ライブラリアン・コラム

電子化された満鉄関連資料とデジタルアーカイブ

村田 遼平

2023年6月

2023年4月、アジア経済研究所図書館(以下、当館と略)のデジタルアーカイブの一部が装いを新たにした。新規デジタルアーカイブを公開したわけではないために特段周知することもなく、ひっそりとした改訂である。加えて、デジタルアーカイブ「戦前・戦中期日本関係機関資料」(以下、「戦前・戦中期」と略)にはこの数年で「南満洲鉄道株式会社」(以下、満鉄と略)関連の新規資料が掲載されている。そこで本コラムでは、満鉄関連の資料2点を紹介し、改訂版のデジタルアーカイブの使い方についても簡単に述べることにしたい。

満鉄関連の貴重資料

ここで紹介するのは、『滿洲事變ニ於ケル鄭通線被害實景』と『會社實態調書』(以下では基本的に常用漢字を用いて表記)である。これらはともに、旧満鉄社員を中心とした財団法人満鉄会(1946~2016年)から当館に寄贈された(ただし、寄贈された時期は異なる)。

(1)『満洲事変ニ於ケル鄭通線被害実景

本資料は、1931年10月~1932年1月までの間に2回にわたり行われた、鄭通線(鄭家屯(現在の中国・遼寧省)と通遼(内モンゴル自治区)を結ぶ鉄道1)の復旧工事に関するものである。具体的には「鄭通線第一回被害記録及実景」と「鄭通線第二回被害記録及実景」から構成され、それぞれ復旧工事の詳細を記す各種の一覧表(例えば「鄭通線線路被害復旧一覧表」)や工事関係の写真とその説明文を含む。「四洮鉄路局」が工事記録を作成したと見受けられる。一見してわかるように、表紙や写真の貼付されているページと異なり、工事記録や写真の説明文はシアノ式の青焼き(青地に白色文字)である。

図1 満洲事変ニ於ケル鄭通線被害実景(デジタルアーカイブ画面と資料画像)

図1 満洲事変ニ於ケル鄭通線被害実景(デジタルアーカイブ画面と資料画像)

本資料によれば復旧工事は、第1回が1931(昭和6)年10月31日~同年11月5日の間、第2回が1932(昭和7)年1月2日~同年1月30日の間に行われた。満洲事変における満鉄の功績を記す『満洲事変と満鉄』には、満鉄が人員を派遣して2回にわたり鄭通線の復旧工事に取り組んだ旨が記載される(南満洲鉄道株式会社総務部資料課編1934, 188-189)。上記の工事日程は『満洲事変と満鉄』の記述と概ね重なっており、かつ細かな工事内容が一致していたりすることから、『満洲事変と満鉄』を製作する際に本資料掲載の情報が一定程度参照されたとみて不思議ではないだろう。

ちなみに、本資料に押された満鉄会の寄贈印(1977[昭和52]年6月7日付)から、この資料は、かつて満鉄副総裁を務めた八田嘉明のご子息である八田豊明氏2から満鉄会へ寄贈されたことがわかる。八田嘉明の満鉄副総裁の就任は1932年4月のことであり、本資料は第2回復旧工事後の1932年1月末以降に作成されただろうから、八田は満鉄副総裁への就任前後に本資料を入手したのかもしれない。

(2)『会社実態調書3

次に紹介するのは、かつて満洲国に存在した企業の一つ、満洲車輛株式会社(以下、満洲車輌と略)に関する資料である。ただ、本資料が作成されたのは1945年8月に満洲国が消滅した後である。本資料はご来館のうえ画像で閲覧いただくかたちとなる。

図2 会社実態調書

図2 会社実態調書

満洲車輌は、満洲における鉄道車輌製造を目指して、1938年5月に奉天(遼寧省瀋陽)で設立された。日本内地の主要な鉄道車輌関連企業が共同で出資した会社で、初代社長には日本車輌製造株式会社副社長の秋山正八が就いた。1944年4月には、経営を委任された満鉄が1000万円を増資し、社長に満鉄理事参与の宇佐美喬爾が就任した(沢井1998)。

本資料の内容は資料中の表記をそのまま用いると、「会社実態調書総括表」「株主及重役名簿」「職制」「社員名簿」「土地明細表」「構築物明細表」「建物明細表」「設備明細表」「製品及半成品明細表」「現材量及副資材明細表」「会社概要」である。満洲車輌の組織・人員・設備について多くの情報を得ることができる。名簿や各種明細表の表は形式化されていて、個々の項目は手書きで記入されている。

資料中の情報についても簡単に紹介しよう。社員名簿に掲載される社員等の人数はおよそ3000人弱である。一部の者については、学歴や職工としての経験年数が記載されているが、こうした情報には精粗がある。また、土地明細表以下に列記される、満洲車輌の保有していた土地・設備等の項目数は6600件余りにのぼる。物品の調達先や調達価格も記入されている。さらに、ソ連軍によって接収されたり、「暴徒」による被害を受けたりしたとされる設備等の数量も記される。満洲車輌に関する詳細な情報を得られることはもちろん、1945年8月以降の在満企業について考えるためにも有用な資料であろう。

改訂されたアジ研図書館デジタルアーカイブ

当館デジタルアーカイブのうち改訂されたのは、アジア動向年報重要日誌検索システム、「近現代アジアのなかの日本」所収の山﨑元幹文書、戦前・戦中期日本関係機関資料、岸幸一コレクション、張公権文書目録である。当館デジタルアーカイブの一覧には、アジ研ウェブサイトの図書館ページの「デジタルアーカイブ」からたどり着ける4。上で紹介した資料が「戦前・戦中期」に収録されているため、以下では「戦前・戦中期」を例として利用方法を説明したい。

図3 インデックスページ

図3 インデックスページ

「戦前・戦中期」のインデックスページを開くと、「雑誌」と「図書」の2種に分かれている。どちらもウェブページの作りは同じであるため、「図書」を例に見る。「図書」を開くと、各資料の「コード」「サムネイル」「タイトル」「種別」が一覧できるリストページが表示される。「図書」は2023年5月現在4145タイトルと相当数収録されているため、リストページにおいてブラウザのページ内検索(WindowsではCtrl+F)を利用すると目当てのタイトルにたどり着きやすい。タイトルをクリックすると、アイテムページが開く。

図4 リストページ

図4 リストページ

アイテムページ(図1の左側画像)は画面左にメタデータ、右にビュアーの欄が配置され、画像をクリックするとビュアーページが展開される。ビュアーでの判読に難がある場合は、ページ左下の「ダウンロード」の項目から高解像度の画像(zipフォルダ)をダウンロードのうえご覧いただきたい。

当館デジタルアーカイブにどのような資料があるのか調べたい時には、各デジタルアーカイブ画面の右上にあるGoogleカスタム検索やページ内検索を利用できる。Googleカスタム検索は各デジタルアーカイブ内の文字情報を検索対象としている。なお、現時点で、当館デジタルアーカイブ全体の統合的な検索はできない。

もし利用時に不具合等(誤字脱字を含む)があった場合は、各ページ下にあるリンク先のフォームからお知らせいただければ幸いである。

以上で説明した使い方は2023年5月現在の情報である。ぜひ一度ご自身でご利用いただきたい。

参考文献
  • 加藤聖文(2004)「八田嘉明」伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館。
  • 加藤聖文(2006)『満鉄全史:「国策会社」の全貌』講談社。
  • 沢井実(1998)『日本鉄道車輌工業史』日本経済評論社。
  • 靏岡聡史(2009)「満州事変と満州鉄道利権問題:東北交通委員会の設立を巡る関東軍と満鉄」『法学政治学論究 : 法律・政治・社会』80。
  • 南満洲鉄道株式会社総務部資料課編(1934)『満洲事変と満鉄』南満洲鉄道株式会社。
著者プロフィール

村田遼平(むらたりょうへい) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は中華圏。

  1. 満鉄からの借款に基づき建設された四洮鉄道(四平街~洮南(ともに吉林省)間)の一部で、1924年7月に営業を開始した。もともと東北の張氏政権と満鉄が共同経営していたが、満洲事変後の1932年1月に、満鉄へ経営が委託されることになった。
  2. 豊明氏は1976年4月に『父八田嘉明の思い出』を編んだ。
  3. 本資料については別の機会に詳しく述べたい。
  4. 図書館ページには、本コラムページからだと、PCでは画面上部メニューの「図書館」から、スマホでは画面右上にある三本線のメニューの「図書館>アジア経済研究所図書館について」からたどり着ける。