ライブラリアン・コラム

国際ブックフェアとAI

高橋 学

2024年8月

ChatGPTがリリースされて以来、いわゆるAIはその存在感を増し続けている。筆者にしてもAIを使ってさまざまな日常業務を片づけてはいるが、AIというものを正しく理解したうえで利用しているのかと正面切って問われると、これは甚だ自信がない。IT技術に関する基礎知識からして心許なく、もしかすると自分はAIを利用しているのでなくAIに踊らされているだけでは、と感じることもあるくらいだ。

そんな筆者が今年3月、ロンドンで開催された国際ブックフェア1(ロンドン・ブックフェア)に参加する機会に恵まれ、そこで多くのAI関連セミナーを聴講してきた。じつは国際ブックフェアでは以前からAIはホット・イシューなのだが、改めて日本語で検索してみると関連記事がほとんどヒットしない。そこで2019・2022年に参加したフランクフルト・ブックフェアでの経験も交えて、これまで国際ブックフェアでAIがどのように語られてきたかについて、簡単なレポートを備忘録がてら書いてみたい。

写真1 2024年ロンドン・ブックフェアの会場風景

写真1 2024年ロンドン・ブックフェアの会場風景

写真2 会場内インターナショナル・ライツ・センターでの商談の様子

写真2 会場内インターナショナル・ライツ・センターでの商談の様子
(2019年10月)フランクフルト・ブックフェア──AIが書いた学術書

筆者がはじめて、出版・編集という文脈のなかでAI関連セミナーを聴講したのは2019年のフランクフルト・ブックフェアである。ブックフェアでは年ごとに(明示的に掲げられているわけではないが会場全体に感じられる)キーワードのようなものがあって、多くのセミナーがそれに沿って開催されている。2019年は、まさにそのキーワードがAIだったのだ。具体的には、AIが情報収集と執筆をおこなった世界初の学術書「Lithium-Ion Batteries: A Machine-Generated Summary of Current Research」の刊行が大きなトピックとして取り上げられていた。クレジットされている著者はBeta Writerというアルゴリズムである。発行元であるSpringer Natureの担当者は「この本が化学の学術書であることは偶然ではない。化学は、AIがファクトベースで論文を整えやすい分野だからだ。第2作目は人文・社会科学分野に挑戦したい」と語っていたが、ウェブ検索した限りでは、直接的にAIに書かせた人文・社会科学系の本はまだないようである2

なお、この年はAIとともにMachine Learning(機械学習)やNatural Language Processing(自然言語処理)といったワードも飛び交っていた。当時はまったくピンとこなかったが、ChatGPTをはじめとする大規模言語モデルに実際にふれ、ある程度の知識を得た今なら、それらの重要性がよく理解できるところだ。

写真3 2019年フランクフルト・ブックフェアでのセミナー会場の様子

写真3 2019年フランクフルト・ブックフェアでのセミナー会場の様子
(2022年10月)フランクフルト・ブックフェア──ChatGPT前夜

2022年のフランクフルト・ブックフェアは「オーディオ・コンテンツ」や「アクセシビリティ対応」がキーワードになっており、AI関連セミナーは2019年よりも少なかった。これは、オーディオ・コンテンツが急速に伸びてきた時期であり、またEuropean Accessibility Act(欧州アクセシビリティ法)3が施行される3年前というタイミングもあったと思う。

ChatGPTが登場したのはこのブックフェアから1カ月後の2022年11月である。月間アクティブユーザー数がリリースからわずか2カ月間で1億人に達したことは大きなニュースとなった4

写真4 会場内でもっとも目立つ場所に掲げられていたSpotify Audiobooksの広告

写真4 会場内でもっとも目立つ場所に掲げられていたSpotify Audiobooks の広告
(2024年3月)ロンドン・ブックフェア──AIへの期待と不満

欧米の学術出版社は、テクノロジーとしてのAIが、アクセシビリティの向上、自動翻訳、査読者のマッチングなど、学術出版に関わる多くの人々に恩恵をもたらすことをよく理解している。ゆえに総じてAIの活用に対して非常に積極的である。

いっぽうでビジネスモデルとしてのAIには不満があるようだ。ご存じのとおり大規模言語モデルによる生成系AIは優れたコンテンツを大量に生み出すことができるが、その能力を発揮するためには、膨大なコンテンツをトレーニングデータとして読み込む必要がある。つまりAIは優秀なコンテンツ生産者(Content Producer)であると同時に、コンテンツの大量消費者(Content Consumer)でもあるわけだ。そのトレーニングに自社コンテンツが無断で使われているのだとすれば大きな問題であるというのが学術出版界の考えである5。ロンドン・ブックフェアで開催されたどのセミナーにおいても、学術出版社は一貫して、AIを開発する企業(Big Tech)はコンテンツ利用の正当な対価を出版社に支払う(それがひいては著者にも還元される)べきであり、大規模言語モデルの構造を考えればフェアユースの概念6(著作物の無断使用が許される法的原理)は適用されず、変形的利用(Transformative Use)も成立しない、と主張していた。

写真5 写真はもっとも小さいセミナー会場の様子。テック系のセミナーはとくに盛況で、 開始1時間前から並ばないと入れないほど。

写真5 写真はもっとも小さいセミナー会場の様子。テック系のセミナーはとくに盛況で、
開始1時間前から並ばないと入れないほど。
(補足)国際ブックフェアの変化──エンジニアの増加

ブックフェアは基本的に出版ビジネス(版権交渉)の場だが、参加しているのは出版社の版権・ライツ担当者だけではない。たとえば筆者がはじめて参加した2014年のフランクフルト・ブックフェアでは、電子書籍リーダーを開発しているIT企業のエンジニアをよく見かけたものだ7。では現在はというと、出版社プロパーのエンジニアがじつに多くなったと思う8。そして彼ら・彼女らは、筆者のような頭の固い編集者には考えもつかないアイディアをもっていることがある。たとえば今年3月のロンドン・ブックフェアでは、あるエンジニアによる下記の発言が印象に残った。

「学術ジャーナルというものは、単にPDFを読むだけのものではなく、世界中の研究者が互いに関わり合い、意見交換し、研究を積み重ねていく『仮想コミュニティ』へと変化していくだろう。」

実際に学術ジャーナルがそのように変化していくのかはわからない9。しかし、間違いなく紙媒体で実務経験を積んできた編集者からは出てこない発想だと思う。これから本格的にやってくるであろうAIの大波を切り抜けるためには、頭のなかを常にバージョンアップしていく必要がありそうだ。正直、すでについていくだけで精一杯だが。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
著者プロフィール

高橋学(たかはしまなぶ) アジア経済研究所学術情報センター成果出版課。横浜DeNAベイスターズファン。

  1. 世界中の出版社や出版関連業者が集まって版権やライセンスなどの取引をおこなう見本市・展示会。ドイツのフランクフルトで開催される国際ブックフェアが世界最大で、世界の見本市・展示会情報(J-messeによれば、2023年度の実績は来場者数10万5000人、出展社数4000社(2024年8月20日アクセス)。かつて日本も「東京国際ブックフェア」を開催していたが、2016年を最後に姿を消した。
  2. Springer Natureが開発したA Machine-Generated literature Overview という執筆フォーマットでは、人間が文章を執筆してAIは文献レビューのみ担当する。このフォーマットならSTEM系以外の学術書はあるようだ。(2024年8月20日アクセス)
  3. 国立国会図書館 調査及び立法考査局 濱野恵EUのアクセシビリティ指令」『外国の立法』287、2021年3月(2024年8月20日アクセス)
  4. 「チャットGPT、ユーザー数の伸びが史上最速=UBSアナリスト」Reuters、2023年2月2日(2024年8月20日アクセス)
  5. 米オープンAI、メディア業界大手ニューズ・コープとコンテンツ契約締結」(松井美樹、ジェトロ・ビジネス短信、2024年5月28日)によれば、AI開発企業といくつかのニュース・メディアはコンテンツのライセンス契約で合意している。(2024年8月20日アクセス)
  6. フェアユースは国によって考え方が異なる。世界を見渡すと、Text and Data Mining(大量のテキストデータから有益な情報を抽出すること)については日本はかなり寛容である。(2024年8月20日アクセス)
  7. Amazon Kindleは、2012年に日本版ストアを開設すると同時にKindle Paperwhiteの第1世代をリリースした。Kindle Unlimitedは2016年からサービスを開始している。いわゆる電子書籍の黎明期だったのだ。(2024年8月20日アクセス)
  8. 実際、多くのセミナーで参加者から「AIエンジニアを直接雇用して内部にかかえるべきか、それとも外部委託するべきか」という質問が出ていた。
  9. 学術からはすこし離れるが、(AIを活用して)世界的なコミュニティを形成するという発想はマンガの世界にはすでにある。「集英社、AI翻訳でマンガコミュニティー 感想や投票企画」『日本経済新聞』2024年4月12日。(2024年8月20日アクセス)