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アジ研図書館とわたし

開架図書館でのセレンディピティが仕事の「タネ」に

高口 康太

2026年2月

執筆テーマの「タネ」の集め方、その方法はアジア経済研究所の図書館で学んだ。

私は「中国経済、企業専門のフリーランス・ジャーナリスト」である……はずだ。と、自信がない物言いになってしまうのは別に謙虚を装っているわけではない。いわゆるフリーランス・ジャーナリストは、ほとんどが新聞や週刊誌など大手メディアの出身である。私はというと、大学院後にすぐ独立。最初から個人営業なのでかなり毛色が違う。

何が違うか。私の体感としては、新人時代のトレーニングとテーマの選び方に違いが出る。

最初から個人だった私には新入社員としてトレーニングを受ける機会はなかったのだが、「門前の小僧習わぬ経を読む」的な修行の機会となったのがアジア経済研究所でのアルバイトである。もう20年以上前になるが、大学院時代にアジ研の大原盛樹さん(当時。現・龍谷大学教授)の報告書制作をサポートする中で、中国経済や企業を研究する面白さを知り、調査手法やエクセルの使い方、図表の作り方までかじることができた。アルバイトだけですべてのスキルを学べるというほど甘い話ではないが、どういう手法があるのか、どういう論考があるのかについて大まかな知識を得られたことで、後に「何を自習すればいいか」を考える指針が得られた。

そして、テーマの選び方だ。組織に所属しているジャーナリストは自分の好みだけで担当するテーマを決められない。少なくとも新人時代は、指示されたテーマを追いかける必要があるし、部署が変われば扱う対象もがらりと変わる。

フリーランスだと好きにテーマを決められるとはいえ、売り物になる成果物を出さなければいけないという制約はある。なにか大きな事件が起きてから、追いかけ始めるのでは絶対に大手メディアには勝てない。人手も資金も信用も段違いだからだ。大手メディアが注目する前にその分野に対する土地勘を持ち、執筆テーマの「タネ」を仕込んでおかなければならない。

アイデアの「タネ」の集め方

「タネ」の入手経路はさまざまだが、そのうちの一つはアジ研図書館で身につけた。

アルバイトの休憩時間や待機時間には、いつも図書館をぶらぶらしていた。アジ研図書館の売りはほぼすべての蔵書が開架になっていることだ。大学図書館では古い書籍や高額な資料は閉架になっていることが多いので、目的もなくぶらぶらと見て回ることはできない。

教員や大学院生は書庫に入れる大学図書館もあるが、アジ研図書館は設計が開放的なのも図書館散歩を楽しくする要因だ。1階から4階まで吹き抜けがあり、館内は明るい。各階の天井もちょっと高めではないだろうか。かなり広いのに、全体を見通しやすい。日本屈指の図書館散歩スポットではないだろうか。

本好きならば図書館をうろうろ探索する楽しみは理解してもらえそうだが、そうした趣味がない人には「それはどんな意味があるの?」と疑問に思われるかもしれない。だが、散歩はかなり実用的だ。

インターネットが発展し、統計資料や論文はほぼほぼデータベースで閲覧できる時代となった。電子化されていない書籍でも、書誌情報や所蔵情報はほぼネットでわかる。知りたい情報がピンポイントで決まっている時にはわざわざ図書館まで出かけるのは手間で、非効率に感じる。

だが、紙の良さ、開架の良さが生きるのは情報収集というよりも、その過程での寄り道だ。調べ物の最中、思わぬ余計な情報が入ってくる。いわゆるセレンディピティ(思わぬものを偶然に発見すること)である。本棚でふと目に入った本、雑誌をぱらぱらとめくっていて目についた記事や論文、統計資料をめくっていてふと目についたページから思わぬヒント、テーマの「タネ」がもらえる。

大学院の先輩である、一橋大学の秋山晋吾教授(東欧史)に「論文を1本書いている間に、次にやりたいテーマが10個でてくる。これが正しい研究者だ。正しくリサーチしていれば、その最中にやるべきテーマが見つかっていくものだ」と説教されたことをよく覚えている。データベース化されていない、アナログな史資料を扱うことが多い歴史学では資料を読み込んでいくうちに次に取り組みたい「タネ」がごろごろと見つかっていくのだが、図書館散歩もそれに近い効果をもたらしてくれる。論文や記事を一本書いて終わりにするなら寄り道は無駄だが、次から次へと新たなテーマが必要になる人にとっては、寄り道はきわめて生産性の高い手段なのである。

私のセレンディピティ事例

では、当時の私がどのような「タネ」を見つけたかを開陳できればいいのだが、残念なことにどれがアジ研図書館で拾った「タネ」なのかをあまり記憶していない。それどころか、これは確実に面白いと思ったはずの「タネ」を完全に忘却していることもある。リスは冬ごもりのためにあちらこちらに果実を隠すが、しばしばその場所を忘れてしまうという。どうやら私もリス型のようだ。

仕方がないので、この数年、アジ研図書館での散策で見つけた発見をご紹介したい。

『中国汽車工業年鑑』

中国汽車工業協会が出版している年鑑で、自動車産業に関する各種統計、その年の動向などが掲載されている。中国自動車産業に関して取材する際に目を通したのだが、統計そのものはデータベースでかなりの部分をカバーできる。一番の収穫だったのが広告だ。

部品メーカーがどんな製品をアピールしているのか、どんな技術が売りか、毎年広告を出している国有企業メーカーに割って入る新興メーカーは……などなど、他では見られない情報が満載だ。

特にありがたかったのは低速EVメーカーの広告である。自動車基準を満たさずにトラクターなどの名目で販売されているEV(電気自動車)である。法的にはグレーゾーンの存在ながら、2010年代後半は正規のEVの数倍もの台数が販売され、大手自動車メーカーが低速EVメーカーに出資する流れまであった。広告にはなんと低速EVメーカーまで含まれている。

私は「低速EV」についての論考を数本発表しているが、調べ始めた時にはすでに政府の規制が始まり、衰退に向かうタイミングであった。全盛期の低速EVがどのような存在であったのか、知るための手がかりはあまりなかったのだが、「そういえばあの年鑑に広告が載っていたような」と思いだし、大いに参考になった。

写真1:写真は「中国汽車工業年鑑」の棚。広告を眺めるだけでも毎年のトレンドが見えてくる。各年版がそろっていて、予約なしで閲覧できるのは日本ではアジ研図書館ぐらいではないか。

写真1:写真は「中国汽車工業年鑑」の棚。広告を眺めるだけでも毎年のトレンドが見えてくる。各年版がそろっていて、予約なしで閲覧できるのは日本ではアジ研図書館ぐらいではないか。
『中国統計年鑑』

年鑑を眺めていての思わぬ発見でいうと、『中国統計年鑑2021年版』の「農村貧困状況」の表も味わい深い。農村貧困人口は2010年の1億6567万人から減少を続け、2015年に5575万人、2019年に551万人にまで減り、2020年には「全部脱貧」(全員が貧困から脱却)と書かれている。「16567」「551」など数字が並ぶ表の最後に「全部脱貧」と漢字が登場するのはなかなかにシュールだ。

中国政府が貧困撲滅に注力したのは、習近平総書記が号令した「三大堅塁攻略戦(重大リスクの解消、貧困撲滅、環境汚染対策の2020年までの達成)」の一環だったからだ。農村の現場では相当な努力と無理を重ねて貧困ゼロを達成したというが、その気合いが「全部脱貧」という文字に込められているかのようだ。

貧困撲滅が実現したため、2022年版からは「農村貧困状況」という統計そのものが消えているのもユニークだった。貧困人口はゼロにしたし、今後新たな貧困者も出さないのが中国政府の方針である。「返貧」(貧困への再転落)予防のため、ビッグデータによる監視が行われているという。事故や重病、あるいは公共料金未払いなどのデータを統合して、貧困になりそうな人を未然にケアするプロジェクトを進めている。だが、本当に「返貧」を完全に抑止できるはずはない。いずれ、新たな貧困統計が年鑑に登場することがあるかもしれない。この「全部脱貧」についてはまだちゃんとした論考にはしていないが、そのうちちゃんと育てようと温めている「タネ」である。

写真2:写真は「中国統計年鑑」。基礎資料であり、掲載情報はほとんど無料公開されているが、それでも各年版を比較しながらめくっていくと、思わぬ発見をすることも。

写真2:写真は「中国統計年鑑」。基礎資料であり、掲載情報はほとんど無料公開されているが、それでも各年版を比較しながらめくっていくと、思わぬ発見をすることも。
・『地方志』

アジ研図書館の誇るべき蔵書が中国の地方志だ。書棚数本にわたって中国各地の地方志が並べられている光景は圧巻だ。さすが世界最古の官僚国家である中国、地方志にはその地方の歴史や経済、社会の出来事に関してのトリビアが詰まっているので、眺めていくと気になる発見がいくつもある。

・ビジネス誌

中国本土や台湾のビジネス週刊誌もよく読んでいた。中国は政府も企業もあまり情報を外に出してくれないので、表門から行ってもなかなか中身の話がでてこない。日本や欧米のメディアでは中国企業の中まで入り込んでの深い情報はあまり取れない。ただ、その一方で個人的な人間関係を築くと、一気にハードルが下がっていろいろと面白い話をしてくれるようになる。中国本土、台湾の雑誌はそのようにして中に食い込んで話を聞いているのだろう。

印象深いのは2010年代後半から始まったSHEINを筆頭とする中国越境ECの躍進だ。アパレルやコスメといった女性向けアイテムが売れ筋ということもあり、私の直感がさっぱり働かない分野なので視野に入っていなかったのだが、台湾『天下雑誌』の記事でその裏側にあるサプライチェーン改革のイノベーションが紹介されていたことから注目するようになった。

現在は東京に住んでいるので学生時代のように頻繁にはアジ研図書館を訪問できないが、たまの訪問時の散策は昔と変わらず楽しく、かつ御利益があると強調しておきたい。なお、これだけではまだ訪問の動機には物足りないという方のために、近隣にあるカレーの名店デュワンが絶品であることも付言しておく。

写真の出典
  • 全てアジア経済研究所図書館撮影
著者プロフィール

高口康太(たかぐち こうた) ジャーナリスト。 1976年生まれ。中国経済、中国企業、在日中国人社会などを中心に『月刊文藝春秋』『週刊東洋経済』『Wedge』『WWD JAPAN』などのメディアに寄稿。『ピークアウトする中国 「殺到する経済」と「合理的バブル」の限界』(文春新書、梶谷懐氏との共著、2025年)、『中国“コロナ封じ”の虚実―デジタル監視は14億人を統制できるか』(中央公論新社、2021年)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐との共著、2019年)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和との共編、2020年、第37回大平正芳記念賞特別賞受賞)など著作多数。