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世界を見る眼

「予想よりも早かった」ノーベル経済学賞

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051511

會田 剛史

2019年12月

(6,043字)

2019年のノーベル経済学賞(正式にはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)は、「世界の貧困削減への実験的アプローチ」に関する功績をたたえ、アビジット・バナジー(マサチューセッツ工科大学)、エスター・デュフロ(同)、マイケル・クレマー(ハーバード大学)の3氏に贈られた。いずれも開発経済学研究のトップランナーであり、その受賞自体には驚きはない。ただ、研究者の間では「予想よりも早かった」という評も多く聞かれる(黒崎2019、広野2019)。そこで、本稿ではこの「意外性」を手掛かりに、今回のノーベル経済学賞の背景を概観してみたい1

写真:アビジット・バナジー(左)とエスター・デュフロ(右)

アビジット・バナジー(左)とエスター・デュフロ(右)
実験的アプローチとは何か?

まず、受賞理由である「実験的アプローチ」について説明しよう。開発プロジェクトの効果測定をする際、最も単純な方法はプロジェクト参加者と非参加者の間でアウトカムの平均値の差を取ることであろう。例えば、職業訓練プロジェクトの効果を検証するために、参加者と非参加者の所得(=アウトカム)の平均値を比較するといったイメージである。ただし、この方法ではプロジェクトの真の効果を測定することはできない。それは、プロジェクトの参加者と非参加者の間では様々な観察できない属性が異なるために、仮に両者のアウトカムに違いが出たとしても、それが本当にプロジェクトの効果によるものか、それ以外の属性の違いに起因するものなのかを区別できないからである。

では、効果を正確に測るにはどうすれば良いのか? それは、プロジェクトの参加・非参加をくじ引きなどでランダムに割り当てることである。そうすることで、参加者と非参加者の属性がバランスするために、両グループのアウトカムの平均値に差が出たとして、それをプロジェクトの平均的効果であるということができる。この方法はランダム化比較実験(Randomized Controlled Trial: RCT)と呼ばれ、現代の開発経済学研究における一般的な手法である。

開発援助一般が役に立つかどうかについては、必ずしもコンセンサスは得られていない。しかし、個別具体的なプロジェクトに注目し、それが望ましい結果を生んだかどうかをRCTにより科学的に厳密に検証するということは可能であり、より建設的な議論につながりうる。そして、この手法に基づいて様々な国、様々なプロジェクトの効果を検証することにより、効果的な開発政策のあり方について議論してきたのが今回のノーベル賞を受賞した3氏である。その成果については、バナジーとデュフロの共著による一般向けの好著『貧乏人の経済学』(Banerjee and Duflo, 2011)に分かりやすくまとめられている。

開発経済学「革命」は始まったばかり?

今回の受賞者3名を中心に、開発経済学におけるRCT研究は急速に普及し、新たなスタンダードとなった。それどころか、開発経済学を経済学のトップフィールドの一つに押し上げる契機となり、もはや「革命」と言っても過言ではない(Sawada and Aida, 2019)。それにもかかわらず、受賞が「早すぎた」という意見が上がる理由の一つには、まだこの「革命」が始まって日が浅いことが挙げられる。

先述の『貧乏人の経済学』に代表されるように、特にバナジーとデュフロについては、RCTによる開発経済学研究の旗振り役ともいうべき研究者である。しかし、「彼らの最も有名なRCTによる研究は何か?」と聞かれると、答えに窮する開発経済学研究者も多いのではなかろうか。

実は、被引用回数で見た彼、彼女らの最も「有名な」研究は、RCTによるものではない。キャリアの初期においては経済理論家として活躍したバナジーの場合、上位2位を占めるのはやはり理論の論文であり、それぞれ被引用回数は7184回と3429回である2。それに対して、RCTによる研究(デュフロらとの共同研究)は4位で1874回と、回数自体は多いものの、上位2つの論文とはだいぶ開きがある。また、キャリアの初期から開発ミクロ経済学研究に取り組んできたデュフロにしても、最も引用された論文はプログラム評価の計量経済学的手法に関する共著論文で、8852回も引用されているのに対し、RCTの論文が現れるのは4位の1874回である(先述のバナジーらとの共著論文)。しかも、このRCTの論文が公刊されたのは2015年とごく最近である。

一方、共同受賞のクレマーの最も有名なRCT研究については、多くの研究者が一致して2004年のEconometricaに掲載された論文を挙げるであろう(Miguel and Kremer, 2004)。これは、エドワード・ミゲル(カリフォルニア大学)との共著で、ケニアにてランダムに選んだ小学校で虫下し薬を配布し、子どもの学校への出席率への効果を検証した研究である。この研究は経済学にとどまらず、公衆衛生分野を巻き込んだ議論に発展し、分析結果の再現可能性を広める役割も果たしたことから、以降のRCT研究のスタンダードを作った研究とも言える(伊藤2016)。バナジー、デュフロの2名だけでなく、クレマーも共同受賞した背後にはこの論文があることが想像に難くない。

しかし、3氏によるRCT研究のほとんどが2000年代以降と比較的最近であり、論文の被引用回数も過去の受賞者と比較して決して多いとは言えない。通常、ノーベル経済学賞は受賞理由となった研究の公刊から約30年後に授与されている(依田2013)ことを考えると、やはり今回の受賞は例外的な早さであったといえよう。特にデュフロについては、ノーベル経済学賞の受賞者のなかでも歴代最年少ということも象徴的である。

なお、バナジー、デュフロ両氏が開発経済学におけるRCT研究の第一人者とされるのは、澤田康幸氏(アジア開発銀行)も指摘しているとおり、ジャミール貧困対策ラボ(JPAL)への貢献によるところが大きい。JPALは両氏が中心となってマサチューセッツ工科大学に立ち上げた開発経済学の中心的研究センターであり、多額の資金力を背景に様々な国の様々なテーマについてRCTによる研究を実施してきた。このような研究と政策を結びつけた開発経済学研究の刷新こそが真の受賞理由だったのではないかとさえ思われる。

信頼性革命と実験アプローチ

今回の受賞を意外と感じるもう一つの理由は、実験的アプローチにより厳密な政策評価を行うという流れは、必ずしも開発経済学に特有のものではなく、むしろ「信頼性革命」(credibility revolution)とも呼ばれる経済学全体の大きなトレンドの一部として捉えるべきものであるということである(Angrist and Pischke, 2010)。近年の計量経済学的手法の発展により、データ分析の結果に対する信頼性が大きく高まり、経済学における実証分析の割合も増加している。そしてその分析結果の信頼性を支えているのが、因果推論という分野における統計学・計量経済学上の発展である。

その名の示すとおり、因果推論とは観察されるデータからいかに厳密に因果効果を推定するかを考える分野である。プロジェクトの実施という「原因」が、アウトカムに与える「結果」を厳密に検証するという意味において、RCTはその手法の一つにすぎない。むしろ、RCTを実施できないような状況で、どのように因果効果を厳密に推定するかという問題こそが、計量経済学の本領発揮といったところだろう。重要なことは、いずれの手法においてもモデルの仮定が満たされる限りにおいては、プログラムの「効果」を正確に計測できるという点である。

このような大きなトレンドを考えた際、まずは因果推論の貢献が先にノーベル賞を受賞すべきだという意見が、今回の受賞が「早すぎた」と思わせる二つ目の理由である。経済学における「信頼性革命」の立役者といえば、ヨシュア・アングリスト(マサチューセッツ工科大学)、グイド・インベンス(スタンフォード大学)、ドナルド・ルービン(ハーバード大学)といった人々の名前が挙がる。しかしながら、因果推論というフレームワークの元を辿れば、過去のノーベル経済学賞受賞者を含む多くの計量経済学者、そして統計学者や疫学者などがこの分野に貢献してきた訳で、受賞者を選びづらいという背景があったのかもしれない。来年以降、いつ、誰がこの因果推論というテーマで受賞するかについては今後も下馬評に上ってくることであろう。

経済学理論の復権?

以上のように、今回の受賞は「早すぎた」のかもしれない。それでも、今回の受賞者3名が開発経済学研究を刷新してきたことは間違いなく、その貢献は大きいものである。そして、この実験的アプローチによる開発経済研究のトレンドは、今後も続いていくことであろう。ただし、近年の経済学の主要学術雑誌に掲載された論文を見ていると、RCTを実施して開発プロジェクトの効果を測った「だけ」の論文を見かけることは少なくなったように思われる。

RCTが非常に強力なツールであることは疑いがないが、様々な限界も存在する。なかでも学術的に問題になるのは、プロジェクトの効果の大きさ自体は厳密に計測できたとしても、その効果を生むメカニズムについてはわからないということである。このため、近年の多くの研究では、プロジェクトによる介入が人々の行動をどのように変化させるのかについて、経済理論を用いた説明とその検証が行われることが一般的である。最も厳密なケースとしては、構造推定(人々の意思決定について数理的なモデルを構築し、観察されるデータからモデルのパラメータを推定するアプローチ)とRCTによる実験的アプローチを組み合わせ、プロジェクトの効果を検証するというものがある。そして、このアプローチについてもデュフロらのグループによる貢献がある(Duflo, Hannna and Ryan, 2012)。このような複合アプローチが今後一般的になるかはまだ判断ができないが、経済理論に基づいて結果を予想し、それを実験データで検証する、もしくは実験結果から新たな経済理論を構築するといった流れは今後も続いていくであろう。

今回の受賞者3名が切り開いて来た開発経済学の「革命」は未だ進行中である。今回の受賞を一里塚として、彼、彼女らが今後どのような研究を進めるのかについて、世界の経済学者が注目している。

写真の出典
  • バナジー Financial Times, Mr Abhijit V. Banerjee, winning Author(CC-BY-2.0[https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/deed.en])
  • デュフロ Kris Krüg, Esther Duflo at Pop!Tech 2009(CC-BY-SA-2.0[https:// creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0/deed.en])
参考文献
  • 依田高典(2013)『現代経済学』放送大学教育振興会.
  • 伊藤成朗(2016)「開発経済学」経済セミナー増刊『進化する経済学の実証分析』、日本評論社.
  • 黒崎卓(2019)「ノーベル経済学賞に米大3教授 貧困削減へ効果的介入解明」『日本経済新聞』2019年10月21日.
  • 広野彩子(2019)「MITの戦略勝ち?『貧困研究』ノーベル賞の舞台裏 アジア開発銀行(ADB)澤田康幸チーフエコノミストに聞く」『日経ビジネス』2019年11月7日.
  • Angrist, J.D. and J-S Pischke (2010) "The Credibility Revolution in Empirical Economics: How Better Research Design Is Taking the Con out of Econometrics," Journal of Economic Perspectives, 24(2), 3-30.
  • Banerjee, A. and E. Duflo (2011) Poor economics: A radical rethinking of the way to fight global poverty. PublicAffairs.(アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ、(訳)山形浩生(2012)『貧乏人の経済学 もういちど貧困問題を根っこから考える』みすず書房。)
  • Duflo, E., R. Hanna, and S. P. Ryan (2012) "Incentives Work: Getting Teachers to Come to School." American Economic Review, 102(4), 1241–1278.
  • Miguel, E. and M. Kremer (2004) "Worms: Identifying Impacts on Education and Health in the Presence of Treatment Externalities," Econometrica, 72(1), 159–217
  • Sawada, Y. and T. Aida (2019) "The Field Experiment Revolution in Development Economics," in T. Kawagoe and H. Takizawa (Eds.) Diversity of Experimental Methods in Economics, pp.39–60, Springer.
著者プロフィール

會田剛史(あいだたけし) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学。最近の論文に、"Social Capital as an Instrument for Common Pool Resource Management: A Case Study of Irrigation Management in Sri Lanka," Oxford Economic Papers, Volume 71, Issue 4, 2019, pp. 952–978や、"Is Farmer-to-Farmer Extension Effective? The Impact of Training on Technology Adoption and Rice Farming Productivity in Tanzania," World Development, Volume 105, 2018, pp. 336–351.(共著)など。

書籍:Social capital as an instrument for common pool resource management: a case study of irrigation management in Sri Lanka

書籍:Is farmer-to-farmer extension effective? The impact of training on technology adoption and rice farming productivity in Tanzania

  1. 本稿の執筆にあたり、菊地信義、嶋本大地、庄司匡宏、室岡健志の各氏からご意見をいただいた。記して感謝したい。
  2. 被引用回数については、いずれも2019年11月19日時点のgoogle scholarでの検索結果に基づく。
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