ライブラリアン・コラム

香港のセンサス実施状況

伊藤 えりか

2022年4月
2022年6月10日 修正

正誤表 (552KB)

香港のセンサス簡史

イギリスの植民地時代の香港では、植民地統治機関である香港政廰(Hong Kong Government)によって、1911年、1921年、1931年に現在の香港とほぼ同じ地域を対象とするセンサスが実施されている。1941年と1948年にはセンサス実施が予定されていたが、それぞれ延期された。1941年は第二次世界大戦のため、1948年は中国からの移住者が多く、香港の情勢が落ち着いていなかったためと推測される。

記録によると、アヘン戦争後の南京条約が締結されるより早い1841年から、香港では“census”と称する人口調査が行われていた。しかし、1898年の新界租借条約より早く実施されていたため、調査対象範囲が現在の香港より地理的に狭い。また、1901年、1906年のセンサスは、調査対象地域が限られた部分調査だった。1911年に実施されたセンサスは、報告書が作成されていた。論文(P.H. Hase)でその調査結果が分析されている。この論文によると、1899年から新界(New Territories)で居住者調査が実施されていたことが報告書(Administrative reports)から確認されており、当時の統計調査の実施状況も公開されている。

1941年には香港政廰によるセンサスは実施されなかった。しかし、香港の防空当局により、これに代わる人口調査が実施されている。新界を除く香港島と九龍が対象で、全数調査ではない。“Report on census of the Colony of Hong Kong (Exclusive of the New Territories) taken on 13th/14th and 14th/15th March, 1941, by the Hong Kong Air Raid Wardens”という18ページの報告書が作られていることが、アメリカ国務省のRalph J. Bunche Libraryの所蔵レコードから確認できる。当時、ヨーロッパでは、既に第二次世界大戦が始まっていた。また、日本軍は中国を侵略していた。前掲の報告書の”Appendix”である中国語の公告によると、戦時の防空壕の設営や食糧供給計画などに備えた調査だったことがうかがえる。

しかし残念ながら、いずれの調査報告書も日本国内での所蔵は確認されていない。

表1 香港のセンサス実施状況

表1 香港のセンサス実施状況

(出所)筆者作成

香港のセンサスは1961年から再開されている。1961年の調査は、香港政廰のCensus and Statistical Planningによって実施された。1931年以来のセンサス実施準備として、1960年に2度にわたって、予備調査が行われた。1月には水上居民(水上生活者=Marine)を、10月には陸上居民(陸上生活者=Land)を調査対象とした。報告書“The preliminaries and the pilot censuses of 23rd January and 25th October, 1960”の内容から、人口調査だったことがわかる。1961年のセンサスは、2月11日(水上生活者=Marine)と、3月7日(Main[原文のママ])に居住実態を分けて調査が実施されている。

1966年の中間センサス(By-census)は1%の標本調査として実施された。1961年の調査よりも家計、雇用に対する調査の比重を高くし、分析を充実させた。1967年には政府統計處(Census and Statistics Department)が設立され、後の安定的なセンサスの実施につながっていく。

1971年に実施された調査では、名称が“Population and housing census”となり、調査項目も人口、世帯構成、教育、経済活動、雇用、家計、住宅と、先進諸国の人口センサスとほぼ共通する内容に調整された。その後、表1のとおり、調査は5年ごとに実施されている。移住者が多く、人口調査が必要だったと考えられる。

以来香港では、1971年のセンサスに継続する調査が実施されている。5年ごとに西暦の末尾が1の年にはセンサスが、6の年には中間センサスが実施され、1997年に中国に返還された後も、香港特別行政區政府統計處(Government of Hong Kong Special Administrative Region, Census and Statistics Department)により継承されている。因みに、香港の中間センサスは全数調査であることが、結果概要からわかる。

1960年に実施された予備調査の報告書(筆者撮影)

1960年に実施された予備調査の報告書(筆者撮影)
言語、出生地と国籍

香港は中国広東省に隣接しており、中国からの移住者が多い地域だ。

1961年には、“place of origin”と常用言語(複数回答あり)が調査されている。このときの表記は広東語の発音をアルファベットで表したもので、中国語方言(広東語、客家語、福佬語[福建省]、四邑語[広東省]、上海語、北京語など)も含まれていた。香港政廰が主導する香港政府統計處では、1986年の調査では、対象者の使用言語を調査項目から外した。しかし、1991年のセンサスで、使用言語調査を復活させている。21世紀に入ってから、使用されている言語は9割近くを広東語が占める。二番目に話されているのは英語、三番目が中国語の標準語の順になる。

過去には、主たる言語の中国語方言(広東語、客家語、福佬語[福建省]、四邑語[広東省]、上海語、北京語など)と関連した大まかな出生地方も調査されていたが、1991年の調査から「中国」と一括りになった。出生地に対する集計項目は、香港、中国、其他の3つとなっている。

1991年のセンサスからは、結果報告に国籍に関する項目が加えられた。これによって、少なからずいた、外国人労働者の国籍と人数が明らかになった。

国籍の扱いについては、返還を境に大きな変化が見られる。1991年と1996年の調査では、①香港の居住権のみを持つ人を、イギリス国籍として扱っていた。ほかに、②香港以外の居住権を持つイギリス国籍の人、③居住地は香港だが、中国籍の人、④香港以外の場所に居住する中国籍の人を明確に区分していた(表2-1)。しかし、返還後の2001年の調査からは、中国籍の定義が変わった。調査対象者の大半を占めていた①が中国籍として扱われるようになった。また、③も中国籍である。さらに、その中国籍人口を、香港の永住権の有無で区分している(表2-2)。 香港の永住権は、返還を機に、香港政廰時代からの住民と、中国返還後に香港で生まれた住民に与えられている。さらに、1996年の調査からは、結果数値が1991年に遡って表に含められた。調査結果を集計しなおした表を掲載することで、項目立ての変化による数値の整合性が保たれる。返還に向けての準備が、センサスの報告書の分野でも行われていたことがうかがえる。

表2-1 1991年、1996年の調査結果(単位:人)

表2-1 1991年、1996年の調査結果(単位:人)

(出所)"Summary results" (Hong Kong 1991 population census)、
簡要報告(1996年中期人口統計)より筆者作成

表2-2 2001年の調査結果(単位:人)

表2-2 2001年の調査結果(単位:人)

(出所)簡要報告 = Summary results (人口普査2001 = Population census 2001)より
ウェブサイト上の公開

現在、香港特別行政區政府統計處は、センサスの結果報告書の冊子体の出版を中止し、ウェブサイト上で公開している。香港の政府統計處は、1966年から、調査項目ごとに簡易分析を行っていた。しかし、2001年の調査からは、主題別の分析報告が公開されている。

なお、産業分野については1980年代から、主要業種の標本調査が定期的に行われてきた。現在は主要業種がさらに細分化され、四半期ごとに調査結果が上記サイトで公開されている。経済・産業分野のセンサスはまだ実施されていない。

参考文献
  • P.H. Hase “Traditional life in the New Territories : the evidence of the 1911 and 1921 censuses” (Journal of the Hong Kong Branch of the Royal Asiatic Society, vol.36 (1996), pp.1-92)
  • Recording Hong Kong - 1940s (https://www.grs.gov.hk/ws/rhk/en/1940s.html)(2022年5月10日アクセス)
  • “Hong Kong population and housing census : 1971 technical report” (Census and Statistics Department , 1973)
  • K. M. A. Barnett “The preliminaries and the pilot censuses of 23rd January and 25th October, 1960” (Hong Kong report on the 1961 census) [Government Press, 1961]
  • “Hong Kong report of the census 1961” 3 vols. Government Press, [1961-1962]
  • 岸佳央理「香港の「都市化」と水上居民 : 1961年センサスを中心に」(『人間文化創成科学論叢』14(2011) pp.47-55)
  • “Summary results” (Hong Kong 1991 population census)
  • 『簡要報告』(1996年中期人口統計)
  • 『簡要報告 = Summary results』(人口普査2001 = Population census 2001)
    なお、イギリス統治時代の香港では、公用語は英語で、行政機関の名称も英語だった。中国に返還されることが決まってから、個々の固有名詞に対して中国語名が決まった。文中では決まった中国語訳があるもののみ、中国名を使用した。
著者プロフィール

伊藤えりか(いとうえりか) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東アジア。