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独裁者一族の復権 ――フィリピン・マルコス政権の成立をどう見るか

 

Return of a Dictator’s Family: How Should We Understand the Birth of the Marcos Administration in the Philippines

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053064

2022年6月

(6,923字)

民主化後36年目の現実

ある世代の人々にとって、1986年2月にマニラ首都圏で起こった民主化は、強烈な印象とともに記憶されているだろう。1983年にマニラ国際空港で野党指導者ベニグノ・アキノJr.が暗殺されるという衝撃的な事件から、大規模な反政権運動にさらされていたフィリピンのフェルディナンド・マルコス権威主義体制は、1986年2月の大統領選挙をきっかけに崩壊した。大統領選挙での不正行為、それに抗議する選挙管理委員会職員の職場放棄、軍のクーデタ未遂と基地立てこもり、カトリック教会の呼びかけに応じた大規模な大衆行動、マルコスのハワイへの逃避、マラカニアン宮殿(大統領府)に残されたイメルダ夫人の大量の靴と、これ以上ない劇的な事件の連続で、世界中のメディアがこれを大きく取り上げた。これでフィリピンの人々は救われた、というのが、そのとき多くの人々が持った率直な感想だったのではないだろうか。

それから36年。マルコス大統領は亡命先で死去したものの、その息子が大統領の地位に就くことになった。それはクーデタなどのような非合法の手段によってではなく、民主主義制度のもとで比較的自由で公正な選挙によって、それも民主化後の歴代大統領の誰よりも高い得票率とともに、である。

これをフィリピン国民が民主主義を葬りさったと理解すべきなのだろうか。フェルディナンド・“ボンボン”・マルコスJr.(以下、ボンボン・マルコス)に投票した有権者は、そうは思っていないだろう。支持者たちにしてみれば、ボンボン・マルコスは「良い」政治をもたらしくれる望ましい候補だと考えて投票したのであり、これが民主主義と決別するものとは考えていない。また、客観的に見てもボンボン・マルコスの当選がそのまま民主主義の崩壊を意味するわけでもない。不正が皆無ではないだろうが、選挙は自由で公正であり、民主主義の制度は守られた。

しかし、ボンボン・マルコスの大統領当選が、何ら瑕疵のないなかで生まれたとも言い難い。もっとも大きな問題は、多くの有権者が、票を投じる先の候補者を決定するうえで、候補者に関する十分な、そして何よりも、正確な情報を持っていなかったことである。それは限定合理性と呼ばれるような有権者の認知能力の限界による情報の不十分さではなく、事実と異なる情報が大きく影響したとみられることである。そこにソーシャルメディアが大きな役割を果たしたことは言うまでもない。この情報戦の効果とともに、ボンボン・マルコスの北部ルソンと、ペアを組んだ副大統領候補サラ・ドゥテルテのミンダナオでのそれぞれの強い支持基盤が勝利をもたらした。

新しい大統領の持つ政治的背景を考えた場合、政権発足とともにもっとも懸念されるのは統治の質の低下である。かつてのマルコス権威主義体制が引き起こした2つの大きな問題、すなわち、人権侵害と汚職(不正蓄財と財政破綻)を覆い隠し、その時代の統治を称賛する姿勢を貫くなかで、同じ過ちが繰り返される可能性は排除できない。

マルコス勝利の要因

終盤に近づくにつれて、大統領選挙戦はボンボン・マルコス支持と反マルコスの支持を集約したレニ・ロブレドの2人の対決の様相を呈していた。そして、最終的には、ボンボン・マルコスがこれまでの誰よりも多くの票を獲得して大統領に当選した。その得票率は過半数を制するものとなった(図1)。

図1 民主化後の選挙で当選した正副大統領候補の得票率(%)

図1 民主化後の選挙で当選した正副大統領候補の得票率(%)

(出所)アジア経済研究所『アジア動向年報』各年版、新聞報道等により筆者作成。

今回のボンボン・マルコス当選を可能にした要因は、すでに触れたように、おおまかにいって2つある。ひとつは、ソーシャルメディアによる情報戦での勝利である。もうひとつは、マルコス一族とドゥテルテ一族がそれぞれ持つ固い支持基盤である。

ソーシャルメディアの効果については、少なくとも現時点では定量的に証拠を示すことが難しいが、すでに、フィリピン内外のメディアが強く主張するように、ボンボン・マルコス側の情報戦略がほかの候補を圧倒し、勝利を決定的にしたことはほぼ明らであろう。マルコス陣営が運営していたいずれのSNS公式アカウントを見ても、誰よりも多くの資源が投じられていたことがわかる。さらに、マルコス支持のインフルエンサーのアカウントは積極的に情報を提供し、いわゆる「荒らし」(troll)と呼ばれる誹謗中傷を繰り返すアカウントも多数確認されている1

そこでは2つの宣伝が進められた。ひとつはマルコス権威主義体制の賛美である。治安が良く、経済的にも発展していたというイメージを前面に押し出し、輝かしい「ゴールデン・エイジ」としてその統治を描いた2。もうひとつは、対抗候補、とくにレニ・ロブレドに対する攻撃である。道徳的に問題がある行動をしているとか、共産党関係者に支持されているといった言説が流された3

一方、マルコスとドゥテルテの地域的な支持基盤の存在は、投票日近くに実施された世論調査に鮮やかに表れている4。フィリピンではこれまで、社会階層によって投票行動に違いがあることが指摘されてきたが、今回の選挙に関して世論調査の結果は異なる状況を示している。図2は階層別、図3は教育達成度別で見た上位2候補の支持率を示している。いずれも、どの層においてもマルコスへの圧倒的な支持が見て取れる。

図2 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する社会階層別支持率(%)

図2 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する社会階層別支持率(%)

(注)ABCは富裕層・中間層、D1、D2は貧困層、Eは最貧層。カッコ内は全体に占める割合。
(出所)April 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections – Pulse Asia Research Inc.のデ
ータをもとに筆者作成。

図3 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する教育達成度別支持率(%)

図3 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する教育達成度別支持率(%)

(出所)April 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections
– Pulse Asia Research Inc.のデータをもとに筆者作成。

また、ソーシャルメディアの果たした役割の強調とともに、その影響が若年層に強く見られるとして、マルコス権威主義体制を経験したことのない層(36歳以下がそれにあたる)がマルコス支持の中心だったという主張がしばしば目についた。世論調査の結果を見ると、確かに若年層で相対的にマルコス支持が多い。しかし、いずれの世代でもマルコス支持がロブレド支持を上回っており、若年層の支持が他の年齢層よりも目立って大きいわけではない(図4)。

図4 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する世代別支持率(%)

図4 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する世代別支持率(%)

(出所)April 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections
– Pulse Asia Research Inc.のデータをもとに筆者作成。

これに対して、もっとも差が出ているのが地域間の支持率の違いである(図5)。マルコス一族の牙城イロコス・ノルテ州を含む第1地域周辺、ドゥテルテ一族が長期にわたって支配してきたダバオ市を含む第11地域を中心に、その周辺の地域でマルコス支持が顕著に高い。一方、ロブレドの地盤であるナガ市を含む第5地域周辺では圧倒的なロブレド支持が認められる。

図5 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する地域別支持率(%)

図5 マルコスとロブレドの両大統領候補に対する地域別支持率(%)

(注)左の地域から右に移るにつれて地理的にフィリピン諸島を北から南下していく。
(出所)April 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections – Pulse Asia Research Inc.の
データをもとに筆者作成。

前回2016年の副大統領選挙に立候補したボンボン・マルコスは得票数2位で敗れたものの、第1位の候補、レニ・ロブレドとの得票率の差はわずか0.6ポイントだった。すでに多くの支持者を有していたボンボン・マルコスは、サラ・ドゥテルテと組むことで、高い支持率を誇った父ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の支持者を取り込むことができた。ドゥテルテとの提携は、もし大統領選挙に出馬していたら最大の競争相手となったであろう彼女を候補から排除することも意味している。

さて、大統領選挙における地域主義の影響は、これまでフィリピン政治において一貫して見られた特徴である。一方で、1998年の選挙で強く意識された社会階層間の対立は、少なくとも今回は見えなかった。それでは、フィリピンでの政治的競争は以前のパターンに戻ったと見るべきなのだろうか。

やはり大きな変化が押し寄せていると考えるべきだろう。前回の大統領選挙以降、フィリピンでは、市民的自由や権力監視の制度を守ることよりも規律と秩序を確立することの方が重要であるという、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領が示した考え方に強い支持が集まっている。今回の選挙では、ソーシャルメディアを通じた情報操作のもとで、そうした考え方に対する支持がかつてのマルコス権威主義体制への評価とむすびついた。それは、ボンボン・マルコスへの支持とロドリゴ・ドゥテルテへの支持に強い相関があり、また、マルコス権威主義体制に対して肯定的な評価を持っている有権者の80パーセント以上がボンボン・マルコスへの支持を表明していることを、上述の世論調査を実施した研究者が指摘していることからもわかる5。つまり、対立の軸が、マルコス権威主義体制をどう評価するかという価値観に移っているのである。厄介なのは、その価値観の前提となるマルコス権威主義体制に関する情報が客観的に共有されていないことである。対話の基礎となるべき共通した事実認識がないために、それは対話の遮断を生む。

マルコス新政権が抱える課題

新政権においてもっとも危惧されるのが、統治の質の低下であろう。そもそもフィリピンの統治の質は低い。それを端的に表すのが汚職の抑制がうまく行えないことである(図6)。そのような状況のなか、自らが60憶ドル(約7960憶円)に上るともみられる未回収の不正蓄財問題を抱えたまま6、さらには、2030憶ペソ(約5090億円)の相続税の支払いを拒んだまま7、そして、マルコス権威主義体制下での人権侵害訴訟(ハワイ地裁)に関連する3億5300万ドル(約468憶円)の罰金未払いもあるなか8、政府を規律づけることには無理がある。大統領が強力な権限を握るなかで、もっぱらマルコス一族の不正蓄財問題を追及するために設置されている大統領行政規律委員会が適正に機能することを期待することはできない。

さらに言えば、前任のロドリゴ・ドゥテルテ政権下で、権力を監視する制度や主体の弱体化が進行した。大統領に批判的だった上院議員は拘束され、最高裁長官は弾劾手続きを経ず解任された。大統領の暴力的統治を批判したメディアの代表マリア・レッサ(のちにノーベル平和賞を受賞)は刑事訴追され、先の大統領選でロドリゴ・ドゥテルテに好意的な報道をしなかったフィリピン最大の放送局は放送免許の更新を拒否された。傷ついた水平的なアカウンタビリティはなかなか回復できないであろうし、まして、圧倒的な得票率で当選した政権は、その垂直的な正統性を高く掲げて、権力を監視する制度や主体のさらなる軽視に走る可能性もある。

図6 汚職の抑制度合い(世界銀行データ)

図6 汚職の抑制度合い(世界銀行データ)

(出所)World Bank Databankより筆者作成。

公式の大統領候補者討論会を2回とも欠席し、自分に好ましい環境のもとでのインタビューしか受けてこなかったボンボン・マルコスの指導力も疑われている。もともとフィリピンでは、誰が政権をとっても政策の選択肢はそう多くはない。保護主義か自由主義かのような政策位置をめぐる政治的競争はあまり意味を持たず、インフラ開発、雇用創出、マクロ経済の適正な運営、社会政策の充実など、やるべきことは決まっている。候補者間の論争は、政策選択に関する情報を有権者に開示する場ではなく、その候補者が政策を実施する能力を持っているか否かについての情報を明らかにする場である。候補者同士の討論は、個々の候補者の能力や適正な統治へのコミットメントの深さを知る場である。そのような機会を避けたこと自体が、ボンボン・マルコスの指導力への疑問につながる。

新大統領個人の課題とともに、上下両院や地方政治職の選挙まで含め今回の選挙で明らかになったのは、政党システムがこれまで以上に無意味となったことである。これまで上院議員候補は、たとえ建前であっても、それぞれの大統領候補の陣営ごとに候補者リストが整えられていた。今回は、複数の大統領候補が推す「ゲスト候補」、つまり、大統領の陣営に縛られない候補者が当選者12人のうち5人を占めている。ロドリゴ・ドゥテルテを支えた与党PDP-Labanも分裂した。下院議会や地方政府選挙職の選挙を見ても、政党の候補者の出入りは激しかった。7月に新しい議会が招集されて、上下両院とも多数派、少数派が形成されることになるが、どちらの院においても大統領を支持する多数派が形成されることは間違いないだろう。しかし、それは短期的な集合であって、政党や会派を通じた議員のコントロールはまず不可能である。そうすると、立法過程を進めるためには個々の議員と個別に取引することになる。これまでもそうだったが、今後も政治家の個人同士の関係に規定される政治が続いていく。制度化されない政治的な取引は非効率であるとともに、私的な取引を生み出す余地を与える。

新政権は、経済閣僚に著名な経済学者など専門性の高い人たちをすえる予定である。統治の質の低下が懸念されるなかで、こうしたニュースは適切な政権運営につながる好ましい人事と考えられている。ただし、発足当時の陣容で政権が最後まで続くかどうかは不透明である。政権発足後の情勢を注意深く観察する必要があろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • PNA photo by Avito Dalan. (Public Domain)
著者プロフィール

川中豪(かわなかたけし) アジア経済研究所地域研究センター上席主任調査研究員。博士(政治学)。専門は比較政治学、新興民主主義研究、政治制度論、東南アジア政治。おもな著作に、『競争と秩序――東南アジアにみる民主主義のジレンマ』白水社、2022年など。

  1. 例えば、ボンボン・マルコスとつながりのあるとみられるツイッターのアカウント300個以上が偽情報の拡散などの理由で、ツイッター社によって停止されている。 “Twitter suspends hundreds of accounts promoting Bongbong Marcos,” Philippine Daily Inquirer, January 23, 2022. マルコス陣営の情報操作については多くの報道があるが、まとまった報道のひとつとして、Regine Cabato and Shibani Mahtani “How the Philippines’ brutal history is being whitewashed for voters,” Washington Post, April 12,2022.
  2. Denver Del Rosario “‘Attempt at whitewhashing?’ Martial Law Museum slams Toni Gonzaga over Marcos Interview,” Philippine Daily Inquirer, September 15, 2021.
  3. Mara Cepeda “The endgame: Rivals ramp up attacks as Robredo rides pink wave to May 9,” Rappler, April 23, 2022.
  4. 民主化後、1992年の選挙から前回の2016選挙まで世論調査機関が大規模な出口調査を行ってきたが、今回は、これまでスポンサーだったテレビ局からの資金提供がなかったために、調査が実施されなかった。かわりに投票日の数週間前にPulse Asiaが実施した世論調査のデータが有用な情報を提供してくれる。April 2022 Nationwide Survey on the May 2022 Elections – Pulse Asia Research Inc.
  5. Dean Dulay, Allen Hicken, Ronald Holmes and Anil Menon “Who’s voting for ‘Bongbong’ Marcos to be the next Filipino president? Washington Post, May 6, 2022.
  6. Glee Jalea “Ex-PCGG chair: At least $6B worth of Marcos wealth still unretrieved,” CNN Philippines, March 24, 2022.
  7. Investigate, hold to account BIR for uncollected P203B Marcos estate tax liabilities: Pangilinan,” Press Release, Senate of the Philippines, April 6, 2022.
  8. Tom Allard “Analysis: Marcos as Philippine president a boon for China, awkward for US,” Reuter, May 11, 2022.
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