IDEスクエア
ポスト・エルドアンへの胎動――権力独占と機能低下
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052162
2021年6月
(6,115字)
エルドアン体制の綻び
トルコの最近の世論調査では野党陣営の支持率が与党陣営のそれを逆転し、エルドアン体制が長続きしないとの認識が国民の間で広がっている。これまで「強権で強靱」と見られていたエルドアン体制がなぜ綻びを露呈しているのか。本稿ではその主因を国内経済の長引く低落傾向に求める。そしてそれが権力独占による国家機能の低下に起因していることを最近の事例から説明する。そのうえで、エルドアン後に向けた国内政治の動きを概観する。
与野党の支持率が逆転
図1 政党支持率(2018年7月〜2021年4月)
(注2)4野党(CHP、İYİ Parti、SP、DP)による「国民連合」は2018年6月総選挙後に法的には解散されたが、2019年3月統一地方選挙でCHPとİYİ Partiが選挙協力した。SPとDPのそれぞれの支持率は1%に満たない。なおDP党首は国民連合にとどまっていると述べている。
(出所)独立系世論調査会社İstanbul Ekonomi Araştırmaのウェブサイトで集約されている世論調査各社の公表されたアンケート結果。
集権的大統領制では、エルドアン政権はMHPの支持に依存してきたわけだが、現在はMHPの支持さえも再選には不充分となっている。議院内閣制であれば与党の得票率が5割以下でも議会の議席を過半数獲得すれば政権樹立は可能だが、大統領制では政権樹立に大統領選挙で5割以上の票を獲得する必要がある。
国内世論調査では、次期大統領選挙でエルドアンと単独候補が競った場合どちらに投票するか、との質問に対し(どちらにも投票しないとの選択肢はある)、単独候補が国民に人気のあるアンカラ市長(共和人民党、CHP)のマンスル・ヤヴァシュまたはイスタンブル市長のエクレム・イマモール(CHP)と仮定した場合、両者いずれかへの支持がエルドアンへの支持と拮抗する状況が2020年冬に生まれた。さらに、2021年4月以降のほぼすべての調査では、ヤヴァシュないしイマモールへの支持がエルドアン支持を上回る結果(両者とエルドアンとの支持率の差はいずれも平均で約10%)となっている。
親政権メディアが隠せない経済状態
エルドアン体制(大統領と与党連合)の支持率が低下している主因は、経済状況の悪化にある。AKPが2007年と2011年総選挙で躍進した最大の理由が経済業績だったことは当時の世論調査にも表れている。それが2014年以降、ドル換算での1人当たり国民所得は減少を続け、2020年には2007年以下の水準に後戻りした(図 2)。テレビや新聞の9割以上を保有する親政権メディアが政府の望む情報のみを流そうとしても、経済状況の悪化は国民の目から隠せない。インフレによる生活必需品価格や電気・ガス料金の高騰、本人や身内の失業状態(図 3)などは自らの眼で観察されるからである。しかも、インフレや失業の悪化はトルコでコロナ感染が初めて確認された2020年3月以前にすでに起きていた。
図2 1人当たり国民所得(米ドル換算)(2002〜2020年)
図3 インフレ率と失業率(%)
(出所)トルコ統計局ウェブサイトのデータより筆者作成。
図4 1人当たり国民所得減少の原因 経済成長率鈍化よりも為替相場下落
中央銀行への政治介入
2020年秋に為替相場が急落した後、エルドアンは中央銀行総裁を解任して代わりに(大統領府内で数少ない経済専門家である)ナジ・アーバルを任命、通貨危機収束のための金利引き上げを渋々ながら認めた。これがその場しのぎであることは、AKPを離党して2019年末に未来党(GP)を結成していたダウトオール党首(元首相)が予言していた。エルドアンの支持層である零細企業などから借入金利の負担が増えることへの不満が高まれば、エルドアンはすぐに中央銀行総裁をすげ替えるだろう、とダウトオールは述べていたのである。
事実、エルドアンは2021年3月19日にアーバル総裁を解任、後任にエルドアンの主張に沿って低金利を擁護するシャハップ・カブジュオールを任命した6。アーバル解任の理由は、ダウトオールの指摘した前述の点に加えて2つある。第1に、アーバルは2月末、実業界関係者の参加した非公式会議で、中央銀行の独立性を自分が総裁である限り維持する旨の発言を行ったが、その発言が大統領府に漏れ伝えられた。第2に、3月、通貨政策決定機関である通貨政策委員会が、(国内の政治的緊張の高まりを考慮して)リラ下落圧力を見込み、エルドアンに事前に打診していたよりも1ポイント高い金利引き上げを実施した。少なくともこれら2つの出来事が、自分以外の権威を認めないエルドアンの逆鱗に触れたのである7。
しかし、市場の信任を得ていたアーバルの解任は為替相場の急落をもたらし、カブジュオール新総裁は金利水準の維持を明言せざるをえない状況に追い込まれた。4月と5月の通貨政策委員会も金利を変更しなかった。
これに不満かのごとく、エルドアンは、新総裁就任の1週間後に4人の副総裁のうちムラト・チェティンカヤ副総裁を、5月下旬にはオウズハン・オズバシュ副総裁を更迭し、それぞれの後任に民間銀行出身のムスタファ・ドゥマン、大学教授で大統領顧問のセミフ・テュズメンを任命した。このように3月以降、通貨政策委員会の定員7人のうち多数派4人が中央銀行の外から任命された。しかも、大統領令は更迭の理由さえ示していない。結局アーバル解任は、エルドアンが求めていた金利引き下げではなく為替相場下落のみをもたらした(図 5)。エルドアンが2020年11月に宣言した経済改革の可能性も消滅した。
図5 市場派中銀総裁解任の効果 現在のトルコリラ相場は就任前水準に下落
(出所)トルコ中央銀行ウェブサイトのデータより筆者作成。
権力独占と機能低下
中央銀行への政治介入は、集権的大統領制下におけるエルドアンの権力独占が、国家制度の本来の機能を低下させている一例に過ぎない。このような権力独占と機能低下の相関関係は、経済悪化と新型コロナ感染拡大の相乗作用のなかでさらに顕在化している。
第1に、新型コロナ対策の効果が低下している。2020年初から新型コロナ対策を担当してきた保健相が早い初動と情報開示で国民の信頼を集めると、大統領府内から圧力が加わり、すべては大統領のおかげと発言せざるを得なくなった。その後、保健相は次第に政策の主導性を失っていった。保健相が毎日公表していた感染状況の統計も、7月以降、透明性が低下した。2020年6月や2021年3月に感染を十分に抑え切れていないまま実施された「正常復帰」も、保健相や専門家会議ではなくエルドアンの判断により決定された。
第2に、政策実施上の混乱が発生している。新型コロナ対策で保健相や専門家会議の役割が後退した結果、他の閣僚が政府内での調整なしに、学校での対面授業の再開、観光業従事者の優先的ワクチン接種、観光業の営業再開などを宣言し、世論の反発を受けた。また、学校の春学期開始時期を教育相が3月1日と(自らに相談せずに)決定したことに反発したエルドアンがそれを覆し、3月2日に「変更」する事態も起きた。
第3に、国民不在の政争が繰り広げられている。政府による所得補償措置が欠如しているため、イスタンブルやアンカラなど野党が市長を務める市政府は困窮者への義援金活動を開始したが、内務相により禁止され、代わりにエルドアンが7月に「我々は互助できる」との義援金活動を開始した。これに対して野党市政府は、困窮者の公共料金や小売店への未払金の肩代わりを市民に呼びかけて支援活動を続けた。また、イスタンブル市公社による安価なパンの販売所を増設する案も市議会多数派であるAKPとMHPにより否決されるなど、エルドアン政権の目的が困窮者支援ではなく野党の妨害であることが明らかになった。
ポスト・エルドアンへの動き
新型コロナ感染対策での初期の成功が暗転することはトルコに限ったことではない。ワクチン接種が進めば経済も現在の危機的状況から改善することが見込める。それでも、コロナ収束後に権力独占と国家機能低下の状況がどのように改善されるかには道筋が見えない。
最近でもエルドアンは、(3月以降の感染再拡大で導入した)部分的外出禁止を5月末で終了し6月1日に段階的正常化に移行すると宣言した。しかし、移行日前日になっても何をどれだけ正常化するのかについてエルドアンは何も説明せず、飲食業をはじめとするサービス業界を混乱させた。すべての政策を能力に関係なく1人に集中させた結果である(大使館の料理人の任命も大統領の署名が必要であるとされる)。エルドアン体制を維持するためには、新型コロナ禍からの回復だけでは不十分で、国家機能が回復したことを証明する必要があるだろう。これ以上待っても現体制は変わらないという閉塞感は、野党への支持の拡大を後押ししている。
現在の世論調査で1%以上の支持率がある野党のうち、1党をのぞくすべての党(2018年6月選挙で野党連合に参加した4党およびAKP離党新党の2党)は、現在の集権的大統領制を廃止して(三権分立を強化した)議院内閣制を導入することで合意している。そのため、任期(2023年6月)前の繰り上げ実施が予想される大統領・国会同時選挙で野党が擁立する大統領候補の最重要な役割は、議院内閣制への移行期を取り仕切ることである。移行が実現すれば行政の長は大統領ではなく首相になる。そのため野党の大統領候補は、政治家として歴史的な偉業を成し遂げることにはなるが、捨て石となる。各野党の戦略では首相を誰にするかについて利害調整が必要になるだろう。それでも次期の選挙では、野党はポスト・エルドアン実現に向けて結束する可能性が高い。
写真の出典
- 写真1 Cumhuriyet Halk Partisi, Türkçe: Mansur Yavaş(CC BY-SA 3.0).
- 写真2 PNG Archive.
著者プロフィール
間寧(はざまやすし) アジア経済研究所地域研究センター主任研究員。博士(政治学)。最近の著書に、"Conservatives, nationalists, and incumbent support in Turkey," Turkish Studies, forthcoming,『トルコ』(シリーズ・中東政治研究の最前線1)(編著)ミネルヴァ書房(2019年)、「外圧の消滅と内圧への反発――トルコにおける民主主義の後退」(川中豪編『後退する民主主義・強化される権威主義――最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房、2018年)など。
注
- ここで集権的大統領制とは、大統領の要件である三権分立ではなく三権が大統領に集中しているトルコ型大統領制を意味する。
- AKPは総選挙で初勝利以降、2回連続して(2007年、2011年)得票率を上げ続けた。そのAKP支持が低下傾向に入ったことは2015年6月の議会過半数喪失に表れた。AKPはその後(国内治安悪化による国民の危機感を煽り)同年11月の再選挙で議会過半数を回復したものの、2017年集権大統領制移行憲法改正や2018年大統領選挙ではMHPの支持なく単独では勝利できなかった。
- トルコにおける世論調査は一般的に顧客に対して行われ、顧客がマスコミである場合に結果が公開される。世論調査会社が自社ホームページやツイッターで結果を部分的に公開する場合もある。多くの調査会社では党派性が認められるものの、Metropoll社やイスタンブル経済調査社は独立系と言える。前者は政党支持率調査では最も経験が長い。
- トレンドリポート「エルドアン大統領のトルコ」 『アジ研ワールド・トレンド』第231号、41〜45ページ(2015年1月号)。
- 「エルドアンの『経済・法制度改革』――意志と抵抗」『IDEスクエア』2020年12月。
- 元AKP国会議員で、民間銀行や国営銀行での経験があり、親AKPのYeni Şafak紙コラムニストも務めた。
- ムラト・エトキンの大統領府関係者からの伝聞による。
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