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世界を見る眼

香港と台湾――二つの社会が手を取り合うまで

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051534

川上 桃子

2019年12月

(7,622字)

香港の兵站基地、避難港となった台湾

香港で「逃亡犯条例」改正反対デモに端を発する大規模な抗議活動が始まってから、半年が経つ。この間、香港政府による「逃亡犯条例」改正案の正式撤回(9月14日)、大学キャンパスを舞台とする警察と学生の激しい衝突(11月半ば)、区議会議員選挙における民主派の圧倒的勝利(11月24日)と、事態はめまぐるしく動いてきたが、香港の人びとの「反乱」(倉田2019)が収束するめどはいまだ立っていない。この半年の間に逮捕拘束された人は6022人に達し、警察が発射した催涙弾の数は1万6000発に達した(2019年12月9日現在)。

世界が香港情勢を注視するなかにあって、香港人の苦悩にとりわけ心を寄せ、支援を行ってきたのが、台湾の人びとだ。蔡英文総統は国際社会に対して香港の自由と法治のための行動を呼びかけた。桃園市のような地方レベルでも香港からの移民支援に関する議論が始まっている。大学でも、香港からの学生の短期受け入れが積極的に行われている。

市民レベルでの支援も活発だ。6月以来、台湾各地では、香港に連帯する集会やデモが頻繁に行われている。大学の構内には、学生たちが香港への連帯の言葉を綴った紙をびっしり貼り付けた「レノンウォール」が出現し、教会は、カンパを集めて防毒マスクやヘルメットをデモ隊に送り届ける地下チャネルの窓口となった1。最近では、逮捕のリスクにさらされる香港の若者たちを台湾へ逃亡させる地下ネットワークが立ち上がり、牧師、漁民、富裕な資金援助者といった支援者たちが協力して、200人以上の香港の若者を台湾に逃したことが報じられている2

写真1 連帯の言葉を壁につづる「レノンウォール」

写真1 連帯の言葉を壁につづる「レノンウォール」の動きは、 香港で起こり台湾へと広がった(11月23日、台湾大学にて)
だが、今でこそ強く連帯する台湾と香港であるが、2000年代半ば頃まで、この二つの社会の関係はよそよそしいものであった。台湾と香港は、どのような道のりを経て、手を取り合うようになったのだろうか。
冷ややかな視線と無関心――1990年代~2008年頃

筆者は、1995~97年にかけて、在外研究のため台湾に滞在していたが、当時の台湾の人たちは、世代を問わずおおむね「アンチ香港」であった。「香港人は拝金主義的で冷たい」「香港には自前の文化がない」といったステレオタイプのほか、「香港人は英語ができると思っていばっている。台湾人を見下している」「植民地的価値観を内面化している」といった声をよく耳にしたものだ。これより前、1987年に台湾の『天下雑誌』(4月1日号)が読者を対象に行ったアンケート調査(回答数3000通)でも、香港人の印象として52%(複数回答可)の人が「現実的、功利的、非常に冷たい」を挙げていた。

1997年の香港返還は、「一国二制度」が元々、中国による台湾統一のための制度として考案されたという経緯もあって、台湾人の関心を引いた。しかし、その後の約10年の間、台湾社会の香港に対する関心はおおむね低かった。

その理由のひとつは、返還後の中国と香港の関係が、事前の予想とは異なりおおむね良好に展開した(倉田2009, 2018)ことにある。図1から分かるように、香港人の「中国人アイデンティティ」(自分を「中国人」であるとする意識)は2000年代半ばにかけて上昇基調にあった。また図2からは、2000年代末までの時期の香港人の「一国二制度」への受け止め方や中国および香港の将来に対する見方も、おおむね肯定的、楽観的であったことが分かる。

図1 香港人の「香港人」「中国人」アイデンティティの推移

図1 香港人の「香港人」「中国人」アイデンティティの推移

(注)「あなたは自分を香港人、中国人、中国の香港人、香港の中国人のいずれだと思っていますか」という問いに対して「中国人」「香港人」と回答した者の比率。
(出所)香港大学民意研究計画のデータより作成。いずれも1-6月期の平均(1997年のみ7-12月期の平均)。

図2 香港の未来、中国の未来、一国二制度への信頼に関する香港市民の意識の推移

図2 香港の未来、中国の未来、一国二制度への信頼に関する香港市民の意識の推移

(出所)図1に同じ。いずれも1-6月期の平均(1997年,2001年は7-12月期の平均)。

一方、この時期の台湾では、政治の民主化と本土化(台湾化)が急速に進み、2000年には独立を志向する民進党・陳水扁政権が誕生した。1990年代後半から2000年代前半にかけて、台湾と中国の経済関係は急速に緊密化したが、同時に、この時期を通じて台湾の人びとの「中国人アイデンティティ」は一貫して低下し、周縁化していった(図3)。

「台湾アイデンティティ」を確立していったこの時期の台湾において、特に大きな摩擦もなく中国との融合を深めていく香港の姿は、関心を引く対象とはならなかった。

図3 台湾人の「台湾人」「中国人」アイデンティティの推移

図3 台湾人の「台湾人」「中国人」アイデンティティの推移

(注)「あなたは自分を台湾人、中国人、どちらでもある、のいずれであると考えていますか」という問いへの回答。
(出所)国立政治大学選挙研究中心のデータより作成。
転換点となった2008~09年

台湾と香港に連帯のきっかけが生まれたのは、2008~09年頃のことである。その契機となったのは、この頃から中国と香港の間に生じ始めた「きしみ」であった。先ほどの図1および図2からは、2008年をピークに、香港人の中国観やアイデンティティに変化が生じたことが分かる。

香港では、2003年に中国との間で自由貿易協定「経済連携緊密化取り決め(CEPA)」が締結され、中国人の香港訪問が自由化された。中国人観光客の激増は、オーバーツーリズムの弊害をもたらした。香港で出産する中国人妊婦の増加や、中国人による粉ミルク・おむつといった乳幼児用必需品の「爆買い」、不動産投資の増大といった社会問題も顕在化し、2000年代後半を通じて、香港の人びとの間には、中国との経済統合の行き過ぎに対する懸念が徐々に高まっていった(竹内2015)。香港中文大学の調査によると、中国人の香港への自由往来について「制限するべき」と答えた人の割合は、2012年に51%に達した3

並行して2000年代後半には、フェリーの埠頭や中国と香港を結ぶ高速鉄道の建設のための建造物の取り壊し、住民立ち退きへの反対運動が起こり、香港への帰属意識が「本土主義」として次第に焦点を結んでいった(呉2015)。2012年には、中国国民としての誇りや中国への帰属意識を高めることを目的とする「国民教育」の導入に反対する大規模デモが起きた。これは、若者を中心とする市民が「洗脳教育だ」と強く反発したため撤回されたが、香港の人びとの間には、中国に対する不信感が生まれた。このような出来事が合わさって、香港人の香港および中国の未来に対する自信、「一国二制度」への信頼は、2008~09年をピークとして低下した。

他方、この時期の台湾では対中関係が急速に緊密化した。2008年に政権に復帰した国民党の馬英九政権は、陳水扁政権期に停滞した中台間協議の遅れを取り戻すかのように、急ピッチで中国との経済協議を進めた。この結果、中国からの観光客の受け入れ開始(2008年)、「両岸経済協力枠組協定(ECFA)」の締結(2010年)等が矢継ぎ早に実施され、中国との人や資金の動きが双方向化した4。マスメディアの報道や言論のなかに中国の影響力が浸透するようになり、中国に対する批判や、中国でタブー視される話題の報道が抑制されるといった事態も生じた(川上2015)。また、馬英九が再選に挑んだ2012年の総統選挙の際に、中国で事業を展開する台湾企業のオーナーたちが中国の意を受けたと思われる行動をとった。

相互参照から連帯へ

このような動きに神経を尖らせた台湾の本土派知識人たちは、台湾統一を掲げる中国との経済統合の深化に対して警鐘を鳴らすに際して、香港の「負の経験」を積極的に参照するようになった。ECFAの締結にあたってはCEPAのインパクトが、中国人観光客の受け入れをめぐってはオーバーツーリズムに悩む香港の姿が、台湾マスメディアへの中国の影響力の浸透については香港メディアの「陥落」の経緯が、それぞれ言及されるようになった。

2012~13年頃から、台湾と香港の間で、「このままでは、巨大化する中国にのみ込まれてしまう」「中国との経済統合が、我々の社会の自由と民主主義を侵食しつつある」という危機意識を共有する学者やNGO同士の交流が活発に行われるようになった。こうして、強い危機意識のもとに、台湾と香港が互いの経験を参照しあう局面が訪れた。

ただし、この時期に香港へ関心を寄せたのは、主に台湾の知識人や民進党の関係者たちであり、その関心は限られたものであった。二つの社会が、より広範な人びと――とりわけ若者たち――を巻き込みつつ連結するようになっていくのは、激動の政治の季節となった2014年のことである。

学生同士の連結と連帯――2014年の「ひまわりと雨傘」

2014年に台湾と香港では、若者たちを主役とする劇的な政治運動が起きた。この年の3月、台湾では、中国との「両岸サービス貿易協定」の締結に反対する大学生たちが立法院に突入し、本会議場を24日間にわたって占拠した。いわゆる「ひまわり学生運動」である。この運動には、世代を超えて多数の市民が共感し、座り込みやデモを行って、学生たちへの支持を表明した。この運動の現場では、香港についての言及が数多くなされた。2019年の香港や台湾のデモや集会で目にする「今日香港、明日台灣」(今日の香港は将来の台湾だ)というスローガンは、この頃から盛んに用いられるようになったものだ5

香港では2013年に、行政長官の「真の普通選挙」6の実施を求めて金融街であるセントラル地区を占拠する「オキュパイ・セントラル」が提起されていた。台湾で「ひまわり学生運動」が起きると、香港の民主派や学生たちは運動の現場を見学するため台湾を訪れ、学生たちの分業組織や市民への広報・動員のしかた等を見学して、様々なノウハウを吸収した7

2014年8月に中国全国人民代表大会(全人代)が、2017年の行政長官選挙に関して、民主派の立候補を事実上排除する極めて厳しいハードルを課す決定を下すと、これに反発した学生や市民らは、9月から10月にかけて授業のボイコットや道路の占拠を開始した。いわゆる「雨傘運動」の発生である。台湾の学生たちはすぐさま香港に駆けつけ、現場で支援した。この間、香港と台湾では、「ひまわり」と「雨傘」への応援デモや支持集会が互いに行われ、エールを送り合った(竹内2015)。

「ひまわり」と「雨傘」は、前者が両岸サービス貿易協定阻止、後者が普通選挙の実施と、アジェンダを異にする。しかし、いずれも、台湾および香港の自己決定への強烈な問題意識を持ち、中国に併呑されることを拒む運動である。呉(2015)が指摘するように、両者は、抗争対象(中国)、レトリック(「本土」「自主」)、運動の手法(占領)といった点でよく似ている。この類似性は、中国からのプレッシャーにさらされた台湾と香港の社会運動が相互に学習し、模倣し、競争し合うなかから生まれたものである。

2014年の二つの運動を通じて連帯を深めた台湾と香港の若者たちは、それぞれの運動が明暗を分けるかたちで終結したあとも、ソーシャルメディア上の交流や、頻繁な相互訪問を通じて、今日にいたるまで極めて密接な交流を保ち続けている。

表1には、香港人の台湾人に対する好感度の推移を示した。好感度が全体に高いことが分かるが、なかでも台湾に対して「非常に好感を持っている」人の比率が2013年の5%から2014年の10%に上昇し、19年には前年からさらに12ポイント上昇して23%に達していることが目を引く。

表1 香港市民の台湾に対する好感度の推移

表1 香港市民の台湾に対する好感度の推移

(注)「あなたは台湾の人びとについて好意的に感じていますか、否定的に感じていますか」という問いへの回答。
(出所)図1に同じ。
「連帯の倫理」――2019年の香港と台湾をつなぐもの

2019年の香港の抗議活動の特徴は、破壊行動も辞さない過激派と、平和な集会やデモを行う穏健派のあいだの連帯が一貫して保たれていることにある(倉田2019)。Lee(2019)は、両者の団結が、デモ発生前の香港社会の状況と抗議活動の展開のなかから創り出された「連帯の倫理(ethic of solidarity)」――仲間割れを避け、団結を維持しようとする精神――に支えられていることを論じている。

台湾の香港に対する精神的支援も、この「連帯の倫理」に貫かれている。筆者が見る限り、台湾の学生や知識人たちの多くは、香港の穏健派がそうであるように、過激派の破壊活動を非難するのではなく、彼らをそのような行動に追い詰める香港の政府・警察の対応、そして中国政府の姿勢を強く問題視している。

台湾の人びとは、2019年の香港人の苦難に、自らの歴史を重ねて深い同情を寄せている。台湾は、1947年の「二二八事件」とそれに続く白色テロの時代に、多くの有為の若者を失った8。これによって国民党政権と台湾の本省人社会の間に生まれた不信感と社会の亀裂は、何十年にもわたって続き、今なお完全に癒えてはいない。香港の一部の若者たちの破壊行動に対して、年配者を含む台湾の人びとが「連帯の倫理」を発揮するのは、若者たちが払いつつある犠牲の大きさと社会の傷の深さを、台湾の人びとが我がこととして深く理解しているからであるように思われる。

香港情勢の緊迫は、2020年1月11日に予定されている台湾の総統選挙・立法委員選挙の情勢にも影響を及ぼしている。与党・民進党は、2018年秋の統一地方選挙で惨敗を喫した。一時は再選が危ぶまれた蔡英文総統の支持率は、しかし、香港で大規模デモが発生した6月以降、大きく上昇している。

従来の台湾の総統選挙では、対中関係(「両岸関係」)が重要な変数となってきた。これに加えて今回の選挙では、「香港ファクター」が明らかに重要な変数となっている。台湾にとっての「対岸」との関係は、中国とのバイラテラルな「両岸関係」から、中国・香港・台湾の「両岸三地」が織りなすダイナミックな関係へと変化しつつある。

写真:写真2「台湾と香港の学生は、ともに登りともに落ちる」 と書かれた横断幕を手に香港支援デモを行う台湾の学生たち。

写真2 「台湾と香港の学生は、ともに登りともに落ちる」 と書かれた横断幕を手に香港支援デモを行う台湾の学生たち。
付記

本稿の執筆に際しては、呉介民(中央研究院社会学研究所)、蕭新煌(台湾亜洲交流基金会董事長)、王宏仁(国立中山大学)、游素玲(国立成功大学)の各氏との対話から多くを学んだ。

写真の出典
  • 写真1 著者撮影
  • 写真2 Allenwang6212a, Demonstrations in Taiwan in support of protestors in Hong Kong (CC BY-SA 4.0[https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0]).
参考文献

[英語文献]

[中国語文献]

  • 吳介民(2015)「『中國因素』氣旋下的台港抵抗運動」『學苑』2015 年 10 月號。
著者プロフィール

川上桃子(かわかみももこ) アジア経済研究所地域研究センター次長。博士(経済学)。専門は台湾を中心とする東アジアの産業,企業研究。最近はシリコンバレーとアジアのハイテクリンケージ,中台研究に関する研究も行っている。単著に,『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会(2012年,第29回大平正芳記念賞受賞),最近の共編著に川上桃子・松本はる香編『中台関係のダイナミズムと台湾:馬英九政権期の展開』アジア経済研究所(2019年)など。

書籍:圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム

書籍:中台関係のダイナミズムと台湾:馬英九政権期の展開

  1. 鄭仲嵐「香港『反送中』抗議:當台灣成「螞蟻」運送的中繼基地BBC News(中文)、2019年8月20日。ただし、最近では防毒マスク等の香港への持ち込みは、「戦略物資」搬入として厳しく取り締まられるようになっており、最高で禁錮7年の処罰が科される可能性があることから、台湾からの補給ルートは大きく狭まっていると推測される。「行李箱過X光機!香港嚴查台灣旅客 攜「戰略物資」入境最高關7年」『ETtoday新聞雲』2019年9月28日。
  2. ’We Are Fleeing the Law’: Hong Kong Protesters Escape to Taiwan. New York Times, Dec.8, 2019. 
  3. 香港中文大学香港亜太研究所のプレスリリースによる。この調査では、「中国人の自由往来は香港と内地(中国)の住民の相互信頼を高める」と思う人の比率は11%にとどまり、60%が「思わない」と回答した。
  4. 馬英九政権期の中台関係の展開については川上・松本編(2019)各章を参照。
  5. 張潔平「今日台灣,明日香港?」『紐約時報中文網』2014年4月22日。
  6. 民主派は、出馬のハードルを下げ、誰もが立候補できる、国連人権規約に則した「真の普通選挙」の実施を求めた。
  7. 湯惠芸「香港學生參考台灣太陽花學運Voice of America(中文)2014年4月14日。
  8. 1947年2月、台北市内で発生した国民党政府と台湾の民衆の間の衝突は、3月にかけて台湾全土に広がった。政府側は武力を用いた過酷な弾圧を行い、台湾人の抵抗を鎮圧した(二二八事件)。これ以後、国民党政府が反体制派を厳しく弾圧する「白色テロ」の時代が長く続いた。犠牲者の数は数万人にのぼり、多数の知識人、エリートが殺害された。
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