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海外研究員レポート

THAAD配置をめぐる韓中間の妥協

PDF版ダウンロードページ:hhttp://hdl.handle.net/2344/00050141

中川 雅彦

2018年1月

THAAD(終末高高度防衛ミサイル)とは、発射された敵の弾道ミサイルを大気圏に再突入した段階で迎撃、撃破するミサイルである。2016年7月8日に、在韓米軍にTHAADが配置されることが韓米で合意され、2017年4月26日に慶尚北道星州にレーダーと発射台2基導入、続いて9月7日に発射台4基が導入され、レーダー1個、発射台6基の1個THAAD砲台の配置が完了した。

写真:韓韓国に到着したTHAAD発射台(2017年3月)

韓国に到着したTHAAD発射台(2017年3月)
THAAD配置に関して、国内では、主に高性能レーダーによる電磁波の環境的影響を危惧する地元住民の反対運動が起こったが、世論調査で配置賛成が71.0%となっており(『朝鮮日報』ウェブサイト2017年8月3日)、韓国政府の配置決定は基本的に支持されている。一方、対外的には、中国やロシアの反発があり、とくに、団体旅行の制限などの中国の報復措置に韓国政府は悩まされることになった。中国の報復措置は、10月31日、韓中間で各方面の交流と協力をすぐに正常な軌道に乗せることで合意されたことが発表されたものの、12月19日に中国の団体旅行制限措置が再び講じられたことが知られるようになった(『中央日報』2017年12月20日および21日)。
ここでは、THAAD配置に関する韓国政府の立場と中国の反発、そして韓中関係の展望について論じてみよう。
韓国政府の立場

在韓米軍に対するTHAADの配置の話はそもそもアメリカ側の要求によって始まったものである。2014年6月3日、スカパロッティ韓米連合司令官が、ソウルのウェスティン朝鮮ホテルで開かれた韓国国防研究院主催の国防フォーラムで、アメリカがTHAADの韓国配備を推進していることを発表した(2014年6月3日発聯合ニュース)。韓国国防部はすぐにアメリカとのそうした協議はないと否定し、翌2015年11月の第47次韓米年例安保協議会でもTHAAD配置を議題にすることを避けた。

この当時に韓国政府がTHAAD配置に否定的であった最大の理由は、配置に関する費用を韓国政府が支払うことになる可能性があることであった。費用に関しては、2014年当時、THAAD1砲台の配置に2兆ウォン(約19億ドル)かかるといわれていた(2014年6月3日発聯合ニュース) [注]

韓国政府の姿勢に変化が見られるようになったのは、2016年1月6日に朝鮮民主主義人民共和国で水爆実験(4回目の核実験)が実施されたことであった。13日の年例記者会見で朴槿恵大統領は北に対する制裁強化を主張するとともにTHAAD配置を検討することを発表した。2月2日にスカパロッティ韓米連合司令官が韓国国防部にTHAAD配置を正式に提案し、7日から実務協議が始まり、7月8日、配置が正式に決定した。同日、韓民求国防長官は、配置に関して韓国側は敷地だけを提供し、費用は負わないことを発表した。そして、13日、韓国国防部は配置の場所が慶尚北道星州になると発表した。

星州への配置決定は韓国政府がTHAAD配置に関して何を優先したのかを示している。THAADのAN/TPY-2レーダーは1000キロメートル以上の探知距離といわれているが、この探知距離とは弾道ミサイルの発射地を捕らえる距離であり、飛来する弾度ミサイルを破壊する迎撃ミサイルの最大射程距離は200キロメートルであると発表されている。200キロメートルは星州からソウル南の境に届くか届かないかといった距離であり、ソウルおよび首都圏の大部分の地域はTHAADの防御範囲から外れているのである。防御範囲には、米第8軍司令部が移転中の平澤、米第7空軍の烏山、米陸軍飛行場の大邱、米物資支援司令部の漆谷、米空軍飛行場の群山などの米軍の重要施設が入っており、星州への配置はこれらの施設を防御することにその目的があることを示している。つまり、韓国政府の目的は、在韓米軍の防御能力を向上させることでアメリカとの信頼関係と韓米同盟の仕組みを強化することにあるといえる。

中国の反発

在韓米軍のTHAAD配置が検討されていることが明らかになった2014年の段階ですでに中国はこれに反対する立場を表明していた。2014年10月14日に、邱国洪駐韓中国大使はTHAADのカバーする範囲が朝鮮半島を越えるものであることから、配置に対する深い懸念と反対の立場を表明した(『中央日報』ウェブサイト2014年10月19日)。これは、具体的には、THAADのレーダーの最大探知距離1000キロメートル以上というのが、黄海と渤海のみならず、北京や東北地方などの内陸部を含むものであり、こうした地域で中国のミサイルが無力化される危険があるということを意味していた。そして、2015年2月4日に中国の常万全国防部長は韓国の韓民求国防長官との会談でTHAAD配置について懸念していることを伝えた。ただし、この段階では、THAAD配置は決定していないこともあり、中国も反対している理由をTHAADのレーダーの範囲に関することしか述べていなかった。

一方、ロシアの懸念は単にレーダーの範囲に関するものにとどまらなかった。2014年7月24日にロシア外務省は声明を発表し、THAAD配置が「アメリカのグローバルなミサイル防衛が拡大してその構成要素が韓国に出現したもの」と位置づけ、「必然的にこの地域の戦略状況に否定的な影響を及ぼし、北東アジアでの軍備競争を呼び起こすとともに朝鮮半島の核問題解決にも新たな複雑さをもたらすであろう」との見解を発表した(「在韓米軍に対するTHAAD配置の可能性に関するロシア外務省のコメント[2014年7月24日]」ロシア外務省ウェブサイト)。

2016年2月7日に韓米が配置に向けた正式協議を開始すると、中国がTHAAD配置に関して懸念している内容がレーダーの範囲だけでないことが徐々に明らかになった。25日に中国国防部はTHAADのレーダーの探知範囲が中国の内陸に届くことで中国の「戦略的安全の利益を直接脅かす」と述べるとともに、「グローバルな戦略安定を破壊する」とのロシアと同じ見解を発表した。3月28日には、ロシアのラブロフ外相が、ロシアと中国がTHAAD配置反対で一致していることを強調し、ロシアが「軍事的対応」を取る可能性を示唆した。翌29日に、中国外交部も、ロシアと同様に、THAAD配置はアメリカが強化している「グローバルなミサイル防衛システムの一部分」であると位置づけ、北東アジア地域の平和と安定を脅かしているものであるとの見解を発表した。

韓国政府としては、THAADは攻撃用の武器ではなく、レーダーの運用も600~800キロに留めるため、中国やロシアの安全を脅かすものにはならないとして、中国やロシアの説得に回った。しかし、中国もロシアもTHAAD配備がそうした「技術的問題」にとどまるものではなく、アメリカのミサイル防衛による包囲網構築の一部になるという戦略的問題であると考えていたのである。

韓国政府にとっては、とくに中国の経済および文化面での報復がもっとも悩ましい問題であった。2016年8月3日には、中国で韓国人の商用複数査証の発給に制限がかけられていることが知られるようになった(『ハンギョレ新聞』ウェブサイト2016年8月3日)。10月には中国での韓国人芸能人たちの公演が制限されるようになった(2016年11月22日発聯合ニュース)。11月末からは、THAAD配置に敷地を提供したロッテグループの系列社に対する中国当局の嫌がらせ的な税務、消防、衛星、環境面での調査が実施されるようになった(『ハンギョレ新聞』ウェブサイト2016年12月1日)。朴槿恵大統領は9月5日に中国の習近平国家主席と会談したが、THAAD問題に関しては平行線で終わり、10月末にはソウルで大統領の退陣を求める蝋燭集会が始まるなど、政治的にも無力になった。

2017年5月9日に実施された選挙で当選し、翌10日に就任した第19代大統領の文在寅にとって、中国との関係改善は至急の課題であった。文在寅大統領は7月6日、ベルリンでのG20を機に習近平と会談し、経済報復の撤回を求めた。そして文在寅政権は、中国で政策の基本方向が定められる10月18~24日の中国共産党第19次大会の閉会に合わせて、関係改善の準備を進めた。韓国の南官杓国家安保室第2次長と中国の孔鉉佑外交部部長助理との間で秘密交渉が進められ、韓国側は中国の要求するものを知るようになった(2017年10月31日発聯合ニュース)。この過程で10月13日に韓中の通貨スワップ協定を延長することでの合意、24日に韓国と中国の国防相会談が実現された。そして30日、康京花外交部長官が、(1)THAADの追加配備をしない、(2)アメリカのミサイル防衛に参加しない、(3)日・韓・米の安保協力を軍事同盟化しない、との方針を発表し、翌31日には、水面下での交渉の結果として各方面の交流と協力をすぐに正常な軌道に乗せることで韓中の合意がなされたと発表された。

展望

在韓米軍のTHAAD配置はアメリカの強い要求によるものであり、韓国政府にとっては韓米同盟を強化するために必要なものであった。また、朝鮮民主主義人民共和国の核開発、ミサイル開発が進行しているという条件が配置を推し進めることになった。

一方、中国はTHAAD配置に関して、自国のミサイルを無力化されることとともに、中国とロシアを取り巻くミサイル防衛網が構築されることを嫌がっていた。10月31日に発表された関係正常化の合意は、中国側がTHAAD配置がすぐに撤回される見込みがないことを認識し、短期的な目標としてTHAAD配置に関して韓国政府にその規模を拡大させないこと、アメリカのミサイル防衛に参加させないことを約束させる方針をとるようになったことで成立したといえる。中国はこれに加えて、THAAD配置と直接関係のない日・韓・米の軍事同盟化阻止を韓国に約束させることに成功したと見ることができる。一方、THAAD配置がもはや既成事実化している韓国としては、関係正常化が至急の課題であり、もとから中国側の要求を、THAADの撤収のほかはすべて受け入れざるをえないという弱い立場にあった。

ただ、中国はTHAAD配置がアメリカのグローバルなミサイル防衛網の一角であるとの認識を変えたわけではなく、THAAD配置に対する反対の立場を取り下げたわけではないことには注意するべきである。韓国に対する団体旅行を再び制限した措置は、韓国政府と社会にそのことを意識させるための間接的なメッセージである可能性がある。そして、今後、朝鮮半島で南北の和解が進むなどの新たな動きがあれば、中国はTHAADの撤収を再び韓国に求めてくる可能性が高い。

著者プロフィール

中川雅彦(なかがわまさひこ)。アジア経済研究所在ソウル海外調査員。主な著作は『朝鮮社会主義経済の理想と現実――朝鮮民主主義人民共和国における産業構造と経済管理』アジア経済研究所(2011年)等。

書籍:朝鮮社会主義経済の理想と現実

書籍:国際制裁と朝鮮社会主義経済

[注]


  • 実際のTHAADの費用については後に、アメリカのトランプ大統領が在韓米軍に配置されたTHAADの費用10億ドルを韓国に負担させると述べたことがある(2017年4月27日発ロイター通信)。この要求は結局韓国側に正式になされることはなかったが、在韓米軍に配置された1個砲台(レーダー1台、発射台6基、ミサイル32発)の費用が10億ドルであることが示されたわけである。また、アメリカがサウディアラビアに売却をすることを契約したTHAADの費用は150億ドルでレーダー7台、発射台44基とミサイル360発が含まれている(2017年10月7発時事通信)。つまり、米軍が運用する場合には1個砲台につき10億ドル、売却する場合は、21.4億ドルとなるため、2014年に韓国で伝えられていた数字は韓国が買い取った場合の値段であったことがわかる。