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トルコのシリア侵攻――誤算と打算

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051495

2019年10月

(7,298字)

はじめに

トルコは2019年10月9日、北東シリアに越境攻撃を開始した。その標的は、トルコがテロ組織と見なすクルド民主統一党(PYD)である。トルコはPYDがシリア側からトルコを攻撃することを防ぐため、国境沿いに幅30km、長さ480km程度の安全地帯を設定することなどを目的としている。トルコの空爆の対象は事前の諜報活動で特定したPYDの地下壕・トンネルや兵器庫であるが、民間人犠牲者の発生は不可避である1。このような事態はなぜ発生し、どのような顛末を迎えるのか。本稿はその答えへの糸口を、トルコおよびPYD双方の過去の誤算と現在の打算に求める。なお、過去40年にわたるクルド人武装勢力とトルコ国軍の紛争の経緯については文末の「解説」を参照されたい。

トルコの誤算――「イスラム国」への対応遅れ

PYDを標的としたトルコの過去3回のシリア侵攻はいずれも2016年以降に行われた(表1)。トルコにとってのPYDの脅威がこの時期に顕在化した大きな理由は、シリアで2014年に台頭したテロ組織イスラム国(IS)への対応をめぐるトルコの誤算にある。米国がトルコに対ISでの共闘を求めたが、トルコは当初これに消極的姿勢を示した。トルコはISの存在が、シリア内戦でアサド政権を追い込むとともに、PYDの力を削ぐのに利用できると考えたからである。PYDはトルコで1984年以来テロ活動を続けてきたクルディスタン労働者党(PKK)の在シリア組織で2、PKKの支持命令系統下にある(PKKは米国やEU、日本でもテロ組織と認められている。図1参照)。PYDは内戦中もアサド政権の暗黙の支持を利用して勢力を拡大していた。

表 1 内戦下シリアへのトルコの侵攻

表 1 内戦下シリアへのトルコの侵攻

(出所)筆者作成。 (注)内戦下シリアではロシアと米国が制空権を分け合っている。

図1 PKKが関与したトルコでの人命喪失

図1 PKKが関与したトルコでの人命喪失

(出所)Uppsala University Conflict Databaseより筆者作成。
(注)軍人、PKK戦闘員、民間人を含む。トルコの南東部(クルド地域)に限った数。 1998年は、シリアがPKKを国外追放によりテロ急減。2003年のイラク戦争後に、PKK活動復活。2013年6月-2015年7月は、和平過程でテロ中断。

しかしトルコの期待は外れた。アサド政権とISは互いに衝突を回避した。他の反政府勢力の弱体化に共通利益を見いだしたからである。また米国は対IS戦略でPYD(の軍事組織であるYPG)を地上部隊として重用、手厚い軍事援助・教練を行った。PYDが米国から受けた大量の軍事援助の一部がPKKの対トルコ攻撃に流用されたことは、トルコで2015年から2016年にかけて頻発したPKKによる市街テロでも明らかになった3。またPYDが米軍の後方支援を受けてISを制圧した地域を自らの支配地としたことで、PYDの支配領域のシリア全土に対する比率は2014年の1割程度(図2)から2019年の3分の1(図3)に拡大した。

図2 PYDの2014年の支配地域(黄色)、シリア

図2 PYDの2014年の支配地域(黄色)、シリア

(出所)Absalao777, Syrian situation in 11 07 14 via Wikimedia Commons(CC-BY-SA-3.0[https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/deed.en]).
(注)黄色がPYD、灰色がイスラム国、緑がその他反政権勢力、赤が政権の支配地域。2014年7月11日時点。

図3  PYDの2019年の支配地域(黄色)、シリア

図3  PYDの2019年の支配地域(黄色)、シリア

(出所)Ermanarich, Map of the Syrian Civil War via Wikimedia Commons(CC-BY-SA-4.0[https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.en]).
(注)黄色がPYD、緑がその他反政権勢力、赤が政権の支配地域。2019年10月6日時点。

トルコの対IS作戦への消極姿勢は結果としてPYDそしてPKKの勢力を増大させた。PKKの戦闘員の総数はその姉妹組織を含めると1万7000で、その大半にあたる1万3000名が北シリアにいる(トルコに750名、北イラクに3000名)4。PKKのさらなる勢力拡大を阻止するためトルコはシリアへ今回を含めて3回の越境攻撃を実施したのである。このうち最初の2回は(トルコでの2016年のクーデタ未遂以降関係が急改善した)ロシアの制空権下の国境から侵攻したため実行が比較的容易だった。その後も、トルコは米国に対してPYDの領土拡張抑止と武器供与停止を一貫して求めてきたが実現せず、トルコにとってはPKKの脅威が高まる一方で自ら手を下すのは困難な状況になっていた。ところが、そもそも中東への介入に消極的だった米国トランプ大統領が、半ば気まぐれな判断により米国制空下の北東シリア国境をトルコ軍に対して開いたことで今回の侵攻が実行可能になった。

PYDの誤算――米軍駐留見込み

PKKの姉妹組織として2003年にシリアに設立されたPYDは、2014年以降のIS掃討作戦の過程でISを追放したアラブ多数派地域での統治を容易にするため、2015年に非クルド勢力を取り込んだシリア民主軍(SDF)を設立した5。実際にはその執行部はPYDおよびPKKの幹部で、自治組織と称される下部組織も公共サービス提供と住民管理の機能しか持っていなかった6。トルコはPKKの一部であるPYDがトルコ国境沿いに支配地域を西に広げることが安全保障上の脅威をもたらすと懸念、これに対し米国は(1)IS掃討済み地域からのPYDの撤退、(2)PYDへの武器支援中止および回収の2点を約束したが守られなかった。米軍はPYDの「西進」最前線周辺でトルコ軍との共同パトロールを開始したが、トルコにとっては単なる時間稼ぎに映った。

PYDにとっても時間稼ぎは重要な戦略だった。米軍による上空援護をできるだけ長い間享受することにより領域支配の現状を既成事実化し、その地域での自治をアサド政権に認めさせることを狙っていた7。PYDが2019年までに確立した支配地域の中で(図3)、アラブ多数派地域が(PYDの民族基盤である)クルドが多数派である地域とほぼ同じ面積であることは(図4)、PYDの対米協力の見返りの大きさを示す。しかし、米軍の庇護に依存しトルコの反発への対応を怠ったことは、米国のトランプ大統領が2018年12月に言及した米軍のシリアからの撤退が早期実現した場合の危険を大きくした。

図4 クルド民族分布(黄色)、シリア

図4 クルド民族分布(黄色)、シリア

(出所)Supreme Deliciousness, Map showing the ethnic and religious distribution of Syria’s sects via Wikimedia Commons(CC-BY-SA-1.0[https://creativecommons.org/licenses/by-sa/1.0/deed.en]).
(注)民族・宗派別地図。黄色がクルド、水色がスンナ派アラブ、など。色分けは、その地域で多数派である民族・宗派を示す。2012年8月作成。
PYDは、アラブ多数派地域統治においては治安維持や住民サービスでの実績を示す必要がある。統治能力への不安や不満が大きくなると有力部族が再びISへ帰依する可能性もある。またPYDが拘束したIS参加者は戦闘員(とその家族)のみならず事務員など必ずしも志願して参加したわけでない人々も含むため、住民感情を考慮するとその扱いは難しい。IS掃討作戦が進むにつれ収容所は飽和状態になり、IS参加者を地元出身者に限って解放する事態も起きている。また、ISから解放されたばかりで荒廃したアラブ多数派地域の統治には米国をはじめとする援助団体からの物的支援が必要だが、米軍が撤退すれば援助団体が活動を続けることも困難になる。
トルコの打算――政権浮揚

これまで3回のトルコ侵攻のなかで今回のそれはトルコ国民の支持が最も強い。2015年以降PKKによるテロの再開と大規模化を経験し、国民のPYDへの嫌悪感は増していた。米国とPYDの時間稼ぎに対する不満も鬱積していた。今回の侵攻が1年前から準備されていたことからすると、国内世論を意識した機会主義的な軍事行動とは考えにくい。それでもこの軍事行動がPYDおよびPKKの力を大幅にそぎ落とすことに成功すれば、現政権は国内支持率を上げることになろう。またトルコ在住の360万人のシリア難民のうち約50万人を北シリア安全地帯に移住させる政策を示すことで、シリア難民を優遇しているとの批判に対応できる。

さらに重要なのはこの軍事行動に、クルド系政党である国民の民主主義党(HDP)が反対したことである。トルコが2017年に集権的大統領制に移行してからの選挙ではHDPは野党連合に参加し、エルドアン大統領の公正発展党(AKP)が民族主義者行動党(MHP)と組んだ与党連合が僅差でしか勝てない状況を作り出してきた。他の野党がHDPとの関係を悪化させると野党連合の規模は縮小し、与党陣営に有利な状況が生まれる。ただしその状態も一時的であるとすると、過去1年間支持率低下に悩むエルドアン大統領が次期大統領・国会選挙を繰り上げ実施する可能性は否定できない8

PYDの打算――国際世論

トルコ国内の反応とは逆に、国際社会のトルコへの非難はこれまで3回の侵攻のなかで今回のそれが最も強い。最初の2回はロシア制空地域で、しかも1回目はISをも標的にしていたこと、2回目はPYDがIS掃討を目的としない支配領域拡大を試みたことなどから、トルコの軍事行動は国際社会からあまり反発を呼ばなかった。しかし今回は米国の制空地域でおき、ISの復活を助長しかねないことから欧米の世論は敏感に反応した。トルコは侵攻の根拠として、シリア政府と1998年に結んだアダナ合意を示したが9、国際世論では無視されている。PYDはこのような国際世論を利用してトルコに圧力をかけるためのメディア戦略を周到に準備していた。

第1に、米国の国民やトランプ政権の主要支持基盤であるキリスト教福音派を念頭に、トルコ軍が米軍や教会などを攻撃しているとの報道を演出することである。今回の軍事作戦開始直後、PYDは北東シリア国境沿いのトルコ側の居住地域に対して砲撃・狙撃を行った(これまでに民間人18名が犠牲)。PYDの砲撃は教会の横に停めた車両から行われていた。しかしトルコ軍は、同車両が教会を離れるのを待って爆撃することで教会爆撃の罠にはまらなかった。またPYD狙撃兵がトルコ側への銃撃を北東シリア米軍設備の裏から行うことにより、トルコ軍による米軍攻撃を誘発させる試みもあったが、トルコ軍が米軍との意思疎通を取ったことでそれは実現しなかった。第2に、PYDが拘束するIS戦闘員などがトルコ軍の攻撃で生じた混乱に乗じて脱獄したと吹聴することで、フランスなど自国でのISテロ再発を恐れる欧州諸国にトルコへの反感を増長させることである10。第3に、おそらく最も効果的なのは、これまで再三用いられてきた、クルド民族を単一の集団として示し、PYDへの攻撃がクルド民族全体への攻撃との印象を与える方法であろう。

おわりに

今後の展開で鍵となる3点を指摘できる。第1に、事態の急速な展開である。今回の侵攻は過去のそれに比べより大規模で周到に準備されたものであり、制圧地域の広がりが早い。他方、PYDも自らの安全を早急に確保するために、アサド政権とその後ろ盾であるロシアにさらに接近する動きを見せている。第2に、作戦の早期終了が問題解決を意味するわけではない。トルコは安全地帯を国際監視下に置くことを想定していない。国際監視下だと事実上PYDの影響力が残るからである。しかしトルコ単独による安全地帯の管理は事実上、トルコ軍が国境から30kmよりさらに深入りすることを意味するため国際的にも受け入れ難く、その管理方法は大きな争点となろう。第3に、PYDに拘束されていたIS戦闘員およびその家族の今後である。トルコ政府は軍事作戦領域におけるIS関係者の受け入れの可能性を示唆しているが、国内世論の反対が予想されるなか、その実現は疑問視される。いずれにしても、トルコが安全保障上の理由から行った軍事侵攻の結果が、シリア情勢に大きな変化をもたらすことは間違いない。

(10月15日脱稿)

【解説】クルド人武装勢力とトルコ国軍による紛争の経緯

PKKはクルド民族の独立を目指して1978年にアブドゥッラー・オジャランによりトルコで結党された。その後、トルコ政府の圧力から逃れてシリアに基地を構えてトルコ領内に侵入、1984年にトルコの南東部を中心に武装闘争を開始した。PKKとトルコ国軍の間の紛争は1990年代に激化したが、PKKをかくまうシリアに対してトルコが1998年10月に最後通牒を突きつけると、シリアはPKKの基地を閉鎖し、オジャランを国外追放した。

この際にトルコがシリアに結ばせたアダナ合意で、シリアはPKKがテロ組織であることを認め、PKKおよびその関連組織をシリアに存在させないことなどを約束した。今回のシリア侵攻において、トルコのエルドアン大統領はこのアダナ合意を軍事行動の根拠のひとつとしている。

オジャランは逃亡後、1999 年2月にケニアのギリシャ大使館で拘束されトルコへ引き渡されると、裁判で死刑判決を受けた(その後終身刑に減刑)。拘束されたオジャランが停戦を呼びかけ、北イラクのカンディルに逃避したPKKの指導部もこれに 応じて2000年からPKK紛争は一時下火になった。トルコとシリアの関係改善に乗じたPKKは2003年、その姉妹組織であるPYDをシリアに設立した。

しかし2004年にPKK指導部強硬派が穏健派を粛清、再び武力闘争に転じ、トルコ政府との衝突が再開した。他方、トルコで2002年に誕生した公正発展党(AKP)政権もクルド地域での政治基盤を強化するとともにPKKのテロを抑えるために2009年以降、対クルド自由化やオスロでの秘密和平交渉などを試みたがテロは続いた。2013年に始まった和平過程は一時的には戦闘の無い状態をもたらしたがPKKのトルコ領内からの撤退はあまり進まず、2015年7月に和平過程は崩壊した。

著者プロフィール

間寧(はざまやすし)。アジア経済研究所地域研究センター中東研究グループ長。博士(政治学)。最近の著書に、『トルコ』(シリーズ・中東政治研究の最前線1)(編著)ミネルヴァ書房(2019年)、「外圧の消滅と内圧への反発:トルコにおける民主主義の後退」(川中豪編『後退する民主主義・強化される権威主義――最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房、2018年)など。

書籍:トルコ

書籍;『後退する民主主義・強化される権威主義――最良の政治制度とは何か

  1. シリア人権監視団は、2011年3月(シリアでの反政府運動が開始時)から2019年3月までの8年間で空爆と砲撃による犠牲者数は、ロシア軍によるものが4870、(米国が主導する)有志連合軍によるものが3818、トルコ軍によるものが842と報告している(The Syrian Observatory for Human Rights)。
  2. PYD党綱領の第2項は「PYDはクルド人民の指導者アブドゥッラー・オジャランを指導者として、クルド人民の議会であるKongra-Gelをクルディスタン人民の最高立法機関として、承認する。」と明記している。オジャランがPKKの指導者、Kongra-GelがPKKの立法機関であることからすると、PYDとPKKは少なくとも姉妹組織であると言える。PDY党綱領(原語アラビア語)のトルコ語全訳は、Can Acun and Bünyamin Keskin, PKK'nın Kuzey Suriye Örgütlenmesi: PYD-YPG, Siyaset, Ekonomi ve Toplum Araştırmaları Vakfı (SETA), 2017を参照。
  3. トルコ国内でテロが最頻発した2015年6月から2016年12月までの約1年半の間、PKKによるテロで301名が犠牲になっている(新聞報道をもとにした著者による集計)。
  4. 2019年3月にトルコのフルシ・アカル国防大臣が公表した数(Türkiye Ekonomi Politikaları Araştırma Vakfı [TEPAV] ウェブサイト)。
  5. CIAによれば2018年7月におけるシリアにおけるクルド人口は同国全人口の10%。
  6. Carnegie Endowment for International Peace ウェブサイト
  7. YPG幹部のカミシュリでの証言。2018年11月。International Crisis Group,"Squaring the Circles in Syria’s North East," Middle East Report, No: 204, 31 July 2019, p. 13.
  8. 大統領・国会の任期は3年半残っているものの、イスタンブル市長再選挙での与党大敗後、さらなる支持率低下に先んじるために両選挙は早ければ1年後にも前倒しされるとの観測も出回っていた。
  9. アダナ合意については「解説」参照。
  10. 実際には前述のようにIS参加者の部分的解放はすでに起きていたし、今回のトルコ侵攻開始直後にPYDがIS収容所の鍵を開けて拘束者を解放したとの報道もある。また米国は一部の外国籍IS戦闘員をトルコの侵攻前にシリアから移送している。
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