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キューバ研究者が見たハイチ(2)――革命の国の博物館と市場

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050802

2019年3月

(4,984字)

国立パンテオン博物館

前回の記事で紹介した講演の翌日、キスケヤ大学のC教授が国立パンテオン博物館に連れて行ってくださった。博物館では中央部に1804年のハイチ独立前後の英雄4名の墓を作り、その周囲にハイチのコロンブス到達以前の時代(先コロンブス時代)からデュバリエ独裁時代までを表すさまざまな歴史的遺物を展示している。昨年、テニス選手の大坂なおみさんが、ハイチ政府の招待で2度目となるハイチ訪問を果たしたが、短い滞在の中で、彼女がハイチのモイーズ大統領と共に訪れたのがこのパンテオン博物館である。

パンテオン博物館はポルトープランス市の中央部、シャン・ド・マルス(Champ de Mars)広場にあり、大統領官邸の向かいに位置する(写真1)。そのため汚職批判のデモ(前回参照)の中心地になる予定で、まだデモ実施の2日前なのに大統領官邸近くの広い道路からもくもくと黒煙が上がっており、それを見た運転手が顔色を変えて車の進行方向を変えた。すでに危なくなっているという。別の車で一緒に来られていたC教授が、博物館の内部に駐車できる場所があるので頼んでみるとおっしゃって、塀に囲まれた博物館の門で係員と話をされ、塀の中に車で入ることができた。中は緑の芝生やこんもりした木々や色とりどりの花、大理石の像が並ぶ別世界である。博物館の建物も白大理石造りの豪華なもので、ハイチの昔の繁栄を感じる。

写真:パンテオン博物館の入り口から車で中へ入ったところ

写真1:パンテオン博物館の入り口から車で中へ入ったところ。
塀の外は騒然としているが、中は木々が陰を作る庭園が広がり、別世界。(筆者撮影)

博物館の中に入ってまず目にしたのは、ハイチ革命の最初の時期にフランス軍に殺された若者の頭部の像である。その苦悶の表情にハイチの歴史の複雑さを感じる。先コロンブス時代の展示である石器や、先住民が南アメリカ(現在のベネズエラ)からカリブ海を越えて渡ってきたときに使用したカヌーのような船も展示されており、すべて本物とのことであった。すでに先住民が絶滅しているハイチで、自分たちが奴隷として連れて来られた時期を強調するのでなく、ハイチに関わったすべての人々を平等に扱おうという姿勢が新鮮であった。

パンテオン博物館の内部は、中央部に向かって緩やかに下るスロープが設けられている。少し低くなった中央部には円形の墓所があり、トゥサン・ルヴェルテュール、デサリーヌ、クリストフ、ペシオンという4人の「建国の父」たちの墓が並んでいる。このうち最初のルヴェルテュールは、 独立前に捕らえられてフランスで獄死しているので、遺骨はフランスにあった。1983年にこの博物館が建設されるとき、当時のハイチの独裁者デュバリエ(息子)がフランスと交渉し、遺骨を掘り出してハイチへ持って帰ったそうである。

4人の建国の父の墓を取り囲む大理石の壁の高い場所に、ハイチ革命の過程で亡くなった指導者たちの名前が20人ばかり、金文字で彫られている。フランス名をつけられている人が多いが、ほとんどがアフリカ生まれだと博物館のガイドの方から聞いた。奴隷として連れて来られた人たちは、労働で酷使されるために短命で、ハイチに到着してから20年も生きられなかったと読んだことがある。ハイチ革命に参加した人々も、現地生まれではなくアフリカ出身だったということは、本当に次々に、まるで消耗品のようにアフリカから新しい人々が連れて来られ、アフリカの文化や習慣を持つ人々がハイチを作ったということを意味する。

金文字で刻まれた人々の中に、キューバで先住民の抵抗運動の指導者(カシーケ)として有名なアトゥエイ(Hatuey)の名前があった。ガイドの方が驚いて、アトゥエイを知っているのか、と聞かれたので、キューバでは大変有名です、と答えたら、アトゥエイは実はハイチ生まれで、ハイチでスペイン人やフランス人に抵抗したものの勝てずに、隣のキューバ島へ逃げたのだと説明された。アトゥエイは、逃亡した先のキューバでもスペイン人の征服者に抵抗して武力闘争を続けたが、最後に捕らえられて処刑される。処刑前にカトリックの司祭がアトゥエイに向かって、「神を信じれば死後天国へ行ける」と言ってカトリックへの改宗を勧めたところ、アトゥエイは「その天国とやらにはお前たちスペイン人もいるのか」とたずね、「もちろんそうだ」と言われたため、「そんなところに私は行きたくない。このまま殺せ」と答えたという有名な逸話がある。アトゥエイはキューバのビールの名前になって残っていて、キューバ人ならだれでも知っているが、ハイチ生まれだということを私はすっかり失念していた。

フランス人がいかに奴隷たちを残酷に扱ったかを示す展示も多い。たとえば砂糖農園では、砂糖づくりで使う挽き臼の横に奴隷を拷問するスペースが作られており、娯楽の少ない農園主の家族が拷問を楽しんで見物したとか、多くの犬を空腹のまま何日か放置した後、処刑する奴隷を襲わせて食わせたという話も聞いた。「そのために今でも、ハイチ人は犬があまり好きではないのです」とガイドの人が言っていた。(ちなみに、キューバの巨匠アレホ・カルペンティエルの小説『この世の王国』には、闘犬に使われるマスティフ種の犬を何百頭もキューバから輸入し、何日も絶食させて空腹にした後、奴隷にけしかけてもそのままでは人を襲わないので、サーベルで奴隷の皮膚を切り、血の匂いをかがせて食わせた、という話が出てくる)。

博物館の中は平穏だったが、外がだんだん危なくなってくるので、30分で出ようと約束して入り、1時間弱で何とか全部見終わった。それにしても国を代表する博物館が、一貫して被征服者の歴史、奴隷にされた人々の歴史で埋め尽くされているのは、ハイチならではのことだ。新大陸の他の国はすべて、征服者(スペイン人や英国人など)が社会の上層を成しており、博物館などの展示は当然のように、彼らを支配層として含めたものになる。それがあまりにも当然でなかなか気づかないが、ハイチでそれと異なる展示を正史として見せられると、他の国々の状況が逆に奇妙に見えてくる。

危険になってきている首都から離れるため、博物館の外に出ようとすると、制服を着た小学生の子供たちが、列を作って正面入り口に並んでいるのに行き会った。こんな日だが、子どもたちはパンテオン博物館を見学に来たのだ。自分たちの祖先の大多数が奴隷だったこと、しかしその地位に甘んじず敢えて反乱を起こし、今もフランスで英雄とされるナポレオンの軍と正面から戦い、奴隷解放と国家の独立を勝ち取ったことを、子供たちは学ぶことになる。米国を含めた新大陸の他の国々では、征服者と被征服者が今も国家の歴史や現在の社会の中で混ざり合い、残虐な征服と悲惨なジェノサイドの両方を自分の一部として受け入れなければならない。それら諸国の子供たちとは違って、ハイチの子供たちの歴史の授業は、後ろ暗いところがなくて気持ちがいいだろうな、と思ったりする。

市場を支える女性たち

さて急いでポルトープランスを離れて山の中腹の高級住宅地ペシオンヴィルに戻り、C先生とはそこで別れた。金曜日だがすでに略奪の恐れがあるスーパーなどの小売店はすべて閉まっていると伝えられた。しかし翌日、庶民の市場がいつものように開いているのを目にした。市場は歩道いっぱいに広がっており、車道まではみ出しそうな勢いである。驚いたのは、商品を売っている人たちが全員女性であったことだ。これがキューバなら、こういう場所(自由市場)の売り手のほとんどは男性である。前回言及した『ハイチとドミニカ共和国』の第1章「開発」の最後に、筆者の狐崎さんが、市場の流通を担う「マダム・サラ」と呼ばれる女性たちがハイチ社会の基層部分を支える一助になっていると書いている。つまりハイチでは、一般の人たちが利用する市場を女性が支えているということなのである。マダム・サラは卸売り専門であるが、小売りを担うのも女性たちらしい。

売りに来ているのも女性だが、買いに来ているのもほとんどが女性である。食料をはじめとした生活用品の家庭への出入りを仕切っているのは女性、ということである。

写真2:ポルトープランス市、空港へ向かう幹線道路沿いの土曜市場

写真3:ポルトープランス市、空港へ向かう幹線道路沿いの土曜市場

写真2(上)写真3(下):ポルトープランス市、空港へ向かう幹線道路沿いの土曜市場。
幹線道路といっても2車線の狭い道路である(ハイチには高速道路がない)。 歩道に商品を広げ、市が立つ。(筆者撮影)

後日、ハイチを出た後、日本大使からいただいたメールによれば、1週間くらいは抗議行動の余波で首都周辺は慌ただしい雰囲気だったという。ギニアのD博士がおっしゃった「しょっちゅうストライキが起こり、そのたびに経済がマヒ状態になる」というのはこういうことか、と実際に目にして少しわかった気がする。

駐ハイチ・ドミニカ共和国大使であるA博士には、空港へ向かう直前の朝にお目にかかった。2016年と17年にドミニカ共和国で調査したとき、博士は外務省勤務で、私は滞在中何度も博士を訪ねてハイチとの関係について教えを乞うた。今回はドミニカ共和国には行かずハイチのみの訪問だったのだが、幸運にも彼は大使となってポルトープランス駐在だったのだ。博士は1980年代に日本のドミニカ共和国大使館勤務だったことがあり、日本にも理解がある上、母方の祖母がハイチ人であり、最初の奥様もハイチ人とのことで、ハイチを見下す傾向があるドミニカ共和国人の中では、ハイチに対して理解と共感のある方である。

A博士は、ハイチ革命が日本で不当に低く評価されていると述べた私の意見に同意された。日本の学校の世界史の教科書では、イギリスの清教徒革命やフランス革命はもちろんのこと、キューバ革命にも意外に多くの記述がなされている。しかしハイチ革命については、かろうじて最初に革命を指導したトゥサン・ルヴェルテュールの名前が載っているものの、奴隷反乱によりハイチが独立したことくらいしか書かれていないので、ハイチ革命の世界史的な意義などは何も理解できない。

ハイチ革命が、フランス革命が内包していたレイシズムに対する異議申し立てであること、世界初の奴隷による近代国家建設であったこと、奴隷制という非人道的な制度に対する異議申し立てが、世界で初めて成功した革命であることを考えれば、ハイチ革命に大きな影響を与えたフランス革命よりも重要な世界史的事件であると思う。フランス革命にあれほどたくさんの説明を加えるなら、少なくともそれと同じくらいハイチ革命についても説明すべきだ。ハイチ革命は、奴隷制を利用して発展した欧米中心の世界史の中で、不当に低く評価されている。

博士がおっしゃるには、イギリスの市民革命やフランス革命は、近代社会を支える基本的な制度を作った点で評価しやすい。キューバ革命は東西冷戦における東側陣営の大きな成果として、東側の国々のみならず西側の左派からも評価されたので書きやすい。だが、ハイチ革命は欧米の帝国主義の基礎を否定するものであり、評価するわけにはいかない事件だという。しかし博士自身は、ハイチ革命は人種差別を除いた点でフランス革命よりも人権に関して先進的だと評価しており、本当はもっと高く評価されるべきという私の意見にまったく同意する、と言われた。「日本の教科書はハイチ革命をもっと評価して書くべき、というのは、あなたがやらなければならない仕事ですよ」と言われてしまった。日本の世界史の教科書の内容にまったく影響を与えられない立場なので、この場を借りてどなたか、ぜひハイチの記述を詳しくしてくださることをお願いする。(つづく)

著者プロフィール

山岡加奈子(やまおかかなこ)。アジア経済研究所地域研究センターラテンアメリカ研究グループ長代理。修士(国際関係論)。専門は国際関係、比較政治、キューバ地域研究、カリブ研究。おもな著作に、『ハイチとドミニカ共和国――ひとつの島に共存するカリブ二国の発展と今』(共編著)アジア経済研究所(2018年)、『岐路に立つキューバ』(共編著)岩波書店(2012年)など。

書籍:アジ研選書

書籍:アジア経済研究所叢書

写真の出典
  • 写真1~3 筆者撮影