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海外研究員レポート

台湾・慈湖に集められた蔣介石の像――「移行期正義」と記憶の再構築

Chiang Kai-shek Artifacts at Cihu: Transitional Justice and the Reconstruction of Memory

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001999

松本 はる香
Haruka Matsumoto
2026年6月
(3,699字)

慈湖に残る蔣介石の記憶

慈湖は、台北市街から約60キロ南西に位置する、桃園市大渓区にある小さな湖である1。小高い山々と森に囲まれた湖畔には、亜熱帯の植物が鬱蒼と生い茂り、周囲には山間の静けさが広がっている(写真1)。蔣介石は、この地の風景が故郷である中国浙江省奉化県渓口鎮に似ているとして、ここに総統の滞在施設である慈湖行館を置いた。また、慈湖の奥には後慈湖があり、大陸反攻を掲げる蔣介石政権のもとで、戦時の指揮や退避に備えるための施設が整備されていた。緑に包まれた湖畔の景観の背後には、冷戦時代の台湾の軍事的緊張や、中国大陸への反攻を目指した蔣介石政権の構想の痕跡が、いまも残されている。

慈湖には、蔣介石の棺が納められた慈湖陵寝がある。蔣介石の霊柩は、いつしか中国大陸へ戻る日を待つかのように、ここに仮安置されている。定時になると、慈湖陵寝を警備する三軍儀隊による衛兵交代式が行われる(写真2)。戒厳令下の台湾では、慈湖は小中学校の社会科見学を兼ねた遠足先の定番であり、蔣介石への敬意や反共意識を学ぶ場でもあった。かつては、慈湖陵寝の内部を拝観することもできた。しかし、二・二八事件2の発生から71年経った2018年2月28日、蔣介石崇拝に反対する独立派の若者たちによって棺に赤いペンキがかけられる事件が起き、これをきっかけに建物内部の参観は制限されるようになった。

この事件が示すように、慈湖エリア一帯は単なる観光地ではなく、蔣介石の存在そのものを記憶する特別な場所である。それと同時に、蔣介石を権威主義体制や政治的抑圧の象徴と見る人びとにとっては、批判の対象でもある。慈湖は、こうした相反する記憶が交錯する場所であり、台湾社会における歴史認識や「移行期正義」(英語:transitional justice、中国語:轉型正義)をめぐる対立を、静かに映し出している。

写真1 小さな山と森に囲まれた慈湖

写真1 小さな山と森に囲まれた慈湖

写真2 定時に実施される慈湖陵寝の衛兵交代式

写真2 定時に実施される慈湖陵寝の衛兵交代式
慈湖紀念雕塑公園に集められた蔣介石の像

慈湖の湖畔には、慈湖紀念雕塑公園がある。それは、1987年の戒厳令解除以降、台湾の民主化にともなう大きな政治的変化のなかで、各地から撤去・移設された蔣介石の像が数百体集められた一風変わった公園である(写真3)。その公園に一歩足を踏み入れると、不思議な感覚にとらわれる。広い敷地の緑の芝生の上には、大小さまざまな蔣介石像が所狭しと立ち並んでいる。ある像は威厳をたたえ、ある像は穏やかな笑みを浮かべている(写真4)。立像、胸像、騎馬像……。姿かたちは異なるが、どれもかつては台湾各地の学校、役所、公園などの公共空間で、人びとの日常のなかに国家権力の存在を顕示していたはずの像である。それらがいま、慈湖の一角に集められている。整然としているようで、どこか非現実的な感じもあり、異様な光景である。かつて台湾各地に置かれていた蔣介石像の一部が、こうして慈湖に集められている光景は、それだけでも強い印象を残す。

こうした数多くの蔣介石像のうち、なかでも目を引くのが、赤茶けた巨大な坐像である(写真5)。この坐像は、かつて高雄市の公共文化施設である中正文化センター(現在の高雄市文化センター)に置かれていたものであり、2007年、台湾民主化後の「去蔣化」と呼ばれる「脱蔣介石化」運動の流れのなかで撤去された。「脱蔣介石化」とは、陳水扁政権時代に進められた、公共空間から蔣介石崇拝の痕跡を取り除こうとする動きである。しかし、その過程は決して平穏なものではなく、高雄の現地では、像の撤去をめぐって、保守系の反対派と警察との衝突も生じた。最終的に撤去されることになった蔣介石の坐像は、79片の部材となって慈湖に運ばれた[Wang 2007]。

のちにその巨大な坐像は、「傷痕と再生」と題して、慈湖の地で再構成された。完全な復元ではなく、解体と移設の痕跡を残すように置かれたその姿は、権威主義体制の象徴をめぐる台湾社会の葛藤を、文字通り傷痕として刻んでいるように見える。こうして、かつて高雄の公共空間に威風堂々と置かれていたはずの蔣介石の坐像は、人里離れた慈湖の一角で再構成され、ひっそりと存在し続けている。

写真3 慈湖紀念雕塑公園に集められた蔣介石の像たち

写真3 慈湖紀念雕塑公園に集められた蔣介石の像たち

写真4 さまざまな表情の蔣介石の立像

写真4 さまざまな表情の蔣介石の立像

写真5 高雄から運ばれた巨大な蔣介石の坐像

写真5 高雄から運ばれた巨大な蔣介石の坐像
「移行期正義」と台湾社会の記憶

「移行期正義」とは、独裁体制や権威主義体制のもとで、政府や支配政党による弾圧や人権侵害を経験した社会が、民主化後に、その過去をどのように検証し、被害者の名誉をどのように回復し、同じ過ちを繰り返さないための仕組みをいかにつくるのかをめぐる取り組みである[Teitel 2003; 平井2017; 平井2020]。欧米を中心とする研究では、移行期正義は、政治体制の転換期において、旧体制下の不正義にどう向き合うのかという問題として論じられてきた。そこでは、加害者の訴追だけでなく、真相究明、被害者への補償、公文書の公開、制度改革、記憶の継承などが重要な柱とされている。また、移行期正義は、過去を罰するためだけのものではなく、被害者の尊厳を回復し、社会が過去の暴力や抑圧の歴史をどのように記憶するのかを問い直す営みでもある[Minow 1998]。

20世紀後半以降、南欧諸国、ラテンアメリカ諸国、旧東欧諸国、南アフリカ、韓国など、権威主義体制や暴力的支配を経験した各地で、こうした取り組みが進められてきた。移行期正義という概念自体も、1980年代末以降の民主化や体制転換のなかで、人権侵害の過去をどう処理するのかという実践的な課題から形成されてきた[Arthur 2009]。だが、多くの社会で、裁判による責任追及だけでは過去を十分に扱いきれなかったため、何が起きたのかを明らかにすること、被害者が被害者として認められること、失われた記録を取り戻すこと、そして旧体制を支えた制度や象徴を見直すことも、移行期正義の重要な一部となった。

こうした取り組みは、記念碑や像の撤去や再配置といった公共空間の見直しにも及んでいる。たとえば、かつての独裁者の像を広場に残すのか、撤去するのか、あるいは博物館や記念公園に移して説明を加えるのか。そうした判断は、その社会が誰を称え、誰の被害を記憶し、どのような歴史を次の世代に伝えようとするのかに関わっている[Young 1993; Huyssen 2003; Bickford 2014]。つまり、移行期正義は、過去の弾圧や人権侵害を調査し、被害者の名誉を回復するだけでなく、人びとが日常的に目にする公共空間をどのように組み替えていくのかという問題でもある。その一つ一つの選択に、民主化後の社会が過去と向き合う難しさが表れている。

台湾の「移行期正義」は、蔣介石の歴史的評価にも及んでいる。戦後台湾で形成された「中華民国」中心の歴史観や、台湾へ移った政権を率い、「反共復国」を掲げた指導者として蔣介石を称えてきた記憶のあり方も、問い直しの対象となっている。学校や道路、施設名に残る、蔣介石の別名である「中正」の名、公共空間に置かれた蔣介石像、蔣介石に対する敬意を示す公的な儀礼や記念行事は、いずれも権威主義体制のもとで形づくられた政治秩序と深く関わっている。

慈湖の鏡に映し出される蔣介石の二つの顔

これまで筆者は、蔣介石を外交史や冷戦史の文脈で扱ってきた。大陸反攻を掲げ、アメリカとの関係を利用しながら、台湾を冷戦構造のなかに位置づけていった蔣介石の存在は、戦後の東アジア国際関係史を理解するうえで避けて通れない。しかし、慈湖に集められた蔣介石像を前にすると、そうした国際関係のなかの蔣介石だけを見ていればよいわけではないことに気づかされる。そこに浮かび上がるのは、冷戦史や米中関係、米台関係の文脈で語られてきた指導者としての蔣介石だけではない。台湾社会の内部で長く権威として存在し続け、その評価をめぐって今なお議論の対象となる蔣介石でもある。冷戦史のなかでは、蔣介石は、台湾の存続を支えた指導者として描かれることも少なくない。ただそれと同時に台湾社会の記憶のなかでは、権威主義体制や政治的抑圧の象徴としても存在している。この二つの側面を切り離して考えることはできない。

慈湖を歩きながら考えさせられるのは、歴史を多面的に見ることの難しさと重要さである。台湾では、民主化の進展とともに「移行期正義」の取り組みが進み、かつて権威主義体制下で語られてきた歴史を、異なる視点から問い直すことが可能になってきた。しかし、蔣介石をめぐる記憶は、台湾社会のなかで一つにまとまっているわけではない。その評価は、戦後台湾の歩みをどの立ち位置や角度から見るのかによって、大きく異なってくる。蔣介石の像をどのような距離から見つめるのかという問いにも、単純な答えはない。慈湖に集められた像たちを目の前にすると、蔣介石をめぐる過去をどう受け止め、どのように記憶を再構築していくのかという複雑で答えの出ない議論が、台湾社会のなかで今も続いていることが見えてくる。その意味で、慈湖は、蔣介石という存在を通して、台湾社会における歴史認識と「移行期正義」をめぐる問いを改めて映し出す、鏡のような場所なのかもしれない。

写真6 慈湖の入口付近に置かれている蔣介石像

写真6 慈湖の入口付近に置かれている蔣介石

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • 筆者撮影
参考文献
  • 平井新 2017.「『移行期正義』概念の再検討」『次世代論集』(2): 3-20.
  • ――― 2020.「移行期正義」若林正丈・家永真幸編『台湾研究入門』東京大学出版会, 281-293.
  • Arthur, Paige 2009. “How ‘Transitions’ Reshaped Human Rights: A Conceptual History of Transitional Justice,” Human Rights Quarterly 31(2): 321-367.
  • Bickford, Louis 2014. “Memoryworks/Memory Works,” in Transitional Justice, Culture, and Society: Beyond Outreach, edited by Clara Ramírez-Barat. New York: Social Science Research Council, 491-528.
  • Huyssen, Andreas 2003. Present Pasts: Urban Palimpsests and the Politics of Memory. Stanford: Stanford University Press.
  • Minow, Martha 1998. Between Vengeance and Forgiveness: Facing History after Genocide and Mass Violence, Boston: Beacon Press.
  • Teitel, Ruti G. 2003. “Transitional Justice Genealogy,” Harvard Human Rights Journal, Vol. 16: 69-94.
  • Wang, Flora 2007. KMT, DPP at Odds over Kaohsiung’s CKS Center,” Taipei Times, March 15, 2007.
  • Young, James E. 1993. The Texture of Memory: Holocaust Memorials and Meaning. New Haven: Yale University Press.
著者プロフィール

松本はる香(まつもとはるか) 2005年アジア経済研究所入所。現在、新領域研究センター主任調査研究員(博士)。専門は、東アジア国際関係史、中国外交、台湾をめぐる国際関係。2024年5月~2025年5月、海外調査員として、台湾・国立政治大学台湾史研究所の客員研究員を務める。主著に、『冷戦と台湾海峡危機 一九五四~六五年』(単著、白水社、2026年)、『〈米中新冷戦〉と中国外交──北東アジアのパワーポリティクス』(編著、白水社、2020年)他。

書籍:『冷戦と台湾海峡危機 一九五四~六五年』(単著、白水社、2026年)

書籍:『〈米中新冷戦〉と中国外交──北東アジアのパワーポリティクス』(編著、白水社、2020年)


  1. 慈湖(桃園市大渓区復興路一段1097号)へのアクセスや開放時間などの詳細については、慈湖観光センター(慈湖遊客中心のホームページを参照。
  2. 1947年2月27日夜、台北で闇タバコの取り締まりをめぐり市民への暴行・発砲事件が起き、翌28日以降、抗議運動が台湾各地へ広がった。これを政府側が武力で鎮圧した事件を二・二八事件という。戦後台湾における政治的抑圧の象徴とされる。二・二八事件について知識を深めるためには、台北二二八紀念館(台北市凱達格蘭大道3号)や、二二八国家紀念館(台北市南海路54号)などが参考になる。