アジア経済研究所
発展途上国研究
奨励賞

発展途上国研究奨励賞

第35回「発展途上国研究奨励賞」(2014年度)受賞作品

アジア経済研究所は、1963年以来、発展途上諸国の経済などの諸問題に関する優秀図書、論文の表彰を行ってきました。1980年度に創設された「発展途上国研究奨励賞」は、発展途上国に関する社会科学およびその周辺分野における調査研究の優れた業績を評価し、この領域における研究水準の向上に資することを目的としています。

今回、選考の対象となったのは、2013年1月~12月までの1年間に公刊された図書、論文など開発途上国の経済、社会などの諸問題を調査、分析したものです。各方面から推薦のあった34点のなかから、6月4日(水曜)の選考委員会で受賞作品が決まりました。

日下渉氏、右は長島ジェトロ理事
佐久間寛氏
講演中の日下渉氏
佐久間寛氏


表彰式は7月1日(火曜)に、ジェトロ本部で行われました。

第35回(2014年度)受賞作品
反市民の政治学 フィリピンの民主主義と道徳

反市民の政治学 — フィリピンの民主主義と道徳 』 (法政大学出版局)
著者 日下 渉  名古屋大学大学院国際開発研究科准教授
(著者の所属・肩書きは書籍刊行時のものを表示しています)

ガーロコイレ ニジェール西部農村社会をめぐるモラルと叛乱の民族誌

ガーロコイレ — ニジェール西部農村社会をめぐるモラルと叛乱の民族誌 』 (平凡社)
著者 佐久間 寛  東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 研究機関研究員
(著者の所属・肩書きは書籍刊行時のものを表示しています)

受賞の言葉(日下 渉氏)

このたびは、名誉ある発展途上国研究奨励賞を賜り、大変な光栄に存じております。選考委員の先生方、院生時代からご指導を賜っている清水展先生と岡崎晴輝先生、とても丁寧な編集をしてくださった奥田めぐみ氏、私を支えてくれた多くの方々に心より御礼を申し上げます。

拙著では、「政治の道徳化」が民主主義を脅かしていると論じました。政治の道徳化とは、資源の不平等な配分をめぐる問題が、善悪をめぐる道徳的対立によって上書きされ、隠蔽される現象を意味します。この着想は、マニラのスラムで暮らした経験から得ました。マニラでは、中間層と貧困層の生活空間と言説空間(英語とタガログ語)が分断されています。私は2つの世界を行き来しながら生活するうちに、両者では政治を語る道徳が異なると気づきました。

スラムでは芸能人への投票や票の売買が盛んです。また貧困層は、役人や警察に「みかじめ料」を渡して、不法占拠や街頭販売で生計を立てています。そのため、「法治主義」や「良い統治」を掲げる中間層は、国の発展を損なう悪者だと貧困層を道徳的に非難し、排除を強めてきました。しかし貧困層からすれば、都市で生き延びていくためには、不法な生計や票の売買といった非公式な手段に頼らざるを得ません。貧困層の生活基盤が不法なのは、彼らの道徳的問題ではなく、不平等な社会経済構造のためです。

一般に、民主主義には道徳的市民が不可欠だと主張されます。しかし、さまざまな構造的制約によって、どうしても「市民」になれない人々がいます。そのため、「正しき市民」の標榜は、特定の人々を「非市民」として排除することに繋がり、民主主義の複数性を脅かしてしまいます。しかも、悪しき「非市民」とされた人々の声には耳が傾けられないため、社会には敵意や怨嗟が積み重なっていきかねません。

昨今の日本でも、福祉国家が解体し雇用が流動化するなか、自らの苦しさを他者に転嫁して、彼らの排除を叫ぶ政治の道徳化が進んでいるように思います。他方、フィリピンでは、国家が人々の生を保障しないため、道徳的に反目しながらも互いの生を支えあう実践が濃密にあります。また中間層と貧困層が、海外の移住先で道徳と階層を越えた新たな共同性を創出させることもあります。

こうした実践に学びつつ、政治の道徳化に抗して、生の被傷性を支えあう共同性を民主主義の基盤にしていく方途を今後も考えていきたいです。

<日下 渉氏 略歴>

名古屋大学大学院国際開発研究科准教授
1977年 埼玉県生まれ
早稲田大学政治経済学部卒業。九州大学大学院比較社会分化学府博士課程単位取得退学、博士(比較社会文化)。
京都大学人文科学研究所助教等を経て、2013年より名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。

<主要著作>


「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー」 『アジア研究』 53(4)、2007年(第6回アジア政経学会優秀論文賞)。
「フィリピン市民社会の隘路」 『東南アジア研究』 46(3)、2008年。
「境界線を侵食する隘路 『癒しの共同性』」 『コンタクト・ゾーン』 5、2012年。

受賞の言葉(佐久間 寛氏)

本書は、西アフリカ・ニジェールに所在する行政村ガーロコイレの分裂を主題とした民族誌です。ターナー(V.W.Turner)の古典的研究Schism and Continuity in an African Society :A Study of Ndembu Village Life(Manchester University Press,1957)に代表されるように、「村」の分裂とはかならずしも珍しい民族誌の主題ではありませんが、本書には、おおむね以下2つの特徴があります。

第1は、古典的民族誌で描かれてきたのが、出自原理と居住規則の齟齬といった社会的論理をめぐる葛藤であったのに対し、本書の最大の関心事は、政府主導の農村開発によって引き起こされた土地をめぐる社会的葛藤、いわば国家と社会の葛藤だという点です。しかもこの葛藤は、冷戦崩壊前後のアフリカ研究で盛んに論じられた「国家に抵抗する社会」なる構図に還元できるほど単純なものではなく、国家と社会の葛藤が社会の内なる葛藤を連動的に引き起こした末に村を分裂させるという錯綜した過程としてしか捉えられないものでした。

第2の特徴は、この複雑な過程をとらえるため、私的ともいえる経験に注目した点です。そもそもニジェール西部農村社会の土地制度は、自らの土地を何者かに奪われるかもしれないという猜疑や恐怖を個のうちに誘発する仕組みを備えており、それこそが行政村分裂に帰結する状況を作り出していくのですが、調査時のわたしには、こうした葛藤に自らも巻きこまれた末に、人々から土地を奪う部外者(=「白人司令官」という国家審級)とみなされていった形跡がありました。そこで本書では、わたし個人の葛藤の経験を手がかりに、国家と社会、および社会内部の葛藤に接近することを試みました。「わたし」を民族誌に記すことは、かつての人類学で「実験的」と評された手法です。本書にオーソドックスな社会科学的研究を求める読者は、期待を裏切られることになるかもしれません。それだけに、こうして第35回発展途上国研究奨励賞を賜ったことは、身に余る栄誉と感じております。選者の皆様には、本書の完成度より今後の可能性を評価していただいたのではないでしょうか。ご期待に応えるべく、いっそう精進していく所存です。

<佐久間 寛氏 略歴>

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 研究機関研究員
1976年 千葉県生まれ
2002年 明治大学大学院商学研究科商学専攻博士前期課程修了
2010年 東京外国語大学大学院地域文化研究科地域文化専攻博士後期課程退学
2013年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員
2014年 同助教

<主要著作>


「ウラン開発と福島原発事故」 (『経済』 225、新日本出版社 (2014年))。
「祖先・奴隷・腹—ニジェール共和国ソンガイ系社会における親族のモラル」 (『社会人類学年報』 39、弘文堂 (2013年))。
「交換、所有、生産—『贈与論』と同時代の経済思想」 (モース研究会編『マルセル・モースの世界』 平凡社 (2011年))。

最終選考対象作品

選考委員会で最終選考の対象となった作品は受賞作のほか、次の4作品でした。

  • 江崎 智絵著 『イスラエル・パレスチナ和平交渉の政治過程 — オスロ・プロセスの展開と挫折』 (ミネルヴァ書房)
  • 森 壮也/山形 辰史著 『障害と開発の実証分析 — 社会モデルの観点から』 (勁草書房)
  • 石黒 大岳著 『中東湾岸諸国の民主化と政党システム』 (明石書店)
  • 寺田 貴著 『東アジアとアジア太平洋 — 競合する地域統合』 (東京大学出版会)
選考委員

委員長
長澤 栄治 (東京大学東洋文化研究所教授)

委 員
杉村 和彦 (福井県立大学学術教養センター教授)
中西 徹 (東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授)
広瀬 崇子 (専修大学法学部教授)
牧野 文夫 (法政大学経済学部教授)
白石 隆 (アジア経済研究所長)