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ハシナ政権の崩壊──バングラデシュの政治・経済はどこに向かうのか
The collapse of the Hasina regime: Where are Bangladesh’s politics and economy headed?
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001077
2024年8月
(4,398字)
バングラデシュで大規模な反政府運動が発生した。これを受け、2024年8月5日にシェイク・ハシナ首相はバングラデシュを脱出し、ハシナ首相率いる現政権は崩壊した。ハシナ首相は、アワミ連盟(AL)の党首として2009年から政権の座に就いていたが、今回の反政府運動によって、約15年間続いた政権に幕が下りたことになる。本稿ではハシナ政権崩壊の背景と経緯を解説し、そして今後バングラデシュの政治経済はどのように変わっていくのか考察したい。
なぜ抗議活動が起こったのか?
現政権への抗議活動が全国各地で発生したきっかけは、高等裁判所が上級公務員の採用に特別枠を設ける制度(以下、上級公務員採用割当制度)の復活を指示したことにある。上級公務員採用割当制度とは上級公務員採用の56%(独立戦争功労者[フリーダムファイター]親族枠30%、女性枠10%、少数民族枠5%、低開発県・管区枠10%、障害者枠1%)に対して設けられた特別枠のことで、独立翌年の1972年に導入された。これは出自による差別的な制度であり、その運用も不透明であると批判されてきた (Jahan 2012)。そのため、この制度は2018年に学生による激しい抗議活動を受けて当時のハシナ政権によって廃止された (日下部2019)。
しかし2021年に、フリーダムファイターの子孫らがこの廃止が違法であると訴えを起こした。この訴えに対し、高等裁判所は2024年6月5日に上級公務員採用割当制度の廃止を違法とする判決を下し、復活させる指示を出した。上級公務員採用割当制度に含まれない大学生は残りの44%の限られた採用枠の中で争わなければならなくなり、この制度の再導入は不公平であるとの声が高まった。かねてよりバングラデシュでは司法の判決が政府の意向を反映しているといわれており、大学生らは高等裁判所の判決を撤回するよう政府に求めた。大学卒業者の失業率は12.0%と全体の3.5%よりも高く (Bangladesh Bureau of Statistics 2023)、7月1日 には学生有志による団体「反差別学生運動」(Anti-discrimination student movement)が結成され、全国各地で抗議活動が発生した(図1)。
図1 バングラデシュにおける抗議活動の発生状況(7月1日から8月5日)
図2が示すように18日に暴力・破壊活動を伴う抗議活動が急激に増加し激しさを増したため、政府は、7月19日に夜間外出禁止令を発令した。さらに、政府は“Shoot-on-sight”「夜間外出禁止令を破った人を見つけ次第撃ってよい」という指示を陸軍に出していた。しかし、陸軍はこの政府の指令には従わず、政府側も一枚岩ではないことが見て取れた。同じころ抗議活動参加者がインターネットケーブルを攻撃し、バングラデシュ全土でインターネットが遮断された。夜間外出禁止令発令後も抗議活動は収まらなかったため、最高裁判所は7月21日に採用全体の56%を占める上級公務員採用割当制度の再導入を認めた高裁の判決を棄却し、上級公務員採用割当制度を7%(5%をフリーダムファイター枠)のみにすると決めた。最高裁判所の判決後、抗議活動は一時沈静化し、破壊されたインターネット接続も復活した。
図2 日別抗議活動発生件数(7月1日から8月5日)
ハシナ辞任、失意の国外脱出
上級公務員採用割当制度への抗議活動は、一旦落ち着いたかのように見えた。しかし、一連の抗議活動で多くの学生が警察に殺害されたことをきっかけとして、上級公務員採用割当制度の再導入反対を求める抗議活動は反政府運動へと変容した。ハシナ首相は、抗議活動により破壊されたダッカメトロを視察した。その際ハシナ首相は、抗議活動へ遺憾の意を示し、涙を見せたが、抗議活動のなかで亡くなった学生への謝罪がなかったため、学生からさらに批判を浴びた。7月末から再び抗議活動が増え始め、8月4日には学生有志による団体「反差別学生運動」は、ハシナ政権の退陣のみを求め5日にダッカ大行進(Long March to Dhaka)を行うと発表した。この発表を受け、政府は無期限の終日外出禁止令を4日午後に発令したが効果はなく、正式な統計はないものの推計で学生以外も含む数万人がダッカ大行進に参加した。ハシナ政権の権威主義的な政治運営 (Jackman 2021)や近年の食料価格高騰による生活の行き詰まり(日下部・松浦[神成]2024)など、多くの民衆が抱えていた不満が堰を切ったように表面化した。この大行進は、反政府運動側による警察官への殺傷行為やAL関連施設、大学機関への放火など、暴力を伴うものであった。政府側と抗議活動および反政府運動参加者含めて、この1カ月で数百人の命が失われたと報じられている (The Economic Times 2024)。
これらの動きを受けて、陸軍はハシナに首相辞任を迫り、ハシナはこれを受け入れざるを得なかった。その後、ハシナは、妹のシェイク・レハナと共に陸軍のヘリコプターで出国し、インド・アガルタラを経由してニューデリー近郊のガージィヤバードに着陸した。インドに滞在後はレハナの娘が国会議員を務めているイギリスに向かうと推測されていたが、8月8日にハシナの息子サジーブ・ワゼド・ジョイが地元メディアに答えたインタビューによると、「亡命は申請しておらず、次なる行動については何も決まっていない」という (Dhaka Tribute 2024b)。
ハシナは今後どのように行動していくだろうか。これまでインドはハシナ政権を支援してきたため、政権崩壊後のバングラデシュでは反インド感情が高まる可能性がある。バングラデシュ新政府との今後の関係悪化を避けるために、インド政府はハシナを国内に長期間は滞在させないと判断することもあり得る。一方で、ジョイは上述のインタビューの数日後に民主的な選挙が実施された場合、ハシナがバングラデシュに戻る可能性もあるとも指摘した (The Daily Star 2024a)。ハシナは76歳と高齢であるが、再びバングラデシュの地を生きて踏むことができるかもしれない。ただし、ジョイの発言も二転三転しており、ハシナの今後の行方は予断を許さない。
政権崩壊後のゆくえ
政権崩壊に至る過程で生じた死傷者数や物的被害はいまだ正確には把握できていない。そのなかでも、軍、学生らは政治を立て直そうとしている。ハシナ辞任後は軍が一時的に暫定政府として機能し、「反差別学生運動」は6日未明にノーベル平和賞受賞者であり、グラミン銀行創始者でもある国民の人気の高いムハンマド・ユヌスを暫定政府の最高顧問に据えるよう声明を出した。フランスに滞在していたユヌスは、その申し出を承諾した。今後のバングラデシュの政治経済の動静を見ていくうえで、いくつかのポイントがある。
まず、民主的な選挙の実施である。政権崩壊後の8月5日に、本来は内政権のない象徴的存在であるシャハブッディン大統領が主要野党バングラデシュ民族主義党(BNP)党首で前首相のカレダ・ジアを軟禁からの解放を決定し、さらに国会を解散させるという政治的な決定を行った。日付は決まっていないものの、今後総選挙が行われる予定である。バングラデシュでは2013年の総選挙から公平な選挙が行われていないとして、BNPら主要野党が選挙をボイコットしている。また、「反差別学生運動」は主要メンバーであるアシフ・マフマドとナヒド・イスラムを中心に新党を結成する見込みである。主要野党や新党も含めて民主的な選挙が行われるかどうかが一つめのポイントとなるだろう。
次に、暫定政府の体制はどのようなものであるかという点だ。8月9日にユヌスはフランスから帰国し、自らを含む暫定政府の閣僚17名を発表した。暫定政府の閣僚には「反差別学生運動」の代表、弁護士、人権活動家、元中銀総裁、官僚などが含まれる。BNPの党首代行や陸軍総司令官はこの暫定政府を支持すると発表し、インドのモディ首相も祝辞を送った。暫定政府の環境・森林・気候変動大臣を務めるリズワナ・ハサンは、今後学生も政権運営に深くかかわっていくと発言した (Khan 2024)。今後さらなる軋轢や騒乱を生まないためにも、学生、AL、BNPそれぞれの意見を広くくみ取りながら政治を運営していくことが暫定政府には求められるだろう。
また、社会の安定化に向けても、さらなる取り組みが必要になりそうだ。権威主義的な政治運営を行ってきたハシナ政権が崩壊したことで、それを導いた学生たちを英雄視する向きも少なくない。しかし、その行いを手放しに称賛することはできない。反政府運動のなかでAL関連施設に加え、宗教マイノリティーのヒンドゥー教施設が一部の暴徒化した抗議者たちにより襲撃され、警察官の首がはねられた1。また、暴徒化した抗議者が首相公邸を含む政府施設や一般人の家になだれ込み、略奪も発生している。建国の父でありハシナの実の父親でもあるシェイク・ムジブル・ラフマンの像も破壊されるなど報復活動が続いており、迅速な沈静化が求められる。このように社会が不安定化していることから、自警団を組織し治安維持に努めている人々もおり、これ以上動乱により命が失われずいち早く平時に戻ることが望まれる。反政府運動の標的になっていた警察署も、8月13日には9割以上が業務を再開したという報道もあり (The Daily Star 2024b)、徐々に日常生活を取り戻している様子もうかがえる。
最後に、ハシナ政権が倒れたことによる経済への影響である。ダッカメトロの破壊に象徴されるように、高速道路などのインフラも機能不全に陥った。地元メディアの報道によるとダッカメトロの損失額だけで50億タカに上るといわれている (Dhaka Tribute 2024a)。ハシナ政権が今年力を入れていた日本をはじめとする諸外国との経済協力協定締結に向けた取り組みも一旦ストップしてしまった。バングラデシュの輸出額の約8割を占めるアパレル産業は抗議活動や反政府運動が激しくなった数日間工場を閉鎖せざるを得ず、縫製品製造業・輸出業協会は昨年度の輸出額の2%にあたる640億タカの損失を被ったと発表した。ただし、今後アパレル生産は迅速に正常化する見込みである (Mirdha 2024)。2023年に47億ドルの融資を承認した国際通貨基金(IMF)や、6月までに2024年単年で28.5億ドルの融資を決めた世界銀行は、政権崩壊による融資への影響を精査するとしながらも引き続き支援を行っていくと表明した。国際機関の支援は引き続き受けられる予定である。とはいえ、政情不安により短期的に海外からの投資や海外出稼ぎ労働者からの送金は減る見込みである。暫定政府はいち早く政治情勢を安定化させ、バングラデシュの主要な外貨獲得手段である出稼ぎ送金額を呼び込むことが必須だろう。
写真の出典
- Rayhan9d(CC BY-SA 4.0)
参考文献
- Al Jazeera. 2024. “Misleading reports of attacks on Bangladesh Hindus circulates in India.”Al Jazeera. 9 Augst.(参照日2024年8月13日)
- Armed Conflict Location & Event Data Project (ACLED). 2024. “ACLED | Armed Conflict Location & Event Data.” 5 Augst.(参照日2024年8月16日)
- Bangladesh Bureau of Statistics. 2023. Labour Force Survey 2022. Dhaka: Bangladesh Bureau of Statistics (BBS). (参照日2024年8月9日)
- Dhaka Tribute. 2024a. “Metro rail faces 500C damage as no clear timeline for restart.” 25 July(参照日2024年8月9日)
- Dhaka Tribute. 2024b. “Joy: Hasina will return once democracy restored in Bangladesh.” 8 Augst.(参照日2024年8月10日)
- Jackman, David. 2021. “Students, movements, and the threat to authoritarianism in Bangladesh.” Contemporary South Asia, 29(2): 181-197.
- Jahan, M. 2012. “Recruitment and Selection Process in Bangladesh Civil Service: A Critical Overview.” Public Policy and Administrative Research, 2(5): 29-36.
- Khan, Baharam. 2024. “Students’ reps to work with ministries.” The Daily Star, 10 Augst.(参照日2024年8月13日)
- Mirdha, Refayet Ullah. 2024. “Garment factories to reopen today.” The Daily Star, 7 Augst.(参照日2024年8月17日)
- The Daily Star. 2024a. “Hasina will return once democracy is restored: Joy.” 9 Augst.(参照日: 2024年8月9日)
- The Daily Star. 2024b. “628 out of police stations resume operations: Police HQ.”12 Augst.(参照日2024年8月13日)
- The Economic Times. 2024. “Death toll climbs to 440 in Bangladesh protests; efforts on by army to bring situation under control.” 6 Augst.(参照日2024年8月9日)
- 日下部尚徳 2019. 「2018年のバングラデシュ 第11次国民議会選挙でアワミ連盟圧勝」『アジア動向年報2019』アジア経済研究所、459-482.
- 日下部尚徳・松浦(神成)正典 2024. 「2023年のバングラデシュ 国民議会選挙を前に加速する与野党の攻防」『アジア動向年報2024』アジア経済研究所、442-456.
著者プロフィール
松浦(神成)正典(まつうらまさのり) アジア経済研究所地域研究センター南アジア研究グループ研究員。国立台湾大学修士(農業経済学)。専門は開発経済学、農業経済学、応用ミクロ計量経済学。主な著作に“Weather shocks, livelihood diversification, and household food security: Empirical evidence from rural Bangladesh”(Yir-Hueih Luh, Abu Hayat Md. Saiful Islamと共著, Agricultural Economics, 2023), “Mobile phones, income diversification, and poverty reduction in rural Bangladesh”(Abu Hayat Md. Saiful Islam, Salauddin Tauseefと共著, Review of Development Economics, 2024)など。
注
- ヒンドゥー教関連施設への攻撃は確認されているが、インドメディアが誇張したフェイクニュースを流しているのでデマの拡散に注意が必要である (Al Jazeera 2024)。
この著者の記事
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