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論考

2020年シンガポール総選挙
――与党停滞と野党伸張、議会政治の転換点と将来への希望

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2020年8月

(17,981字)

はじめに

2020年7月10日、シンガポールでは国会総選挙が実施された。その結果は、建国以来の政権与党である「人民行動党」(People’s Action Party, 以下PAP)が、国会で絶対多数を占めることが「常識」となっているシンガポールでも、将来における変化の始まりを予感させるものとなった。

PAPの得票率は、史上3番目に低い61.2%に低迷し、獲得議席数も前回同様の83議席にとどまった。この獲得議席数は、前回の選挙区選出議員定数である89議席が、今回は93議席に増員されていたことを考えれば、実質的な停滞であった。

一方で、野党は解散前に選挙区選出議員で6議席を擁していた「労働者党」(Worker’s Party, 以下WP)が、2つのグループ選挙区(4人区および5人区)と1つの小選挙区(1人区)で勝利をおさめ、合計10議席を獲得して躍進した。この他、「シンガポール民主党」(Singapore Democratic Party, 以下SDP)や、動向が期待されていた新党「前進党」(Progress Singapore Party, 以下PSP)は、議席獲得には至らなかったものの、一部選挙区ではPAPに肉薄する得票率を獲得した。また、その他の選挙に参加した野党も、多くが得票率を伸ばすなど、野党勢力の健闘と伸張が際立つ結果となった。

今回の総選挙は、単なる過去数年の政治的実績の是非を問うだけのものではなく、シンガポールで目前に迫っている、政権与党であるPAPの世代交代、すなわち現在のリー・シェンロン首相から、ヘン・スイーキア副首相の率いる「第四世代」と呼ばれる若手中心の集団指導体制に移行することへの、信任投票としての意味をもっていた。また、年初からの新型コロナウィルスの流行によって選挙活動に物理的制約が加わるなかでは、固定支持票をもつPAPが有利と考えられており、国民の不安心理による「安全への逃避」も、やはりPAPには有利に作用するという見解もあった。

しかし、PAPの得票率低迷と野党勢力の議席伸張という結果を見ると、国民による次世代指導体制への信任が無条件に行われたとは言い難い。さらには、これまでのシンガポールを形作ってきた、PAP主導による権威主義的・エリート主義的な一党絶対優位の「シンガポール・システム」に対して、若者を中心とした世代に、疑問や批判が確実に拡がりつつあり、多様な意見や価値観を代表する野党の存在拡大を求める動きが、もはや明白となっている。言い換えれば、今回の選挙結果は、PAPに対して厳しい現実を突きつけるものであったと同時に、今後のシンガポールの政治システムのあり方、特に議会政治と民主主義の発展を考えるときに、大きな転換点をもたらした可能性があると言える。

総選挙に至るまでの背景と意義

今回の2020年総選挙は、政権与党であるPAPの世代交代、および将来的な指導体制変更についての、実質的な信任投票としての意味をもっていた。

都市国家のシンガポールでは、政治的安定性は国家生存のために不可欠な条件の1つであり、特に国家指導層の円滑な世代交代は、1965年の建国以来重視されてきた課題である。それ故に、この8年間には、現在のリー首相を中心とした「第三世代」から、次世代指導層である「第四世代」への計画的な権限移譲が進められてきた。

そこで焦点となってきたのが、2022年に70歳での引退を公言してきたリー首相の後継問題であった。その答えは2018年11月、ヘン財務相(当時)が、後継者の踏むべき要職とされる、PAPの第一書記長補佐に選出されたことで明らかとなった。さらに、2019年4月23日に首相府は、5月1日付内閣改造でのヘン氏の副首相(財務相兼任)昇格を発表し、同氏はリー首相の正式な後継者としての地位を確立した。

こうしたなかで意識されてきたのが、上述の意味をもつ総選挙の実施時期であった。一部には、2019年中に実施されるとの観測もあったが、実際にはヘン副首相の昇格が同年5月であり、また、同氏の従来からの控えめな姿勢もあり、国民間での人気や信頼はいまだ高い状態でなかった。仮にこうしたなかで総選挙が実施され、好ましくない選挙結果を残せば、ヘン副首相の次期首相としての安定性を損なうとの計算が働いたことは、想像に難くない。また、これまでの総選挙では、経済全般が良好かつインフレ率の安定している時期が選択される傾向にあった。この観点から見ると、2019年中は米中貿易摩擦のあおりを受けて経済成長が低調に推移しており、総選挙を実施するタイミングとしては適切でなかった。

一方で、前回の総選挙は2015年に実施されており、その国会任期は2021年1月15日であることから、法的にはそこまでに解散し、その3カ月以内、すなわち2021年4月までに総選挙を実施する必要があった。加えて、リー首相が70歳までの引退を宣言しているため、2022年までにヘン副首相の首相就任を実現させる必要があるものの、それに向けた引き継ぎ準備にも、時間的猶予が必要となる。これらの時間的なリミットもあり、2020年の何れかの時期、特に例年1~3月には年始休暇、旧正月、予算編成・審議といった行事が重なるため、4月以降に実施されるとの予測が有力になっていた。

こうした状況を見越して、野党側は早くから動きを見せていた。たとえば、SDPは2019年2月から実質的な総選挙に向けたキャンペーンを開始し、同年8月には2つのグループ選挙区と3つの小選挙区での候補者擁立を表明したうえで、10月には選挙前集会を開催している。

この他、2019年8月には、注目されていた新党PSPが正式に結党された。同党の中心人物であり書記長をつとめるのは、PAP出身の元議員で、2011年大統領選挙に独立系候補として出馬し、PAP本命候補のトニー・タン前大統領に得票率0.3%の僅差で敗れた、タン・チェンボク氏である。PSPは、PAPの政権運営に不満を抱く国民各層の受け皿となることを狙っており、2019年1月には社会団体登録を申請するなど準備を進め、結党後の同年9月には約300人の党員と、全国29選挙区(改定前)を遊説する一日イベントを実施するなど、総選挙に向けた体制を整えてきた。

さらにPSPは、リー首相の実弟であるリー・シェンヤンの支持を得ている。リー・シェンヤンは、実兄のリー首相と数年来対立しており、「もはやPAPは父(筆者注――建国の父であるリー・クアンユー元首相)の時代とは異なり、道を失っている」「PSPの方向性や価値観を心から支持する」(2019年7月28日のFacebook投稿)と表明している。同氏とタン書記長は、2018年11月と2019年2月に公の場で朝食を兼ねた意見交換を行うなど、良好な関係を築いてきた。

同党の結党についてタン書記長は、PAPに代わって意見を述べる存在になるとして、「人々が政策、主張、アイデアを出し合い、討議できる空間を創る」(2019年7月26日)ことを目標にすると述べた。また同氏は、次期総選挙でPAPの議席を3分の2以下に抑えることを目標に、他の野党とも緩やかに共闘すると表明した。

こうした野党共闘については、かねてより10党前後の野党が乱立気味であったことから必要性が認識されており、2018年7月にはWPとシンガポール人民党(Singapore Peoples Party, 以下SPP)を除いた全野党が話し合いをおこない、2019年2月にもSDPのチー・スーンジュアン書記長が、PAP議席を3分の2以下に抑えるための共闘を呼びかけていた。しかし、6名の選挙区選出議員、3名の非選挙区選出議員(国会での多様な意見確保を目的に、接戦となった選挙区で惜敗した野党から政府指名で選出)を有するWPは、協力姿勢を見せなかった。

一方で、政権与党の動きを見ると、2019年8月末には選挙局が、次期総選挙実施の前触れとされる選挙区再検討委員会の招集を実施している。また、現有議席をもつWPに対しては、同党地盤であるアルジュニード地区評議会が、支持者である特定業者に利益誘導を図ったとされる問題への追及を続け、国会決議を用いた圧力や国家開発省による地区評議会運営への介入などで、継続的な印象悪化を図った。さらに2019年11月のPAP党大会では、リー首相が支持を訴えるなど、総選挙の実施を意識した行動をとってきた。

新型コロナウィルス流行という攪乱要因

2020年に入っても、従来からの予測どおり、当初は様子見に近い状態が継続した。たとえば1月6日には、WPのプリタム・シン書記長から提出された、異例の長さでおこなわれている選挙区割り見直し進捗状況への質問状に対し、チャン・チュンシン通産相は、選挙区再検討委員会による見直しが、いまだ終了していない旨を返答している。さらに2月中旬からは予算案発表・国会審議が進み、その過程では総選挙に向けた国民へのアピールとして、GST(物品・サービス税)増税の影響緩和策「アシュアランス・パッケージ」(60億ドル)提案(2月28日)、ホワイトカラー・専門技術職向け外国人就労ビザ(EP)の発行基準厳格化(3月3日)などが相次いて発表された。

こうして徐々に総選挙のタイミングが伺われるなかで、大きな攪乱要因となったのが、新型コロナウィルスの影響であった。シンガポールは当初、中国からの輸入症例および当初の市中感染が発覚した1月後半から2月には、これを政権の指導力を発揮する機会と捉え、積極的な防疫措置を実施し、感染拡大を防いだかに思われていた。しかし、3月上旬からは市中感染が急増し始めたため、3月9日にはヘン副首相が「新型コロナウィルスの流行動向は、総選挙の実施時期を考慮する時に大きく影響する」として、柔軟な判断への糊代を作った。

3月13日には、選挙区再検討委員会による報告書が国会に提出された。これによると、従来は29であった選挙区が、グループ選挙区17(1選挙区増)および小選挙区14(1選挙区増)の合計31選挙区となり、選挙区選出議席の総数は89議席から93議席に増加することになった。この見直しに伴い、従来は北東部にあるセンカン・ウェスト、パンゴール・イースト、フェンシャンの3つの小選挙区、およびパシール・リス=パンゴール・グループ選挙区の一部を統合して、センカン・グループ選挙区(4人区)が新設された。

しかし、パンゴール・イーストは、2013年の補欠選挙でWPが勝利し、2015年総選挙では3.52%の得票率差でPAPに競り負けた地盤で、フェンシャンも2015年総選挙でWPが42.5%の得票率を得た有力地盤であった。それらが取り消されたうえに、4人区のグループ選挙区となったことは、奇しくも新規の増加議席分と重なっており、PAP有利・WP不利の見直しとなった可能性が指摘された。もっとも、これに伴い新設されたセンカン・グループ選挙区こそが、後述のように2020年総選挙でのPAPへの打撃につながる。

一方で、国内感染状況は加速的に悪化していったが、3月18日にはローレンス・ウォン国家開発相が、「新型コロナウィルスの感染流行が収まらないうちでも総選挙が実施される高い可能性がある」と発言した。また、テオ・チーヒエン上級相も3月25日に国会で、「新型コロナウィルスが流行する状況下は、総選挙実施に理想的とは言い難いが、実施自体は不可能ではない」「総選挙の実施時期はいまだ決定されていないが、早期の総選挙は、危機に対応する政権に改めて信任を与える」と発言している。

3月26日にはWPとPSPが、感染拡大を受けて一時的に総選挙に向けた運動を控えるとの声明を出している。もっとも、PAPは一部の議員が運動を継続しており、不公平かつ政府の防疫政策に矛盾するとして、野党支持者を中心に非難を巻き起こした。4月上旬に入ると状況はさらに悪化し、政府は同月7日から事実上のロックダウン(都市封鎖)に近い「サーキットブレーカー」の実施を決定した。これは職場・学校の閉鎖、厳しい行動制限、罰則などを伴う強硬な措置で、当初は5月4日まで、その後に6月1日まで延長された。このため社会的・経済的な動きは停止し、GDP成長率も第1四半期マイナス2.2%、第2四半期マイナス12.6%と厳しい落ち込みを示すなど、政権与党への逆風となりかねない状態になった。こうした事から総選挙実施のタイミングは、与野党共にまったく計り難いものとなった。

このような環境下、政府は4月3日に、新型コロナウィルス流行中の総選挙実施に対応するべく、選挙特例事項を定めた特別措置法の提出を表明し、同月7日に法案を国会に提出、5月4日には賛成多数で可決された。この内容は、感染者および隔離命令・自宅待機命令の対象者は、本来は棄権できない投票権の放棄が可能になると同時に、投票に赴けば感染症予防法違反で処罰されるという、事実上の投票棄権を定めるものであった。また、指定施設での待機命令を受けている対象者は、本来の指定投票所以外での投票が特別に許可されることも定められた。

4月上旬からの「サーキットブレーカー」は、総選挙に向けた各党の運動にも、大きな影響を与えた。行動や集会に厳しい制限のある状況下では、伝統的かつ物理的な選挙集会や遊説活動を実施することは不可能であり、どのように運動を進めてよいのか、与野党共に戸惑いが大きかった。このため、各党ともSNSを活用した広報活動や討論会開催など、新しい形での運動を積極的に開始した。これに伴い4月22日には、内務省、サイバーセキュリティー庁、選挙局などが連名で各政党に対し、外国勢力による干渉やサイバー攻撃を警戒するよう要請を出している。

もっとも、こうした特殊な状況は、政権与党に有利とも考えられた。長い年月によって形成された固定支持票に加えて、安定を志向する有権者が「安全への逃避」から政権与党への支持に流れ、また、新しい形態での選挙運動が手探りのなか、相対的に野党勢力は不利になる、との観測が出始めた。加えて5月後半には、クラスター化していた外国人労働者宿舎を除く新規感染増加に歯止めがかかり、6月上旬からの「サーキットブレーカー」の段階的解除が視野に入り始めた。これを受けて、5月27日にはヘン副首相が、総選挙実施は間近であり、早期実施によって目前の挑戦すべき課題や将来的な不確定要素に対し、国民全体が団結して立ち向かえる、と発言した。これによって、総選挙実施の観測が一気に高まった。

一方で、意図的か否かは明らかではないものの、政府は選挙運動の進め方に対して、明確なルールを示さなかった。このため、上述のヘン副首相発言を受けて、WPは「新型コロナウィルス流行中の選挙運動実施につき、選挙局はその詳細について明確な指針をいまだ出していない」「どのような運動方式が可であり不可であるのかが明確でないと、各政党は運動と資源を無駄にしてしまうリスクがある」との声明を出した。

それにもかかわらず、6月8日に選挙局は、投票所の増設(880から1100)、待機命令対象者への指定投票所での投票許可、推奨投票時間の指定、安全距離の確保、マスク・手袋・個人筆記用具の使用などを定めた、選挙実施の具体案は発表したものの、選挙運動のルールについては、新型コロナウィルスの感染状況や対策は流動的で、それにあわせて変化するために明確な指針を出せないとして、明らかにしなかった。結局、ガイドラインが公表されたのは、6月19日からの制限緩和「第二段階」が実施される前日の6月18日であった。

この内容は、遊説や戸別訪問は許可するものの活動は5人1組を上限とする、マスクを着用し握手など身体的接触を最小限にする、テレビでの政見放送枠を拡充する、ネット上での選挙集会を許可し、必要であれば政府が生配信の可能な会場を提供する、SNSや電子メールでの広告については利用媒体の申請が必要、などと定められていた。これに対して、野党側は与党に有利な内容であるとして、総選挙実施の延期を求めた。

解散・総選挙発表と争点

野党側による延期要求にもかかわらず、この時期にはすでに、政権与党側は総選挙日程を固めていたと考えられる。なぜならば、①当面の経済好転は見込めず、むしろ内外環境からさらなる悪化が見込まれ、遅くなるほど政権与党への不支持拡大の可能性がある、②新型コロナウィルス流行の第二波・第三波が到来した場合、物理的な総選挙実施が不可能になり、また、感染状況の悪化次第では、政権与党からの民心離反を招く可能性がある、③新型コロナウィルス流行を理由として、政治集会など野党側の選挙活動を制限することが可能であり、固定支持票を厚く持つ政権与党には有利となる、といった理由が考えられる。

このため6月23日、リー首相はハリマ・ヤーコブ大統領に国会解散を進言し、大統領は解散宣言および選挙実施命令に署名した。これに伴い政府は総選挙日程を発表し、6月30日立候補届出日、7月9日クーリング・オフ・デー(有権者の冷静な判断を促すため投票前日に選挙活動を停止すること)、7月10日投票と定まった。

解散・総選挙について、同日午後に演説したリー首相は、「この難局を乗り切るには有能な政府が必要」として、(総選挙実施期限である)2021年4月まで待っても新型コロナウィルス流行が終息している保証はなく、むしろ比較的状況が安定している現在のうちに総選挙を実施する必要があった、と述べた。

さて、この総選挙には、ヘン副首相率いる「第四世代」指導体制への移行に対する、信任投票としての意味があった。しかし、これはPAPが絶対的多数を獲得することが前提となっているシンガポールの政治システムにおいて、逆説的であるが、直接的争点にはならない。むしろ有権者の関心は、昨年からの経済悪化に伴う雇用や生活の確保、これを脅かす競争者と看做されている専門職・ホワイトカラー外国人労働者の流入抑制や人口政策、新型コロナウィルス流行による危機対応への評価、などであった。

主要政党の選挙公約を見ると、PAPは“Our Lives, Our Jobs, Our Future”(「私たちの命、雇用、そして未来」、6月27日発表)と銘打ち、国民の雇用最優先、悪化する経済環境のなかでの企業支援、国土の大規模開発やスマート化の継続、危機後の未来に向けた明確な構想、国民一丸となった各種の取り組み、新型コロナウィルス対応の拡充、などを柱とした。また、政権施策としても、3月、4月、5月に合計3回総額861億Sドルの追加経済対策を実施し、6月には今後1年で10万人に就業機会・職業訓練を提供すると発表して、国民の不安緩和に努めている。リー首相は、「厳しい選挙になる。新型コロナウィルスの感染拡大によって、有権者は多くの打撃を受けており、厳しい判断を下すであろう」と引き締めを図った。

これに対して、最大野党であるWPは“Make Your Vote Count”(「あなたの一票を力に」、6月28日発表)と銘打ち、最低賃金月額1300 Sドルの設定、GST引き上げの反対、年金制度である中央積立基金(CPF)の受給開始年齢引き下げ、雇用保障基金の導入、メディセーブ(医療口座)での全医療費カバー、大学進学支援、高齢者・障害者への公共交通料金免除、などを打ち出した。PSPは“You Deserve Better”(「国民はもっと尊重されるに値する」、6月29日発表)と銘打ち、外国人労働者依存の削減、国民の雇用機会優先、中小企業の現代化・海外進出支援、手取り給与8割の実現、ベーシック・インカム導入、公団住宅価格の引き下げ、CPFの受給開始年齢引き下げ、生活必需品のGST免除と5年間の税率据え置き、低所得層支援、閣僚給与の引き下げ、大規模公共事業の見直し、言論の自由拡大と「偽ニュース防止法」(POFMA)見直し、などを掲げた。なお、SDPはすでに4月28日、“4 Yes, 1 No”と銘打った選挙公約を一足先に発表しており、GST増税の中止、整理解雇手当の増額、退職者層への給付金支給、国民優先など4項目へのYes、人口1000万人の長期計画へのNo、などを掲げた。

もっとも、今回総選挙の最大焦点となったのは、「第四世代」への信任や選挙公約ではなく、野党の存在拡大をどこまで容認するのか、という点にあった。シンガポールでは建国以降、PAPによる人為的・圧倒的な国会議席の絶対多数確保が「常識」となっており、野党は多くとも1~2議席しか占めることができなかった。言い換えれば、その極めて少数の範囲でしか、野党は生存を許されてこなかったのである。これは「建国の父」であるリー・クアンユー元首相の、表面的には近現代的な議会制民主主義や三権分立を装いつつも、実際には権威主義的政治手法によって国家発展を合理的・効率的に進めるという姿勢の反映であった。この「常識」に初めての変化が発生し、大きな衝撃を与えたのが、2011年総選挙でのWPによる6議席獲得という事態であった。もっとも、以降は経済好調や政権による国民生活・再分配重視の政策転換を背景に、野党は議席を伸ばすことができなかった。

しかし、若い世代を中心として、有権者の意識は変化しつつあり、いまだにPAPが絶対優位を占める体制に対しての疑問や、国会で政権与党とは異なる意見や見解を主張できる野党の存在を求める声は、拡大している。加えて、新型コロナウィルス流行がもたらした経済的・社会的な不安心理が、「安全への逃避」として従来どおりのシステムを支持するものとなるのか、あるいは政権与党への反発となって表れるのかは、与野党共に予測不能な部分があった。

このため従来から、政権与党側は野党側の積極的な選挙活動を警戒すると同時に、リー首相やテオ上級相などが、選挙区選出議員を野党から選ばずとも、惜敗した野党からは最大12名の非選挙区選出議員と、野党以外からも国会特別委員会が指名する指名議員9名が選ばれるため、多様な意見は確保されると強調した。これに対して、野党側はPSPのタン書記長が、この論法は野党への支持拡大を削ぐための策略であるとして、強く非難している。

もっとも野党にも、建国以来構築されてきたシステミックなPAP優位を崩して勢力を拡大するには、容易ではない問題があった。長年の支持基盤と一定規模が確立しているWP、活動歴が長く知名度の高いSDP、新党として地盤はないものの勢いがあり人材や資源も有するPSPを除いて、他の野党は群小な存在に過ぎない。こうしたなかでは、従来から野党の共倒れを防ぐための選挙協力が欠かせなくなっていた。

この動きは先述のように、すでに顕在化しており、たとえば小規模野党5党(「シンガポール民主同盟」[Singapore Democratic Alliance, 以下SDA]、「シンガポール人優先党」[SingFirst, 以下SF]、「民主進歩党」[Democratic Progressive Party, 以下DPP]、「人民力量党」[People’s Power Party, 以下PPP]、「革新党」[Reform Party, 以下RP])の統合が協議され、その延長線上で、PSPとの合流も取りざたされた。しかし、結果として6月23日には、統合延期と競合回避のための選挙協力にとどまることが判明した。同月24日にはRPが選挙区調整に関して、PSPが合意を破ったとして非難声明を出すなど混乱がみられたが、以降は「国民団結党」(National Solidarity Party, 以下NSP)がPSPとの競合を避けるため一部選挙区での立候補をせず、DPPもRPやPPPを支援するため立候補をしない旨を表明した。また、SingFirstのタン・ジーセイ書記長は6月25日に解党を宣言し、SDPへの加入を表明する(6月29日)など、統合の動きも具体化した。しかし、これらは大規模な野党共闘に至るものではなく、あくまでも選挙区調整の範囲を出ないものでもあった。

選挙戦の開始
6月30日におこなわれた立候補届の結果、各党の立候補選挙区と候補者人数は、表1のとおりとなった。このなかでPAPは全31選挙区で93人を擁立し、続いてPSPは9選挙区24人、WPは6選挙区21人、SDPは5選挙区11人を擁立した。

表1 2020年総選挙における各党の立候補選挙区数・候補者数、および選挙結果

表1 2020年総選挙における各党の立候補選挙区数・候補者数、および選挙結果

(注)PV「人民の声」(People’s Voice)、RDU「レッド・ドット・ユナイテッド」(Red Dot United. PSPから分派し2020年6月結党)。
(出所)メディア各社報道から筆者作成。

このなかでも注目された選挙区は、ヘン副首相が本来の地盤であるタンピネス・グループ選挙区から移動し、WPと対決することになったイーストコースト・グループ選挙区、タン書記長の率いる新党PSPのチームが、PAPの現職大臣2名を相手に戦うことになったウェストコースト・グループ選挙区、PAPが奪還を狙うWPの現有地盤であるアルジュニード・グループ選挙区とホウガン小選挙区などであった。

また、従来からPSPと友好関係にあり、6月24日には正式に入党したリー首相実弟のリー・シェンヤンは、自身が立候補することはなかった。これについて同氏は、「シンガポールに二人のリーは要らない」と表明し、リー家としてではなく、あくまでも野党勢力の存在拡大がシンガポールには必要という、個人の政治的信条に従って入党したことを、改めて表明している。以降、同氏は他の党員たちと連日、活発な遊説活動をおこなうなど、PSPの党勢拡大に貢献した。一方でPAPからは、6月24日には今回の総選挙にゴー・チョクトン前首相が出馬せず、政界から完全引退することが発表されており、このほかにも、コー・ブンワン、リム・フンキャン、リム・スイーセイ、ヤーコブ・イブラヒムといった「第三世代」の閣僚経験者たちも、相次いで不出馬・引退を表明している。また、WPもカリスマ的人気のあったロー・ティアキャン元書記長やチェン・シュウマオ氏も不出馬を表明し、シルヴィア・リム党首やプリタム・シン書記長といった若手指導者のリーダーシップが問われる選挙戦となった。

こうして正式に開始された選挙戦について、リー首相は「この危機の最中の総選挙は、シンガポールの未来を形作るもの」(6月30日)と述べたように、熱の入った争いが繰り広げられた。

たとえば、7月1日夜におこなわれたテレビ討論会では、SDPの提起している「将来人口1000万人へのNo」という選挙公約について、PAPのヴィヴィアン・バラクリシュナン外相が、政府は1000万人を公式な数値として述べたことはないとして、SDPのチー書記長と舌戦を繰り広げた。これは翌日、発言の主とされたヘン副首相が構想を否定するなど、選挙期間中も余波を残した。

また、PAPは野党が非選挙区選出議員への指名対応に明確な姿勢を示していない(ヘン副首相、7月3日)、新型コロナウィルス対策への具体策を明示していない(リー首相、7月6日)、野党の福祉関連公約は逆に格差広げる可能性がある(ターマン・シャンムガラトナム上級相、7月8日)などの批判を展開した。これに対して野党側も逐次反論をおこない、特に新型コロナウィルス対策については、野党各党が反論を出したと同時に、PSPはそのような状況で解散・総選挙を実施した政権与党は「不適切かつ無責任」(タン書記長、7月6日)と痛烈に批判した。

こうした政策論争に加えて、今回の総選挙では脱線気味の戦いも展開された。たとえば、7月3日、PAP影響下にあるイーストコースト・フェンシャン地区評議会のシャツを着た外国人労働者が、PAPのロゴ入り手土産袋を配って歩く写真が、野党支持者のネットユーザーによって晒され、批判を呼んだ。7月5日には、センバワン・グループ選挙区から出馬しているオン・イエクン教育相が、イメージ映像で意図的に小学生と一緒に映っており、未成年者の選挙活動参加禁止を定めた選挙法に違反しているとの通報がおこなわれた。これについてオン教育相は、謝罪をおこなっている。

7月5日には、WPからセンカン・グループ選挙区に出馬しているメンバーの一人、ライシャ・カーン候補によるSNS上の過去のコメントが、人種・宗教間の対立を煽っているとの通報を受け、警察が調査を開始したと報道された。同候補は26歳と最年少の女性候補で、2017年の大統領選挙に立候補した著名実業家ファリド・カーン氏の娘である。PAPはこれに乗じてカーン候補への攻撃を強めたが、逆に野党支持者のネットユーザーは、通報をおこなったマレー系PAP支持者の人物が、カーン候補の父親を脅迫するようなSNS上での書き込みをしたとして通報し、警察も調査に乗り出す事態となった。

この他、7月9日にはチャン通産相が、過去の総選挙ではリー・クアンユーの死去や9.11同時多発テロなどによって救われた、とする2019年の発言を秘密録音により暴露され、釈明に追われた。チャン通産相は次期指導体制でのNo.2と目される人物であるが、今年2月にも新型コロナウィルスによる社会的騒動をめぐる発言を、やはり秘密録音により暴露されており、その舌禍体質を不安視する向きもある。

以上のような選挙戦を経て迎えた7月10日の投票日は、新型コロナウィルスの影響から、これまでとは異なった投票措置が採られ、多くの投票所で長蛇の列ができることになった。このため選挙局が当日2回、後日1回と合計3回の謝罪声明を出す事態になり、投票ルールの柔軟対応や、異例の投票時間延長(本来20時までを延長して22時まで)なども実施された。

投票結果と分析

投票日直後の深夜から未明にかけて、各選挙区では情勢が明らかになり、最終結果は表1のようになった。それは2011年以来の衝撃となるもので、政権与党に厳しい内容となった。

まず、全体の得票率では、PAPは歴代3位の低さとなる61.2%に落ち込んだ。これはリー・クアンユーの死去とシンガポール建国50周年という特殊要因が重なった、前回2015年総選挙時の69.9%を大きく下回るものである。後日、7月18日のPAP党本部での記者会見で、ウォン国家開発相は、本来は64~65%の得票率獲得が合理的期待値であったと明らかにしており、実際の得票率との差を換算すれば、PAPは約10万票の支持を失ったと推測している。

一方で、表2のように野党側はかつてない善戦を展開した。たとえば、先述のように区割り変更やPAPによるWP候補者への人格攻撃で話題となり、また、PAP側は「第四世代」の柱の一人と目されたン・チーメン首相府相がチームを率いた、新設のセンカン・グループ選挙区では、WPが52.12%を獲得して勝利を収め、一挙に4議席を得た。このため選挙区選出の野党議員は、やはりWPが堅守したアルジュニード・グループ選挙区(5人区、得票率59.95%)とホウガン小選挙区(得票率61.21%)をあわせて、過去最大の10名に躍進した。また、野党の議席獲得には至らなかったものの、現職閣僚2名(S・イスワラン通信・情報相、デズモンド・リー社会・家庭発展相)を含むPAPとタン書記長率いるPSPの対決となったウェストコースト・グループ選挙区では、PSPが得票率差3.36%で惜敗している。

表2 2020年総選挙における野党勝利・善戦の選挙区概況

表2 2020年総選挙における野党勝利・善戦の選挙区概況

(出所)メディア各社報道から筆者作成。

以上の2020年総選挙の投票結果を一言で評せば、PAPの「苦戦」であったと言える。本来であれば、選挙区選出議員定数が89から93に増え、新型コロナウィルスの制約があるなかで固定支持票の厚いPAPにとっては、有利な展開ができるはずであった。それにもかかわらず、実際は83議席のままで、得票率も歴代3位の低さである61.2%になったことは、「第四世代」への信任が無条件におこなわれたとは言い難いものであり、また、これまでの「シンガポール・システム」の底流に、変化を求める動きが拡大しているという現実を、PAPに突きつけたものであった。

従来のシンガポールにおける政治システムとは、野党の存在を圧倒的少数に押し込め、それによるPAP絶対優位のなかで国会を有名無実にしつつ政権運営をおこなうものであった。こうした有名無実化された国会の議員に選出される人々も、「シンガポール・システム」の基準におけるPAP体制内のエリートであり、総選挙とは、これに白紙委任を与えるセレモニーであった。しかし、こうした従来の政治における「常識」に対し、建国以来の体制の価値観や呪縛から脱却しつつある若い世代を中心に違和感が強まり、今回の総選挙結果のように、野党支持が拡大しているものと考えられる。

たとえば、イーストコースト・グループ選挙区では、明らかにPAPに厳しい状況であると予測されたため、次期首相たるヘン副首相を投入したにもかかわらず、WPに対して得票率差6.78%での勝利となったこと、さらにセンカン・グループ選挙区では、PAP次世代指導層の中心の一人になると期待されていたン・チーメン首相府相が、WPの若いチームに敗れて落選したことは、その象徴でもあった。また、立候補届け出開始前に、ジュロン・グループ選挙区のPAP候補として擁立されかけていたアイヴァン・リム氏が、過去における軍・民間企業での勤務時の同僚や部下たちから人格批判を受け、これに呼応した国民の間では議員に相応しくないとするSNS署名運動が巻き起こって2万人以上が賛同し、結果として立候補の断念に追い込まれた。このように、PAPが「欽定」した体制内エリート候補が、大衆の批判に晒されて潰えるという事態は、これまでのシンガポールでは考えられない変化であった。

総選挙後に公表された世論調査も、若い世代の意識変化が、選挙結果に影響したことを裏付けている。たとえば、世論調査機関Blackboxが、選挙前の二度にわたって実施したアンケートへの回答1507件を分析(7月16日公表)したところ、WPは21~25歳の有権者層から最も大きな支持を集め、PSPは以前からPAPに投票していたものの魅力を感じなくなった25~59歳の有権者層から最も支持されたことが、明らかになった。一方で、PAPは60歳以上の高齢層から最も支持を集めているが、多くの層からはWP、SDP、PSPなどの主要野党と比べて「傲慢だと思う」(40%)、「冷たいと思う」(30%)、「かけ離れていると思う」(28%)と見られていることも、明らかとなっている。また全回答者の47%が「国民はPAPに白紙委任を与えるべきではない」と答えている。

一方で野党側は、与党有利の条件から選挙区選出の野党議員が消滅するという一部観測を逆手にとり、PAPに代わる国民の意見や価値観を表明する野党の存在意義を訴えると同時に、WPのシン書記長や同志たちのように、有能で志をもった若い世代の候補者やボランティアたちが、積極的に政治参加する姿を見せ、若い世代への訴えかけに成功した。また、PAP側によるセンカン・グループ選挙区でのライシャ・カーン候補への攻撃や、記念品配布などの物量作戦が、有権者の反感を招いた可能性がある。結果として、WPは10議席を獲得し、さらにはPSPから2名が非選挙区選出議員に選ばれることになった。もっとも、野党支持が裾野を広げてきたことが確認できた一方で、個人として知名度や人気の高い候補を有していないと、小選挙区でもグループ選挙区でも、PAPに伍するだけの得票率を獲得すること、ひいては国会議席の三分の一を野党勢力が占めるという中期目標の実現がいまだ難しいことも、改めて明らかになった。

結果として、PAPの得票率が落ち込み、議席数も伸びなかった一方で、WPが10議席を獲得し、PSPやSDPも健闘したことで、政権与党は従来の野党に対する姿勢を、変化させる必要に迫られた。リー首相は11日未明の記者会見で、「全般的には満足すべき結果で、PAPは明確な信任と幅広い支持を得た」と強調したが、一方で選挙結果は「国会における意見多様化への明確な要求を示し」「若い有権者が野党の存在拡大を望んでいる」と認めた。この背景として、「若い人々は、明らかに古い世代とは異なった、人生への情熱や優先度合をもっており、それは政治のプロセスや政策において反映されるべきものと考える」と述べ、変化が発生しているとの認識を示した。14日にはより直接的に、「得票率は我々が希望した以上のものではなかった」「(選挙結果は国民による)国会における意見の多様化という明確な意志を示している」と述べている。

このためリー首相は、これまで公式には認めてこなかった「野党指導者」という地位を、今後はシンWP書記長に用い、国会内での活動に必要な人員や資源を割り当てると表明した。具体的には、①通常より長い演説時間と全議員中最初の質問に立つ権利、②財政手当の付与、③国家安全保障・外交・国家緊急事態の特定事項に関する政府の機密説明を受ける権利、④国会事務に関する3名の立法補佐と1名の秘書の割り当て、⑤議会内での執務室・会議室の割り当て、がおこなわれることになった。このように野党指導者という立場が公式に是認・公表されたことは、もはやリー・クアンユー時代から野党の存在を軽視してきた姿勢を改め、公式に国民の意見・意思の一部としてその存在を認めたものであり、ゴー・チョクトン前首相が「非常に意義深い動き」(7月11日付Facebook投稿)と評したように、シンガポール政治上の大きな転換点の一つとなった。

一方で、WPのシン書記長は総選挙の結果について、「私たちみんなは、シンガポールのために、もっとたくさんのことが出来る」と力強く語り、「国会での10議席は、いまだ飛躍的躍進とは言い難い」として、将来への前進を誓った。

おわりに

2020年総選挙の結果は、PAPにとって厳しい現実を突きつけ、そして今後の変化への対応を求めるものであった。

今回の総選挙は本来、PAPにとって、この数年の政治的実績の是非を問うだけでなく、ヘン次期首相の率いる「第四世代」体制、すなわち「リー家」というカリスマの存在しない、新しい時代の指導体制に信任を得るという意味をもっていた。また、新型コロナウィルスの感染拡大と社会混乱による民衆の不安心理が、「安全への逃避」としてPAPへの支持に結びつくという、打算があったことも否定できない。

ところが実際の選挙結果は、WPをはじめとした諸野党が大健闘し、従来以上の野党の存在と活躍を求める国民の意識、特に建国以来の権威主義やエリート主義に対して、もはや白紙委任を預けることのない、若い世代の批判精神の台頭という動きが広まりつつある現実を、PAPに突きつけたものであった。政権与党にあって比較的リベラルな姿勢から国民の人気が高いターマン・シャンムガラトナム上級相は、今回の総選挙を振り返って「もはやシンガポールの政治は、恒久的な意味で変化しつつある」(7月19日付Facebook投稿)と述べている。

無論、政権与党にも従来から危機感は存在しており、次期首相に内定しているヘン副首相も、「『第四世代』指導者は国民に仕えるだけでなく、国民と共に政策を設計して実行するという、新しい将来像を描いている」(1月20日)と述べていたが、それが有権者の信頼や共感を得たとは言い難い。実際、国のシステム自体が転換期を迎えていることは明らかであり、今後の総選挙についてもPAPが65%以上の得票率を越えて勝利していくことは難しい(ウォン国家開発相、7月18日発言)との見方が広まりつつある。

しかし一方で、野党への国民の期待が、裾野を広げて拡大したことは、WPをはじめとした諸野党にとっても、政策提案・議論・実行力などの面で、より建設的かつ具体的な実績を出していくことが求められていることを意味する。むしろ、既存システムの上に成立しているPAPよりも、より多くの知恵と努力によって存在意義を示すことが必要となる。政権を担う能力とは、一朝一夕に得られるものではなく、現実主義的なシンガポール国民も、その可能性を性急に求めるものではない。しかし、野党勢力の共通認識である、議席の三分の一を占めるという中期的目標を達成するためには、まずは上述の実績を着実に積み重ね、PAPとは異なった形で、国民の期待に応えていくことが求められるであろう。そのうえで、2020年総選挙では明確に形成することのできなかった、野党間の共闘体制を、どのような形で実現するかも問われるであろう。

総じて言えば今回の総選挙は、PAPという国家体制の基本軸を崩すことなく、しかし野党の存在拡大、さらに国民に広がりつつある変化や民意を示したという意味では、シンガポールという国にとって、長い目でみて望ましい結果であった。そして、それは1965年の建国以降のシンガポールにおいて、本当の意味での議会政治が始まるという、歴史的な第一歩となったものかもしれない。

インデックスページ写真の出典
  • Zhenkang, A campaign poster of two contesting parties in the Bishan-Toa Payoh GRC(CC BY-SA 4.0)
参考文献
著者プロフィール

久末亮一(ひさすえりょういち) 日本貿易振興機構アジア経済研究所開発研究センター企業・産業研究グループ副主任研究員。博士(学術)。専門はアジア経済史(19世紀~20世紀)、日本対外経済発展史(20世紀前半)、華僑・華人史、現代シンガポール政治・外交。主な著作に、「2019年のシンガポール」『アジア動向年報2020』ジェトロ・アジア経済研究所(2020年)、『香港 「帝国の時代」のゲートウェイ』名古屋大学出版会(2012年)など。

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