発展途上国研究奨励賞

第41回「発展途上国研究奨励賞」(2020年度)受賞作品

ジェトロ・アジア経済研究所は、1963年以来、発展途上諸国の経済などの諸問題に関する優秀図書、論文の表彰を行ってきました。1980年度に創設された「発展途上国研究奨励賞」は、発展途上国・新興国に関する社会科学およびその周辺分野における調査研究の優れた業績を評価し、この領域における研究水準の向上に資することを目的としています。

今回、選考の対象となった作品は、2018年10月~2019年9月の1年間に公刊された図書、論文など発展途上国・新興国の経済、社会などの諸問題を調査、分析したものです。大学や出版社等から推薦された37点の中から次の2点が受賞作品として選定されました。

第41回(2020年度)受賞作品

書籍:現代中国における「イスラーム復興」の民族誌

『現代中国における「イスラーム復興」の民族誌-変貌するジャマーアの伝統秩序と民族自治―』(明石書店)

著者 澤井 充生(東京都立大学人文社会学部助教)

書籍:幸運を探すフィリピンの移民たち

『幸運を探すフィリピンの移民たち:冒険・犠牲・祝福の民族誌』(明石書店)

著者 細田 尚美(長崎大学多文化社会学部准教授)

表彰式は7月1日(水曜)に、オンラインで開催されました。

写真:講演中の澤井 充生 氏写真:講演中の細田 尚美 氏

講演中の澤井 充生 氏、細田 尚美 氏

受賞の言葉(澤井 充生 氏)

このたび、第41回発展途上国研究奨励賞をいただけることになり、身に余る光栄に存じます。選考委員の先生方、本書出版に関わった数多くの皆様に心よりお礼申し上げます。 本書は、現代中国における「イスラーム復興」の実態を2000年代初頭に寧夏回族自治区で実施したフィールドワークにもとづいて記述した民族誌です。研究対象の回族は中華世界に誕生した少数民族ですが、外来ムスリムを祖先とし、清真寺(モスク)を中心に独自の「コミュニティ」を形成してきました。このような「コミュニティ」は中国西北ではジャマーアと呼ばれています。

本書では、改革開放期に発生した「イスラーム復興」に注目し、ジャマーアの伝統秩序(結合原理)をミクロな視点から観察し、また、中国共産党・政府とジャマーアとの力関係(自治のあり方)の意味を読み解くことによって、現代中国の「周縁」に位置する少数民族の生活世界をどのように捉えるべきなのかを検討しました。

本書には二つの視座があります。第一の視座は、人類学や社会学の共同体理論の動向、中国研究における共同体論争の議論をふまえ、ジャマーアの伝統秩序(結合原理)の特徴を解明するものです。従来の共同体理論では中国人社会は個人主義か集団主義かといった議論・論争がありましたが、そのどちらでもない「関係主義」に着目し、実は、ジャマーアが固定的で持続的な「コミュニティ」というよりむしろ「関係(guanxi)」の集合体であることを明らかにしました。

第二の視座として、中国の自治(特に少数民族の自治)に関する議論を参照し、ジャマーアの自治の可能性を論じました。現代中国における少数民族の自治に関しては政治学、歴史学などで議論されてきましたが、本書では中国の学術界で提示された「共治」という新しい視点およびそれをめぐる議論に注目しました。日本国内では加々美光行先生や楊海英先生がすでに指摘なさっているのですが、「共治」は中国共産党が法的に保障した「民族区域自治」という優遇政策を実質的には無化しかねない、極端な考え方です。本書ではその限界を指摘し、清水盛光先生がかつて提唱した「村落自治の二重性」に注目し、自治概念の有用性を議論しました。

近年、新疆問題が世界的に注目されているように、中国国内のイスラーム界はディストピア化しつつあります。本書の民族誌的資料は現時点では最新のものとは言えませんが、「イスラーム復興」の実態をミクロな視点から解明できたことに価値があるのかもしれません。現在、中国調査が困難な状況下にあるからこそ、本書の意義や価値が高く評価されたことは非常に光栄なことですし、また、今後の研究活動にとって大きな励みとなります。

<澤井 充生 氏 略歴>

1971年 京都府生まれ。神戸市外国語大学卒業、東京都立大学大学院にて博士号(社会人類学)取得。
2005年 東京都立大学助手着任、現在に至る。

<主要著作>
  • 『日本の皇民化政策と対日ムスリム協力者の記憶―植民地経験の多声的民族誌―』首都大学東京、2020年。
  • 「現代中国の回族社会における屠畜の周縁化―動物供儀と殺生忌避の事例分析から ―」『日本中東学会年報』35巻2号、2020年。

受賞の言葉(細田 尚美 氏)

このたびは、歴史ある大変名誉なジェトロ・アジア経済研究所「発展途上国研究奨励賞」をいただき、誠に光栄に存じます。私は、世界各地に働きに出ているフィリピンの人たちの「移動すること」に対する思いをより深く知りたいという気持ちから博士課程での研究を始め、それが本書の基となりました。

フィリピンの移民現象は経済格差、強固な家族ネットワーク、高い英語力などといった要因で説明される傾向があります。そうした外から見て分かりやすい要因だけでなく、かれらを外界へと突き動かす、地域の文化的な原動力のようなものがあれば、それは何かという視点に立って、フィリピン移民の生きる日常の世界を探っていきました。そうしているうちに、ひとつの捉え方として、かれらは、本書のタイトルになっている「幸運」を探しているのではないかという考えが浮びました。

本書ではこの考えを軸に、フィリピン中部のサマール島にある一農漁村とその村のマニラ分村を主たるフィールドとして、地域の歴史、生業、空間認識、ライフコース、信仰実践、親族関係、世代や階層の差などの側面と、それらが相互に関連している様子を描きました。特に強調したかったのは、幸運が神からの祝福だとされ、単純に倹約、勤勉、計画に基づいた結果のようには語られない点です。幸運を引き寄せ願いを成就するには、周囲の苦しむ人のために自分が払う行為や物である犠牲が必要で、その結果、神から祝福がもたらされることになります。その一方、成功した移民たちは、祝福が分け与えられるだろうと期待する近しい人たちとの間でどのようにふるまうかに悩み、様々なロジックを用いて関係を調整します。

国境を越える人の動きは年々加速し、それはポストコロナの時代になってもおそらく消えていくことはないでしょう。「幸運探し」のような考えが新天地を目指す動きと強く結びつく現象は、世界の他の地域でも見られることと思います。本書が「移民」と称される人たちの多様なつながりや思いを想像するひとつのきっかけになれば幸いです。

本書を発展途上国研究奨励賞に選んでくださった選考委員の皆様、ならびに関係者の皆様、ありがとうございました。さらに本書が出版されるまでの長い間、辛抱強くお力添えをくださったすべての方々に心より感謝申し上げます。本書に関する研究は緒に就いたばかりですが、このたびの受賞を励みとし、今後も地域研究や移民研究に邁進してまいります。

<細田 尚美 氏 略歴>

1991年 上智大学比較文化学部卒業カナダ・クィーンズ大学大学院にて修士号取得、日刊マニラ新聞記者、日本学術振興会特別研究員を経て、
2007年 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科より博士号取得
香川大学インターナショナルオフィス講師、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教を経て、
2019年4月より 長崎大学多文化社会学部准教授

<主要著作>
  • Connected through “Luck”: Samarnon Migrants in Metro Manila and the Home Village、PhilippineStudies、56(3)、2008.
  • 『湾岸アラブ諸国の移民労働者―「多外国人国家」の出現と生活実態―』明石書店、 2014年(編著)。

最終選考対象作品

最終選考の対象となった作品は受賞作のほか、次の1点でした。

  • 『知的所有権の人類学―現代インドの生物資源をめぐる科学と在来知―』(世界思想社)
    著者:中空 萌(広島大学大学院人間社会科学研究科講師)

選考委員

委員長
田中 明彦 氏(政策研究大学院大学 学長)

委員
上田 元 氏(一橋大学大学院社会学研究科 教授)
大塚 啓二郎(ジェトロ・アジア経済研究所 新領域研究センター 上席主任調査研究員)
栗田 禎子 氏(千葉大学文学部 教授)
深尾 京司(ジェトロ・アジア経済研究所 所長)
藤田 幸一 氏(京都大学東南アジア地域研究研究所 教授)