけでも、台湾の白色テロの歴史に触れることができる。
台湾の民主化の歩みは、長い抑圧の歴史と切り離して語ることはできない。その背後には、多くの人々の沈黙や苦しみ、そして自由や人権を求め続けた人々の存在があった。緑島と景美に残された施設は、そうした歴史を現在へ伝える「記憶の場」となっている。
(謝辞)緑島で国際人権ワークショップを開催し、島内の史跡を見学する貴重な機会を与えてくださった薛化元先生、陳進金先生、林果顕先生をはじめとする国立政治大学台湾史研究所の関係者のみなさまにこの場を借りて心よりお礼を申し上げたい。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
- 筆者撮影
参考文献
- 陳進金 2021.『空間・記憶・歴史――戦後東台湾的政治監獄』新北:稲郷出版社.
- 曹欽栄 2022.『走吧! 緑島我来了!』台北:玉山社.
著者プロフィール
松本はる香(まつもとはるか) 2005年アジア経済研究所入所。現在、新領域研究センター主任調査研究員(博士)。専門は、東アジア国際関係史、中国外交、台湾をめぐる国際関係。2024年5月~2025年5月、海外調査員として、台湾・国立政治大学台湾史研究所の客員研究員を務める。主著に、『冷戦と台湾海峡危機 一九五四~六五年』(単著、白水社、2026年)、『〈米中新冷戦〉と中国外交──北東アジアのパワーポリティクス』(編著、白水社、2020年)他。
注
- 2018年に台湾で創設された「国家人権博物館」については、国家人権博物館公式ホームページを参照。
- 台湾の白色テロ(中国語では「白色恐怖」)とは、国民党政権下の台湾で、主に戒厳令下(1949~1987年)に行われた政治的弾圧の総称である。共産主義者や反体制派と疑われた人々だけでなく、政府に批判的と見なされた知識人や学生、市民らも逮捕・投獄された。緑島や景美には政治犯の収容施設が設けられ、多くの人々が長期間にわたり自由を奪われた。現在、これらの施設は「国家人権博物館」として保存され、白色テロの歴史を伝える場となっている。なお、「白色テロ緑島紀念園区」(台東県緑島郷將軍岩20号)へのアクセスや開放時間などについては、公式ホームページを参照。
- 二・二八事件とは、1947年2月末に台湾各地で発生した反政府抗議運動と、それに対する政府側の武力鎮圧を指す。発端は台北で起きた闇タバコ取締りをめぐる市民への暴行・発砲事件であり、抗議運動は台湾全土へ広がった。戦後台湾における政治的抑圧を象徴する事件とされ、その後の白色テロを理解する上でも重要な歴史的出来事である。二・二八事件について理解を深めるには、台北市内にある、台北二二八紀念館(台北市凱達格蘭大道3号)や二二八国家紀念館(台北市南海路54号)などの展示が参考になる。
- 「白色テロ景美紀念園区」(新北市新店区復興路131号)へのアクセスや開放時間などについては、公式ホームページを参照。
- 移行期正義(transitional justice)とは、権威主義体制や独裁体制から民主主義への移行過程において、過去の人権侵害や政治的弾圧の真相究明、被害者の名誉回復、歴史資料の公開などを通じて社会的和解を目指す取り組みを指す。台湾では近年、白色テロの再検証や歴史資料の公開、国家人権博物館を通じた歴史継承などがその一環として進められている。


