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ティモール・レステのASEAN加盟とその意義
Timor-Leste’s Accession to ASEAN and New Perspectives on Regional Order
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001764
2026年2月
(3,943字)
新加盟国はASEANに何をもたらすのか
2025年10月、マレーシア・クアラルンプールで開催されたASEAN首脳会合において、ティモール・レステ民主共和国は11番目の加盟国として正式に承認された。2011年の加盟申請から14年を経ての実現である。この過程の長期化は、同国の経済水準の低さや行政能力、人材・インフラ不足への懸念によって説明されることが多い。しかし、ティモール・レステの加盟は、単に「後発開発途上国のASEAN加盟」という文脈でのみ理解するべきではない。
本稿は、ティモール・レステのASEAN加盟を、域内の経済的格差の拡大や行政能力、人材の不足の問題としてのみ捉えるのではなく、むしろASEANが、どのような価値や規範を内包する地域協力機構であるべきかを問いなおす契機として位置づける。とりわけ、東南アジアでもっとも高い水準の民主主義と政治的自由を維持するティモール・レステの加盟が、ASEANの政治的性格にいかなる変化をもたらしうるのかを検討する。
そのためにまず、ティモール・レステが独立宣言からのおよそ50年間、ASEANといかなる距離感で、外交戦略を展開してきたのかを整理する。そのうえで、同国の加盟がASEANにもたらしうるポジティブな意味、すなわち民主主義と自由という規範の側面から考察する。
右端がティモール・レステ民主共和国シャナナ・グスマン首相
1975年の独立宣言とASEANへの初期接近
ティモール・レステは2002年、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)を経て独立を回復した。同国政府の公式見解によれば、1975年の独立宣言が最初の独立であり、2002年は「独立の回復」と位置づけられる。1974年のポルトガル本国でのカーネーション革命以降、当時ポルトガル領であったティモールでは独立をめぐる政治闘争が激化し、内戦に勝利した政党「東ティモール独立革命戦線」(FRETILIN)が独立を宣言した。
興味深いのは、この独立構想の初期段階において、ティモールの指導者たちはすでにASEANへの加盟を構想していた点である。現大統領のラモス・ホルタによれば、1974年の時点でインドネシア外相アダム・マリクに対し、独立後のASEAN加盟の意思を伝えていたという(山田 2024, 63)。しかし当時のASEANは、マレーシア、インドネシア、タイ、シンガポール、フィリピンの5カ国から成り、将来的にはインドシナ諸国の参加を想定していたが、ティモール・レステはその枠組みに含まれていなかった。インドネシアは1975年12月、ポルトガル領ティモールに軍事侵攻し、翌年同地域を27番目の州として併合した。ASEAN諸国は、原則として内政不干渉の立場を取り、これをインドネシアの国内問題として扱った。国連における併合非難決議に対しても、ASEAN加盟国は反対または棄権票を投じた(Ortuoste 2011, 8-10)。冷戦下における当時のASEAN諸国の思惑が、ティモール・レステの国家承認を拒む結果となったのである。
レジスタンス外交と「非・東南アジア」戦略
インドネシア支配下における抵抗運動は、軍事的闘争よりもむしろ、国際社会への訴えを重視する外交戦略を展開した。その過程で、ティモール・レステの指導者たちは、意図的に東南アジアとの隔たりを強調し、むしろメラネシア文化圏や太平洋諸島との近接性を前面に出す言説を形成していった。これは、「インドネシアの一部」という国際的認識を相対化し、独自の民族的、文化的アイデンティティを主張するための戦略であった。
統一抵抗組織CNRM(後のCNRT)は、ポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)への将来的加盟や、南太平洋フォーラム(後の太平洋諸島フォーラム)との連携を外交目標として掲げた。ラモス・ホルタも、1996年のノーベル平和賞受賞講演において、ティモール・レステを「メラネシア文化、マレー文化、ラテン・カトリック文化が交差する場所」と位置づけ、東南アジアの一部であることを必ずしも強調しなかった(Leach 2017, 114)。
このような「非・東南アジア」戦略は、独立運動の正統性を支えるうえで一定の役割を果たしたが、その主たる目的は国際社会における独自性の可視化にあり、ASEANとの関係構築は当時の外交戦略として表面化・前面化していたわけではなかった。
現実路線としてのASEAN接近
1990年代後半になると、ティモール・レステの指導部は、将来の国家建設を見据え、ASEANとの関係構築を現実的な課題として認識するようになる。1998年にCNRTへと改組された抵抗組織は、独立後の基本方針のなかで、CPLP加盟を重視しつつも、アジア太平洋地域との関係強化を明記した(CNRT 1998; Leach 2017, 115-116)。
1999年のインドネシアからの独立の是非を問う住民投票後、インドネシア軍および親インドネシア民兵が引き起こした騒乱の際も、ASEANは当初慎重な姿勢を崩さなかった。しかし最終的には、フィリピン、タイ、マレーシアなどが国連主導により平和維持部隊および文民警察を派遣し、これがASEAN諸国による初の派兵経験となった。
2002年の独立回復後、ラモス・ホルタ外相はASEAN外相会議にゲストとして招かれたものの、オブザーバー資格の付与は実現しなかった。背景には、同氏がアウンサンスーチーの自宅軟禁解除を求める国際的な署名活動に加わり、軍政を公然と批判したことに対するミャンマーの反発があったとされる(山田 2006, 279; Ortuoste 2011, 16-17)。ティモール・レステの民主主義を支持する姿勢、そして、ASEANの全会一致を原則とするコンセンサス方式という合意形成のあり方が加盟への道のりを制約したといえる。
ASEAN加盟をめぐる課題
現在、ティモール・レステの加盟をめぐっては、複数の懸念が指摘されている。第一に、経済水準の低さである。一人当たりGDPは2023年時点で約2140ドルにとどまり、ASEAN加盟国のなかでも最低水準である。第二に、行政能力と人的資源の不足である。年間数百回に及ぶASEAN関連会合への対応や、将来予定されている議長国に必要な外交・通訳人材の育成は、依然として大きな課題である。第三に、近年、関係をさらに緊密化する中国からのインフラ投資への依存が、南シナ海問題などにおけるASEANの結束を弱めるのではないかという安全保障上の懸念も存在する。
これらの点はいずれも現実的な問題であり、無視することはできない。ただし、こうした側面のみに着目して加盟の意味を論じるならば、ASEANの性格を経済協力に限定して捉えることになる。
左はヴェトナムのファン・ミン・チン首相、右はカオ・キム・ホンASEAN事務総長(2023年9月6日、ジャカルタ)
ティモール・レステの民主主義と自由がASEANにもたらすもの
経済指標とは対照的に、政治体制の評価においてティモール・レステは際立った位置を占めている。民主主義指数(2024年)では167カ国中43位に位置し、ASEAN加盟国のなかで最上位にある。Freedom Houseの「世界の自由度」調査では、ASEAN諸国のなかで唯一「自由」と分類されている。報道の自由度に関しても、世界的に見て高水準を維持してきた。この点において、ティモール・レステは経済面で後発開発途上国である一方、政治的自由と民主主義の水準では、むしろ他の加盟国を上回る先進国である。
ASEANは長らく内政不干渉の原則を重視し、加盟国の政治体制に踏み込まない地域協力機構として機能してきた。しかし近年、ミャンマーの軍事政権による深刻な人権侵害を前に、ASEANは従来より踏み込んだ声明の発出や外交対応を余儀なくされている。ティモール・レステは、こうした問題に対して比較的明確な批判姿勢を示してきた数少ない国家である。
このように見るならば、ティモール・レステの加盟は、ASEANが単なる経済協力体なのか、それとも一定の政治的価値を共有する共同体なのかを再定義する契機となりうる。すなわち、同国の加盟は、域内の経済的格差を拡大させる出来事であるというよりも、ASEANにとって「民主主義と自由」という規範と改めて向き合う契機と捉えることができる。
ティモール・レステはまた、太平洋諸島諸国やポルトガル語圏諸国との関係を維持しつつ、ASEANとの結びつきを強める多国間主義を展開してきた。脆弱国家の連合であるg7+を主導するなど、国家建設と平和構築の経験を共有する場を形成してきた点も、ASEAN諸国の多くが十分に持たなかった外交的資源である。この意味で、ティモール・レステは、ASEANに同化される一方的な存在というよりも、ASEANの性格そのものを変化させうる可能性を秘めた新たな価値をもたらす存在と見ることができる。
ASEANが民主主義という価値を見直す契機
ティモール・レステのASEAN加盟は、同国にとっては長年追求してきた外交目標の達成であると同時に、ASEANにとっても自己定義を問い直す契機である。域内の経済格差や行政能力、人材不足といった課題は現実であるが、それと同時に、同国は東南アジアにおいて稀有な水準の民主主義と自由を体現してきた国家でもある。
加盟によってティモール・レステが「ASEAN化」する過程は不可避であろう。しかし同時に、ASEAN自身がティモール・レステの政治的実践から何を学ぶのかという問いもまた重要である。変わるべきは周縁的な新加盟国なのか、それとも長年内政不干渉を掲げてきた地域秩序そのものなのか。ティモール・レステの加盟は、ASEANが経済共同体を超えた政治的共同体へと転じうるのかを試す試金石であると言えるだろう。
写真の出典
- 写真1 Media Center KTT ASEAN 2023/Akbar Nugroho Gumay/foc(Public Domain)
- 写真2 Media Center of The ASEAN Summit 2023/M Agung Rajasa/pras/mifta(Public Domain)
参考文献
- CNRT. 1998. “East Timor’s Magna Carta.” Peniche: CNRT.
- Leach, Michael. 2017. Nation-Building and National Identity in Timor-Leste. New York: Routledge.
- Ortuoste, Maria. 2011. “Timor-Leste and ASEAN: Shaping Region and State in Southeast Asia.” Asian Journal of Political Science 19(1): 1–24.
- 山田満. 2006.「ASEANをモデルにした産業発展を目指して――ASEAN加盟を目指す東ティモール政府」山田満編『東ティモールを知るための50章』明石書店、278–282ページ。
- ---. 2024. 「ASEAN加盟手続き――地域協力への通過点」黒柳米司・金子芳樹・吉野文雄・山田満編『ASEANを知るための50章[第2版]』明石書店、61-64ページ。
著者プロフィール
福武慎太郎(ふくたけしんたろう) 上智大学総合グローバル学部教授。博士(地域研究)。専門は文化人類学、東南アジア地域研究。主な著作に『東ティモール 独立後の暮らしと社会の現場から』(編著)彩流社(2025年)など。
