論考:西欧近代とアフリカ ――非国家主体への武器移転規制の事例から――
アフリカレポート
No.55
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049710
要約
1990年代以降、アフリカなどでの武力紛争や組織犯罪、テロ行為等に関与する非国家主体への武器移転が問題視され、規制方法が検討され、国際的な合意が形成された。こうした国際的な政策論議に関しては、「西欧近代の制度や価値観」を導入して解決を試みる発想が支配的だとの指摘もみられる。しかし、近代主権国家システム形成から現在まで、非国家主体への武器移転規制をめぐる問題認識や規制方法は極めて流動的に変遷しており、現在はこの問題に関する「西欧近代の制度や価値観」が特定困難な状況にある。本稿は、非国家主体への武器移転規制をめぐる問題認識や規制方法の歴史を概説し、それらの変遷がこの間の国家主権認識の変容を反映していることを論じる。そして、この分野において、独立後アフリカ諸国が国際社会における主流の制度や価値観の形成に関与し、さらには現代国際社会における規範の多元化の一要因になっていることを明らかにする。
キーワード : 武器移転 非国家主体 国家主権 アフリカ潜在力 武力紛争
はじめに
1990年代以降の紛争予防や平和構築に関わる国際的な政策論議においては、国家が自国の人々を保護する能力や意思が懐疑され、国家間の武器貿易の規制が試みられた。同時に、アフリカなどでの武力紛争や組織犯罪、テロ行為等に関与する非国家主体(non-state actor: NSA)に対する武器移転への懸念が高まり、規制方法が検討された。
近年の日本のアフリカ研究において、こうした国際的な政策論議については、アフリカの外的存在と位置付けられる「国際社会」が、アフリカに「普遍的で正しい西欧近代の制度や価値観」を導入することにより問題解決を試みてきたものと捉えられる[太田 2016]。それでは、対NSA武器移転規制の分野においても、「国際社会」がアフリカに「普遍的で正しい西欧近代の制度や価値観」の導入を試みてきたのだろうか?
本稿は、まず、対NSA武器移転に関する西欧主権国家システム形成以降の問題認識や規制方法の歴史を辿り、次に、とりわけ1990年代以降の合意文書において対NSA武器移転問題がいかに扱われたのかを詳説する。この作業を通じて、本稿は、対NSA武器移転に関して国際社会の主流となった見方や制度が、歴史的に極めて流動的かつ頻繁に変容しており、その変容には国家主権認識の変化が反映されているとともに、近年では「普遍的に正しい」と見做されている制度や価値観を特定することが困難であることを示す。また、本稿は、独立後のアフリカ諸国が、それまでの「西欧近代の制度や価値観」のうち特定の要素を切り出して主張することにより、国際社会における主流の制度や価値観の形成に関与してきたことを指摘する。そして、1990年代以降の国際社会において、アフリカ諸国が対NSA武器移転に関して独自の立場を堅持し続けたことを示し、これが現在の国際社会における規範の多元化ないし断片化の一要因になっていることを論じる。
なお、本稿に示す事実関係のうち、出典を明示していない箇所は、筆者が研究者や非政府組織(non-governmental organization: NGO)関係者として政策論議に関与した際の情報に基づく。ただし、本稿の見解は筆者個人にのみ属す。また、冷戦期以前にNSAという用語は必ずしも使用されず、現在もNSAの定義の詳細は論争されているが[Holtom 2012, 9-10]、本稿では各時代に「国家」と見做されたアクター以外の主体をNSAと呼ぶ。
1.主権国家形成期から戦間期まで
国際的な政策論議において対NSA武器移転問題が取り扱われることは、1990年代以降の新しい現象ではない。国家以外の主体に対する武器移転の問題は、主権国家システムが形成されて以降、しばしば国際的な政策論議の対象となってきた。
まず、主権国家システム形成から戦間期までの議論を俯瞰すると、対NSA武器移転問題は、主権的平等性を承認されえない(と見做された)人々への武器移転問題として括られる傾向を指摘できる。この見方は、例えば、1814年にイギリスとスペインが合意した友好同盟条約1にあらわれている。スペイン領アメリカの独立運動を背景に合意されたこの条約には、「当該地域に広がる動乱を完全に終わらせ、臣民が正当な主権者に再び服従するように」すべく、イギリス国民によるスペイン領アメリカ独立運動への武器移転を防ぐために、イギリス政府が最も効果的な措置を講じる旨が記された。また、現在の南アフリカに移住したボーア人とイギリスが1852年に合意したサンドリバー協定2は、ボーア人によるトランスヴァール共和国の独立と主権を認めた一方で、その支配下に置かれる「原住民」(native tribes)への武器移転を禁止した。さらに、1890年に列強諸国が合意した「アフリカの奴隷貿易に関するブリュッセル会議一般協定」(以下、ブリュッセル協定)3には、同様の見方が19世紀末の帝国主義的思考と結びつく形で尖鋭にあらわれた。
ブリュッセル協定は、アフリカの大部分の地域への銃器と弾薬の移転を原則禁止した。当時の列強諸国では、アフリカの人々は自律した理性的な人間ではなく、国家を形成し運営する能力を十分に持たず、奴隷狩りを行い、悪しき奴隷貿易に加担していると論じられる傾向がみられた[Berlioux 1872, 76; Clarke 1889, 250-254]。そして、彼らへの武器移転を禁じ、「文明国」がアフリカの人々を効果的に保護することで、奴隷貿易を根絶し、アフリカの人々に「文明の恩恵」を与えることが提唱された[Bain 2003, 68; Louis 1966]。
こうした議論を背景に形成されたブリュッセル協定においては、アフリカの人々への武器移転が原則禁止された一方で、列強諸国のアフリカ進出と統治のための武器移転は禁止されず、アフリカに持ち込んだ武器を公営倉庫で保管することなどが記された。さらに、当時の「文明国」では、「自立した理性的な人間」が形成する主権国家が最高の意思に基づいて行う戦争は正当であり戦時国際法の許容する範囲で武力行使を行うことができるとする無差別戦争観が浸透しており[Joyner 2005, 163]、自由放任主義的な市場観も共有されていた[クラウス 2017]。それゆえ、自国軍の武器供給を確保する必要性が生じたり、自国の武器輸出先の国と戦争が発生するなどした場合を除き、政府が「文明国」間の武器移転に厳格な規制を課すことは稀であった[Krause and MacDonald 1993, 711-712]。
その後、第一次世界大戦後の戦間期には、新たに独立した小国の参加のもとで、ブリュッセル協定を修正する形で条約交渉が行われ、1919年に「武器と弾薬の貿易規制のための条約」(以下、1919年条約)4が、1925年に「武器、弾薬、及び装備品の国際貿易の監督に関する条約(以下、1925年条約)5が、それぞれ採択された。そして、両条約では、ブリュッセル協定の武器移転禁止地域よりも広範な地域が移転禁止対象になった。これらの条約は発効に至らないなどして死文化したが、以下に述べるように、交渉過程の議論や条約文言には、当時の国家以外の主体への武器移転に関する認識が表出している。
まず、ブリュッセル協定の交渉時と同様に、この時期に交渉を主導した列強諸国は、主権的平等性を承認されえない「野蛮ないし半文明の人々」への武器移転を阻止すべきだと訴えた[Stone 2000, 218]。この問題認識は、とりわけ、当時の国際社会において国家としての位置付けが不安定であったイランの扱われ方に表出した。1910年代にイギリスやロシアによる占領や侵攻を受けていたイランは、1919年条約の交渉に「文明国」として参加していなかった。そして、1919年条約の移転禁止地域には、イランの領土及びペルシア湾が含められた。その後、1921年にイランで発足したハーン政権は主権を維持し近代化・文明化を進め、「文明国」として1925年条約の交渉に参加した。
この条約交渉において、イランは、同国領土とペルシア湾が移転禁止地域にされることは、国際連盟加盟国の主権の原則に対する侵害であるとともに、国際連盟加盟国の政治的独立の尊重を記した国際連盟規約第10条に対する違反であり、主権国家たる同国として許容できるものではないと訴えた6。そして、交渉過程でイラン領土は禁止地域から外れた7。しかし、イギリスがペルシア湾への武器移転禁止を主張して譲らず8、これに反発したイランは交渉から離脱した9。ただし、イギリスはイランへの武器移転が問題だとは論じず、あくまでペルシア湾周辺の野蛮な人々への武器流入を防ぐために必要な措置であると訴えた10。この主張にも、「文明国」への武器移転は問題ではなく、「文明の基準」を満たさない「野蛮」な人々への移転が問題であるとの論理がみられる。
以上のように、戦間期までの諸条約には、主権的平等性を承認されえない人々への武器移転を禁止すべしとの見方が反映されている。ただし、ブリュッセル協定が「文明国」間の武器移転を規制しなかったのに対して、戦間期には「文明国」間の移転を政府の許可制度の下に置くことが検討された。この時期の列強諸国では、先述の無差別戦争観への疑問が生じ、防衛産業を「死の商人」と見做して批判する声も高まり[Cortright 2008, 62-63, 98-100]、政府が「文明国」間の武器移転を規制することへの支持が高まった。しかし、イラン、エルサルバドル、ギリシャ、スウェーデン、中国、トルコ、ブラジルなどの国々は、「文明国」間の武器移転の規制は、小国が軍備を整える能力を削ぎ、小国を大国による事実上の管理下に置くことを可能にする差別的な制度であり、国家主権に対する侵害だと反発した11。最終的に、列強諸国は「文明国」間の移転規制を1919年条約と1925年条約に入れ込んだが、これは条約の批准が進まず死文化する一因になった。
2.冷戦期:消極的主権の時代へ
次に、冷戦期をみてみよう。対NSA武器移転に関するこの時期の支配的な見方を代表するものとしては、ニカラグア事件に関する国際司法裁判所(International Court of Justice: ICJ)による1986年の本案判決が挙げられる[ICJ 1986]。この判決は、武力行使禁止原則や内政不干渉原則は国際慣習法を形成しており、他国の反政府集団への武器供与は一般的に武力による威嚇又は武力の行使や内政不干渉原則への違反に相当しうるとした。そして、アメリカによるコントラ(ニカラグア国内の反政府武装集団)への武器供与は、ニカラグアに対する武力による威嚇又は武力の行使であり、内政不干渉原則への違反だとした。
この頃までには、文明的で政府に統治能力があるか否かにかかわらず主権平等や内政不干渉の原則を尊重すべきとの見方が、国際社会において広く共有されるようになった。ジャクソン(Robert Jackson)が論じるように、この時期には、国際社会のルールが、政府の統治能力といった「文明の基準」を満たすという意味での「積極的主権」に基づくゲームから、外部からの干渉を受けないという意味での法的な「消極的主権」に基づくゲームへと変容した[Jackson 1998, 25-29]。そして、「文明の基準」の充足如何を国家性の要件と捉える見方は正当化されなくなり、無条件の民族自決の権利に基づき独立を遂げた国々は平等な主権国家と見做されるようになった。
「消極的主権」のゲームの論理は、国家間の武器移転に関する政策論議にも表出した。1960年代から1970年代の国連において、西側諸国は武器移転の輸出入情報を記録し登録する国際的な制度の形成を視野に入れた国連総会決議案を幾度となく提案したが[SIPRI 1971, 100-108]、概して「南」の国々が「消極的主権」に基づくゲームの論理を強調し、決議採択を阻んだのである 。アフリカ、アジア、中東地域などの多くの非同盟諸国は、西側諸国の提案について、植民地人民の独立の権利や武器輸入国の自衛権を侵害し、武器を輸入に頼る国々の安全保障を脅かす差別的な発想であり、「北」による「南」への内政干渉につながりかねず、主権平等や内政不干渉の原則に反すると批判して、数の力を利用して国連総会での決議採択を阻止した[Krause 1993, 1030; Muni 1988]。また、西側諸国は、「南」の経済・社会開発に軍備増強が与える悪影響を問題視したり、軍事予算を削減し経済発展のために予算を振り向けるべきであると論じたが、これに対しても多くの非同盟諸国は、先進国による軍縮(とりわけ大国による核軍縮)に重点を置くべきだと論じ、「南」の国々の軍備や軍事支出に議論が波及することを防ごうとした[Ball 1993; Buo 1993]。
もちろん、東西両陣営は、脱植民地運動や宗主国から独立後の国々の反政府集団に武器を供与するなどした[Smith 2008, 46]。宗主国から独立した「南」の国々は、東西両陣営による反政府集団への武器供与を内政不干渉原則への違反だと批判したが、自らが近隣諸国の反政府集団に武器を供与することもあった[Garcia 2009]。しかし、冷戦期に対NSA武器移転を問題視する際の認識枠組みは、それ以前のものとは大きく変容した。つまり、この時代には、全ての人民は「文明の基準」の充足如何にかかわらず自決の権利を有し、主権平等や内政不干渉原則は、政府の統治能力の有無や程度にかかわらず全ての国家に対して尊重されるべきものになった。そして、軍備管理・軍縮の政策論議全般を通じて、独立後のアフリカ諸国をはじめとする「南」の国々も、この論理を支持し強調することにより、自国の軍備増強を正当化し、自国の軍備や軍事支出の問題への干渉を防ぎ、NSAへの武器移転を批判した。ICJの本案判決における対NSA武器移転に関する記述は、当時の国際社会において支配的な国家性認識を反映していたといえよう。
3.1990年代以降:3つのアプローチ
対NSA武器移転に関する国際的な政策論議は1990年代以降も続いたが、そのなかで提起された問題認識や規制手法は急速に移り変わり、かついずれの問題認識・規制手法に対しても、国際的なコンセンサスを得ることが困難になった。
まず、1990年代から2000年代前半には、国家対国家の形をとらない武力紛争や、組織犯罪、テロ行為などを問題視し、輸入国政府の許可なくNSAに武器を移転することを包括禁止(blanket ban)すべしとの主張が強まった[Smith 2008, 45-7]。そして、カナダや欧州諸国などは、移転先政府の許可なくNSAに武器を移転する行為の包括禁止を推進した[Canada 1998; Holtom 2012, 7]。また、実際にNSAによる反政府活動やテロ行為、組織犯罪などの問題に直面していたアジアやアフリカ、中東などの地域では、非国家の集団や個人が通常兵器を濫用することこそが問題であると主張したり、移転先の政府の許可なくNSAに武器を移転することは内政干渉にあたると訴えるなどして、同様の包括禁止を強く支持する国が多くみられた13。
ただし、1990年代以降の武力紛争に関する政策論議においては、NSAだけでなく国家(とりわけ「南」の国家)についても、平時の人権侵害や紛争時の残虐行為が問題視され、その暴力の正当性が懐疑され、国家が人間の安全や人権を守る意思や能力が疑問視された[Collier 2009; Kaldor 1999]。そして、輸入国の政府軍や警察への武器移転についても、人権侵害や国際人道法の違反などに使用されるリスクが高い場合には移転を許可すべきではないと論じられ、輸出国による移転可否審査の際に適用される共通基準(criteria)――人権侵害や国際人道法の重大な違反等に使用されるリスクが著しい場合には自国からの武器移転を許可しない、など――に合意する方法が検討された。この方法を採用した合意は、国連安保理常任理事国5か国の交渉、欧州理事会、欧州連合(European Union: EU)、欧州安全保障協力機構(Organization for Security and Co-operation in Europe: OSCE)、国連軍縮委員会、ワッセナー・アレンジメントなどで次々に形成された14 。2013年に採択された武器貿易条約(Arms Trade Treaty: ATT)にも、類似の共通基準が盛り込まれた15 。
さらに、1990年代後半以降は、国連等の場で「保護する責任」論が興隆した[望月 2012]。そして、国家が自国の人々を保護する責任を果たす意思や能力が疑問視され、政府軍や警察への武器移転のリスクを審査する共通基準の形成が進んだと同時に、2000年代の「北」の政府、国際機関、NGO、研究者等の議論のなかでは、輸入国政府の許可なくNSAに対して武器を移転することが正当化される「ハード・ケース」(hard cases)もありうるとの論もみられた[Biting the Bullet Project 2006]。つまり、国家による大規模な抑圧やジェノサイドの対象になっている集団が、それに抵抗し自集団の人々を保護すべく武器を入手しようとしており、その武器を適切な抑制をもって正当に使用する意思と能力があり、適切に保管して流出を防ぐ意思と能力もあり、かつその集団の目的が達成される「成功の見込み」が高い場合などには、例外的に武器移転が正当化されるのではないかと論じられた[Holtom 2012, 13-4; Stavrianakis, Xinyu and Binxin 2013]。
以上のように、2000年代前半までは、移転先の政府の許可なくNSAに対して武器を輸出することを包括禁止するアプローチ(以下、ブランケット・バン・アプローチ)が支持を集めたが、2000年代には、移転先の政府の許可がなくても例外的に対NSA武器移転を許可してよい条件を厳格に定めるアプローチ(以下、ハード・ケース・アプローチ)も一定の支持を得て、議論は収束しなかった。そして、後述のように、2010年代のATT交渉を通じては、移転先が政府軍や警察でもNSAでも、国際人道法の違反に使用されるリスクが高い場合には移転を許可しないといった共通基準に基づいて一律に審査するアプローチ(以下、クライテリア・アプローチ)が登場していくことになる。
4.1990年代以降の国際合意文書の分析
以上のように、1990年代以降の国際的な政策論議では、対NSA武器移転に関して複数の規制アプローチが提案された。それでは、同時期に形成された各国際合意文書には、最終的にいかなる文言が記され、それは各文書でどのアプローチが採られたことを意味するのか?以下では、紙幅の都合に鑑みて合意名を適宜略しつつ、各合意の内容を分析する。
まず、対象集団・対象兵器が比較的限定された合意には、明確な移転禁止が記された。代表的なものとしては、国連憲章第7章第41条に基づき、特定国の全域あるいは一部に対して、もしくは特定領域の非国家の個人・集団に対して武器の禁輸措置を講じる国連安全保障理事会決議が挙げられる16。対象領域を限定せず特定のNSA(例えばアル・カイーダ)に関与する者への武器移転を禁じたり、NSAへの大量破壊兵器の移転を全般的に禁じたりするタイプの国連安全保障理事会決議も存在する17。EUやOSCEでも、特定国全域あるいは特定のNSAに対する武器禁輸措置が合意されている。2000年代には、携帯式地対空ミサイルを輸入国の許可なくNSAに移転することを禁じる政治的合意も数多く採択された18。これらの対象集団・対象兵器が比較的限定された合意は、特定のNSAや、特定の兵器がNSAに移転されることへの懸念に基づいており、必ずしも対NSA武器移転全般の是非を問う議論に依拠していない。ただし、これらの合意は、冷戦終結後にNSAによる武器の使用がもたらす帰結への懸念が強まるなかで形成されたともいえる。
武器やアクターの範囲がより広い合意としては、まず、1998年と2002年にEUで合意された「共通行動」には、輸出国が政府に対してのみ小型武器・軽兵器を供給することに対するコミットメントを関連の国際的なフォーラムや適切な地域的な場で実現すべくコンセンサス形成を目指す旨が盛り込まれた19。2000年にアフリカ統一機構(Organization of African Unity: OAU)で合意された「バマコ宣言」にも、小型武器の貿易は政府および許可を受け登録された貿易業者に限定すべきことを国際社会とりわけ武器供給国に強く呼びかける旨が盛り込まれた20。これらの合意は、合意参加国が対NSA武器移転の禁止に合意した文書ではないが、ブランケット・バン・アプローチを提唱した文書といえる。
次に、1997年の米州条約や、2004年の東・中部アフリカ諸国による「ナイロビ議定書」では、NSAに対する移転か否かにかかわらず輸出許可の際に輸入国の許可が得られるよう確保することが合意された21。2000年にはOSCEでも類似する内容の政治的合意文書が採択された22。これらの文書には、対NSA武器移転を明示的に禁ずる文言は含まれていないものの、事実上のブランケット・バン・アプローチが示されたものと解釈できる。
また、アフリカでは、対NSA武器移転禁止を盛り込んだ法的拘束力のある合意が形成された。例えば、2006年の西アフリカ諸国経済共同体(Economic Community of West African States: ECOWAS)条約と、2010年の中部アフリカ諸国条約は、対NSA武器移転を明示的に禁止しており、極めて明確にブランケット・バン・アプローチを採用している23。
これに対して、2001年の銃器議定書の交渉においては、アフリカ諸国とアメリカの間で議論が紛糾した。アフリカ諸国は、輸入国の許可なくNSAに武器を移転する行為を禁止すべきだと主張したが、この主張に対してアメリカが強硬に反対し、議定書の文言は曖昧になった24。つまり、議定書の第10条第2項は、輸入国の輸入許可なく輸出許可を発行することを禁じたが、第4条第2項により、各締約国の裁量次第で、NSAに対する武器移転の全部ないし一部を、議定書の規制の適用範囲外と見做すことが可能となった。
2001年の国連小型武器行動計画の交渉過程においても、対NSA武器移転に関する文言が争点の一つとなり、最終的に採択された行動計画には、この問題に関する記述が全く含まれなかった25。この会議においても、アフリカ諸国、イスラエル、欧州諸国、中国が、輸入国の許可がない場合の対NSA武器移転を禁止すべきだと主張した。しかし、この提案に対してアメリカが強く反対し、議論は決着しなかった。
他方で、欧米・旧共産圏諸国等で構成されるワッセナー・アレンジメントで2002年に合意されたガイドラインは、「参加国は、政府や政府により許可を受けたエージェント以外に対する小型武器・軽兵器の輸出を検討する際には、特別に注意を払う(will take especial care)」としており、これは対NSA武器移転の可能性を前提にしていると解釈できる26。
さらに、先述のように、2000年代を通じては、国際会議の場での議論や、影響力のある報告書などにおいて、欧州諸国の政府、欧米諸国に主要拠点を置く国際NGO、欧米諸国等の国際法・国際政治・安全保障研究などの研究者らのなかで、ハード・ケース・アプローチが注目された。そして、1990年代にブランケット・バン・アプローチを支持した国々のうち、欧州諸国やカナダなどは、次第に同アプローチを提唱しなくなった。ただし、2000年代半ばから2010年までは、地域の枠組みを超えて関連合意文書を交渉する機会がなかったため、対NSA武器移転をめぐる論争は、2010年に本格化したATT交渉に持ち越された。
ATT交渉において、概してアフリカ諸国やイスラエル、中国などは、それ以前と同様に、輸入国の許可なくNSAに武器を移転することを禁止すべきだと訴えた。アメリカがこの主張に反対する姿勢にも変化はなかった。ただし、1990年代から2000年代前半にかけて、輸入国の許可なくNSAに武器を移転する行為の禁止を訴えた欧州諸国には、ATT交渉においてこの問題に関する議論を避ける傾向がみられた。
ATT交渉の本格化は、いわゆる「アラブの春」の時期と重複していた。当時の欧州諸国の政府や欧米諸国に主要拠点を置く国際NGO、欧米諸国等の国際法・国際政治・安全保障研究分野の研究者、メディアによる論調においては、中東・北アフリカの国家が自国の人々の安全や人権を守る意思や能力が強く懐疑され、反政府側に武器を渡すことが正当化されうるとの見方が強まった。実際に、フランスやイギリスなど、中東・北アフリカの反政府側への武器移転を検討ないし実施する国もみられた。そうした状況で、欧州諸国は、対NSA武器移転に関してATTに盛り込むべき規定について明瞭な立場をとらなかったり、議論を避けたりする傾向がみられた。ATT推進派のNGOや研究者も、ハード・ケース・アプローチやクライテリア・アプローチを否定しない立場をとったり、明確な立場を示さなかったり、議論を避けたりする傾向がみられた。
最終的に採択されたATTには、対NSA武器移転に関する明示的文言が記されなかった一方で、第2条に記された例外を除く「すべての移転」が規制対象になった。そして、これはATTにおいてクライテリア・アプローチが採用されたことを意味した。つまり、移転先の政府による許可を受けない対NSA武器移転は禁止されず、ATTのクライテリア(国際人道法の重大な違反の遂行に使用されるリスクの程度など)に照らし合わせて、移転先が国家主体であるか否かにかかわらず全ての移転の可否を判断する形になった。
ただし、ATTの締約国は2017年7月22日現在92か国であり、非締約国も多い。例えば、非締約国のアメリカなどは、ATTではなく自国の独自の規制方針に依拠して対NSA武器移転の可否判断を行うだろう。さらに、ATTにおける事実上のクライテリア・アプローチの採用については、条約採択に棄権・反対した国だけでなく、アフリカ諸国をはじめとするATT締約国からも強い批判がみられる。ATTは、各締約国が条約規定より厳格な規制を採用することを禁止していない。したがって、ブランケット・バン・アプローチを支持するATT締約国が、自国の国内法制で対NSA武器移転を禁止することもありうる。また、例えば、ATT発効にあたり、国連人権理事会特別報告者のエマーソン(Ben Emmerson)は、ATTが対NSA武器移転を禁止しなかったことを指摘して、禁止に向けてさらなる検討が必要だと主張した[OHCHR, 2014]。こうしたことから、ATTのクライテリア・アプローチが現代の国際社会で支配的であるとは言い難い。むしろ、対NSA武器移転に関する現在の国際社会における規範は多元化しており、コスケニエミ(Martti Koskenniemi)とレイノ(Päivi Leino)が現代国際法の特徴として指摘する「国際法の断片化(fragmentation of international law)」が生じているともいえる[Koskenniemi and Leino 2002]。とりわけ、アフリカにおいては、2000年のバマコ宣言、2004年のナイロビ議定書、2006年のECOWAS条約、2010年の中央アフリカ諸国条約を通じて、全てブランケット・バン・アプローチが採用され続けており、他地域とは明確に一線を画している。
5.西欧近代とアフリカ
1990年代以降の紛争予防や平和構築等に関する国際的な政策論議に関しては、しばしばアフリカの外的存在として想像される「国際社会」が「普遍的で正しい西欧近代の制度や価値観」をアフリカに導入しようとしてきたものと捉えられる[太田 2016]。これに対して、1990年代以降に喫緊の国際的課題と見做された対NSA武器移転規制の合意形成過程やその内容、主権国家システム形成後の規制論議の歴史から明らかになるのは、「西欧近代の制度や価値観」自体の流動性や多元化・断片化、そして独立後のアフリカ諸国が国際的な規範形成およびその多元化・断片化にあたり果たした役割の大きさであろう。
まず、西欧主権国家システムの形成後に、対NSA武器移転に関する見方や制度は極めて流動的に変容しており、その変容には、「西欧近代の制度や価値観」自体――例えば、規制政策の基礎となる国家性をめぐる認識――の変化が反映されている。例えば、ハード・ケース・アプローチやクライテリア・アプローチは、いわゆるウェストファリア的主権を国家の固有の権利と捉えるのではなく、国家が人々を保護する意思や能力に要件付けられるとする見方が強まり、内政不干渉原則の優越性が侵食されるなかで形成されたともいえよう。
また、このような変容は、時として相互に相反する問題認識や制度すら生み出している。例えば、ブランケット・バン・アプローチとクライテリア・アプローチとの間には、統合した施策に落とし込むことが根本的に不可能なほどの相違がみられる。その結果として、1990年代以降の国際社会において、対NSA武器移転に関する問題認識や規制方法は多元的になり、欧米の政府・非政府のアクターのなかでも問題認識や支持するアプローチが異なる。それゆえ、近年では、何がこの分野で「普遍的で正しい」と見做される「西欧近代の制度や価値観」であるといえるのか、特定することが困難な状況にある。
そして、独立以降のアフリカ諸国を含む「南」の国々は、各時代の「西欧近代の制度や価値観」のうち特定の要素を主張したり、国際社会における主流の制度や価値観の形成・確立に貢献するなどしてきた。例えば、冷戦期には、特定の集団が文明の基準を満たしているか否かにかかわらず、全ての国家の主権が認められた。アフリカ諸国などの「南」の国々は、この新たな価値観や制度を訴えることにより、東西双方による「南」のNSAへの武器移転を批判したり、武器移転の登録・監督制度の形成を求める西側諸国の動きを抑え込んだり、自国の軍備増強を正当化するなどした。そして、「南」の国々が強く訴えた価値観やそれに基づく対処法は、当時の国際社会における規範として扱われた(その規範が個別具体的な武器移転の事例において遵守されたか否かは別として)。
1990年代以降の対NSA武器移転に関する論議においても、アフリカ諸国は、アメリカや欧州諸国等と並んで議論に深く関与し、とりわけアメリカと激しい論争を繰り返した。この時代に欧米諸国などにおいて次第に支持を集めたハード・ケース・アプローチやクライテリア・アプローチは、冷戦期の「消極的主権」に基づくゲームから、現代版の「積極的主権」に基づくゲーム(ウェストファリア的主権を国家の人々を保護する意思に要件付けられると捉える)への移行を反映するものといえる。しかし、第二次世界大戦以前とは異なり、現代のアフリカ諸国は、いわゆる国際法的主権を有し、国家として条約交渉や国連総会に参加し、近隣諸国との地域的合意を形成する主権国家である。そして、概して自国内に反政府集団などのNSAの問題を抱えていたアフリカ諸国は、主権平等や内政不干渉原則などの論理を強調し、冷戦終結直後に欧州諸国やカナダなども支持したブランケット・バン・アプローチこそが対NSA武器移転に関する国際社会のルールであるべきだと主張し、このアプローチを明瞭に盛り込んだ地域的合意を形成するなどして、「消極的主権」に基づくゲームのルールを維持しようとした。2002年に欧米・旧共産圏諸国等によるワッセナー・アレンジメントのガイドラインに盛り込まれたような、条件付きで対NSA武器移転を是認する文言が、2001年の銃器議定書や国連小型武器行動計画には盛り込まれなかった一因は、交渉に参加したアフリカ諸国などによる強硬な反対にあったともいえる。
さらに、1990年代以降のアフリカの地域的合意で採用された規制方法には、欧米諸国が提唱したり国連等での合意に盛り込まれるなどした規制方法からの乖離が見られる。たしかに、アフリカの地域的合意文書の形成過程で、欧米諸国や国際機関、国際NGO等は資金的支援を行い、合意文書の起草に際して「専門家」を提供した。しかし、それは、外部者が支持した制度が地域的合意に反映されたことを必ずしも意味しない。むしろ、アフリカの地域的合意には、同時期に欧米諸国や国際NGO等の関係者に注目ないし一定の支持を受けた見方や制度との相違が顕著にみられる。アフリカ諸国は、特定の「西欧近代の制度や価値観」を切り出して運用し、地域的合意に能動的に反映させてきたともいえよう(アフリカ諸国自身がその規定を個別具体的な武器移転の事例において遵守してきたか否かは別として)。そして、アフリカ諸国が地域的合意において明瞭にブランケット・バン・アプローチを採用し、国連等での議論において対NSA武器移転禁止を求め続けたことも一因となり、現代の国際社会における規範は多元化ないし断片化してきた。
西欧近代とアフリカとの関係を考察するにあたっては、「西欧近代的」とされる制度や価値観の変容や、現代の国際社会における規範の多元化・断片化傾向、それらを生じさせた過程における独立後アフリカ諸国の役割について、より精緻な分析が求められるだろう。
参考文献
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(えのもと・たまら/明治大学)
脚注
- Treaty of Friendship and Alliance between his Britannic Majesty and his Catholic Majesty, Ferdinand the Seventh, 5 July 1814, Article 3.
- Sand River Convention, 16 January 1852.
- General Act of the Brussels Conference Relative to the African Slave Trade, 2 July 1890.
- Convention for the Control of the Trade in Arms and Ammunition, 10 September 1919.
- Convention for the Supervision of the International Trade in Arms and Ammunition and in Implements of War, 17 June 1925.
- League of Nations Archives, R.230, 8/35071/32639.
- League of Nations Doc., A.13.1925.IX, Proceedings of the Conference for the Supervision of the International Trade in Arms and Ammunition and in Implements of War. Held at Geneva, May 4th to June 17th, 1925, p. 12.
- League of Nations Doc., A.13.1925.IX, pp. 380-381; TNA (The National Archives), ADM 1/8699/113.
- League of Nations Doc., A.13.1925.IX, pp. 12, 375-380, 401, 704, 709, 711.
- League of Nations Doc., A.13.1925.IX, pp. 399-400; TNA, ADM 1/8699/113.
- League of Nations Doc., A.13.1925.IX, pp. 178-182, 583-585.
- 先行研究では、「南」、「途上国」、「低開発国」等の表記と、それと対照される領域としての「北」、「西」、「先進国」等の表記がみられる。本稿では「南」と「北」に統一し、必ずしも固定的な地理的ラベルとしてではなく、各時代の文脈において定義付けられ想像される領域として捉える。
- こうした傾向がみられなかった国としては、パレスティナに武器を輸出していた中東のいくつかの国やイランが挙げられる[Garcia 2009, 154-157; Holtom 2012, 9]。
- 共通基準の細部は合意により異なる。これら合意の詳細は榎本[2017]を参照。
- UN Doc. A/Conf. 217/2013/L.3, Draft Decision Submitted by the President of the Final Conference, 28 March 2013; UN Doc. A/67/L.58, The Arms Trade Treaty, 2 April 2013. 条約の詳細は、榎本[2017]を参照。
- この類の決議の例はHoltom[2012, 11]を参照。
- UN Doc. S/RES/1373, Resolution 1373, 28 September 2001; UN Doc. S/RES/1540, Resolution 1540, 28 April 2004; UN Doc. S/RES/1390, Resolution 1390, 16 January 2002.
- この類の合意の例はEnomoto[2017, 13]を参照。
- 1999/34/CFSP, Joint Action of 17 December 1998; 2002/589/CFSP, Council Joint Action of 12 July 2002.
- Bamako Declaration on an African Common Position on the Illicit Proliferation, Circulation and Trafficking of Small Arms and Light Weapons, 1 December 2000.
- Inter-American Convention against the Illicit Manufacturing and Trafficking in Firearms, Ammunition, Explosives and other Related Materials, 14 November 1997; The Nairobi Protocol for the Prevention, Control and Reduction of Small Arms and Light Weapons in the Great Lakes Region and the Horn of Africa, 21 April 2004.
- FSC.DOC/1/00/Rev.1, OSCE Document on Small Arms and Light Weapons, 24 November 2000.
- ECOWAS Convention on Small Arms and Light Weapons, Their Ammunition and Other Related Materials, 14 June 2006; Central African Convention for the Control of Small Arms and Light Weapons, Their Ammunition, Parts and Components that Can be Used for Their Manufacture, Repair and Assembly, 30 April 2010.
- UN Doc. A/RES/55/255, Protocol against the Illicit Manufacturing of and Trafficking in Firearms, Their Parts and Components and Ammunition, Supplementing the United Nations Convention against Transnational Organized Crime, 31 May 2001.
- UN Doc. A/CONF.192/15, Programme of Action to Prevent, Combat and Eradicate the Illicit Trade in Small Arms and Light Weapons in All Its Aspects.
- Best Practice Guidelines for Exports of Small Arms and Light Weapons, 11-12 December 2002.
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