月間ブラジル・レポート(2010年1月):自然災害と政治

月間ブラジル・レポート

ブラジル

地域研究センター 近田 亮平

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経済
貿易収支:

1月の貿易収支は、輸出額がUS$113.05億(前月比▲21.8%、前年同月比15.6%増)、輸入額がUS$114.71億(同▲6.6%、11.3%増)となった。輸出額が輸入額を下回ったため、世界金融危機の影響を最も受けた昨年1月(▲US$5.29億)と同様、貿易収支は▲US$1.66億(同▲107.6%、68.6%増)の赤字を記録した。

輸出に関しては、一次産品がUS$40.75億(1日平均額の前月比▲5.2%)、半製品がUS$17.17億(同▲5.2%)、完成品がUS$51.98億(同▲23.1%)であった。主要品目の中で、1日平均額の前年同月比では燃料油(687.6%増、US$3.27億)や炭化水素(359.1%増、US$0.89億)の増加率、アルミニウム(▲73.5%、US$0.33億)や鋳造鉄(▲72.5%、US$0.48億)の減少率が顕著であった。また輸出額では、原油(US$10.15億、同228.2%増)と鉄鉱石(US$9.62億、同▲1.9%)の両一次産品、および半製品の粗糖(US$5.38億、同34.4%増)が今月も大きかった。主要先進国などの景気回復が緩やかなため貿易環境は依然厳しいが、最近の輸出はブラジルで近年開発が進んでいる石油の関連品により下支えされている。なお主要輸出先は、1位が米国(US$13.69億、同22.8%増)、2位が中国(US$11.27億、同60.3%増)、3位がアルゼンチン(US$9.73億、同58.9%増)、4位がオランダ(US$6.63億)、5位がドイツ(US$4.74億)であった。

一方の輸入は、資本財がUS$25.66億(1日平均額の前月比2.3%増)、原料・中間財がUS$56.39億(同14.3%増)、非耐久消費財がUS$8.04億(同▲8.1%)、耐久消費財がUS$11.47億(同▲4.4%)、原油・燃料がUS$13.15億(同▲20.5%)の取引額となった。主要品目の中で、1日平均額の前年同月比では乗用車(83.4%増、US$5.18億)や家庭用機器(71.1%増、US$2.11億)の増加率、運輸交通機器(▲14.5%、US$2.79億)の減少率が顕著であった。また輸入額では、化学薬品(US$15.92億、同13.4%増)や鉱物品(US$11.79億、同34.4%増)が引き続き大きかった。なお主要輸入元は、1位が米国(US$16.91億、同▲12.0%)、2位が中国(US$16.06億、同25.1%増)、3位がアルゼンチン(US$9.33億、同61.1%増)、4位がドイツ(US$8.38億)、5位が韓国(US$5.21億)であった。

物価:

発表された12月のIPCA(広範囲消費者物価指数)は、食料品価格が0.24%(前月比▲0.34%p、前年同月比▲0.12%p)、非食料品価格が0.41%(同0.05%p増、0.15%p増)で、全体では0.37%(同▲0.04%p、0.09%p増)と落ち着いた数値となった。この結果、2009年通年は4.31%(前年比▲1.59%p)となり、政府目標4.5%(上下幅2%p)の中心値を僅かに下回る目標範囲内に収まることとなった。世界的に食料価格が高騰した2008年と比べ、食料品価格が3.18%(同▲7.93%p)と安定していた影響が大きく、また、非食料品も4.65%(同0.19%p増)とほぼ同じ水準の価格上昇にとどまった(グラフ1)。

12月に関して、食料品では前月高騰したジャガイモ(11月:26.06%→12月:▲10.85%)やタマネギ(同11.43%→▲7.31%)をはじめ、多くの主要食料品の価格が下落した。また非食料品では、クリスマスなどの旅行や帰省シーズンとの関係もあり、前月値上がりした航空運賃(同18.03%→46.91%)がさらに高騰したため、他の項目の中でも運輸・交通費(同0.61%→0.78%)の上昇が顕著となった。

グラフ1 2009年の物価(IPCA)の推移

グラフ1 2009年の物価(IPCA)の推移
(出所)IBGE
金利:

2010年初めて開かれたCopom(通貨政策委員会)は27日、政策金利のSelic(短期金利誘導目標)を現行の8.75%で据え置くことを全会一致で決定した。Selicは2009年7月22日以降8.75%が維持されており、今回で4回連続の据え置きとなった。市場関係者の大半が今回の据え置きを予測していたため市場へのインパクトは特になかったが、今後の経済成長やそれに伴う物価上昇との兼ね合いから、2010年のSelicは11%前半まで引き上げられるとの見方が多く見られている。

為替市場:

1月のドル・レアル為替相場は、月の前半までは過去3ヶ月ほど続いてきたUS$=R$1.7前半でもみ合う展開となった。しかし、月の半ばからドル高レアル安の傾向が強まり、22日に昨年9月25日以来のUS$1=R$1.8台へ突入し、月末の29日には月内ドル最高値となるUS$=1.8748(売値)を記録し1月の取引を終えた。今月ドルが買われた要因としては、米国をはじめとする世界経済の景気回復に対し懐疑的な見方が強まったことに加え、中国政府が自国経済の加熱防止策を実施したこともあり、新興国通貨などよりも相対的にリスクの低い米国ドルを選好する動きが強まったことが挙げられる。なおブラジルのカントリー・リスクは月の前半は低下傾向にあり、1月10日には2008年6月17日以来の187pを記録したが、その後は上昇に転じ、月末には約3ヶ月ぶりのレベルとなる233pまで上昇した(グラフ2)。

グラフ2 カントリー・リスクの推移:2009年以降

グラフ2 カントリー・リスクの推移:2009年以降
(出所)J.P.Morgan
株式市場:

1月のブラジルの株式相場(Bovespa指数)は先月末に続伸した流れを引き継ぎ、取引初日の4日に2008年6月5日以来となる70,000pを突破して取引が開始され、6日には70,729pの月内最高値を記録した。しかし、月の半ばにもみ合った後は一転して続落する展開となり、27日には65,070pまで値を下げ、月末は65,402pで今月の取引を終了した。なお月末株価の前月末比は、昨年6月(▲3.26%)以来のマイナスとなる▲4.65%を記録した。1月の株価下落については、経済の加熱を懸念する中国政府が金融引き締め策を打ち出したこと、米国のObama大統領が大手金融機関に対する規制の厳格化を発表したこと、ブラジルの主要輸出品である原油や鉱物の国際価格が下落したこと、などがその要因として挙げられる。またそして、これらに誘発されるかたちで世界経済の先行きに対する楽観的見方が後退し、バブル懸念もあるリスクのより高い株式市場から資金をシフトさせる動きが強まった結果だと考えられる。

政府財政:

2008年後半以降の世界的な金融危機と同時不況に対処すべく、政府は耐久消費財や建築資材の暫定的な減税や融資枠の増大など、大規模な財政出動を要する景気対策を実施してきた。このような政府の積極的な施策により、ブラジルは世界の中でも相対的に早く不況から脱することができたといえる。しかし、官製需要に依存した景気回復は税収が減少する中での歳出増となるため、公的債務額の増加(純公的債務額のGDP比:2008年11月36.29%→2009年10月43.56%)やプライマリー・サープラス(利払い費を除く財政収支黒字)の減少をもたらし、政府の財政状況は悪化することとなった。

政府はこのような厳しい財政状況において法律(LDO)で定められた財政目標を達成するため、大規模経済政策PACの費用を初めて財政計算から除外したり、公社間で資金を移動させたりするなどの財政操作を行った。この結果、2009年末のプライマリー・サープラスのGDP比は2.06%であったが、同0.44%に相当するR$139億もの財政黒字が人工的に創出されたため、近年の中でより厳しい数値となったが、両者を合算することで政府は目標値の2.5%を何とか“達成”することに成功した(グラフ3および4)。なお、国内外の経済状況は今後好転して行くとの見通しから、2010年の財政目標は3.3%に設定され、景気対策として導入された耐久消費財への暫定的減税措置も1月末で終了した。ただし2009年に関して、目標値が当初の3.8%から2.5%へと途中で変更され、さらに今回のようにPACの除外も可能になったことから、2010年の目標値も、今後の経済状況の変化に応じて変更される可能性があると考えられよう。

なお、このような財政操作などに見られる政府のプレゼンスの高まりや、最近のブラジルの経済・政治・社会動向については、石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の雑誌に掲載された拙稿(下記サイトからダウン・ロードが可能)を参照されたし( http://oilgas-info.jogmec.go.jp/report_pdf.pl?pdf=201001_043a%2epdf&id=3491 )。

グラフ3 政府財政(月末)の推移:2008年以降

グラフ3 政府財政(月末)の推移:2008年以降
(出所)ブラジル中央銀行
(注)左軸が公的部門のプライマリー・サープラスの実額で、右軸は対GDP比割合。数値は連邦政府、地方政府(州・市)、公社(ペトロブラスを除く)の合計。
なお支出必要額であるため、数値のマイナス(上部)は黒字、プラス(下部)は赤字を意味する。グラフ4も同様。

グラフ4 政府財政(年末)の推移:2000年以降

グラフ4 政府財政(年末)の推移:2000年以降
(注)ブラジル中央銀行
政治
ハイチ大震災:

1月12日に発生したハイチの大地震は、2月初めの時点で死者数が20万人以上に達し、国家崩壊ともいえる大惨事となった。被災地には世界中の国や地域から多くの救済や復興のための支援が送られ、1月後半に開催された世界経済フォーラムや世界社会フォーラムでも、ハイチ大震災とその復興への取組みが主な議題となった。ただ日本ではあまり報道されていないが、ブラジルは今回の大震災だけでなく、それ以前からもハイチに対し積極的な関与を行っており、植民地時代の宗主国フランスや20世紀前半の占領国米国とともに、特に近年同国とは関係深い国の一つになっている。

ハイチは1804年にラテンアメリカで最も早く独立した国である。しかしその後、独裁政権や軍事クーデタなどによる政治的混乱が長く続き、21世紀に入った現在でも政治の不安定だけでなく、社会秩序の欠如や経済的な貧困状況が同国を特徴づける要素となっている。そして2004年に国内で武力衝突が激化したことから、国連が米国軍を主力とする多国籍暫定軍を送り事態の鎮静化に乗り出した。その後、現地の治安回復などを目的とした国際連合ハイチ安定化ミッションが結成されたが、その指揮および主力を史上初めてブラジル軍が担うことになった。国連によるハイチの平和構築にブラジルが積極的に関わった主な理由としては、ブラジルが国連の常任理事国入りを望んでおり、その支持獲得との関連で、ラテンアメリカだけでなく米国やフランスとも関係の深いハイチへの支援が有効だったことが挙げられる。また米国などにとっても、近年国際的なプレゼンスや信用を増してきたブラジルであれば、ハイチでの国連活動の責務を委任することに特段の懸念を抱かずに済み、且つそうすることで自らの負担を軽減できるという思惑があったと考えられる。

このようなブラジルや関係諸国の政治利害から、大震災の発生時、現地には国連に従事する多くのブラジル人軍関係者が駐在していた。また、ハイチでは貧困削減に取り組むNGOなどの活動が活発で、同じラテンアメリカに属するブラジルからも多くの参加者が滞在していた。そのため、今回の大地震におけるブラジル人の被災者数は多く、1月21日時点の死者数は、第2次世界大戦に次ぐ数となった18人の軍関係者だけでなく、国連現地事務所のLuiz Costa副代表や、ノーベル平和賞候補にもなり“ブラジルのマザーテレサ”と呼ばれたZilda Arns医師などの民間人を含め、その総数は22人に上っている。

ハイチに関しては政治的意図だけでなく、ブラジルは大地震で世界各国の中でも相対的に多くの損害を被ったことから、主要関係諸国とともに現地の救済や復興支援を積極的に行っている。政府はハイチに対して約US$2,000万もの資金援助を行うと発表し、人的にも900人をさらに現地へ派遣するとともに1,300人までの増派を可能にする法案を既に可決している。また現地での活動に関しては、特に米国と外交ルートを通じて頻繁に連絡を取り合い、近隣諸国への配慮から治安回復はブラジル軍、救援活動は米国軍を中心に行うなど、両国の役割分担を明確化させた取り組みが試みられた。

最近のブラジルと米国の関係は、米国によるコロンビア国内の基地利用、ホンジュラス軍事クーデタへの対応の相違、ブラジルによるイラン大統領との首脳会談などにより、政治的に必ずしも良好だったとは言いがたい。しかし、今回のハイチ大震災の支援活動において、ブラジルと米国には共同作業を要する場面が多くあり、このことが両国関係の緊密化をもたらす結果となった。両国間にある既存の他の諸問題が解決または改善されたわけではなく、ハイチを取り巻く政治的利害関係は非常に複雑であるが、今回の自然大災害によりブラジルと米国の関係に新たな局面が生じたといえよう。

社会
大雨災害:

ブラジルでは昨年12月後半から1月にかけ、リオデジャネイロ(以下、リオ)とサンパウロの沿岸部や大都市圏を中心とした地域が連日の大雨に見舞われた。この大雨により同地域では、大規模な洪水や浸水、崖崩れによる家屋倒壊や道路の寸断、交通機関の混乱、電気やライフ・ラインの断絶などが発生し、リオ州で50人以上、サンパウロ州で60人以上の死者が出る惨事となった。

リオで被害がより深刻だった地域に、海に面する入り組んだ地形や島々で有名なリゾート地Angra dos Reis周辺があるが、同地域では近年急速に観光開発が進んでいることもあり、基準に合致しない宿泊施設などが災害リスクの高い場所に無許可または違法に建設され、このことが多くの死傷者を出す一要因になったとされる。またリオの都市部では、丘の急勾配に形成されたファヴェーラで土砂崩れなどによる被害が深刻だったため、オリンピックなどの大規模イベント開催との関連からも、主に貧困層の住宅環境の改善や都市インフラ整備を早急に進める必要性が指摘された。またサンパウロに関しては、特に1月に入ってから大都市圏の周辺地域が断続的な大雨に見舞われ、サンパウロ市では1月の累積降雨量が1947年に次ぐ史上2番目(480.5mm)を記録した。この長期にわたる大雨は、多くの住宅だけでなく歴史的な建造物(São Luís do Paraitinga)などの倒壊、度重なる交通網の麻痺などによる経済活動への悪影響、さらには農作物への打撃など、多大な損害を引き起こすこととなった。

このような自然災害に見舞われたサンパウロに関して、大統領選挙の与党PT(労働者党)候補Rousseff文民官は、被害の拡大は行政側に責任があると野党PSDB(ブラジル社会民主党)候補のSerraサンパウロ州知事を批難した。また同時に、PT政権が推進するPACにより大規模インフラを整備することで、今回のような災害リスクの軽減が可能になるとの主張を展開した。これに対しSerra知事は表立った反論を避ける一方、大雨の被災地を含む16都市を1月中に訪問しており、この訪問都市数は通常平均の3倍に上った。大統領選挙への関心が高まる中、自然災害を機に自らの支持基盤の強化や拡大につなげたいという政治的な狙いが、両候補のイメージに相応したかたちで表出されたともいえよう。