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金正恩政権の「新時代の農村革命綱領」――農村開発・農業改革のゆくえ
“The Rural Revolution Programme in the New Era” under the Kim Jong-un Regime: An Analysis of Rural Development and Agricultural Reform in the DPRK
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001739
2026年2月
(4,047字)
「新時代の農村革命綱領」
金正恩総書記が近年推進している地方開発政策は、彼の地方経済の現状に対する強い危機感を背景にしていると考えられる。その経済政策の軸となっているのが「地方発展20×10政策」(筆者の別稿を参照)と「新時代の農村革命綱領」(以下、「農村革命綱領」)である。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)において「農村革命綱領」は農村開発を通じた地域間格差解消と農業改革を通じた食糧問題の解決を目指す重要な経済政策として位置づけられている。「農村革命綱領」は全文が公開されておらず全体像が明らかではないが、これまでの報道から分かることに基づいてその内容や位置づけを理解することが必要であろう。
以上のことを踏まえ、本稿では、金正恩政権が進めている「農村革命綱領」による農村開発・農業改革の内容や進捗状況、経済的背景と政治的位置づけについて論じる。
新しい農村開発・農業改革の内容
2021年末の朝鮮労働党中央委員会第8期第4回全員会議で、金正恩は「われわれ式社会主義農村発展の偉大な新時代を切り開こう」と題する演説を行った(『労働新聞』2022年1月1日)。これは後に「新時代の農村革命綱領」と呼ばれるようになったが、そこでは農民、農業、農村の各テーマに対応するような形で3つの達成すべき目標が掲げられている。
第1に、農民の意識改革である。利己主義などの「古びた思想」の克服や芸術・スポーツ活動を通じた文化的素養の体得などに加え、科学技術の習得を挙げている。科学技術に関しては、科学軽視の傾向の克服、先進的な技術・技能の普及などを求めている。実際、技術講習会の開催やネットワーク上で科学技術資料等を提供するサービスの普及などが進められていることが報道で確認できる。
第2に農業生産力の向上である。そのための施策として、米と小麦・大麦の生産拡大、収穫量の少ない耕地の改良、畜産・果物・野菜等の生産増大などのほか、灌漑工事の推進1、肥料・農薬開発、近代的な農業機械の製作・普及2などが挙げられている。
特に大きな変化として注目されるのが、従来の「米とトウモロコシ」中心の生産・消費を、「米と小麦・大麦」へと転換するというものである。2021年9月の最高人民会議第14期第5回会議で金正恩がこの方針を示し、「農村革命綱領」で再びこれを提示した。以後、小麦・大麦の増産が「農村革命綱領」の文脈で報道されるようになった3。
小麦・大麦を重視する理由については、それらが多様な食料品の生産に利用でき、トウモロコシよりも異常気象の影響を受けにくいうえ、二毛作の前作物として栽培を進めることで食糧問題解決に寄与できると主張されている(リ・ソンヨン2022)。また、2016年以降の小麦粉輸入の拡大などに示されるように、小麦粉製品の需要が持続的に増加していたという指摘もある(キム・イルハン2023)。
実際に小麦・大麦栽培はどの程度増加しているのであろうか。2024年の小麦・大麦栽培面積は2022年比で3万5600ヘクタール増という数値が北朝鮮の研究者によって示されている(チョ・イルボム2025)。特に小麦については、2025年の栽培面積が前年比約3万3000ヘクタール増加(『労働新聞』2025年10月21日)、4年間で栽培面積が3倍以上、生産量が4倍以上に増加(朝鮮中央通信2025年9月26日発)、といった数値が報じられた。栽培拡大と合わせて、即席麺工場をはじめとした小麦加工施設の建設も各地で進められている4。
第3に農村生活環境の改善である。具体的には、農村住宅の建設や建材生産の拠点を各地に設置することなどが挙げられたほか、医療保健施設の整備なども含まれている。特に農村住宅建設は優先的に進められるとされ、全国のすべての農村を、モデルケースである山間都市の両江道三池淵市5と同じ水準に開発するという方針を示した。
日々報じられる各地での住宅完成の報道を踏まえると、2022年は平野部が中心であったが、2023年以降、両江道などの山間の地域にも農村住宅が建設されるようになったことから、全国的範囲で住居環境の改善もある程度進んでいるようである。また全体的な成果としては、2022~2024年の3年間で新たにに建てられた農村住宅が約8万700戸であると報じられた6(『労働新聞』2025年2月18日)。
背景と位置づけ
では、なぜ「農村革命綱領」がこのタイミングで発表されたのであろうか。また、同綱領はどのような政治的位置づけのもとで正当化されているのであろうか。
まず、「農村革命綱領」が発表されることになった背景として、次の2点が挙げられる。
第1に、地域間格差の存在が挙げられる。実際にどれほどの格差があるかについての情報は限られているが、部分的な把握は可能である。例えば、国連児童基金(ユニセフ)が公表した2017年実施の『複数指標クラスター調査』によると、北朝鮮では都市住民の60%が全体の上位40%の生活水準にある一方、農村住民の41.2%が下位20%の生活水準にある。また、主要な家電製品の所有率を見てみると、農村におけるテレビの所有率は97.3%で都市(98.7%)とほとんど差はないが、冷蔵庫は都市では37.7%であるのに対して農村では18.4%、洗濯機は都市で22.6%であるのに対し農村では3.9%であるなど、地域間格差があることがうかがえる(Central Bureau of Statistics of the DPR Korea and UNICEF 2018, 18)。
第2に、食糧不足に対する危機感があったと思われる。2021年1月の第8回党大会以後、金正恩はたびたび食糧不足問題の重要性を強調していたが、同年6月15~18日の党中央委第8期第3回全員会議において、前年の台風被害の影響で食糧状況が「緊張(切迫)」していると言及した(『労働新聞』2021年6月16日)。このような深刻な食糧危機を解決するための措置として、「農村革命綱領」が提示されたとみることができよう。
「農村革命綱領」の政治的な位置づけに関しては、初代最高指導者である金日成の権威を活用しながらも、そこからの部分的脱却を通じて、金正恩の権威強化を進めていると考えられる。金日成が1964年2月25日の党中央委第4期第8回総会で発表した「わが国における社会主義農村問題に関するテーゼ」(以下、「農村テーゼ」)は、これまで金正日・金正恩政権でも重要な指針とされてきた。金正恩は「農村革命綱領」が「農村テーゼ」を「深化・発展」させたものであると述べている。実際、政策の方向性については、農民の意識改革、灌漑設備等インフラの整備、農業機械の普及、農村住宅建設などへの国家的投資をはじめ多くの共通点があり、金日成の権威を通じて「農村革命綱領」の正統性が担保されているといえる。
しかし金正恩は、「農村テーゼ」の発表後は改革がある程度進んだものの、1990年代中頃の水害による経済難以降、農業部門への投資が低下して農村が弱体化7したと指摘し、その後も根本的な対策が取られなかったと批判している(『労働新聞』2024年12月21日)。これは、金日成・金正日の権威の部分的否定とみることができる。さらに、「農村革命綱領」は金正恩政権の「新時代」を象徴する政策のひとつとしても位置づけられている。このことは、経済制裁やコロナ禍、繰り返す自然災害などの困難が重なるなかで軍事力強化や「農村革命綱領」をはじめとする地方・農村開発、保健医療改革等を全国的・同時的に進めている現状について、植民地解放後の建国時代に相当する「第2の建国時代」(『労働新聞』2025年10月25日)であると表現していることから読み取れる。
課題と展望
最後に、政権が「農村革命綱領」を進めていくうえで直面するであろういくつかの課題や懸念点を挙げたい。
第1に、政策を実施するうえで安定的な資金・資材確保、食糧生産を長期的に維持できるかという問題がある。農業部門に対する国家予算の支出は2023年に大幅に増加された。住宅建設などに必要なセメントは、2022年1月に採択された「市、郡建設セメント保障法」により、全国の市・郡に対して2022年は5000トン、2023年以降は毎年1万トンずつ供給することが定められている。しかし、他の地方開発や医療保健環境の拡充などの大きなプロジェクトも同時に進められるなか、資金・資材を長期にわたって確保し続けられるかは未知数である。農業生産についても、世界的に異常気象が増加していることを踏まえると、自然を相手とする農業で成果を挙げ続けることは簡単ではない。
第2に、農村住宅の質や農業機械の技術水準の欠点など、質的な面での不安が残っている。金正恩は2024年12月の演説で、見栄えが良くても内部の仕上げが粗末な住宅、目につきにくい配電工事や暖房工事がおざなりにされた住宅、屋根工事の不備により雨漏りする住宅もあったとしている。また、同演説において、2023年に農村に供給した一部の農業機械の性能が低く、故障で作業に満足に利用されなかったと指摘し、農業機械の質を高めることを要求した(『労働新聞』2024年12月21日)。2025年9月の最高人民会議第14期第13回会議でも金正恩は農村住宅の質の向上を求めており、改善が容易でないことがうかがえる(『労働新聞』2025年9月22日)。
第3に、生産する穀物品種の転換の実現が可能かという問題である。従来の穀物生産の約8割が米とトウモロコシ、小麦・大麦は数パーセント程度8であることから、小麦・大麦への転換は短期間に容易に達成できるものではないであろう。
国際的な経済制裁や異常気象の頻発など難しい経済状況のなか、金正恩時代特有の政策として打ち出された「農村革命綱領」を通じて、地域間格差是正を実現できるかが試されている。
写真の出典
- Kremlin.ru(CC BY 4.0)
参考文献
- 김일한(2023)「글로벌 기후변화와 북한의 농업정책 대응: 밀농사 확대정책을 중심으로」『경계연구』2집2호、58-87(キム・イルハン[2023]「地球規模の気候変動と北朝鮮の農業政策の対応――小麦生産拡大政策を中心に」『境界研究』第2集第2号、58-87ページ)
- 리성영(2022)「현시기 농업부문에서 알곡생산구조를 바꾸는데서 나서는 중요문제」『사회과학원학보』제1호, 15-18(リ・ソンヨン[2022]「こんにち農業部門において穀物生産構造を変えるうえで提起される重要問題」『社会科学院学報』第1号、15-18ページ)
- 조일범(2025)「알곡생산구조를 개선하기 위한 경애하는 김정은동지의 현명한 령도」『력사과학』제2호、31-34(チョ・イルボム[2025]「穀物生産構造を改造するための敬愛する金正恩同志の賢明な領導」『歴史科学』第2号、31-34ページ)
- Bir C. Mandal and Indrajit Roy(2021)“Agricultural Production Situation in DPR Korea: 2020.” Food and Agriculture Organization in DPRK.
- Central Bureau of Statistics of the DPR Korea and UNICEF(2018)DPR Korea Multiple Indicator Cluster Survey Findings Report 2017: Survey Findings Report. Pyongyang: UNICEF DPRK.
著者プロフィール
郡昌宏(こおりまさひろ) アジア経済研究所地域研究センター動向分析研究グループ研究員。修士(国際学)。専門は朝鮮半島地域研究。
注
- この成果として、約1万3500ヘクタールの畑が水田に転換されたことや、3年間で数十万ヘクタールの水田・畑の灌漑体系が完備されたことなどが報じられた(『労働新聞』2025年12月6日)。
- 農業機械製作では、軍需工業部門が重要な役割を担った。金正恩の指示で、軍需工業部門で農業機械を製作し農業部門に送るという措置がとられ、250日余りで製作した5500台の農業機械が穀倉地帯の黄海南道に送られ(『労働新聞』2022年9月27日)、2023年にも農村に送られた(『労働新聞』2023年9月24日)。また、4年間で10余りの農業機械生産単位の改修・近代化、農業機械発展計画の年次別目標達成、2025年に農作業の機械化比重が前年より2%以上増加したと報じられた(『労働新聞』2025年10月25日)。
- 「農場法」(2021年修正・補充)では、「トウモロコシ栽培は最大限制限し、稲作と小麦、大麦栽培へと方向転換」することを農場の経営活動原則のひとつと規定している。
- 小麦加工(製粉や小麦粉の加工を指すと思われる)の能力が、3年間で2倍近くに伸長したと報じられている(『労働新聞』2025年9月18日)。
- 同市の開発は2017年末以降本格的に始まり、中心部だけでなく、その周辺地域のインフラ整備や住宅・公共施設・教育施設などの建設が行われ、2021年末に開発を終えている。
- 年単位の戸数については、2023年に約2万5800戸、2024年1~10月に約4万2000戸であったと報じられた(『労働新聞』2024年10月25日)。
- 全国的な灌漑システムの老朽化、農業機械不足、化学肥料の供給量減少(1980年代に比べて2000年代に3分の1以下に)、農村住宅建設の低迷などの問題があったことを挙げ、農業指導機関が十分な対策をできなかったと言及している(『労働新聞』2024年12月21日)。
- 国連食糧農業機関(FAO)の報告書によれば、2020年の穀物生産量のうち米とトウモロコシの占める割合が約80.7%、小麦と大麦が約2.7%であった(Bir C. Mandal and Indrajit Roy 2021)。
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