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権力は移譲されたのか?──カンボジアにおける「世襲政権」の誕生

Has Power Been Transferred?: The Birth of the Hereditary Regime in Cambodia

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000061

2023年11月

(7,136字)

「世襲内閣」の誕生

2023年8月22日、フン・セン首相(71歳)は約38年7カ月務めた首相職から退き、同年7月23日の第7期国民議会議員選挙(以下、総選挙)で初当選した長男のフン・マナエト前国軍副総司令官兼陸軍司令官(45歳)が新首相に就任した。総選挙で与党・カンボジア人民党が圧勝したことで、フン・センは世代交代に向けた環境が整備されたと判断し、大方の予想に反して早期の世襲に動いたと考えられる(山田・新谷 2023)。

フン・マナエト内閣は、いわば「世襲内閣」である。首相だけでなく内務大臣と国防大臣も世襲となり、各省庁をつかさどる大臣30人の過半数を人民党高級幹部の子どもや甥が占めている1。上級大臣21人は70歳代と60歳代が中心だが2、各省庁の大臣30人のうち26人が50歳代以下の世代であり、大幅な世代交代が進んだ。彼ら・彼女らの多くは、ベトナムで政治・軍事訓練を受けた父親たちと異なり、欧米やオーストラリア、日本などで学位を取得したエリートである(山田 2021a)。

写真1 国民議会の信任を得た直後のフン・マナエト新首相

写真1 国民議会の信任を得た直後のフン・マナエト新首相

次世代の指導者たちによる「世襲内閣」が誕生したことで、フン・センを中心とする少数の支配者集団からその子どもたちへの集団的な権力継承が完了したかにみえるが、権力は本当に移譲されたのだろうか。その答えの鍵となるのは、党と国家の関係、つまり人民党と政府をはじめとする国家機関の関係である。本稿では、2023年総選挙後に行われた国家機関の人事の分析を通じて、フン・セン体制が継続する一方で、集団的権力継承は未完であり、不安定化する要因をはらんでいることを論じる。

党と国家の関係の変化

党と国家の関係は、1979年から続く人民党支配下のカンボジア政治を理解するうえで重要な視点のひとつである。カンボジアでは1979年から1991年まで人民党による一党独裁体制が敷かれ3、現在の中国やベトナム、ラオスなどと同様、憲法や政府よりも上位に存在する党が国家を指導する「党=国家体制」(塩川 1993)が構築された4。フン・センは1985年1月に首相に就任したが、当時の最高権力者は彼ではなく、人民革命党中央委員会書記長のヘン・サムリンであった5

しかし1991年10月、13年近くにおよぶ内戦を終結させるためのパリ和平協定が締結されるのを前に、人民党が「党の指導性」を放棄して複数政党制の導入を認めたことで、党と国家の関係は大きく変化した。人民党は理論上、憲法のもとで活動する諸政党のひとつとなったのである。そして国連による暫定統治を経て1993年に成立した新体制下では、開発援助供与国・機関のカウンターパートとなる政府が、党よりも重要な権力機関となった。しかも、連立与党のフンシンペック党と仏教自由民主党にも国家機関の主要ポストが割り当てられたため、国家機関に対する人民党の影響力は一時的に低下した。

そこで人民党は、再び国家機関のコントロールに乗り出した。1990年代後半以降、国家機関の内部に党組織を積極的に建設して党と国家の結び付きを強化し(山田 2019)、国家機関の要職を占める党員を党指導部に取り込むことで、党の決定や政策をより確実に国家機関に反映させる仕組みをつくりあげた。党の国家への浸透は中央と地方の行政機関に限らず、上院と国民議会の事務総局、各級裁判所や憲法評議会、さらには国軍や国家警察、王宮を含むあらゆる国家機関でみられる現象である(山田 2021b)。

国家機関に対する党の統制は、首相職の世襲に向けた制度構築の過程でさらに強化された。まず2022年8月に憲法が改正され、首相を決める実質的な権限が国民議会議長から国民議会で最多議席を有する政党に移った6。同年9月、フン・センは首相退任後も人民党の党首に留まると明言し、新首相やその他の閣僚の言動を監視し、党の方針に従わない場合は解任する意向を示した。

ここで重要なのは、人民党が「民主集中制」というレーニン主義的な組織原則を現在も維持している点である。同党はフン・セン率いる党中央委員会常任委員会(2023年10月時点で35人で構成)を頂点とする階層的な党組織をもち、同委員会が党組織だけでなく国家機関の人事権も独占している。つまり、党中央委員会常任委員会こそが、党と国家の運営の中核をなす支配者集団なのである7。そして、これまで三権の長や主要閣僚、国軍・国家警察のトップを含む国家の最重要ポストは、党中央委員会常任委員が占めてきた。

それでは、2023年総選挙後に行われた国家機関の人事ではどのような変化が生じたのだろうか。以下、内閣、中央省庁、国民議会の順に検討する。

フン・マナエト内閣の顔ぶれと特徴

フン・マナエト内閣の閣僚を決めたのは、首相自身ではなくフン・セン党首ら親世代である。フン・センは2021年12月にフン・マナエトを後継の首相候補として全面的に支持すると表明した後、副党首のソー・ケーン副首相兼内務大臣(当時)、サーイ・チュム上院議長、のちに副党首となったティア・バニュ副首相兼国防大臣(当時)と、マエン・ソムオーン副首相兼議会関係・監査大臣(当時)を自宅に招き、60歳以下の党幹部からなる将来の内閣構成員を選定した8。その後、2023年2月に「王国政府の予備構成員(最終名簿)」が作成され9、組閣の際に上級大臣が10人増員された結果、フン・マナエト内閣の構成は、首相、副首相10人(うち8人は各省の大臣を兼務)、上級大臣21人、各省庁大臣30人の計54人の大所帯となった10(表1を参照)。

表1 第7期カンボジア王国政府の構成(2023年8月22日発足)

表1 第7期カンボジア王国政府の構成(2023年8月22日発足)

(注)1)役職の後の■は副首相を兼任していることを示す。
2)名前の後の◆は女性を示す。
3)生年が不詳の場合、2023年2月21日付「王国政府の予備構成員(最終名簿)」にある年齢を記載した。「?」を記した閣僚は同名簿に記載のなかった人物である。
4)国会議員の欄の●は第7期国民議会議員を、×は閣僚就任後の2023年8月24日に議員を辞職した者を示す。
5)党中央委員は、人民党中央委員を示す。
6)党常任委員は、人民党中央委員会常任委員(=党最高指導部)を示す。
(出所)勅令NS/RKT/0823/1981(2023年8月22日)、第7期国民議会議員名簿、2023年2月14日付の党中央委員名簿、Kamnotraなどをもとに筆者作成。

フン・マナエト内閣の閣僚は2つの世代に大別できる。ひとつは、首相と各省庁の大臣に就任した50歳代以下を中心とする世代である。内閣発足時の年齢は首相が45歳、各省庁の大臣は60歳代が4人(うち3人は留任)、50歳代が10人(うち2人は留任)、40歳代が最多の16人(うち2人は留任)であった。人民党中央委員会常任委員(故人も含む)の子どもたちは40歳代に集中しており、16人中10人(実子9人、娘婿1人)を占めた。

もうひとつは、上級大臣に就任した60歳代と70歳代を中心とする世代である11。その多くを、フン・セン前首相の右腕とされるコン・キームや首相官房長のホー・セティーら前首相の側近、フン・マナエト首相の義父など、フン・セン親子に近い党幹部が占めている。また、1990年代から2000年代にかけてフンシンペック党や仏教自由民主党、ポル・ポト派から人民党に加わった内戦期の敵対勢力にも引き続きポストが付与された。

フン・センは新首相や新内閣の業務に干渉しないと述べたが12、フン・マナエト内閣は前首相の影響力が強く働く布陣といえる。フン・センは、ソー・ケーンやティア・バニュら潜在的な反対勢力となり得る党最高幹部を含む同世代の閣僚を引き連れて閣外へ去った。その結果、閣僚を兼務する党中央委員会常任委員の数は、前内閣の16人からフン・マナエトを含む5人に大幅に減少し、現在の内閣は従来のような党の最高権力者たちによって構成される機関ではなくなった。しかしその5人全員がフン・センの親族や彼に近い人物であるため、むしろフン・センは内閣をコントロールしやすくなった。フン・センは今後、筆頭副首相に据えた姪の夫のネート・サヴアン前国家警察長官や側近の上級大臣らを通じて、新首相を援護するとともに各省庁の動きを監督・監視する可能性が高い。

写真2 退任の記者会見に臨むフン・セン前首相

写真2 退任の記者会見に臨むフン・セン前首相
中央省庁の肥大化と不安定要因

新政権下では政治任用ポストである各省庁の長官と副長官の数が倍増した13。2018年総選挙後のフン・セン内閣発足時は632人(長官241人・副長官391人)14であったが、フン・マナエト政権下では2023年10月6日時点で少なくとも1470人(長官753人・副長官717人)15となった。とくに多いのは大臣会議官房(長官57人・副長官39人)、内務省(長官44人・副長官63人)、国防省(長官46人・副長官44人)で、その他の省庁はそれぞれ長官が11人から36人、副長官が10人から40人である。これに加えて、首相補佐特命大臣が30人、政府顧問363人のほか、大臣会議官房の顧問61人とアシスタント36人をはじめ、省庁ごとに顧問とアシスタントが任命された16

この肥大化の原因は、フン・センが自らへの忠誠と新内閣の安定確保をねらってポストを分配したことにある。フン・センは首相退任前に、各省庁の長官と副長官、政府顧問は全員再任されると明言していた17。また、新旧大臣らの親族や2023年総選挙前に人民党に移籍した野党や市民社会の指導者たちも、新たに長官や副長官に任命された。新旧幹部や新たに取り込んだ勢力にポストを分配すれば、彼らの忠誠を維持でき、それが新内閣の安定にもつながる。

しかし、肥大化したからこその不安定要因もある。大臣に次ぐポストの長官が数十人もいるなかで適切に職務分掌を行うことは難しい。また、旧来の高官と人民党高級幹部の子世代の間に対立が生じる可能性もある18。たとえば、大臣が世襲となった内務省と国防省に加えて、商業省ではチョーム・プロスット元大臣(在任1994年10月~2013年9月)の娘チョーム・ニモールが長官から大臣に昇格したほか、鉱業・エネルギー省ではスイ・サエム前大臣(同2004年7月~2023年8月)の甥カエウ・ラタナックと息子スイ・ディーモンがそれぞれ大臣と長官を、国土整備・都市化・建設省ではチア・ソパラー前大臣(同2016年4月~2023年8月)の息子パラー・モンコルが長官を、水資源・気象省ではルム・キアンハオ前大臣(同1998年11月~2023年8月)の娘ルム・リーンダーと息子ルム・カンベラーがそれぞれ長官と副長官を、観光省ではタオン・コン前大臣(同2007年5月~2023年8月)の息子タオン・ロアトサックが長官を務めている。前大臣らは親族やかつての部下たちを通じて、今後も各省に一定の影響力を行使したり、既得権益を保持したりする可能性がある。すでに一部省内における新旧幹部の対立を指摘する報道も出ている19

第7期国民議会指導部の顔ぶれと特徴

内閣と同様、国民議会の長にもフン・センに近しい人物が就任した。フン・マナエト内閣と同日に発足した第7期国民議会指導部(常任委員会)は、人民党がポストを独占し、13人中9人が留任した20(表2を参照)。もっとも大きな変化は、ヘン・サムリン人民党名誉党首(89歳)が2006年3月から務めてきた国民議会議長の職を退いたことである。後任の議長に就任したのは、第1副議長のチアム・ジアプ党中央委員会常任委員(76歳)ではなく、第2副議長のクオン・ソダリー党中央委員会常任委員(70歳)であった。初の女性議長となったクオン・ソダリーは選挙区がフン・センと同じで、彼の妻ブン・ラニー・カンボジア赤十字社(CRC)総裁と長年にわたって親密な関係を築いてきた21。フン・センは国会にも影響力を行使できることになる。また、クオン・ソダリーの後任の第2副議長には、ヘン・サムリンの娘婿のヴォーン・ソート前社会・退役軍人・青少年更生大臣が就任した。

表2 第7期国民議会常任委員会の構成(2023年8月22日発足)

表2 第7期国民議会常任委員会の構成(2023年8月22日発足)

(注)1)名前の後の◆は女性を示す。2)「党中央委員」は人民党中央委員を示す。3)「党常任委員」は人民党中央委員会常任委員(=党最高指導部)を示す。
(出所)第7期国民議会議員名簿、2023年人民党臨時大会における党中央委員名簿をもとに筆者作成。

一方、内閣に比べて国民議会議員の世代交代は限定的である。とりわけ国民議会常任委員会は、70歳代が7人、60歳代が5人、40歳代が1人で、平均年齢は69.0歳と高い。議員全体をみると、フン・センら前内閣の閣僚の多くが再選された人民党議員120人の内訳は、80歳代が3人、70歳代が41人、60歳代が47人、50歳代が16人、40歳代が12人、30歳代が1人で、平均年齢は65.2歳である22

フン・センら前内閣の閣僚たちは2024年2月25日に予定されている上院議員選挙に鞍替え出馬する見込みであり、現在の国民議会の構成は前閣僚らが上院へ移るまでの過渡的なものとみられる。フン・センら党の最高権力者たちが上院へ移ったとき、両院の機能や政府との関係にどのような変化が生じるのか注目される。

写真3 国王臨席の下で開会した第7期国民議会

写真3 国王臨席の下で開会した第7期国民議会
未完の権力継承と終わらないフン・セン体制

首相を含む閣僚の顔ぶれが一新し、世代交代が進んだものの、真の権力は依然としてフン・センら親世代が握っていると考えられる。フン・センら親世代は閣僚ポストを子世代に譲ったものの、党中央委員会常任委員のポストは手放していない。党中央委員会常任委員会は党組織のみならず国家機関の人事権も独占しており、人民党の最高権力機関である。フン・マナエト内閣には前内閣と異なり、党常任委員がほとんど残っていない。現在の政治制度は「党=国家体制」の構築が進められた1980年代のそれと本質的に異なるが、人民党と政府の力関係は「党高政低」ともいえる状態に回帰した。

とりわけフン・センは、首相在任時以上の権力を手にする可能性が高い。彼は首相退任直後に国王から枢密院議長に任命されただけでなく23、ねらいどおり2024年上院選挙後に上院議長に就任すれば、国王不在時に国家元首代行を務めるほか、国王を選出する王位継承評議会の議長も兼ねることになる。つまり、自らの意に沿う人物を首相と国民議会議長に据えることに成功しただけでなく、国家元首代行になれば高位の文官や武官などの人事権や、法律公布のための王令への署名権も手中に収めるのである。フン・セン「政権」は終わったが、フン・セン「体制」はこれまでよりも強化された形で続くとみられる。

人民党は2023年12月9日と10日に全国代表者臨時大会(以下、臨時党大会)を開催する予定だが、フン・センら親世代の多くは党指導部に留まる見込みである24。同時に、まだ党中央委員でない閣僚は党中央委員会入りし、さらに主要閣僚は近い将来に党中央委員会常任委員に選出されるであろう。しかし当面は親世代が党最高指導部の大半を占めるため、子世代が中心の政府は親世代の強い影響下に置かれると考えられる。つまり、党と国家の関係からみると、親世代から子世代への集団的な権力継承は完了したとはいえず、まだ途上にある。

しかも、この権力継承は人民党体制を不安定化させる要因をはらんでいる。それは、人民党が指導者の定年制や任期制限を設けておらず、指導者交代のルールが制度化されていないことである。フン・センら親世代とは対照的に、フン・マナエトら子世代の閣僚ポストは本人たちの実力ではなく親世代の権力関係で決まったにすぎない。また、親世代はポル・ポト政権下を生き抜いて内戦を戦い、国家を再建した経験を共有しているため、権力闘争が起きても分裂することなく、1979年から長期にわたって結束を維持してきた。しかし、子世代にそうした共通の経験はない。したがって、とくにフン・センの影響力に陰りが出たときに、世代間の対立のみならず子世代同士の権力闘争が顕在化し、党の分裂を招く可能性も否定できない。フン・セン「政権」は幕を閉じたが、今後はフン・セン「体制」の終焉を平和と安定を維持しつつ迎えられるかが、カンボジア政治にとっての課題となる。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
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  • すべて筆者撮影
参考文献

(ウェブサイト)

著者プロフィール

山田裕史(やまだひろし) 新潟国際情報大学国際学部准教授。博士(地域研究)。専門はカンボジア現代政治。近年の著作に、「人民党政権の対中傾斜とカンボジアの内政動向」北岡伸一編『西太平洋連合のすすめ──日本の「新しい地政学」』東洋経済新報社(2021年)、「カンボジア──シハヌークによる政治権力の独占と王政の成立」粕谷祐子編著『アジアの脱植民地化と体制変動──民主制と独裁の歴史的起源』白水社(2022年)、「カンボジア王国──人民党支配下における汚職取締と体制維持」外山文子・小山田英治編著『東南アジアにおける汚職取締の政治学』晃洋書房(2022年)など。


  1. 内閣に先駆けて7月29日に人事異動が行われたカンボジア国立銀行(NBC)では、1998年から総裁を務めてきたチア・チャントー人民党中央委員会常任委員が名誉総裁となり、娘のチア・セライ副総裁が総裁職を世襲した。また、サーイ・チュム同党副党首の長女サーイ・ソムアートとユム・チャイリー同党中央委員会常任委員の息子ユム・リアトが副総裁に任命された。
  2. 上級大臣は首相、副首相に次ぐポストで、各省の大臣より格上である。
  3. 1979年1月の政権掌握時の党名はカンプチア共産党であった。1981年5月の人民革命党第4回大会(党大会)でカンプチア人民革命党に改称し、さらに1991年10月の臨時党大会でマルクス・レーニン主義を放棄してカンボジア人民党に改称した。
  4. 「党=国家体制」とは、「単一支配政党が重要諸政策を排他的に決定し、その政策が国家機関にとって直ちに無条件に義務的となり、かつ党組織と国家機関が機能的にも実体的にもかなりの程度オーヴァーラップしている──そのことは同時に、党自体が権力機関的要素をもつものに変質するという面を内包する──という関係」(塩川 1993, 36)が確立している状態と定義される。
  5. 1985年10月の第5回党大会で選出された党中央委員会政治局(正局員9人・局員候補2人)の序列は、1位がヘン・サムリン党中央委員会書記長、2位がチア・シム国民議会議長、3位がフン・セン首相であった。
  6. 改正された憲法第119条は、「国王は、国民議会で最多議席を有する政党の提案にもとづき、有力者1人を首相に指名し、王国政府を組織させる」と規定した。国王による「指名」は形式的な行為であるため、首相を決める実質的な権限は現在、人民党が有している。
  7. 人民党は1991年10月の臨時党大会で党首にチア・シム、副党首にフン・セン、名誉党首にヘン・サムリンを選出した。2015年6月にチア・シムが死去すると、フン・センが党首に、ソー・ケーンとサーイ・チュムが副党首に昇格した。2021年12月にはティア・バニュとマエン・ソムオーンも副党首に選出され、副党首は4人となった。党中央委員会常任委員会による集団指導体制は維持されているものの、近年では党首と副党首の権限がより強まっているとみられる。後述する将来の内閣構成員の選定過程は、その一例である。
  8. 2021年12月9日のフン・セン首相(当時)の演説
  9. 2022年10月に大臣候補者22人の名前が、2023年7月の総選挙前には同名簿が流出した。人民党内や世論の反応を探るための意図的な流出とみられる。
  10. 2018年9月のフン・セン内閣発足時の構成は、首相、副首相10人(うち7人は各省の大臣を兼務)、上級大臣17人(うち4人は各省の大臣を兼務)、各省庁大臣29人の計46人であった。勅令NS/RKT/0918/925(2018年9月6日)。
  11. 閣僚名簿には生年月日や就任時の年齢が記載されておらず、筆者は上級大臣5人の生年を把握できなかった。これら5人のうち2人は、2023年2月21日付「王国政府の予備構成員(最終名簿)」にある年齢を参照した。表1に記載している。
  12. 首相辞任の意向を表明した2023年7月26日の国民向けの声明
  13. 本稿では、各省庁で大臣に次ぐポストを「長官」(rath lekhathikar, secretary of state)、その下のポストを「副長官」(anu rath lekhathikar, under-secretary of state)と訳す。
  14. 勅令NS/RKT/927(2018年9月6日)、勅令NS/RKT/928(2018年9月6日)を参照。
  15. 勅令NS/RKT/0823/1988(2023年8月22日)~勅令NS/RKT/0823/2016(2023年8月22日)、勅令NS/RKT/0823/2044(2023年8月26日)、勅令NS/RKT/0823/2047(2023年8月26日)、勅令NS/RKT/0823/2055(2023年8月26日)、勅令NS/RKT/0923/2101(2023年9月5日)、勅令NS/RKT/0923/2153(2023年9月13日)、勅令NS/RKT/0923/2168(2023年9月13日)、勅令NS/RKT/0923/2198(2023年9月25日)、勅令NS/RKT/1023/2230(2023年10月6日)を参照。
  16. 勅令NS/RKT/0823/1987(2023年8月22日)、勅令NS/RKT/0923/2136(2023年9月5日)、勅令NS/RKT/0823/2056(2023年8月26日)、勅令NS/RKT/0823/2062(2023年8月26日)を参照。
  17. 2023年7月29日にフン・セン首相がSNSで発した音声メッセージ。
  18. 実際に、フン・センは各省庁内における世代間の対立を懸念しているとみられ、2023年8月30日に新閣僚に対して、正当な理由なく古参幹部を排除することは支持しないとのメッセージをSNSで発した。
  19. 政府系のKhmer Times紙は2023年10月9日に「世代交代、『適応』と『抵抗』の狭間で苦悩する新閣僚」と題する社説を掲載し、新大臣が省内の古参幹部からの「抵抗」に直面していることや、退任後も一定の影響力を維持する前大臣がいることを告発した。一部の前大臣は、新大臣の良き相談相手になるのではなく、省内の抵抗勢力を動員する役割を担ったり、自身の利益やグループの保護者となり、自らが築き上げたパトロネージ制度にしがみついたりしているという。
  20. 国民議会常任委員会は国民議会議長、同第1および第2副議長、10の委員会の委員長の計13人で構成される。このうち人民党中央委員会常任委員は議長と第1副議長のみとなり、第6期国民議会の4人から半減した。なお、フンシンペック党は常任委員会にポストを得られず、ノロドム・チャクラヴット党首を除く4人が経済・財務・銀行・監査委員会(第2委員会)、計画・投資・農業・地方開発・環境・水資源委員会(第3委員会)、内務・国防・公務員委員会(第4委員会)、保健・社会・退役軍人・青年更生・労働・職業訓練・女性委員会(第8委員会)にそれぞれ委員ポストを得た。
  21. クオン・ソダリーはブン・ラニーCRC総裁の報道官を務めた後、同副総裁に就任した。
  22. 新内閣発足後の8月24日、閣僚や各省の長官等に就任した人民党議員29人が議員を辞職し、拘束名簿の下位の候補者が繰り上げ当選した。これは、党内に幅広く政治ポストを分配するための権力分有措置と考えられる。一方、フンシンペック党議員5人の内訳は、60歳代と50歳代、40歳代が1人ずつ、30歳代が2人で、平均年齢は48.2歳と比較的若い。年齢はいずれも2023年10月1日時点。
  23. フン・センが任命されたのと同日の2023年8月22日、ヘン・サムリン前国民議会議長は枢密院名誉議長に、ソー・ケーン前副首相兼内務大臣とティア・バニュ前副首相兼国防大臣、マエン・ソムオーン前副首相兼議会関係・監査大臣は枢密院顧問官に任命された。さらにハオ・ナムホン前副首相とドゥット・モンティー前最高裁判所長官は9月4日に、ブン・チュン前副首相兼大臣会議官房担当大臣、チア・ソパラー前副首相兼国土整備・都市化・建設大臣、プラク・ソコン前副首相兼外務・国際協力大臣、カエ・クムヤーン前副首相は10月12日に、ユム・チャイリー前副首相は10月13日に枢密院顧問官に任命された。これで人民党中央委員会常任委員35人中、首相や副首相、国民議会議長、最高裁判所長官を退任した12人が枢密院にポストを得たことになる。
  24. 臨時党大会は党中央委員会を改選する権限をもたず、死去や辞任、除名された党中央委員を名簿から削除し、新たな委員を追加選出することしかできない(Kanapak Pracheachon Kampuchea 1997)。現在の第5期中央委員会は1985年10月の第5回党大会で選出されて以来、改選されていない。