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ライブラリアン・コラム

韓国の書店事情──地域に息づくドンネチェッパン(街の本屋さん)

二階 宏之

2023年4月

京義線ブックストリート

ソウルの弘大(ホンデ)という街に京義線ブックストリートといわれるスポットがある。2016年に旧京義線の廃線跡地に本をテーマにした通りとして誕生した。京義線とは、ソウルからソウル北西近郊の坡州(パジュ)へ延びる鉄道で、植民地時代に日本により建設されたものだ。1906年に全区間が開通し、その後、朝鮮戦争により一部区間を除いて、運行が中断した。その跡地を利用して、2016年に京義線スッキル(森の道)公園が完成した。公園はいくつかの区域に分かれるが、その散歩道は6.3キロにわたる。ちょうど私が海外赴任の時に住んでいた家の前に京義線スッキル公園が長く続いていた。週末にはよく散策して、四季折々に色づいた木々や花々の移ろいを楽しんだ。

写真1 京義線スッキル公園

写真1 京義線スッキル公園

弘大は若い世代が集まるにぎやかな街で、外国人観光客も多い。京義線ブックストリートはそんな街の喧騒から離れた片隅にある。通りには14台の列車型展示ブース、モニュメントなどがあり、また、絵本を作るコーナー、画家が運営するアーティストブース、独立出版書を販売する書店など多様なブースも連なる。2022年10月にはオープンスタジオが完成し、ブックトークなどのイベントも開催しているそうだ。このように、世代と文化が本を通じて調和する融合アート空間となっている。

写真2 京義線ブックストリート

写真2 京義線ブックストリート
地域に息づくドンネチェッパン(街の本屋さん)

ドンネとは、町や村といった小さい行政単位で、自分の住んでいる地元や地域を表現するときに使う。チェッパンとは本屋、書店のことである。全国ドンネチェッパンネットワークによると、「ドンネチェッパン」を、単行本を主に取り扱い、地域社会を基盤として、本の文化を作っていく小さな本屋と定義している。また、「独立書店」という名称もある。当初、独立出版物を販売した書店がこう呼ばれたが、その後、地域を基盤とする小規模の本屋を独立書店と呼ぶように変わった。

2019年に韓国勤務から帰国後3年半ぶりの韓国出張で、再び京義線ブックストリートを訪れた。まだ3月初めであったが、すでに春を感じさせる陽気であった。通りを歩いていくと、一角のギャラリーで「ドンネチェッパン紀行」という写真展が開催されていた。それは、韓国内にある個人経営の小さな書店を紹介したものだった。72の写真が展示されていたが、それぞれが個性的で、私たちがよく目にする書店とは様相が異なり、アットホームな優しい空間が並んでいた。

展示を企画した写真家のチェジェフンさんから話を聞くことができた。チェさんの話を要約すると以下のとおりである。「全国に約800あるといわれるドンネチェッパンのうち、72カ所を7年間にわたり取材し、写真として記録したものである。最近、若い世代を中心に個人で運営するドンネチェッパンが増えている。地方の奥地でひっそりと開いている本屋が多く、深い渓谷や船に乗っていく本屋もある。本屋は、自分の創造の空間であり、利益を追求するよりは、自分を表現する場所として運営しているものだ。本だけ売って生活をしようという人はいない。自分が楽しんで、本を読んで、地域住民と話をする。また、本以外にも音楽、登山、旅行、運動などの多様なプログラムも実施してコミュニケーションにつとめる。」そして、最後に次のように語ってくれた。「全世界的に文化を引き継いでいくのは記録である。記録なしには歴史や文化はない。読書は頭と心でする旅行であり、旅行は体でする読書である……」

写真3 渓谷にある本屋(左)

写真3 渓谷にある本屋(左)

写真4 写真家チェジェフンさん(左)と筆者

写真4 写真家チェジェフンさん(左)と筆者
新しいトレンド

昔は、本は地元の本屋で買う時代だった。その後、ネットの普及で登場したオンライン書店は大幅な割引競争で優位に立ち、オフラインの大型書店はカフェやレストラン、雑貨、文房具などを備え、多様な趣向を凝らした店舗に変化した。その一方で、価格競争や市場の変化に対応できない個人経営の小さな本屋は次々と閉店に追い込まれた。ところが、2010年代に入り新しい形態の本屋が話題をつくり始めている。独立出版物を販売する「独立書店」が生まれたのもこのころだ。そのほか、詩集だけを売る本屋、読書会に特化した本屋、ビールが飲める本屋など、個性的な本屋も登場した。開業するのは、1980年代生まれを中心とした若い世代が多い。

その理由として、2014年に改正された図書定価制(図書再販制)の影響が大きい。改正前は、書籍の発行日から18カ月が過ぎた書籍であれば無制限の割引が可能だった。2014年の改正で、割引率が定価の10%以下、5%のポイント還元に抑えられ、小さな本屋でも大型書店と競合できるようになった。もう一つの理由は、読者の心のよりどころとしてドンネチェッパンのような書店がマッチしたということである。コロナの影響もあり、誰かと感動を共有する機会が少なくなってきた。ドンネチェッパンでは、本屋という空間、本に触れる感覚、照明と音楽、本屋のにおい、主人との共感が同時多発的に感覚を刺激する。趣向を共有する空間を求める気持ちが集まり、ドンネチェッパンの起爆剤となった。

一方で、本を売るだけでは採算が取れなく、店をたたむ本屋も多い。特に店の賃貸料が本屋の経営に大きくのしかかる。そのため、カフェや講演会、教室などを開催し、客集めに奔走するが、利益を上げていくにはなかなか厳しい。また、サービスを多様化することにより、業務量は増えるばかりで、店の主人は体力的にも消耗してしまう。写真家のチェさんの話に戻るが、自治体などからの財政支援があれば、出版市場も長く続くのではないかということだ。

付記

今回の韓国訪問でわかったのだが、ソウルの中心部にあるアーク・アンド・ブック(ARC N BOOK)という大型書店の支店が閉店していた。2018年11月に開店し、本と文房具、雑貨、カフェ、レストランなどを融合した複合文化スペースであった。テーマごとのディスプレイや、本で敷き詰められたトンネル通路、公衆電話ボックスになぞらえた検索端末など、見る人を楽しませる空間であった。しかし、コロナの影響により客足が減り、2021年5月に閉店したそうだ。キュレーション機能を追求する書店の難しさを垣間見た気がした。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
参考文献
  • 内沼晋太郎・綾女欣伸編著2017『本の未来を探す旅ソウル』朝日出版社
  • ハン・ミファ著2022『韓国の「街の本屋」の生存探究』クオン
  • ソウル特別市「ソウルの公園」(2023年4月6日アクセス)
著者プロフィール

二階宏之(にかいひろゆき) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は朝鮮半島。著作に「第1章 韓国──大学の国際化と評価への期待と葛藤」(佐藤幸人編『東アジアの人文・社会科学における研究評価──制度とその変化──』アジア経済研究所、2020年)、『朝鮮半島における南北経済協力──韓国からの視点──』(アジア経済研究所、2008年)など。