図書館
  • World Document Discovery蔵書検索
  • 蔵書検索(OPAC)
  • アジ研図書館の蔵書や電子ジャーナル、ウェブ上の学術情報を包括検索
  • アジ研図書館の蔵書を検索
    詳細検索

ライブラリアン・コラム

シンガポールの「神保町」──ポスト・コロナの書店を巡る

山下 惠理

2023年3月

本の城、ブラス・バサー・コンプレックス

写真1 広場から見上げたブラス・バサー・コンプレックス

写真1 広場から見上げたブラス・バサー・コンプレックス

多様な国の希少資料を、研究者や司書が直接現地で収集できることは、アジア経済研究所図書館の蔵書構築にとって大きな強みである。ここ数年は残念ながらコロナ禍で現地へ赴くことができていなかったが、今年になって当館の多くの司書が海外出張を再開させた。筆者の場合2月6日から12日までシンガポールとベトナムの2カ国を巡る機会を得た。今回のコラムではシンガポール出張で見つけた「本の城」を紹介したい。

シンガポール訪問の主な目的は、新規の取引先を確保し、コロナ禍の影響はもちろんのこと、政情不安定などの理由により長年購入ができていなかった東南アジア各国の統計資料を一括購入することだった。

先輩ライブラリアンから教えてもらった書店名を頼りに目的の場所に辿り着くと、目の前に広がる光景に思わず驚きの声を上げてしまった。そこに現れたのは数十件の本屋が集まる巨大モールだったのだ。広場から見上げると、様々な言語で書かれた本屋の看板がのぞいている。制服姿の学生からマイカップ片手に語り合う常連風の人々等、様々な人で賑わっていた。

この建物は「ブラス・バサー・コンプレックス」(Bras Basah Complex)といい、中国語名では「百肚楼书城」として知られ、その名のとおり本の城のような様相を呈していた。「书城」は、大型書店や複数の書店が入っているビルを指す言葉だという。

目的の書店の店内には統計資料のみならず世界各国から集まった図書が所狭しと並んでおり、目的のタイトルをほぼ入手することができた。店主は1990年代から世界各地を巡って本の収集をしてきたという。欧米の図書館が主な取引先とのことだが、わずか8人ほどのスタッフで全世界から次々に入ってくる本をさばいていた。コロナ禍による混乱は当初はあったものの今では全く落ち着いているとのことだった。

写真2 各国別に資料が分けられている店内

写真2 各国別に資料が分けられている店内

「それにしても、まさか御社がこんな本の城の中にあるとは予想していませんでした」。不勉強なことを述べる筆者に対して、担当者の返答は世界中を巡って本を収集してきたという豊富な収集経験の一端をのぞかせるものだった。「そうでしょう。ここはシンガポールの神保町ですよ」。

一つのビルに神保町そのものが収まっているこの状況は、ある意味シンガポールらしい。国土の狭いシンガポールにとって計画的な土地の運用は肝要である。当のブラス・バサー・コンプレックスも建物の5階までが商業スペース、その上から25階までは住宅開発庁(Housing and Developing Board)が計画を担う公団住宅、いわゆるHDB住宅に割り当てられている。

ポスト・コロナの文化発信地になれるか

どういった経緯でこのビルが建てられたのか気になって調べてみると、もとは1980年の都市再生プログラムの一環として建設されたという。古くからこの地域には多くの書店が集まっていた。1860年代に主要な道路建設が行われ周囲に学校や教会がつくられた影響で教材や文房具などを売る店が必要とされたためだ。それらの書店がブラス・バサー・コンプレックスに移設されると、近隣の地域からも有名な書店がテナントに入るようになり、現在の形になったという。当初、同ビルに入る店舗は、本を販売することが法的に義務付けられていたそうだが、現在では、画商や骨とう品屋のほか、日本のフィギュアを置く店など幅広いジャンルの店が居を構えている。

もう一つの大きな特徴は、商業の場所としてだけではなく地元住民に慣れ親しんだ文化の発信地であったことだ。ドキュメンタリー映画にもなったシンガポール歌謡、「新謡」の野外コンサートやブックフェア、美術展が催されてきたらしい。コロナ後初めてのシンガポールブックフェアも昨年この場所で開催されている。

帰国した数日後、一階の一番目立つ立地にあった老舗レコード屋Music Book Roomが43年のその歴史に幕を閉じることが現地日刊紙のThe Straits Timesに報じられていた。オンラインショッピングやストリーミング配信、デジタル化の波は、いうまでもなく本の城にも押し寄せている。閉店を余儀なくされる店は今後も増えるかもしれない。

しかし一方で、そもそも移り変わりの激しいシンガポールにおいて、比較的小さな書店が集まるこのビルが、コロナ禍を経てなお活況を呈していること自体、ある種奇跡的なことのようにも感じられる。その意味をつかみ損ねたまま、後ろ髪引かれる思いでシンガポールを後にした。

今回のコラムでは、出張の最中に垣間見ることのできた現地の風景の一部をお伝えした。書店に関するアジ研の知識には豊富な蓄積があり、『アジ研ワールド・トレンド』(2016年5月号)にも「特集アジアの古本屋」が組まれている。研究者や司書からみた古書店について、現地での経験をもとにまとめられており読み応えのある記事ばかりである。ぜひご一読いただきたい。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
著者プロフィール

山下惠理(やましたえり) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア。