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人民党長期支配下で台頭するカンボジア版「太子党」

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051933

2021年1月

(9,214字)

改選なく36年目を迎えた人民党指導部

カンボジアでは1985年1月からフン・セン首相による長期政権が続いているが、長らく権力の中枢にとどまっているのは彼だけではない。実は、与党カンボジア人民党1の現指導部である第5期中央委員会は、1985年10月の第5回全国代表者大会(以下、党大会)で選出されて以降、1度も改選されていない。つまり、フン・センを中心とする少数の支配者集団が、35年以上も結束を保ったまま長期支配を続けているのである。

とはいえ、党指導部の構成がまったく変わっていないわけではない。党指導部は1989年以降、新たな中央委員を6回にわたって追加選出し、その規模を拡大してきた。1985年に45人で始動した第5期中央委員会は、現在では865人に肥大化した。その結果、中央委員会の形骸化が進み、フン・センら古参幹部を含む36人からなる中央委員会常任委員会に権力が集中している。

支配の長期化にともない古参幹部らの高齢化が進むなか、党指導部内では近年、世代交代に向けた動きが進みつつある。本稿では、35年間の人民党指導部の構成とその特徴を概観したうえで、世代交代に向けた動きのひとつとして、カンボジア版「太子党」ともいえる、人民党高級幹部の子弟を中心とする次世代への権力継承が始まっていることを指摘したい。

写真1 フン・セン首相(2016年5月のロシア訪問時)。

写真1 フン・セン首相(2016年5月のロシア訪問時)。
なぜ改選されないのか?

人民党規約によれば、同党の最高指導機関は原則として5年に1度開催される党大会(定期大会)である。党大会は党指導部に相当する中央委員会を選出し、中央委員会は党最高指導部にあたる中央委員会常任委員会を選出する(Kanapak Pracheachon Kampuchea 1991)。しかし、表1に示したとおり、人民党は1985年の第5回大会以降、定期大会を1度も開催していない。代わりに「臨時大会」を11回開いている2。臨時大会は「定期大会を開催できないとき」に行われるものであり、中央委員会を改選する権限をもたず、死去や辞任、除名された中央委員を名簿から削除し、新たな委員を追加選出することしかできない(Kanapak Pracheachon Kampuchea 1997)。その結果、第5回大会で選出された委員は現在に至るまでその職にとどまっている。そのうちフン・センを含む12人は、中央委員会常任委員として最高指導部を構成している。

人民党は定期大会を開催できない理由を明らかにしていない。しかし、定期大会が開催されなくなった1990年代初頭は、パリ和平協定3の締結にともない複数政党制と定期的選挙が導入された時期でもある。つまり、いかに党内対立の激化や党の分裂を回避して選挙に勝利するかが、人民党にとって最大の課題となった。その結果、5年ごとの指導部改選という党内民主主義の原則よりも、党内の安定を図るために古参幹部がそろって指導部にとどまることを優先し、現在に至ったのではないかと考えられる。

表1 党大会開催暦

表1 党大会開催暦

(注)1989年の第2回全国幹部会議は現在の臨時大会に相当する会議であり、中央委員を追加選出する権限をもつ。
(出所)Kanapak Pracheachon Kampuchea (2015b: 14-17; 2018: 4-5)をもとに筆者作成。
党中央委員会の肥大化と形骸化

人民党は1991年10月の臨時大会でマルクス・レーニン主義を放棄して大衆政党への転換を図り、党が国家を一元的に指導する「党=国家(party-state)」の理念を理論上は否定した。しかし実態としては、その後も地方レベルを中心に党と国家の分離は十分に進まなかった。むしろ人民党は複数政党制の導入以降、あらゆる国家機関の内部に党組織を積極的に建設し、党と国家の結び付きを強化していった(山田 2019)。

たとえば、中央省庁内や各州庁内に設置された党委員会では、大臣や州知事が党委員会委員長を兼任している。こうした党の国家への浸透は、行政機関に限らず、上院や国民議会、最高裁判所や憲法評議会、さらには国軍や国家警察、王宮を含むあらゆる国家機関でみられる現象である。

党の決定や政策をより確実に国家機関に反映させ、かつ、国家機関の要職を占める党員の忠誠を維持するためには、彼らを一般党員から党中央委員へ昇格させ、党指導部に取り込む必要がある。その手段が、臨時大会における中央委員の追加選出である。

1985年に45人(中央委員31人、中央委員候補14人)で始動した第5期中央委員会は、1989年に21人、1992年に19人、1997年に85人、2005年に121人、2015年に306人、そして2018年に342人を追加選出し、計865人にまで肥大化した(Kanapak Pracheachon Kampuchea 2018)。

これは、世界最大の政党のひとつである中国共産党の第19期中央委員会(2017年10月選出、委員204人と候補委員172人の計376人で構成)をはるかに上回る規模である(江藤・森 2018)。 追加選出の対象者は当初、閣僚と州知事、各省庁の長官(各省で大臣に次ぐポスト)、国民議会議員、国軍と国家警察の高官などが中心であったが、次第に各級裁判所、憲法評議会、国家監査院、反汚職ユニット、上院などの国家機関幹部、そして党中央青年局をはじめとする党内各組織の幹部なども含まれるようになった。つまり、党指導部に取り込むべき党・国家機関の対象が拡大したのである。その結果、中央委員ポストはとりわけ2000年代以降、あらゆる国家機関の要職にある党員の充て職となったといえる。

中央委員になるための個人の能力や資質が以前よりも重視されなくなっていることは、中央委員の追加選出方法の変化にも表れている。1997年の臨時大会までは候補者一人ひとりに対する信任投票を行っていた。しかし2005年の臨時大会以降はすべての候補者を一括りにした信任投票となった4。1997年には候補者96人のうち、フン・センの側近らを含む11人が落選したが、2005年以降は全員が当選している。

このような肥大化が進むにつれて、中央委員会総会の開催回数は次第に減少していった。党内規は中央委員会総会を1年に2回開くと規定している(Kanapak Pracheachon Kampuchea 1997)。実際に、1985年10月の第5回大会から1989年6月までの5年間に総会は10回開催された。ところが、1990年代は10年間で16回、2000年代は9回、さらに2010年代には7回となり、1年に1回も開催されない年もあった。つまり、中央委員会の形骸化が進んでいるのである。

カンボジアを支配する人民党中央委員会常任委員会

一方、党最高指導部にあたる中央委員会常任委員会5は、三権の長や国軍・国家警察のトップを含む国家の最重要ポストを占める幹部らで構成されており(表2を参照)、党と国家の運営の中核をなす支配者集団である。その構成員は、1985年に11人(政治局員9人、政治局員候補2人)であったが、1989年に6人、1991年に1人、1992年に2人、1996年に3人、2001年に1人、2005年に8人、2007年に2人、2009年に6人、2018年に7人が追加選出され、現在は36人へと拡大した6。人民党内では1980年代後半から「チア・シム派」と「フン・セン派」の対立が権力闘争という形で幾度となく表面化したり、1994年にはクーデタ未遂事件7に関与したとされる中央委員会常任委員2人が除名処分となったりした。しかしそれでも、フン・センを中心とする少数の支配者集団は分裂することなく、35年以上も結束を維持していることは注目に値する。

とりわけ1980年代ないしは1990年代から中央委員会常任委員を務める13人(表2の序列1位~13位)は、一貫して国家の最重要ポストを担っており、フン・セン以外にも長年にわたって同一ポストを維持している幹部が少なくない。たとえば、ソー・ケーンは1992年から内務大臣として国家警察と地方行政を管轄し、サーイ・チュムは1990年代から党幹事長、党中央委員会組織委員長、党中央委員会宣伝・教育委員長を兼務して党務を一手に担っている。ティア・バニュは1980年代後半に初めて国防大臣に就任し、他のポストを経て1994年から再び国防大臣を務めている。故ソック・アーンは1993年から2017年に死去するまで大臣会議官房大臣を、故ホック・ロンディーは1994年から2008年に死去するまで国家警察長官を務めていた。

特筆すべきは、一部の中央委員会常任委員が、それぞれの子ども同士の結婚を通じて姻戚関係を結んでいる点である。たとえば、フン・センの長女フン・マナーは故ホック・ロンディーの息子ディー・ヴィチアと、フン・センの次男フン・マヌットは同じく故ホック・ロンディーの娘ホック・チャンダヴィーと、フン・センの三男フン・マニーはユム・チャーイリー副首相兼農業・地方開発評議会議長の娘ユム・チャーイリンと、フン・センの次女フン・マリーは故ソック・アーンの長男ソック・プティヴットと、ソー・ケーンの長男ソー・ソカーはカエ・クムヤーン副首相兼国家麻薬対策機構総裁(元国軍総司令官)の娘カエ・スオンソピーと、そして、ユム・チャーイリーの息子ユム・リアンはチア・ソパラー副首相兼国土整備・都市化・建設大臣の娘チア・ソパーマダエンと婚姻関係にある(Global Witness 2016: 16-17)8。こうした姻戚関係の拡大は、党最高指導部の結束維持だけでなく、フン・センら古参幹部の権力基盤の強化にも寄与している。

表2 カンボジア人民党第5期中央委員会常任委員会の構成(2020年12月時点)

表2 カンボジア人民党第5期中央委員会常任委員会の構成(2020年12月時点)

(注)名前の後の◆は国王が付与する称号Samdech(殿下)の所有者、●は女性を示す。
(出所) カンプチア人民革命党/カンボジア人民党各種資料および『官報』各号などをもとに筆者作成。
カンボジア版「太子党」の台頭

このように特定の指導者たちが長期間にわたって権力の中枢にとどまるなか、近年のカンボジアでは、彼らの子どもたちが党や国家の要職に相次いで抜擢されるようになった。まさに、カンボジア版「太子党」の台頭ともいえる現象が生じている。

表3は、人民党中央委員会常任委員の子弟32人とその役職をまとめたものである。記載順は表2の中央委員会常任委員の序列に対応しており、備考欄には中央委員会常任委員との続柄を示した。なお、表3は筆者が確認できた範囲で作成したものであり、中央委員会常任委員のすべての子弟を網羅しているわけではない。

カンボジア版「太子党」の特徴として、少なくとも次の3点が指摘できる。第1に、大半が1970年代後半以降の生まれで、欧米諸国への留学経験をもち、2015年または2018年の臨時大会で党中央委員に抜擢された点が挙げられる。現在40歳代前半以下である彼ら・彼女らの多くは、ベトナムで政治・軍事訓練を受けた父親たちとは異なり、欧米諸国で学位を取得して帰国したエリートである。たとえば、フン・センの長男フン・マナエトは、1999年に米国の陸軍士官学校(ウェストポイント)を卒業した後、2002年にニューヨーク大学で経済学修士、2008年に英国のブリストル大学で経済学博士の学位を取得した。また、33歳で環境大臣に就任したサーイ・ソムアルは、オーストラリアのモナシュ大学で生物科学を専攻して博士号を取得した。

写真2 フン・マナエト国軍副総司令官兼陸軍司令官(2013年7月の人民党の選挙集会時)。

写真2 フン・マナエト国軍副総司令官兼陸軍司令官(2013年7月の人民党の選挙集会時)。

第2に、父親の影響下にある省庁、また父親の選挙区や出身地である州などで国家機関ポストを得ている点である。3‌2人の国家機関における役職をみると、14人が各省の大臣または長官、高級官僚、9人が知事または副知事、区長、6人が国軍または国家警察の将官、3人が国民議会議員の任に就いている。たとえば、ソー・ロターは父親が大臣を務める内務省の移民総局次長を、ティア・サイハーは父親の選挙区であるシアム・リアプ州知事を、ミトナー・プートーンは祖父の出身地でかつて父親も経験したコッコン州知事を、ディー・ヴィチアはかつて父親が率いた国家警察の副長官兼中央治安局長を務めている。

第3に、彼ら・彼女らの多くは、フン・センの三男フン・マニーが議長を務めるカンボジア青年連盟連合(Union of Youth Federations of Cambodia, 以下、UYFC)の幹部として日頃から活動をともにし、緊密なネットワークを形成している点である。UYFCは、法律上は非政府組織(NGO)だが、その前身は1980年代の大衆組織のひとつであるカンプチア人民革命青年同盟であり、UYFCに改称した2012年以降、人民党幹部の子弟が指導部を引き継いだ。ソー・ソカーとサーイ・ソムアルが副議長、その他の子弟の多くはUYFCの各州の代表を務めている。UYFCは各種イベントやキャンペーン、チャリティー活動、さらには選挙監視活動などを活発に展開して若年層への浸透を図っている。

このように人民党は2010年代半ば以降、中央委員会常任委員の子どもを中心とする若手党員を党や国家の指導的なポストに積極的に登用し、ソーシャルメディアを通じてその活動を盛んに宣伝するようになった。こうした変化をもたらした要因として、1990年代前半に生まれた内戦後のベビーブーム世代が18歳に達し、選挙人に占める若年層の割合が一気に拡大したため、若年層の支持獲得が喫緊の課題となったことが指摘できる。

表3 人民党中央委員会常任委員の主な子弟(2020年12月時点)

表3 人民党中央委員会常任委員の主な子弟(2020年12月時点)

(注)名前の後の◆は人民党中央委員会常任委員、●は女性を示す。
(出所) カンボジア人民党各種資料、『官報』各号、各種報道などをもとに筆者作成。
次世代への権力継承

フン・センら1980年代から長期支配を続ける古参幹部の多くが60歳代後半から70歳代となるなか、次世代への権力継承が注目されるようになってきた。しかし人民党は指導者の定年制や任期制限を設けておらず、指導者の交代が制度化されていない。誰に、どのタイミングで、どのように権力が委譲されるかは、体制の存続を左右するきわめて重要な問題である。

人民党の2018年臨時大会決議には、「カンボジア人民党の核心であるフン・セン殿下」(Kanapak Pracheachon Kampuchea 2018)との表現が初めて登場し、フン・センの権威付けが一段と進んだ。彼は、長男と次男をもっとも重要な党と国軍へ、三男を国民の目に触れることの多い議会と市民社会へと戦略的に配置することで、個人支配を強化しつつ世襲に向けた布石を打っているものと考えられる。なかでも長男フン・マナエトは党と国軍の双方における最高指導部の一員であり、フン・センの後継者にもっとも近いと目されている(Heng 2020; Hunt 2020)。

とはいえ、フン・マナエトも父親と同様、1人で党と国家を統治できるわけではない。また、各界から有能な人材を吸収してきた人民党には、オーン・ポアンモニロアト副首相兼経済・財政大臣をはじめ、1960年代生まれの非世襲テクノクラートも複数控えている。将来的には「太子党」がカンボジアの国家運営に主導的な役割を果たすと考えられるが、その前に非世襲テクノクラートを含む上の世代とどのような関係を築くのか、「太子党」内で派閥が形成される可能性はあるのかなど、注目すべき点は多い。カンボジア政治はいま、フン・センによる長男への世襲だけでなく、現在の指導者集団から次世代の指導者集団への権力継承という新たな局面を迎えている。

写真の出典
  • 写真1 Kremlin.ru, Vladimir Putin met with Prime Minister of Cambodia Hun Sen on the sidelines of the Russia-ASEAN summit. (CC BY 4.0).
  • 写真2 筆者撮影(2013年7月22日、コンポン・チャーム州)。
参考文献
  • Global Witness. 2016. Hostile Takeover – The Corporate Empire of Cambodia’s Ruling Family. London: Global Witness.
  • Heng, Kimkong. 2020. "Hun Manet: A Cambodian dynasty?" The Interpreter.
  • Hunt, Luke. 2020. "Hun Manet Still a Long Way from Cambodia’s Top Job." The Diplomat.
  • Kanapak Pracheachon Kampuchea [カンボジア人民党]. 1991. Lakkhantikak Kanapak Pracheachon Kampuchea [カンボジア人民党規約]. Phnom Penh: Kanapak Pracheachon Kampuchea.
  • Kanapak Pracheachon Kampuchea. 1997. Batbanhchea Phtai Knong Kanapak Pracheachon Kampuchea [カンボジア人民党内規]. Phnom Penh: Kanapak Pracheachon Kampuchea.
  • Kanapak Pracheachon Kampuchea. 2015a. Ekasar Mahasonibat Visamanh Damnang Tutaing Prates Rabos Kanapak [党全国代表者臨時大会文書]. Phnom Penh: Kanapak Pracheachon Kampuchea.
  • Kanapak Pracheachon Kampuchea. 2015b. "Kalpravatti Somkhan Somkhan Rabos Kanapak Procheachon Kampuchea [カンボジア人民党の主要編年史]." Tassanavaddei Pracheachon [人民マガジン]. Vol. 15, No. 169, pp. 14-17.
  • Kanapak Pracheachon Kampuchea. 2018. "Sechkdei Samrech Chitt Nai Mahasonibat Visamanh Damnang Tutaing Prates Rabos Kanapak Pracheachon Kampuchea [カンボジア人民党全国代表者臨時大会決議]." Tassanavaddei Pracheachon [人民マガジン]. Vol. 17, No. 200, pp. 4-8.
  • Pak Pracheachon Padivatt Kampuchea [カンプチア人民革命党]. 1985. Lakkhantikak Pak [党規約]. Phnom Penh: Pak Pracheachon Kampuchea.
  • 江藤名保子・森路未央. 2018.「『社会主義現代化強国』を目指す第2期習近平政権:2017年の中国」アジア経済研究所編 『アジア動向年報』2018年版、121-154ページ。
  • 山田裕史. 2019.「開発下のカンボジアにおける人民党支配:国家と社会に浸透する党」『アジア研究』65巻1号、79-95ページ。
著者プロフィール

山田裕史(やまだひろし) 新潟国際情報大学国際学部准教授。博士(地域研究)。専門はカンボジア現代政治。おもな著作に、「カンボジア人民党の体制維持戦略――議会を通じた反対勢力の取り込み・分断と選挙への影響」山田紀彦編『独裁体制における議会と正当性――中国、ラオス、ベトナム、カンボジア』アジア経済研究所(2015年)、「開発下のカンボジアにおける人民党支配――国家と社会に浸透する党」『アジア研究』65巻1号(2019年)、「カンボジア人民党による地方支配の構造――地方議会と地方選挙を中心に」山田紀彦編『権威主義体制下の地方議会選挙』(調査研究報告書)アジア経済研究所(2020年)など。

  1. 1979年1月の政権掌握時の党名はカンプチア共産党であった。1981年5月の第4回党大会でカンプチア人民革命党に改称し、さらに1991年10月の臨時党大会でマルクス・レーニン主義を放棄してカンボジア人民党に改称した。
  2. 1989年4月の第2回全国幹部会議を含めた回数である。全国幹部会議とは、中央委員の追加選出はできるが、中央委員会の改選権限はもたない会議であり(Pak Pracheachon Padivatt Kampuchea 1985)、1991年の党規約改正によって全国代表者臨時大会に改称された(Kanapak Pracheachon Kampuchea 1991)。
  3. 1991年10月、カンボジア紛争の当事者4派と和平交渉に関与した18カ国によって調印され、カンボジアにおける「民主化」の起点となった。正式名称は、「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」である。
  4. 筆者が入手した2005年臨時大会の投票用紙のコピーには、候補者121人の名前がクメール文字のアルファベット順に6列にわたって記載されており、その下に「賛成」「反対」「棄権」の文字とともにチェック欄が印刷されている。つまり、候補者121人全体に対する賛否を問う形である(Kanapak Pracheachon Kampuchea 2015a)。
  5. 1991年の臨時大会まで名称は中央委員会政治局であった。
  6. 表2に示したとおり、2020年末までに9人が死去し、2人が除名処分となった。
  7. 1994年7月、反乱軍兵士数百人が首都プノンペンへの突入を試みたところ、人民党とフンシンペック党(王党派)を中核とする政府軍によって阻止された。事件の首謀者として、人民党中央委員会常任委員のノロドム・チャクラポン元副首相とシン・ソン元国家治安大臣らが逮捕された。チャクラポンらの目的には諸説あり、真相は未だ明らかになっていない。
  8. 中央委員会常任委員だけでなく中央委員も含めれば、さらに多くの例が挙げられる。たとえば、フン・センの長男フン・マナエトはペーチ・サオポアン労働・職業訓練省常任長官(党中央委員)の娘ペーチ・チャンモニーと、チア・ソパラーの息子は故ターウ・セーンフオ上級大臣(党中央委員)の娘と、故ソック・アーンの‌三男ソック・ソーケーンはチョーム・プロサット上級大臣兼工業・科学・技術・革新大臣(党中央委員)の娘チョーム・クロスナーと婚姻関係にある。