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論考

キューバ経済政策の二重基準――ディアスカネル新体制の緩やかな改革

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2019年4月

(14,180字)

はじめに

2018年4月、キューバの国家元首にあたる国家評議会議長職が、87歳のラウル・カストロから58歳のミゲル・ディアスカネル=ベルムーデスに譲られた。それから1年が過ぎたが、新議長就任後の経済政策を見ると、海外メディアなどで期待されたような経済改革は実施されておらず、革命体制を維持するために非常に保守的な経済政策が引き続き採用されている。

ディアスカネルは、彼の出身地であるキューバ中部のビヤクララ州の党書記として頭角を現した。地方政治エリートであった彼は、ラウル・カストロが兄フィデルから政権を移譲された後に、高等教育大臣として中央政界に進出し、初めて名前が全国で知られるようになった。つまりディアスカネルは「ラウル・カストロに抜擢された若手」であり、前政権の経済政策を大胆に改革することは難しいとみられていた。確かに、新政権の経済政策には前政権との強い連続性を看取できる。

しかし一方で、新政権ではキューバ人の経済活動に国内と海外で異なる基準を適用する傾向が顕著となり、その適用範囲が拡大しているようにみえる。これは、国内では革命原則(詳細は次節参照)を順守し中央集権的な経済運営を行う代わりに、海外での出稼ぎや投入財買い付けを容認するなど、キューバ人の経済活動に「二重基準」を適用することである。この二重基準政策は、ソ連崩壊以降にフィデル・カストロによって導入され、ラウル・カストロ政権時代に本格化した。政府はこのような二重基準を採用することで革命体制を維持しつつ、経済停滞や一部国民の不満を緩和しているのである。そしてディアスカネル就任後の動きをみると、新政権の経済政策には少なくとも変化の兆候がみてとれる。

以下では、新旧政権の経済政策を比較検討することで、経済の二重基準がどのように進められてきたかを跡付け、新体制でその適用範囲が徐々に拡大していることを示したい。そして最後に、二重基準は国民の不満を緩和する一方で、革命原則との矛盾を拡大させるため、持続可能な政策ではないことを指摘する。

写真:ミゲル・ディアスカネル国家評議会議長

ミゲル・ディアスカネル国家評議会議長
I. 国内における革命原則の順守

図1が示すように、1991年のソ連崩壊以来、キューバ経済は低迷を続けている。経済がもっとも低迷したのは1990年代前半であり、その後2001年からベネズエラとの石油・医師のバーター貿易を開始したことで改善した。これは2000年11月に、フィデル・カストロ国家評議会議長とウーゴ・チャベス・ベネズエラ大統領が合意し、キューバが医師を中心とした医療従事者をベネズエラの医師がいない貧困地区に送る代わりに、ベネズエラから原油がキューバに供給されるプログラムである。2008年にキューバ政府はベネズエラに3万人あまりの医療専門家を送り、64億6千万ドルの収入を得た。キューバ政府がベネズエラ政府から石油の形で医療サービスの代金を受け取り、その一部を派遣した医師に支払い、残りをキューバ政府の収入とする仕組みである。ベネズエラ石油の一部は国内で消費されるが、余剰分は国際石油市場に輸出し、外貨収入とする。ソ連時代にキューバがソ連から得た原油を再輸出していたのと同じ構図である。キューバ人医師たちの受け取る給料はベネズエラの最低賃金水準なので、キューバ政府の純収入は50億ドルに上ると推定される(Castañeda, 2009, 397-398)。しかし、ベネズエラが経済危機に陥るとキューバ向け石油供給は減少した。時期と報道にもよるが、ベネズエラからキューバへの原油供給はリーマンショック以来40%から67%減少した1といわれている。このため2009年からキューバ経済は再び低成長が続いている。

図1 GDP成長率(%)の推移(1989年-2018年)

図1 GDP成長率(%)の推移(1989年-2018年)

(出所)Oficina Nacional de Estadística e Información (ONEI).

これまでの政権は、低迷する経済状況打開のために大胆な改革を実施してこなかった。その背景には革命原則を順守し、革命体制を維持することが最優先とされてきたことがある。「革命原則」とは、1959年の革命以来の結果の平等主義と、それを支える寛大な社会政策の実施を指す。革命政府はここに正統性の根拠を置いており、結果の平等を実現するため、経済の大部分を国営部門としている。1996年度には国営部門に就労する労働者の割合は80.7%であったが、約20年後の2017年度には69.0%まで減少している。とはいえ、依然として大多数の労働者が国営部門で働き、国が定める平等度の高い賃金を受け取る。国営部門労働者の賃金は今も、最低賃金と最高賃金の差が10倍以内に抑えられており、外貨換算では1カ月20米ドルから50米ドルと低い水準となっている。したがって経済危機が続くなかで労働者の不満は強かった。

これを受けて、2008年に兄フィデル・カストロから政権を移譲されてからの10年間、ラウルは経済面でいくつかの改革を行った。

就任直後の2008年3月、国民が携帯電話に加入すること、およびそれまで外国人にしか認められていなかったホテルへのキューバ人の宿泊を認めた。2010年9月には、国営部門の労働者100万人削減計画を発表し、国民を驚かせた。政府はリストラする代わりに、それまで抑制していた自営業を積極的に認め、自営業者が従業員を雇用することも容認した。これにより国営部門から自営業に労働者を移行させ、財政負担を軽減するとともに、国民の不満を緩和しようとしたのである。原則としては完全雇用を保障する社会主義政権にとって、このようなリストラは革命イデオロギーの放棄ととられかねない。しかし自営業を拡大し国民の生活状況が改善されれば、支配の正統性が低下することを避けられる。この政策転換により、自営業者数は2011年から飛躍的に伸びた(図2)。

図2 自営業者の推移(1993年-2016年)

図2 自営業者の推移(1993年-2016年)

(出所)Morales 2017.
(注)1994年、2001~02年、2004年、2006~09年はデータなし。

2011年10月と11月には、政府はそれまで禁止していた中古自動車と住宅の売買をそれぞれ解禁した。そして2012年には、それまで農業部門のみに認められていた協同組合を、農業部門以外にも認可することが発表された。これは、国営企業(多くは中小規模)の所有権を国家から協同組合に移し、組合員が経営を行うとともに、国営部門と異なる賃金体系を構築できる制度である。つまり企業の自主権の拡大であり、利益を増やせれば組合員の賃金を上げることも可能となる。この政策により、国営のカフェテリアやレストラン、パン屋や美容院などの小規模国営企業の中で、協同組合形態に移行するケースが現れた。2015年までに認可された非農業部門協同組合数は429にのぼる。さらに仲間を募ってゼロから協同組合を立ち上げることも認められた。その数は全体の25%だが、多くは国営部門から改編した組合の業績を上回った(Mesa-Lago 2018, 21)。

とはいえ、非農業部門協同組合も自営業も、国家に対して一定の義務がある。協同組合なら、あらかじめ政府と取り決めた分量の生産物を安価で納品する必要があり、利益に応じた納税がある。自営業者も月々の定額のライセンス料を支払わなければならない。しかしそれ以外は、利益を組合員で分配でき、自営業者ならライセンス料を超える利益を自己の収入にできる。また利潤を投資に回してさらに事業を拡大することもできる。つまり、業績にかかわらず賃金は変わらない国営部門と自営業や協同組合とでは、労働者に与えるインセンティブが大きく異なっているのである。革命原則に矛盾しない限りにおいて収入格差を認めたところが、ラウル政権の新しさであった。

協同組合や自営業の拡大は、国内外から民間部門の萌芽、民間企業の誕生と期待された。しかしその後のラウル政権の改革への試みは、当初の勢いを失い鈍化していった。2015年から2018年末まで、非農業部門協同組合の新規認可はなく、実際には3年間にわたり凍結されたことになる。自営業も2010~2011年に201職種に限って認められたが、こちらも2017年9月から新規承認が停止した。ディアスカネル政権になっても新規承認の停止は続き、2018年7月には201職種のうち96種を整理して28種にまとめられ、自営業は123職種に限定された。同時に、自営業者一人につき1職種(1ライセンス)しか認めないことも発表され、国内外の批判を浴びた。たとえば民宿とレストランの両方を経営したい人は、どちらか1つを選ばなければならない。キューバに多くあるレストランとバーの同時営業も、レストランとバーはライセンスが別なのでできなくなる。

このように政府は、国営部門の余剰労働力を整理し、リストラされた労働者のための失業対策として協同組合や自営業を積極的に認めたものの、結果として生じる経済格差が革命原則に反すると判断した場合は、改革を抑制または中止する。

実際2017年には、首都で観光客に評判の数軒の自営レストランが、仕入れに疑いがある(政府の経営する外貨店で購入していない)などの理由で閉鎖になった。自営業者として頭角を現すと、「富裕層が生まれる」という理由で押さえつけることは、1996年にカストロ兄弟が自営業者を抑制したときと同じである。

2017年12月22日、ムリーヨ閣僚評議会副議長(前経済計画大臣)は全国人民権力議会で演説を行い、非農業部門協同組合の組合長が一般組合員の14倍もの給料を得ていると批判し、「組合員間の給与格差は3倍以内にすべき」と格差に懸念を表明した。政府は、組合制度導入による所得格差拡大に反対する姿勢を明確に示したのである。またムリーヨは、「組合は企業ではない」「試験的に導入しただけ」とも述べ、非農業部門協同組合が民間企業活動を認める前段階ではないことも明言した。

このような保守的な姿勢は、5年ごとの党大会で発表される『党と革命の経済・社会政策指針(Lineamientos de la Política Económica y Social del Partido y la Revolución)』や、2019年2月24日に成立した改正憲法にも明確に示されている。2011年の『指針』では「社会主義の継続と不可逆性」を前文で謳い、2017年の『指針』では、「社会主義的計画が経済政策の要となること」(2条)が宣言された。そして新憲法では、「基本的な生産手段については全国民の社会主義的資産を基礎とした経済制度と定める」(18条)とし、「自然人と法人両方について、資産の集中は国家によって規制される」(30条)と釘を刺している。

このように革命原則の維持という基本方針は、新政権になっても変化はない。しかしディアスカネルはこれまでの政権と異なり、国民の不満に柔軟に対応しているようにもみえる。たとえば2018年12月、政府は先述した自営業ライセンスの制限を撤回し、複数のライセンス所有を認めたうえで、1年以上ぶりにライセンスの新規発行を開始した。また、政府が規制緩和を行ったことで、海外でのキューバ人の経済活動も拡大傾向にある。政府はこれまでも、国内では革命原則を順守し、国外のキューバ人の経済活動に対しては異なる基準を適用し、一部国民の不満を緩和してきた。そして新政権は、この二重基準の適用範囲を柔軟に拡大している。次節では、この二重基準についてみることにする。

II. 経済政策の二重基準

先述のように、政府は経済改革に対する慎重な姿勢を崩していない。その姿勢は、フィデル時代からディアスカネル新体制まで一貫している。革命原則を守り革命体制を存続させることが、政権にとっての最優先課題である。

しかし経済成長を実現し、国民の生活水準をある程度上げることも体制維持にとっては欠かせない。つまり政府は、国内制度は今のまま維持しつつ、経済成長を実現するという難題を解決する必要がある。その解決策が二重基準である。国内では革命原則を順守し経済改革は抑制するが、海外でのキューバ人の経済活動を規制緩和することで、一定の経済成長を達成し、一部国民の不満緩和を図っているのである。

この二重基準は、ソ連崩壊後の革命以来最悪の経済危機の中で生まれた。そもそもの始まりは1993年に政府が財政を強化し、教育や医療の無償提供を保障するために、それまで非合法だった国民の外貨(米ドルなどのハードカレンシー)所持を合法化し、外国人しか入れなかった国営外貨店へのキューバ人の入場を認めたことにある。その後1994年には、スポーツ選手がコーチとして海外のクラブやチームに出稼ぎすること、ブエナビスタ・ソシアルクラブなどの著名な音楽家が海外でコンサートを開くことが認められた。それまで亡命という形でしか海外に出られなかった芸術・スポーツ界の才能たちが、合法的に海外で働くことができるようになったのである。

そして2000年からは、二重基準の代表的な例である医療サービス輸出が始まった。その背景には主要産業の落ち込みがある。かつて世界的に有名だった砂糖は近年生産高が大きく落ち込み、輸出も減少している。葉巻で有名なタバコや、キューバで生まれたダイキリやモヒートなどのカクテルの原料となるラム酒に代表される飲料の輸出も、それほど大きな割合を占めていない。政府統計年鑑の貿易統計から筆者が計算したところ、2017年度の輸出総額に占める砂糖の割合は19.5%、タバコは10.0%、ラム酒などの飲料の割合は6.3%となっている。ニッケル・コバルトも主要輸出産品だが、全体の16.0%を占めるに過ぎない(ONEI 2017)。

これらに代わり貿易を支えるのがサービス輸出であり、具体的には医療サービスとスポーツ選手の輸出である。

政府は革命体制下で育成した数多くの医師を海外、とくにベネズエラやブラジルなどの貧困地区(医師がいない)に派遣し、それぞれの政府から対価を受け取っている。最初はベネズエラのみの派遣であったが、後にボリビアやエクアドル、ニカラグアなど、ベネズエラがキューバと共に立ち上げた米州ボリバル開発構想(ALBA)に参加する国々にも派遣されるようになった。米州ボリバル開発構想とは、米国の帝国主義的支配や経済グローバリズム、新古典派主義経済政策に対抗して、独自の共通通貨や経済統合を目指す枠組みである。加盟国への医師派遣の費用はベネズエラが原油でキューバに支払う点は同じである。つまりベネズエラが資金を出し、キューバが医師を出して、とくに低所得層向けの社会開発が遅れている国が多いALBA加盟国の医療水準を上げようというわけである。

医療サービス輸出は海外送金と並び重要な外貨獲得源となっている。米国との国交正常化後、キューバ系米国人のキューバへの里帰りの数はあまり増えていないが、送金は増加傾向である(図3)。米国の研究者であるモラレスによれば、2016年の送金額は約35億ドルである(Morales 2017)。主要産業であるニッケルや観光業での外貨獲得額が不明であるため比較はできないが、海外送金額が外貨不足のキューバ経済を支える重要な要素であることは間違いない。

図3 海外からの親族送金(単位:百万米ドル)

図3 海外からの親族送金(単位:百万米ドル)

(出所)Morales 2017.

その海外送金額を上回るのが、医療サービス輸出による外貨獲得額である。キューバは現在、ベネズエラやブラジルだけでなく、アルジェリアやウガンダ、ケニアなど67カ国に約5万人の医師を送っている。キューバ中央銀行の元エコノミストで、現在南米コロンビアの大学で教鞭をとるビダルの試算によると、医療サービスによる外貨獲得額は77億ドル(2017年)(Cuba Standard, January 2019, p.13)、マイアミのヌエボ・エラルド紙によれば年115億ドル(Nuevo Herald, October 8, 2018)となっており、海外送金額の2~3倍以上となっている。ブラジルに派遣していた8000人の医師は帰国したが、報道によれば、このうち3000人がメキシコに新たに派遣される予定である(Mezatlán Post, December 9, 2018, Diario Las Américas, 2 de diciembre, 2018)。

一方、キューバ人野球選手の海外チームでのプレーは2013年から解禁された。先述のようにそれまでは、コーチや監督として海外で出稼ぎすることはできたが、現役選手が海外でプレーすることは原則認められていなかった。ラウル政権は野球選手の海外での活動を初めて認めたのである。米国大リーグは米国政府の対キューバ経済制裁のために受け入れができなかったが、日本、韓国、台湾などのプロ野球リーグに門戸が開かれた。彼らは基本的に、キューバの野球シーズンである11月から3月はキューバに帰って元のチームでプレーすることを条件に、アジアへやってきた。つまり完全に海外のプロ選手として働くのではなく、キューバ選手としての地位や義務は継続しつつ、キューバのオフシーズンに海外で働くことを認めた形である。

続くディアスカネル体制下では、キューバ人野球選手の大リーグ進出が合法化された。2018年12月、キューバ政府傘下にあるキューバ野球連盟(Federación Cubana de Béisbol)は、米国大リーグおよび大リーグ選手組合と合意し、キューバの野球選手が合法的に大リーグでプレーできることになった2。2013年から日本のプロ野球で活躍するキューバ選手もそうだが、大リーグで支払われる巨額の報酬は、5%の所得税をキューバ政府に納税する以外は選手の収入となる。1カ月の平均賃金が30ドル程度のキューバの国営部門労働者と比較すると、天文学的な数字の所得を得ることになる。

また大リーグからキューバ政府に支払われる補償金もキューバ政府の二重基準拡大を後押しする。日本人選手の場合も同じであるが、大リーグチームが外国のプロ野球選手を引き抜く場合、その選手が在籍するチームに補償金を支払う。キューバ選手の場合でも、大リーグは彼の所属する国営アマチュアチームに補償金を支払うことになる。選手の契約金の最初の2500万ドルに対して20%、次の2500万ドルに対して17.5%、さらにそれを超える契約金がある場合は15%が、補償金としてキューバ政府に支払われる。マイナーリーグの場合は、契約金の25%が一律支払われる(Cuba Standard, January 2019)。亡命した選手であればこれらの支払いは発生しないので、キューバ政府としても米国行きを認めたほうが経済的にプラスになる。  

野球選手については、これまで亡命という形で有名選手が多数大リーグに流れていた。海外遠征のときに亡命する場合もあるが、多くは海外の業者に依頼し、高速船で米国まで脱出したり第三国で永住権を取り、第三国の住民として大リーグチームと契約したりと、煩雑な手続きを踏んでいた。亡命を助ける業者が法外な料金を請求するケースも多く、大リーグでプレーしながら、その報酬のかなりの割合を亡命あっせん業者に支払い続ける選手の問題が、人身売買の疑いがあると批判されてきた。  

したがって、今回の大リーグ行き合法化は、さまざまな面で望ましい解決策である。しかし海外で多額の報酬を得る国民の存在を容認しながら、国内での経済活動には制約を課し、とくに自営業者の富裕化や民間企業への脱皮には厳しく締め付けを行う姿勢が変わっていないことは、今後政治的矛盾として問題になる可能性がある。

その不満からか、国内での活動に制約を課せられている自営業者たちは、この2、3年の間に海外への買い付けに一層頻繁に出かけ、政府もそれらの活動を半ば黙認している。

出国許可制度が廃止されたのはラウル政権下の2012年である。この規制緩和により、国内での雇用(国営部門の場合)を失わず、社会保障制度なども維持したまま海外に24カ月までは滞在できることになった。つまり、2年間は出稼ぎができるということである。これにより、かなりの国民が衣類やはきものなど、国営外貨店で高値で売られる消費物資の買い付けのために海外に出かけた。彼らの多くは自営業での販売目的ではなく(衣類や靴の販売は自営業では認められていない)、闇市場で売りさばくために買い付けに行く。ソ連崩壊後、衣類や靴は配給ではまったく入手できなくなり、すべての国民は国営外貨ショップで購入するしかない状況が続いている。しかし、外貨ショップの商品には200%の税金がかかっており、日本以上に高価格である。この闇商人たちは、海外で同じような商品(多くは中国製品)を国内よりもはるかに安く仕入れ、キューバに持ち帰り外貨ショップよりも安い値段で販売する。

現在では、自営レストランの食材、美容院で必要なシャンプー、ヘアダイ、化粧品、また自動車修理のための部品を買い付けるため、隣のメキシコや査証が不要なガイアナ、あるいはキューバへの自動車の供給元であるロシアや中国まで、キューバ人が大挙して出かけている。そして政府は黙認することで非公式に「規制緩和」を行い、二重基準の適用範囲を拡大しているのである。

このようにディアスカネル政権下では、革命原則の維持を前提にしつつも、二重基準の適用範囲がこれまでよりも拡大しているようにみえる。そしてその傾向は、2019年2月24日に国民投票によって承認された改正憲法の内容にも見て取れる。

III. 憲法改正とその特徴

新政権発足以降、政治経済面での最大の改革は憲法改正である。2018年4月の全国人民権力議会(立法府)でラウル・カストロが憲法改正を発表してから、10カ月にわたり各職場や国営メディアで草案の検討が行われ、2019年2月24日の国民投票により過半数(86.9%)で承認され、成立した。

経済分野については、それまでの憲法に比べて詳細・具体的な条文が増えた。とくに海外の注意を引いたのは、第22条で規定された「財産権」の中に、「民間資産」の条項が加えられた点である。この中で、「キューバおよび外国の自然人および法人による生産手段に関連する資産」を承認すると明記された。同時に、前憲法にあった「公共の福祉あるいは社会的目的のために、政府は財を接収する権利を有する」(25条)との条文が削除された。これにより、1990年代から外国資本から繰り返し求められていた「キューバに投資した資産の所有権の法的保護」が憲法で保障されたことになる。

ただし、第1節で言及したように、第30条では「資産の集中」を規制する規定が加えられ、「社会主義の価値観に適合するように、富の再分配が一層重要となる」と定められている。政府は依然として、平等主義の理想を捨てていないのである。米国で1960年代からキューバ経済の研究を続けるメサ=ラーゴは、キューバ人で生産手段としての土地所有を認められているのは革命前から農地を所有する個人農民だけであり、個人農民が農地を売買できる相手は、自分の親族か国のみであることを指摘し、今回外資には生産手段としての土地や資産の所有を認める一方で、キューバ国民には認めないという不合理が発生していると批判した(Mesa-Lago 2018, 26)。ここでも、外資に認められた自由を国民には認めず、引き続き国内での経済活動を制限する二重基準の側面が観察できる。

他方、今回の憲法で初めて外国投資の促進に言及が加えられた。第28条は、「国家は外国投資を促進する。外国投資は国の経済の発展に重要な要素として、人的資源および天然資源の適切な使用を保護し、(キューバ)国家の自立と独立を尊重する限りにおいて、国家は外国投資に保証を与える」としている。しかし、法人登記その他の手続きの簡素化、政府が所有権を過半数所有する合弁企業形態が中心になる外資参入の方法の改革、現地労働者の直接雇用など、外資が1990年代から要求している重要項目については、改善が見られない。

法人登記は今も平均3年もかかる。登記成立までの3年間に試験的にビジネスを行い、相当な実績を上げなければ登記は認められない。分野によっては外資100%の企業も数社認められるようになってきたものの、依然として経営権の過半数をキューバ政府が握るケースが多い。短期で利益が上がるために外資に人気の観光業では、ホテルの建物などハード部分は国の資産で、外資が関与するのは経営やサービスなどのソフト面のみに限られている。

現地労働者を雇用する場合、外資は政府の人材派遣公社を通じて雇用しなければならない。外資は公社に外貨で給料を支払い、公社は労働者に多くの場合非兌換ペソで、同じ種類の仕事をする国営部門労働者と同水準の賃金を支払う。つまり制度上外資で働く賃金インセンティブは労働者にはなく、外資が外貨で支払う賃金との差額は政府の収入となる。政府はこの収入を国民全員の社会政策に使う形で還元しているとし、外資で働く労働者と国営部門労働者との間に格差が生じないようにすると主張する。しかし現実には、労働者にインセンティブを与えるため、外資は公社への支払いとは別に労働者に非公式にボーナスを支払うケースが多く、外資にとっては大幅なコスト増になる。また雇用する場合の労働者の選択は公社に任されることになり、外資がさらによい人材を他に発見しても、雇用できないという問題が残る。現在はマリエル特別開発地区で労働者の賃金を国営部門労働者よりも高く設定することを認めるなど、改善はみられるが、あくまでも例外扱いである。

つまり、今回の憲法改正にはいくつかの重要な改正点が認められるが、改正が今後さらに開放につながるかどうかは不明である。  

以上のように、政府は二重基準を許容することで、国内の社会主義体制を守りつつ、自国の経済を支え国民の不満を緩和している。しかしこの二重基準は、国民全体に漂う不満や無力感を全面的に解決するものではなく、出稼ぎに行ける国民や、海外に住む親族から外貨送金を受けられる層はいまだ限られている。

そして、この二重基準は国民の不満を緩和し、体制の正統性を支える唯一の方法でもない。たとえば海外(とくに米国)移住の容認、反帝国主義・民族自決イデオロギーの教宣、無料の教育・医療に代表される社会政策の導入など、政府は体制を維持するためにさまざまな施策を講じている。二重基準はいくつもある生き残り政策の1つである。ただしこの二重基準はその他の政策と密接に関連している。

たとえば、二重基準の拡大は革命政府のイデオロギー面での正統性を低下させる。反対に締め付けや規制強化は、米国への移住者を増加させるとともに、キューバ人の海外経済活動に悪影響を及ぼす。それは国民の不満拡大につながるとともに、教育や医療の無償提供を支える財源を圧迫する可能性もある。つまり政府は各政策とのバランスを考慮しながら、二重基準の適用を拡大し、または規制を強化するのである。そしてディアスカネル政権の経済政策をみると、現在は前者の傾向が強いといえる。

おわりに

ソ連崩壊以来の経済低迷にもかかわらず、キューバ政府は一貫して革命体制の維持を優先し、経済改革には消極的姿勢を貫いてきた。この姿勢はディアスカネル新体制でも変化はない。国民は長引く経済停滞に疲れ、とくに若い世代は米国移住に解決策を見出すしかない状況である。政府発表によれば、2017年の海外移住者は2万6千人余りとなっている。2012年の4万6千人に比べれば半減だが、人口1100万の国にとっては比較的多い人材流出といえる。本稿で述べてきた経済政策の二重基準は、革命体制存続を最優先としつつ、長年の国民の不満を不完全ながら緩和する政府の苦肉の策なのである。

医師派遣や米国以外の国へのスポーツ選手派遣は、2008年にラウル政権がスタートする前、つまり革命最高司令官であったフィデル・カストロの時代に容認された政策である。1980年代までは革命を裏切ったとして社会的非難の対象だった亡命者や移住者たちが、キューバに残った家族へ送金することについても、ソ連崩壊後は歓迎する姿勢を見せた。そしてラウル政権下でこの二重基準は本格化し、ディアスカネル新体制に継承された。ただし新政権では、野球選手の大リーグでの出稼ぎが解禁され、改正憲法で外資への所有権が保障されるなど、二重基準の適用範囲が拡大する兆しが見て取れる。一方改正憲法では、キューバ国民に対する土地所有権の制限が継続されるなど、これまでとの連続性も確認できる。つまり政府は、中国やベトナムのような経済改革を実施する意思はなく、依然として二重基準が2つの課題(革命原則の維持と経済発展)への対応策として有効だと考えているのだろう。

しかし二重基準はそれ自体矛盾を抱え、持続的な政策ではない。二重基準から利益を得られる国民が増えれば増えるほど、イデオロギー的矛盾は拡大し、国内の経済格差も拡大すると考えられる。ディアスカネル新体制は当面、二重基準の適用範囲を拡大させることで、革命原則の維持と経済発展という2つの課題にある程度対応できるかもしれない。しかし、そのためには、規制緩和の拡大と締め付けのバランスをとりつつ、政治的矛盾や国内の経済格差是正に対応する必要がある。社会主義の原則を守りつつ、持続的な経済成長を達成しえるのか。ディアスカネル政権の今後の舵取りが注目される。

著者プロフィール

山岡加奈子(やまおかかなこ) 。アジア経済研究所地域研究センターラテンアメリカ研究グループ長代理。修士(国際関係論)。専門は国際関係、比較政治、キューバ地域研究、カリブ研究。おもな著作に、『ハイチとドミニカ共和国――ひとつの島に共存するカリブ二国の発展と今』(共編著)アジア経済研究所(2018年)、『岐路に立つキューバ』(共編著)岩波書店(2012年)など。

書籍:アジ研選書 ハイチとドミニカ共和国――ひとつの島に共存するカリブ二国の発展と今――

書籍:アジア経済研究所叢書 岐路に立つキューバ

写真の出典
  • ミゲル・ディアスカネル国家評議会議長:Kremlin.ru [CC BY 3.0(https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]
参考文献

    1. ベネズエラからキューバに送られる原油の量については、ベネズエラからもキューバからも公式の数字が発表されておらず、すべて推計値であり、数字には幅がある。マイアミのスペイン語紙Nuevo Herald 紙2017年10月12日付によれば、ベネズエラからキューバへ送られた原油量は、チャベス時代(1999年~2013年)には1日10万バレルだったのが、2016年には同8万7千バレルに減少、さらに2017年には同5万5千バレルに減少した。同様の報道は、2019年2月13日付BBCスペイン語版の報道にもみられる。またNuevo Herald紙2017年2月5日付では、キューバ系米国人の石油アナリストの第一人者でテキサス大学教授であるホルヘ・ピニョン(Jorge Piñon)氏の談として、2016年にベネズエラはキューバに対し1日7万バレルの原油を送っていたと報じた。ここまでの報道をまとめると、1日10万バレルから2016年に7万バレル、2017年に5万5千バレルへと減少したことになる。
      これとは別に、ベネズエラのEl Nacional紙2018年1月31日付によれば、2016年から2018年にかけて、ベネズエラからキューバに送られる原油は1日11万5千バレルから同5万バレルへ、67%近く減少している。マイアミのキューバ系米国人ウェブサイトDiario de Cubaによれば、2014年から2018年で40%減とされる。スペインのEl País紙2016年9月11日付も、2016年に40%減少したと報じている。それまでは1日ほぼ10万バレルで変わらなかったという。
    2. ただし2019年4月8日、トランプ政権はこの合意を不可とした。将来実現するとしても、時間がかかる可能性が高まった。キューバ政府は許可しているので、ここではキューバ選手の大リーグでのプレーが二重基準政策の一環であるという文脈で論じる。