イベント・セミナー情報
開催報告
アジア経済研究所 日系企業向け実践型セミナー
「意味のあるステークホルダーエンゲージメント」とは?―アジアのステークホルダーと対話をしよう―
アジア経済研究所では、2024年9月26日にバンコクで日系企業向け実践型セミナー「『意味のあるステークホルダーエンゲージメント』とは?―アジアのステークホルダーと対話をしよう―」を開催しました。このページでは、セミナーのディスカッションやケーススタディの内容を公開しています。
ぜひご覧ください。
セミナー概要
- 開催日時:2024年9月26日(木曜)15時00分~17時00分(バンコク時間)
- 会場:国連カンファレンスセンター(タイ、バンコク)、F会議室
- 主催:ジェトロ・アジア経済研究所
- 共催:ジェトロ・バンコク事務所、国連開発計画(UNDP)、国際移住機関(IOM)、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)
- 後援:一般社団法人 日本経済団体連合会、国連労働機関(ILO)、グローバルコンパクトネットワークジャパン、バンコク日本人商工会議所(JCC)
プログラム
時間(バンコク時間) |
プログラム |
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15:00-15:10 |
趣旨説明―日本企業に求められる「意味のあるステークホルダーエンゲージメント」とは?
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15:10-15:40 |
パネルディスカッション
【パネリスト】
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15:40-15:45 |
休憩 |
15:45-16:25 |
対話実践セッション ケーススタディにもとづくグループディカッション
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16:25-16:50 |
全体共有セッション |
16:50-17:00 |
クロージング
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登壇者プロフィール
趣旨・目的
ビジネスと人権に関する国連指導原則にもとづく日本政府の行動計画やガイドラインが示され、日本企業は指導原則をふまえ、人権デューディリジェンスのプロセスを導入し、サプライチェーンを含むステークホルダーとの対話を行うことを期待されている。人権デューディリジェンスとは企業活動による負の影響を特定、防止、軽減し、人権侵害リスクを緩和することであり、そのためにはステークホルダーである労働組合、人権擁護活動家、市民社会組織等との対話が不可欠である。日本企業は海外サプライチェーンにおける人権問題を重要な経営課題として認識している一方で、人権リスクを把握する人権デューディリジェンスの実施、なかでもステークホルダーとのエンゲージメントが課題となっている。本セミナーでは、アジアのステークホルダーおよび国際機関の専門家等を交えたパネルに続き、専門家のファシリテーターのもと、ケーススタディにもとづいて企業とステークホルダーとの「意味のあるエンゲージメント」の実践を行った。本セミナーでは、日本企業がサプライチェーンを有するアジアにおいて、実効性のある人権デューディリジェンスを実施できるように、ステークホルダーとの「意味のあるエンゲージメント」を実践する機会を提供した。
なお本セミナーは、国連責任あるビジネスと人権アジア太平洋フォーラム(United Nations Responsible Business and Human Rights Forum, Asia-Pacific)の開催に併せて実施され、当該フォーラムのプログラムの一環と位置付けられ、ステークホルダーエンゲージメントは、当該フォーラムの主要テーマである「救済へのアクセス」を確保するための実践の機会となった。
パネルディスカッション
佐藤 氏:本日のテーマである意義のあるステークホルダーエンゲージメントについて、ライツホルダーの皆さんの声を伺いたいと思います。まず各団体の活動紹介、次にステークホルダーエンゲージメントを実施する際に直面している課題、そしてステークホルダーエンゲージメントについて企業に期待することについてお聞かせください。
Sor. Rattanamanee Polka 氏:招待していただき、ありがとうございます。私の所属する団体は「コミュニティリソースセンター」といい、タイ国内およびメコン地域で開発プロジェクトによる問題に直面している地域社会に法的支援を行っています。私たちが扱っている案件には、国内の公害や騒音、鉱業問題、カリウムの地下採掘、石炭採掘、石灰岩採掘などがあります。また、海外投資の監視も行っており、タイ政府が他国、特に中国を招いて投資を行っている土地開発プロジェクトも監視しています。
越境案件としては、カンボジアの被害者を支援しており、タイ国内の電池に関連した訴訟では、カンボジアの被害者がタイで集団訴訟を提起し、補償を求めています。私たちは、タイで適用されている集団訴訟をサポートし、地域社会も支援しています。
タイでは弁護士に対する嫌がらせや脅威は少ないですが、地域社会のリーダーが企業からのスラップ訴訟(Strategic Litigation Against Public Participation)に巻き込まれることが多いです。このスラップ訴訟は、名誉毀損だけでなく他の刑事事件としても扱われ、企業はあらゆる手段を用いて訴訟を行います。訴えられた地域社会のリーダーや活動家への支援に多大な労力や時間、資金が費やされてしまうため、企業の行為は非常に有害です。
もう一つの例として、企業が公害、たとえばタイ中部で車の部品を製造する企業による騒音を無視しているケースがあります。騒音公害の被害を受けた家族が補償を求めても、企業は補償を支払う代わりに何度も控訴し、さらに事業を拡大しようとしています。
地元企業は人権デューディリジェンスを実施せず、法に従わないことが多く、地元当局も地域社会からの苦情を無視することがあります。これらの問題に取り組むことは非常に困難です。しかし、石炭採掘に関しては、企業が地域社会や市民社会の声を無視したため、かえって多くの苦情が寄せられ、最終的に事業は停止せざるを得なくなりました。
地域リーダーや市民社会組織と協力し、投資による影響を正確に把握し、適切に対応することが重要です。そうしなければ、企業は事業の継続が困難になり、最終的には事業を停止しなければならなくなります。また、地域社会は必ずしもプロジェクトの停止を望んでいるわけではなく、開発や企業からの支援を求めている場合もあります。企業と地域社会が協力できれば、非常に良い結果が生まれるでしょう。
Annie Khan 氏:ビジネスと人権リソースセンターのアジア地域マネージャーを務めています。私たちは2002年に設立された国際的な人権団体で、ビジネスと人権に関するあらゆる情報をウェブサイトにまとめています。世界中からのニュースや更新情報を地域ごとのチームが集め、ウェブサイト上でビジネスと人権に関する全体像を提供しています。
ニュースの更新だけでなく、企業と連携する活動も行っています。私たちは「企業の対応メカニズム」を持ち、現在、10,000社以上の企業を監視しています。メディア報道や公開された情報で人権侵害の疑いがある場合、その企業が公にコメントしていないならば、私たちが直接企業に連絡して対応を求めます。その返答や未回答は、申し立てられた内容と一緒にウェブサイトに掲載されます。これにより、企業の説明責任や透明性を促進しています。また、現地の市民社会組織とも密接に協力し、能力開発やトレーニングを行い、彼らが直面している主な問題や課題を学び、支援や指導を提供しています。
リソースセンターには3つの主要な優先事項があります。1つ目は、パートナーシップや連携、協働を強化することです。草の根組織や現地グループの声や行動を広め、彼らのネットワークを支援し、連帯を提供しています。2つ目は、意思決定者に影響を与えることです。証拠やデータを分析して効果的な政府規制や企業改革を促進し、投資家や金融機関の意思決定に変革をもたらすよう努めています。3つ目は、人権侵害に対する説明責任を追及することです。企業へのエンゲージメントを通じて救済を求め、規制の効果的な実施を促し、法的責任を追及するための手段を提供しています。また、人権の取り組みを促進するために戦略的に訴訟を活用することを支援し、被害者と弁護士をつなぐ活動も行っています。
私たちの3つの主要なプログラム分野として、第1にグローバルサプライチェーンにおける労働者の権利、第2に責任ある天然資源利用と公正な移行を求めるコミュニティの権利、第3に説明責任が担保されたデジタル技術に関する人々の権利です。さらに、人権擁護者と市民の自由、企業の法的責任、ジェンダーと人種差別と正義といった横断的なテーマも扱っています。
2022年から2023年では、世界中で881社にアプローチを行い、そのうちアジアでは日本企業を含め290社以上にアプローチしました。アジアにおける主な問題は、ミャンマーにおける紛争に関連する人権尊重責任、結社の自由、環境問題でした。アジアの企業の返答率は世界平均より低いですが、日本と韓国は例外で、日本企業は比較的多く返答しています。
企業と連携する際の大きな課題としては、多くの企業が「これはサプライチェーンの問題で、私たちには関係ない」と主張し、責任を回避しようとすることです。企業がサプライチェーン全体に対しても責任を負うべきだと考えています。
また、企業が影響を受けたコミュニティや労働者と意味のある対話を行い、実際に変化をもたらすことを期待しています。ただの形式的な対話ではなく、実質的な解決につながる対話が必要です。
Veasna Nuon 氏:Union Aid Abroad-APHEDA はオーストラリアで設立された、各国の労働者組織や社会運動を支援するプログラムです。カンボジアでは30年間活動しており、労働者組織の支援や、ステークホルダーが労働環境や労働者の権利を改善するための対話の場を作ることに力を入れています。主に政府、労働組合、そして雇用者とのやり取りが中心です。
私たちが直面している課題の一つは、活動をする環境です。カンボジアやその他の地域と同様に、労働者組織や市民社会組織の活動の場が縮小しており、労働者が自らの懸念を訴え、問題解決を求めるのが難しくなっています。また、サプライチェーンの複雑さも大きな課題です。多くの工場は現場で直面する問題を認識していますが、その対応には工場の能力を超えた部分もあります。製品を発注している企業側にも責任があるためです。また、国レベルで直面する問題には、工場や企業の枠を超えた対応が必要なこともあります。
民間セクターに期待する「意味のあるステークホルダーエンゲージメント」についてですが、真剣で実質的な協議が重要だと思います。労働者の代表だけでなく、工場の代表者や場合によっては関係当局も交えて、すべての当事者が参加する必要があります。また、労働者の代表と工場の雇用者との間で良好な労働関係を築くことも重要です。これにより、紛争を防ぎ、両者が長期的に協力し合うことで、安定した労使関係を築けると思います。長期的に協力することで、直面する課題に対しても共同で対応できるでしょう。
最後に、私たちにとって重要なのは、購買の力を活用して現地の問題に取り組むことです。うまくいっている工場にはインセンティブを与え、問題のある工場には最後の手段として制約を設けるという、いわゆる「アメとムチ」のアプローチを提案したいと思います。
Prarthana Rao 氏:私たちは23か国にまたがる87のメンバーを擁する地域的な人権組織です。アジア地域における結社の自由、言論・表現の自由、人権擁護者の保護、人権の促進、支援に取り組んでいます。私たちは現地のコミュニティと密接に連携し、企業の活動や開発プロジェクトが人々の権利にどのような影響を与えているかを理解しようとしています。
コミュニティが企業に対して何を求めているかについて共有したいと思います。まず、コミュニティが意味のあるステークホルダーエンゲージメントに求める最初の要件は、「ノーと言う権利」を尊重することです。コミュニティは既に固有の権利を持っており、彼らは権利の受け手ではなく、権利の保有者です。つまり、企業が意味のある参加とは何かを考えるとき、プロジェクトの初期段階でコミュニティが「ノー」と言った場合、それは「ノー」であり、企業が彼らの意見を変える必要はありません。これが、コミュニティが求める意味のあるエンゲージメントの最重要項目です。
次に、コミュニティが求めるのは、ステークホルダーとの対話や参加を考える際に、インターセクショナル(交差性)なアプローチを採用することです。たとえば、先住民族や女性は、それぞれが直面する課題が異なるため、その点を考慮しなければなりません。特にアジアの多くの国では、女性は男性と同じ権利を享受できていないことが多く、また先住民族の土地が奪われる問題も存在します。こうした脆弱性の交差性を認識し、コミュニティとの対話や参加の方法に反映させることが重要です。
さらに、コミュニティがプロジェクトに賛成した場合でも、プロジェクトの進行中に問題が発生した際に、彼らが懸念を表明できる場があるか、責任を問う仕組みや救済へのアクセスがあるかが重要です。コミュニティとの対話は一度きりのものではなく、事業の開始から終了、さらには責任ある撤退に至るまで、継続的なプロセスでなければなりません。
企業に対する期待としては、人権デューディリジェンスの重要性が増していることが挙げられます。特にミャンマーやアフガニスタンなど国による人権保障に深刻な問題がある国への投資においては、事業の運営中に人権を守るためのデューディリジェンスが必要です。また、コミュニティを権利保有者として認識し、自由で事前の十分な同意を得ることが重要です。サプライチェーン全体における人権デューディリジェンスも必要であり、それには環境や社会、文化への影響評価も含まれます。企業がこれらを設計する際には、コミュニティの声を反映させることが求められます。
責任ある撤退においても、企業が去った後にコミュニティが単に生き延びるのではなく、より良い状態で存続できるようにすることが大切です。企業がコミュニティと共に取り組むことが重要であり、利益を追求する一方で、それが人々の犠牲の上に成り立つものであってはなりません。最後に、ビジネスは人々の権利を真に尊重しながら、コミュニティと協働するプロセスを共に作り上げることが求められています。
Sai Aung Tun 氏:MAP Foundationは1990年に設立され、既に33年の歴史があります。MAPとは移民支援プログラム(Migrant Assistance Program)のことで、主に移住労働者を支援するために活動する団体です。4つのプログラムがあり、それぞれ、労働者の権利、子ども・若者や女性、コミュニティの健康とエンパワーメント、そしてマルチメディアを柱としています。また、2つのラジオ局を運営しており、1つはチェンマイ、もう1つはメーソートにあります。このラジオ局は、主に移住労働者に対して知識や文化、特に移民の権利に関する問題について発信しています。また、政策の最新情報なども共有できるよう、移民がアクセスできるプラットフォームとしてラジオを活用しています。
関係するステークホルダーのすべてが移住労働者にとって重要です。なぜなら、私たちは互いに関わり合い、コミュニティとして共存しているからです。例えば、メーソートでは、全ての組織やビジネスパートナー等のビジネスセクター、行政機関が共に生活しています。このような環境では、良好な関係が築かれることで、人権、労働者の権利、そしてその他の権利の促進にもつながります。
移住労働者は権利が保障されづらい脆弱な状況に置かれているため、声を上げることが難しくなっています。彼らは他国に来ると、生き延びることだけに集中し、権利を求める方法を忘れてしまう、あるいは知らないのです。権利を主張しなければ、権利を得ることができないということです。人権を促進し、彼らに他国に来ても権利があることを知らせ、守るための支援を行っています。彼らにも権利があり、それが保障されるための支援が必要です。
ビジネスに対する期待としては、メーソートには約300の工場があり、登録されている工場もあれば、小規模で未登録の工場もあります。私たちは、ビジネスセクターに対して、労働者を搾取するのではなく、保護する責任を持ってほしいと考えています。最も重要な権利は、彼らを正規の移住労働者として登録することです。これが第一歩です。第二に、タイで定められた労働法に従うことです。
※パネルにおける発言内容はすべて講演時点のものです。
対話実践セッション
参加者は5つのグループに分かれ、ファシリテーターの進行により、5つのケーススタディをもとに、ステークホルダーとともにディスカッションを実施した。
ケーススタディ(1) 気候変動に伴う環境に関する人権侵害への企業の対応
ファシリテーター:佐藤 暁子 氏(UNDP)
ステークホルダー:Pochoy Labong 氏(Business & Human Rights Resource Centre)
<解説およびディスカッション>
本ケーススタディでは、近年の気候変動への企業の対応に関して、気候変動緩和を目的とする「グリーン」な事業であっても、その事業活動のサプライチェーン上の人権リスクへの取組みが重要であることをテーマとしている。とりわけ、鉱物資源については電気自動車をはじめ、近年の急激な重要の高まりがサプライチェーン上流のライツホルダーに過度な負担を与えていることが既に指摘されている。企業が自社の利益のみならず、コミュニティの利益の観点から事業を計画、実施することは喫緊の課題と言える。また、2022年7月に国連総会で採択された「清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利」としてクリーンな水へのアクセスの権利、労働安全衛生の問題、地域住民の権利、言論の自由・集会の自由である抗議活動に対する身体の自由の侵害、人権擁護者に対するSLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation自由な言論を封じる脅し目的の嫌がらせ訴訟)、そして汚職や法の支配の課題を取り上げ、人権リスクを包括的に検討する必要性を示した。人権リスクは実際の現場では相互に関連しており、ライツホルダーの視点から認識を深めることが重要である。
Y社はX社による裁判手続きを見守るとの判断をしたが、2つの理由から指導原則が求める人権尊重責任として問題がある。ひとつは、企業が人権課題を指摘する人権擁護者の活動を訴訟によって封じ込めることは、それが手続き上は合法だとしても、人権擁護者の言論の自由を侵害するものであって、深刻な問題である。企業と人権擁護者のパワーアンバランスを踏まえれば、訴訟に対応する人権擁護者側の負担は甚大である。ふたつめに、法の支配が脆弱で汚職が蔓延している環境では、法的手続き自体の正当性が当然に担保されるものではなく、企業は、裁判手続き、行政手続きに則っていることのみで人権侵害リスクを軽減することはできない。グループディスカッションでは、企業としての評価や対応には限界があるとの意見もあったが、様々なリソースを活用し、人権リスクの適切な評価に努めることが期待される。
そもそも、X社による鉱物採掘現場における人権リスクの特定が不十分であったことが、このような状況を招いたとの指摘もされた。単なる事実確認にとどまらず、サプライチェーン全体について人権の観点から詳細に検討すべきである。事業計画の段階から、ファクトチェックや人権侵害のアセスメントをすることが人権リスクの予防につながる。また、人権状況に関する情報に関して人権擁護者などに対するバイアスがあり、通常の方法での情報収集では不十分である可能性もあることから、国際NGOや国際機関による信頼性のある情報に依拠した判断が求められる。さらに、国内法が国際人権基準と比してギャップがある場合には、国内法遵守のみをもって企業の人権尊重責任を充足するものではない点も注意が必要である。
ステークホルダーエンゲージメントは、このように様々な人権リスクを適切に把握し、ライツホルダーの声を反映した実効性のある人権デューディリジェンスを実施するために必要不可欠である。一方で、必ずしも直接に影響を受けているコミュニティとの対話が常に実現可能とは限らないことから、本件のようにまずその声を届けるNGOとの対話を行うことも救済・是正にむけた具体的な取り組みである。(佐藤 暁子 氏)
ケーススタディ(2) ソーシャルメディアにおけるヘイトスピーチと企業広告
ファシリテーター:小松 泰介 氏(OHCHR)
ステークホルダー:Prarthana Rao 氏(Forum-Asia)
<解説およびディスカッション>
ヘイトスピーチおよび偽情報(ディスインフォメーション)の問題は人権の保護と促進における重要な課題であり、主要な媒体の一つであるソーシャルメディア・プラットフォーム企業に限らず、広いビジネスと人権の視点からの取り組みも期待される。2024年6月に国連事務総⾧によって発表された「情報の誠実性のための国連グローバル原則」でも、テクノロジー企業、広告主やその他の広告関係者、そしてビジネス全体への具体的な行動を要請している。広告とコンテンツの収益化に関連したその影響力の大きさを認識し、偽情報やヘイトスピーチに対する具体的な5つの行動を広告主に対してこの原則は提言している。
本ケーススタディは、ソーシャルメディア上のヘイトスピーチ、誤った情報(ミスインフォメーション)および偽情報という問題に関して、広告掲載と広告費の支払いという形でのソーシャルメディア・プラットフォームとの取引先である企業に人権責任の観点から取ることができる対応について考えるきっかけとなることを意図して作成されている。また、北米やヨーロッパに拠点を置く企業では、ソーシャルメディア上での女性に対する暴力、移住者やマイノリティ、およびトランスジェンダーの人々をはじめとするLGBTコミュニティに対するヘイトスピーチや、気候変動に関する偽情報の問題に対して、企業や市民社会が繋がり、プラットフォーム企業への改善の働きかけや国際機関への提言を行っている一方で、日本ではあまり議論が進んでいないのが現状である。しかし、日本国内でも他のアジアの国々においてもソーシャルメディアにおけるヘイトスピーチや偽情報の問題は決して無関係ではなく、日本企業にも課題として取り組むことが期待される。
グループディスカッションでは、たまたまヘイトスピーチの隣に掲載されたことがどこまで企業の責任なのかという点についてまず議論された。ヘイトスピーチを支持する意図はなく偶然そのような形になってしまったので企業の責任はないという意見があった一方で、問題のある媒体に広告を出している以上はサプライチェーンに鑑みて責任はあるとの意見もでた。その後、プラットフォームの責任がより大きいが、広告主として日本企業にも一定の責任があるという前提で対応策を議論した。考えられる対応の一つ目として、広告を取り下げて資金がヘイトスピーチや偽情報の発信者に流れないようにすることが提案された。また、例えばプラットフォームによる改善を条件に広告を減少または停止させるといった濃淡をつける案も出された。二つ目は、企業の立場などを明確にするために、たまたまヘイトスピーチの隣に掲載されたが企業としてこれを支持するものではないという主旨の声明を出すことが提案された。三つ目に、一企業が広告を停止することによる影響力は限定的であることから、他の企業や人権団体などと共同でプラットフォームに対して改善するよう働き掛けを行うこともできるという認識を共有した。四つ目に、企業としても、プラットフォームのユーザーおよびステークホルダーとして、ヘイトスピーチについて人権団体等に報告をするといった、モニタリングの役割を果たすこともできるという意見がでた。グループディスカッションを通して、ヘイトスピーチや偽情報の問題に対して、他の企業やステークホルダーとも協力しながら、企業として様々な行動が可能であることが認識された。(小松 泰介 氏)
ケーススタディ(3) 労働権侵害懸念に対するバイヤーおよびサプライヤーの対応
ファシリテーター:川﨑 彬 氏 (ILO)
ステークホルダー:Veasna Nuon 氏(Union Aid Abroad-APHEDA Cambodia)
<解説およびディスカッション>
本グループでは、日系企業の在東南アジアサプライヤーにおける労働者の権利の侵害等の問題が顕在化した場合を念頭に、その救済に向けていかなるステークホルダーとどのように対話する必要があるか、その際に注意すべき点は何か等を議論した。とりわけ、結社の自由および団体交渉権の実効的な承認は中核的労働基準の一つであり(ILO基本条約87号、98号)、労使対話においても重要な役割を果たすが、アジアの国々では、政治的状況等を背景に労働組合の結成や活動が阻害される例も多い。人権方針の策定、人権デューディリジェンスの実施、救済等の行程において意味のあるステークホルダーエンゲージメントが不可欠であることを踏まえ、企業は、自社やサプライチェーンにおいて労働組合の結成や活動が阻害されるリスクの予防・対応策も検討する必要がある。
本ケーススタディにおけるステークホルダーは、参加者からは、A社、工場B、労働者、労働組合、労働組合支援機関、人権NGOといった主要な登場人物の他、労働者の家族が挙げられた。企業活動は幅広い関係者に影響を及ぼすため、地域コミュニティ、消費者、地方自治体等も含め、広くエンゲージメントの対象範囲を検討する必要がある。
A社は、ステークホルダーエンゲージメントを通じて関連情報を収集した上で、工場Bにおいて長時間労働や妊娠差別が問題となった背景にA社自身の大量ロット発注がある可能性も踏まえて、工場Bを含むサプライヤーに対して生産・納品に十分な時間を割り当てているかを確認する必要がある。そして工場Bに対し深刻な懸念を表明し、同工場との契約関係を修正・活用し、労働環境の調査や判明した労働権侵害への対応を促す等の対処を行う必要がある。また、かかる対処の結果を継続的に追跡すること、対処状況をアクセス可能な方法で開示すること、自社の人権方針や人権デューディリジェンスのプロセスやグリーバンス(苦情処理)メカニズムを見直し、労働者教育を含めた再発防止策に取り組むことが求められる。これらの全ての行程において、恒常的なステークホルダーエンゲージメントが必要となる。参加者からは、第三者委員会の設立やエビデンスに基づく公平な判断をケースバイケースで行うことが重要という意見が出た一方、サプライヤーが多数存在する中で一挙に対応することが現実的ではない場合にどのように優先順位付けを行うべきかとの質問も挙がった。この点、特定された全ての負の影響に直ちに対処できない場合、負の影響の重大性(深刻性および発生可能性)に基づき、リスクベースの優先順位付けを行うものとされるが(責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス附属書Q3、Q31)、あくまで優先順位付けに係る指針に過ぎず、企業は自らが惹起・助長した負の影響の全てに対処する責任を負う。
工場Bは、ステークホルダーエンゲージメントを実施しつつ、労働者の作業環境を調査し、セルフアセスメントを行い、賃金について従業員と協議し、過度の時間外労働や妊娠差別を回避するために適切な管理システムを構築する必要がある。また、労働法および労働組合の結成に関する権威ある決定に従わなければならない。参加者からは、工場Bにおいて労働法の理解や状況改善に向けた人的・物的リソースが不十分である可能性が指摘されたほか、工場Bに具体的アクションを促すためのインセンティブ付与が重要との指摘も出た。A社は、自らの調達活動を見直す必要性や、参加者から指摘されたような工場Bにおけるキャパシティビルディングの必要性にも留意しつつ、工場Bに対する支援も含めた労働権侵害の改善に向けた働きかけを行い、対処・救済にかかる状況を追跡・評価していくことが求められる。(川﨑 彬 氏)
ケーススタディ(4) 移住労働者に対する労働および人権リスクへの対応
ファシリテーター:崔 秀蓮 氏(IOM)
ステークホルダー:Sai Aung Tun 氏(MAP Foundation)
<解説およびディスカッション>
移住労働者は国連の「ビジネスと人権の指導原則」において脆弱なグループの一つとして位置付けられ、彼ら/彼女らに対する権利侵害がないよう、企業の人権デューディリジェンスにおいてとくに注視すべき重要課題の一つである。東南アジア地域にはサプライヤーが集中し、日系企業を含む、多くの企業がこの地域で事業を展開している。この地域では労働移住も盛んであり、日本の主要対外投資国の一つであるタイでは、周辺国のミャンマー、カンボジア、ラオス出身の約300万人の移住労働者が働いている。移住労働者は企業のサプライチェーンを支える重要な役割を果たしている一方、高額な募集・斡旋手数料、長時間労働、賃金未払い、危険な労働環境など、人権や労働の権利に対するリスクに対して脆弱な立場に置かれている。
こうした背景をふまえ、本ケーススタディは高額な手数料について取り上げ、どのように「意味のある」ステークホルダーエンゲージメントを行うかについて議論した。関わるべきステークホルダーとして、サプライヤー、移住労働者やその他の労働者、雇用主、人材紹介業者、NGO、地域行政等、さまざまなアクターが挙げられた。こうしたステークホルダーとの「意味のある」エンゲージメントに向けて、目的意識を持って取り組むことの重要性が参加者から提起がされた。本ケーススタディの手数料のように、何か具体的な問題が発生している場合には、その解決という目的意識のもと、仮説を立てながら取り組むことが必要である。
ここで、多様なステークホルダーとの関わりの中でどのように事実を見極めるのかという問題意識が参加者から上がった。ある参加者からは、各ステークホルダーから得られる説明が異なり、板挟みになった経験が共有され、まずはライツホルダーである移住労働者との対話から開始することが重要だろうという認識が共有された。その聞き取りに基づいて仮説を立て、それをもとにサプライヤーや人材紹介業者などのステークホルダーと対話を行い、是正措置を検討するというステップが重要ではないかという意見が出された。
この他、このケーススタディにおける問題はサプライヤーの責任のみでは片づけられないという参加者からの指摘もあった。この関連で、パネリストのSaiさんが提起したバイヤー企業による地域の行政やコミュニティとの対話実践を特筆したい。彼は、地域行政は労働問題を含む多様な課題に対応しており、地域行政との日常的なエンゲージメントは、問題発生を未然に防ぐとともに問題が発生した際にも迅速な対応を可能にすると説明した。この点は他の参加者からも強調され、定期的な対話を通して良好な関係を築いておけるよう、ステークホルダーエンゲージメントは一回きりのアクションではなく、日頃から取り組むべきであるという重要な認識が共有された。(崔 秀蓮 氏)
ケーススタディ(5) 開発事業に伴う非自発的移転に対する申し立てへの対応
ファシリテーター:山田 美和(アジア経済研究所)
ステークホルダー:Sor. Rattanamanee Polka 氏(Community Resource Centre)
<解説およびディスカッション>
本ケーススタディは法令遵守を超えた企業の人権尊重責任の取組を問うものである。指導原則では、企業は現地法の如何に関わらず、国際的基準に合致することを期待されている。特定の国や地域の状況が、企業の活動及び取引関係における人権リスクに影響を及ぼすことがあるが、すべての企業には事業をどこで行おうと人権を尊重する責任がある。ある国の国内状況により企業がその責任を完全に果たすことができない場合、企業は、国際的に認められた人権に関する諸原則をその状況のもとで出来る限り尊重すること、そしてその努力を示すよう期待されている。
グループディスカッションでは、企業にとっては事業活動を行う現地における法律を遵守することがやるべきこと、できることのすべてであるとの意見が出た。現地政府によって現地の行政法に従い、合法な移転の手続きが完了されたにもかかわらず、かかる問題が発生した場合、現地政府に問題があり、企業は、日本政府を通して相手国政府に申し入れ、現地政府が住民に対応すべきことであるとの意見である。それに対して、現地の法制度が信頼できず不十分である場合、企業は自ら能動的に取り組むことが必要であるとの意見が出された。今回のケースでは現地の移転手続きが住民の国際的基準を踏まえたFPIC(free, prior and informed consent自由意思による、事前の、十分な情報に基づく同意)を担保したものであったかは疑わしい。ライツホルダーからすれば、住民移転は代替の土地や家屋ということだけでなく、移転先でどのように生計をたて生活できるのかという問題である。土地に根差した暮らし方をしている人々にとって移転は困難である。企業としては、自らの事業活動が影響を与えているステークホルダーと直接向き合うべきであり、そうしたいとの意見が出された。企業は現地に進出・投資するアウトサイダーであるのであるから、現地住民・社会の信頼を得ることが重要であり、相互の尊重が必要である。
申立てをしている住民など顕在しているステークホルダーに加え、より多くのステークホルダーに含まれるのではないかという意見が出た。住民からの意見・要望の内容をより理解する必要があり、なかでも子どもなど声をあげることの難しいステークホルダーへの配慮が必要になる。同時に、すべてのステークホルダーと意味のあるエンゲージメントをすることの難しさも指摘された。それでも可能なかぎりのエンゲージメントが求められている。
住民側にすれば、どのような事業なのか知らされていないため、企業からの情報公開が不可欠である。企業にとってどこまでを公開するかは課題であるが、自らの事業にかかる情報を公開せず、正確な情報が伝わらなければ、かえって企業の評判を損ねることになる。工業団地や生産工場の設立の場合、生産に伴う周辺コミュニティへの影響がある。継続的なエンゲージメント、説明が必要とされる。住民とともに市民社会組織とのエンゲージメントによってよい解決策のヒントを得られる。
日本政府と投資先政府との取決めがあったということで、企業はそこに安心してプロジェクトを進めたと考えられるが、現地の状況を自ら理解しないで進出すること自体が問題ではないかとの意見も出された。現地政府からの許認可では不十分で、ソーシャルライセンス(social license 地域社会からの信頼)を得るという考え方が必要になる。ステークホルダーと意味のあるエンゲージメントをしてこそ、事業を⾧期的に持続的に成功させるためのソーシャルライセンスが得られる。(山田 美和)
総括―本セミナーを終えて―
今回の企画は、日本企業のビジネスと人権の取り組みにおける課題の一つである「ステークホルダーエンゲージメント」に焦点をあて、ライツホルダーとの対話の機会を通じ、今後の具体的なアクションにつなげることを目的とした。指導原則が、人権デューディリジェンスのすべての過程においてステークホルダーエンゲージメントが重要であると強調しているのは、事業活動による人権リスクは多岐にわたり、影響を受けているあるいは受ける可能性のある当事者の声を聞くことなくして、実効性のある取り組みは不可能だからである。
昨年改訂された「OECD責任ある企業行動に関する多国籍企業行動指針」では、その一般方針において「意味のあるステークホルダーエンゲージメント」の実施が盛り込まれた。企業は、デューディリジェンスの一環として、行動指針が対象とする事項において、関連するステークホルダーに重大な影響を及ぼし得る活動に関して、当該ステークホルダー又はその正当な代表と意味のあるエンゲージメントを行うことが期待されている。欧州において人権デューディリジェンスが義務化される動きにあるが、法規定の如何に関わらず、「ビジネスと人権に関する国連指導原則」にもとづく人権デューディリジェンスの基本はステークホルダーエンゲージメントにある。
ジェトロによる2023年度海外進出日系企業実態調査によれば、回答した海外進出日系企業の8割超の企業がサプライチェーンにおける人権問題を重要な経営課題として認識している。これは前年比で20ポイント上昇であり、人権課題の重要性が高まっていることを示す。その一方で、人権デューディリジェンスを実施している企業は3割弱に留まる。地域別にみると、在南西アジアおよび在ASEAN日系企業では2割台にとどまっている。多くの日本企業がサプライチェーンを有するアジアにおいて、実効性のあるデューディリジェンスの実施を支援するニーズは高い。
これまでも、労使対話や地域社会とのコンサルテーションを通じて、企業はステークホルダーの声を聞く機会はあった。しかし、人権デューディリジェンスは、バリューチェーン全体に対する国際人権規範に即した事業活動の責任を対象とすることから、これまでとは異なる視点が求められる。今回のセミナーにパネリストとして登壇し声を届けてくれたライツホルダーは、それぞれが日々、現場で深刻な人権リスクに直面している。その経験を聞くことは人権リスクに対する理解を深め、実質的な行動により是正・救済を実現するために極めて重要である。エンゲージメントにおいては、企業とステークホルダーの双方が誠意をもって行動することが期待される。これは、企業が自らの活動によって関連するステークホルダーの利害がどのように影響を受けるかを理解しようとする真摯な意図をもって臨むことを意味する。本セミナーは日本企業がライツホルダー、ステークホルダーとの意味のあるエンゲージメントを進める確実な一歩となった。
アジア太平洋地域における日本の役割は大きい。本セミナーは志を同じくするバンコクで働く日本人の国連機関の専門家たちとともに企画した。パネリストとして登壇してくれた信頼をよせるステークホルダーの方々、熱心にディスカッションに参加くださった企業の方々、そして企画・運営にご協力頂いた関係者の方々に厚く感謝する。(山田 美和/佐藤 暁子 氏)
参加企業の方々からの声
- アジア地域に根差すローカルのステークホルダーから、企業活動が影響を与える人権リスクについて直接聞くことができた。アジアのステークホルダーと対話できる点が実践的で評価する。
- ステークホルダーエンゲージメントのポイントが多様なスピーカーから語られた。ステークホルダーエンゲージメントの重要性を再確認できた。
- グループワークを通して、他の参加者からの多様な意見を聞くことができた。ケーススタディが実務に近い内容であり、設問の設定が問題点をうまくあぶりだしていて、本質的なことを議論することができた。グループワークのモデレーションがすばらしかった。
- ケーススタディはとても難しかった。企業の担当者として社内調整や経営層への説明も頭の片隅に入れながらどのように対応するのか、グループワークを通じて多様な立場の人の考えを聞く大切さを学んだ。自分と異なる立場の考えを知り、はっとすることがあった。
- ケーススタディが現場での実際の事象を想像するのによくできており、啓発活動・教育に役立つ。公開して頂けると有難い。
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